Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

九州縦断・お風呂とグルメと名景の旅~2日目(後編)

2007年01月20日 | つれづれ旅行記
いい景色を見ると、なんか腑抜けに近いような、妙な脱力感があるのですが、今日も素晴らしい夕焼けとしおさいの音に心を打ちひしがれそんな様子。
すっかり陽も暮れ何もないだけに薄気味悪い長門本山駅に戻り、1人既に入線していた電車の中へ。乗客は当然1名。寝転がっても、座席に荷物を広げても、誰にも迷惑を掛けません。
長門本山17:45、往路と同じくのんびりとしたスピードで進んで行きます。
雀田で宇部新川行・普通1240Mに乗換え、宇部新川の1つ手前にある居能という無人駅で、宇部線に乗り換えます。

真っ暗な無人駅。1人寂しく…という風景を予想していたら、意外や私と同じ宇部線の電車を待つ人が私以外に2名。待つ居能18:13発普通1443Mは、今まで乗ってきた普通1240Mと宇部新川で交換し下ってくるダイヤです。

乗り場は階段を渡って反対側。跨線橋を渡り、ホームに着くと、なんか遠くにさっき乗っていた普通1240Mと同じ形式の電車のテールライトが見え、どことなく違和感を覚えたものの、電車の乗り換えで居能まで引き上げるというダイヤもあっていいかと思い、電車が来るまでベンチに腰掛け待ちます。

遅れて当てにならない私のmyバーバリーの腕時計が電車の時間を指しても、一向に電車は現れず。でもここは無人駅。誰も遅れているとか、何かトラブルがあったとか教えてくれません。
ちょっぴり気になり、無人の本屋へ。
本来なら、同じ時刻に普通1444Mも入るはずが、その電車も来ない。
場内信号が開通すると鳴る、接近表示機もまだ何も表示しないまま。
よく見ると、さっき乗った電車が去った方向(宇部新川方向)で、何やら発光器が遠くなのにものすごく赤く光っていて、その手前で明らかに乗ってきた電車らしき車両が止まってる。そしてその車両の車内灯がついたり消えたりしている…これは何かあったはずだ。

慌てて東京で自宅にいそうな会社の同期に連絡。ホームページを調べてもらい、運行情報やら、連絡先やらいろいろ調べてもらい、運行管理している宇部新川鉄道部へ連絡をすることに。
ただ考えることはみんな一緒。いくら電話してもつながらない。
電車が来ないと諦めれば、目の前のタクシーでどこかの駅に行くところ、来ないとも言わないので、動くにも動きようがない。

どうにも策がなくなった、本来の発車予定時刻から30分を過ぎた頃、上り電車(反対方向の電車)の接近表示が点灯。暗闇の向こうから、30分遅れの普通1444Mがとことこ入ってきました。
ドアが開いた途端、数人の乗客が運転士に事情を問い詰めます。
…「目の前の踏み切りで、踏切防護装置が誤作動をして~」とのこと。もうまもなく復旧し、その後交換の電車が宇部新川を出るとのこと。
それから20分。予定より50分遅れで、乗る普通1443Mが入線。結局宇部に着いたのは、予定より51分遅れた19:16。
接続する山陽線が、乗る予定の普通3359Mが逃げ、普通3361Mも6分前に出たばかり。結局予定より2本(=約1時間)遅れて、宇部を出発。
寒風吹きすさぶ中、下関、門司と乗換え、今日の宿のある門司港に着いたのは21:05。昼間は観光地化してにぎわうようになったと聞く門司港の街も、この時間では人影まばらです。

ひと昔前、門司港と言えば、駅舎だけが有名で、街自体は昔ながらの港町。ゆえに昼間でも薄気味悪い感じの街でした。その港に門司港レトロという観光スポットが出現。ベイエリアを縦断するように遊歩道が整備され、イルミネーションイベント開催期間だったこともあり、以前訪れた時とは比べ物にならない勢いで街が綺麗に。
カップルがイルミネーションをバックに写真を撮ってる中、ダウンジャケットに三脚を持つ男が、不審な視線を感じつつ、その町並みをバックに記念撮影。
その一角にある31Fのタワー最上階にあるレトロ展望室へ。
門司港市内を一望。正面に門司港駅に門司電車区を望み、夜景ながら正面の景色は実はほとんどが鉄道関係施設の夜景。他の角度で見ると、関門海峡が見れたりと、いろんな楽しみ方ができるのですが、私のお気に入りはトップ画像の電車満載のこの夜景。夜の写真撮影は苦手(ブレやすいので)なところ、これは押さえておきたいと力を入れてマジ撮影。トップ画像はそんな渾身の1枚です。

せっかく門司まで来たのなら、食べておきたいのがふぐ。
実は生まれてこの方ふぐを食べたことがない(強いて言えば会社の前の飲み屋で、ふぐの唐揚を食べたことはあったけど)。なのでまだ同じく食べたことのない母や妹に申し訳なく思いつつ、ふぐ初体験することに。
手頃な飲み屋(料亭だと緊張するので)を見つけ、ふぐコースを注文。
まず出てきたのはふぐの鰭(ヒレ)酒。
店のおばちゃんがマッチを取り出し、お酒の椀にそっと火を付けすぐフタをして香りを楽しむなんてオツなサービスからスタートです。
それからふぐの酢物、ふぐ唐揚、ふぐ皮酢、ふぐ刺しと出て、ふぐチリ…。
1人前とは思えない量の豪華ふぐ料理。周りのお客さんも、量とそれを食べる私になんか気になっているようで、品物が出てくる度に周りの視線が気になります。
しかし初めて食べるふぐ。長嶋茂雄がこよなく愛すというだけあって、また食感がなんとも最高!淡白ながら歯ごたえが独特。白い身はふっくらとして、実に爽やかな味。お酒も自然と進みます。
最後にふぐチリの残り出汁で、ふぐ雑炊を作ってくれます。
ふんわりとした卵の中に、ふぐの身におだし。素晴らしい締めくくりです。
お腹は大満足。昨日の熊八亭の期待外れの分は一気にチャラです。

フラフラとしながら今日のお宿、ルートイン門司へ。
裏に走る鹿児島線の電車の音も気にせず、朝までお酒のせいもあり熟睡でした。

九州縦断・お風呂とグルメと名景の旅~2日目(中編)

2007年01月20日 | つれづれ旅行記
1人ラクテンチ下駅の改札口を出ると、すぐ別府駅行のバスが到着。
せっかく予定より1本早いバスに乗れたので、別府駅までバスに乗らず、手前で降りて別府北浜を散策することに。
日の出の頃の曇天が一変。すっかり晴れ渡り、からからに乾いた砂浜をざっくざっくお散歩。途中で見つけたかもめにどれだけ近づけるか勝負(結局間近まで気付かれず、俺が飽きたので俺の負け)をし、あまりに青空が気持ちよかっただけに、ちょっぴり名残りを惜しみながら別府駅へ。

別府11:22発特急ソニック22号に乗り、たった1時間。一気に130km先の小倉へと向かっていきます。
来たのは本来の白いソニックと色違いの白いかもめ車両(885系)。
昨年は白いかもめ号のはずが白いソニックだったので、それだけ頻繁に車両を入れ替えてるなら、いっそのこと色を共通化しちゃえばいいのにと。
駅を出ると、130km/hの俊足で、右手に周防灘を見ながら進んで行きます。
車内はおばちゃんの団体旅行と車両がかぶり、おばちゃん独特の笑い声がけたたましく響いています。
ただ振り子車両のせいか、カーブでもほとんどスピードを落とさないので、とにかく早い。あっと言う間に小倉到着。小倉12:32。

駅ビルが完成し、途端に近代化した小倉駅をちょっぴり散策し、そのまま新幹線へ。久々の100系こだまに乗り、関門海峡を越え、向かうは新山口。
ここから宇部線、小野田線を一気に片付ける予定です。

宇部線の乗り継ぎが悪く、新山口駅の宇部線ホームで、屋根のない部分でぽかぽか陽だまりでくつろいでいると、ガタゴトとにぎやかに折り返し宇部行となる電車が入線。
新山口14:26発、ゆっくりとした足取りで動き出します。

せっかくなのでと運転台後ろに陣取り、運転士のスタフ(行路表)を覗くと最高速度65km/hの記載。山陽線に併走し一直線の線路も、田んぼを縦断した直線の線路も、65km/hという、極めてゆっくりとした足取りで走ります(第3級軌道ゆえ、路床が薄く、それゆえ最高速度が制限される)。
車窓もいたってのんびりとした感じ。真冬らしからぬぽかぽかとした青空の中、冬の枯れ草だけの田んぼが広がる平野を淡々と進んでいきます。
地元っぽい乗客が乗降する中、床波という小さな無人駅で、異彩を放つパリッとしたサラリーマンが下車。「どこへ?」と見ていると、駅の目の前が山口宇部空港。
それこそ多少「~空港駅」駅を名乗りながら、意外と歩かされる空港よりも、空港最寄り駅らしく。いっそのこと「山口宇部空港駅」に改称してしまえばいいのに…と思いつつも、ただ空港アクセス鉄道にしては、1時間に1本という頼りない本数では役目を果たさないかという考察も。
そんな考えているうちに、宇部港を過ぎ、乗換える宇部新川に到着。ここから小野田線に乗り換えます。

2両編成だった宇部線に対し、小野田線はたったの1両。
しかもスタフには最高速度55km/hと、更に足取りはのんびりと。
小野田まで往復し、折り返しは雀田という小駅で下車。
ここから小野田支線に乗換え、長門本山という更に小駅を目指します。

この小野田支線、1日たった5往復という路線。
朝に2本運転があり、雀田7:25発普通1233Mから、私の乗り込んだ16:28発普通1235Mまでお休みで、夕方に3往復して18:12発普通1239Mで最終という路線。
興味本位にスタフを覗くと最高速度45km/hとの記載。普通の悪い道を走る車でも抜かれてしまう速度です。
そんな誰が乗るか不思議な電車に乗り込んだのは、マニアらしき男性1名と私の2名。地元の人はゼロ。誰のための電車だかよく分かりません。
発車時刻になり、静かにドアが閉まると、たかだか45km/hにも関わらず、豪快に揺れる車内にマニア2人大満足。
雀田から5分、雀田、浜河内と続き終点・長門本山到着。マニア2人、夕焼けに照らされた電車と、トイレ小屋1つという寂しい駅舎をいろんな角度から撮りまくり、なかなか来れない電車では偏狭の地(バスなら簡単に来れる)に大満足でした。

もう1名のマニアの方は折り返し17:03発の電車に乗り込んだところ、私はその電車には乗らず、駅からふらふらと歩き出し、ある名景ポイントへと向かいます。
向かうは"きららビーチ焼野"。長門本山駅から徒歩5分という場所にあるこの地は、日本の夕焼け100選に入る絶景ポイント(今日のトップ画像…ちなみに写ってる人影は実は私です)。
着くとすでに一眼レフを構えたカメラマンやら、夕焼けを楽しみにした家族連れやカップルが、静かにその暮れ行く夕陽を眺めています。私も数枚写真に収め、せっかくなのでとカメラを置き、のんびり夕陽を沈むまで眺めることに。

17:32、ゆっくりと無音で地平線に近づいた夕陽は、真っ赤な閃光を残しながら、西の空へとぼんやり沈んでいきました(地平線の辺りに雲が出ていたので、はっきり沈む姿は見れず、言葉の通りぼんやりとという感じで沈んでいきました)。
波打ち際に潮の当たる音だけが静かに響く中、オレンジ色だった空は、薄い紺色へと変化していく様子を、海岸線に寝そべりながらぼんやりと見ていると、なんか頭の中で引っかかっているいろんなことがすっきりした気がして、ほんとに幸せな気持ちになりました。

九州縦断~お風呂とグルメと名景の旅・2日目(前編)

2007年01月20日 | つれづれ旅行記
前日飲みすぎたせいか、若干二日酔い気味で目を覚まし、ふらふらと朝風呂へ。
お風呂から日の出が見たくて、暗いうちにお風呂へ入り、日の出の時刻。なかなか明るくならないので多少予感していたものの、残念ながら外はくもり空。日の出は見れず。
しかしこの風呂に限らず、ホテル全体、なんか日本語が周りから聞こえてこない。入口の「歓迎~」の札を見ると、韓国だの中国だの団体名がズラり。そりゃ日本語が聞こえてこない訳だ。

ファミレス以下のがっかりな朝食を終えチェックアウト。
まず向かうのは、ホテル前から路線バスに乗り、とある遊園地を目指します。
その遊園地の名前は"別府ワンダー・ラクテンチ"。
麓にある正面ゲートから、丘の上の遊園地までを結ぶケーブルカーが、鉄道法(鋼索)に基づく路線。故にJR・私鉄全線完乗の旅の対象路線となる訳で、例えそれが遊園地の遊具のひとつでも、目指さなければいけません。
ホテル前のバス停から亀の井バスに乗り、日豊線の線路をくぐった途端、正面の丘に明らかに遊園地っぽい正面ゲート(トップ画像)が見え、バスは一直線にそこを目指しています。向かうは…アレね。

バスを降りたのが9:05。
このケーブルカーは、遊園地の遊具のひとつなので、ケーブルカーだけに乗りたくても入園券(1,000円)が必要。まずチケットカウンターへ行くと、3つあるカウンターのいずれにも誰もいない。呼び鈴もないので、暫くぼんやり待っていると、ほうきを持ったおじさんが通用口から出現。私の姿を見てびっくり!…「お客さんだよ~」
9時開園で、既に8:40、9:00のケーブルカーが出た後なはず。
でも当の施設自体は全く開園している雰囲気ではありません。

次のケーブルカーは9:20発。発車5分前にマイクで「これから改札を始めます」と放送があり、改札口をくぐったのは私一人。広い正面ゲートにいたのは私一人なんだから、俺にこっそり声掛けてくれれば事足りたはずなのに。

せっかく早くから来てくれたお客さん(=私)は、三脚付のカメラを持った男性1名。さぞかし怪しかっただろうな…。

ケーブルカー発車直前に、お孫さんを連れたおじいさんが乗り込み、乗客3名でケーブルカーはラクテンチ下駅を発車。ある意味面白すぎてhighな私に、大はしゃぎの子供を乗せ、0.3km。ラクテンチ上駅に到着です。

改札口を出ると、正面で遊園地のスタッフがくっちゃべってたむろってます。私と孫連れを見た途端、あまりに早すぎるお客さんの出現に、スタッフが慌てて持ち場に散っていきます。当然遊園地1番乗り!!

孫連れは、ケーブルカー乗り場前の「あひる競争(本物のあひるが5羽レースする遊具)」でつかまってしまったので、遊園地の中まで来た客は私一人。
まずは丘の上の遊園地から別府湾と市街を一望できる吊り橋(吊り橋なくせして100円別途取られる)へ。
くもっていた空が晴れてきて、薄い雲に陽が差し幻想的な風景。
後ろを振り返ればとにかく怪しい遊園地。
風景カメラマン、絶好のお仕事日和です。

吊り橋を渡り終え、次の目的地への移動時間ギリギリまで、怪しすぎる遊具をひとつひとつ見てやろうかと。
まず目に留まった遊具…「天国とバブル地獄」
なんか泡がぶくぶくいってて、女神像が置いてあるものの、お金の投入口もなく、なんの遊具だかはさっぱり不明。かと言って周りに聞けるスタッフも見当たらず。ただ名前はなんかいい味出てて良いです。

せっかくなので、入園券を買うとセットで付いてくる遊具券を使って、何か乗り物に乗ってみることに。選んだのはその名も「ロマンスカー」。小田急の看板特急の名前を勝手に頂いているこの乗り物。なんか気になるので乗ってみることに。
乗り場に行くと、工具に油まみれのおじさんが1名、1台のバギーを分解しながら必死に整備中。「乗りたいんですけど…」とチケットを渡すと、頼もしい笑顔と共に、1台のバギーへと私を案内してくれます。
「そのバギー、全自動です。コースがA級ライセンスを持ってないと運転できないくらい難しいからね。だからこのハンドルは偽物なの…」と、久々のお客さんに、嬉しそうにいろいろと語ってくれます。
ただ聞くとこのバギー、地上に埋め込まれたビーコンを読み、自動で加速・減速をするらしく、この方式は先の愛知万博で走ったITMSと同じ。かなりのハイテクが、こんな寂れた遊園地にもありました。
確かに山あり谷ありで難しいコースを、見事に舵を取って走るバギー。名前で侮ることなかれです。すばらしい!!

そろそろ次の目的地へ移動する時間。
目指すのは10:20発のケーブルカー。開園してたった1時間ちょっとで帰る客も、またびっくりするだろうな…と改札口へ。
発車5分前、改札口に改札係が現れる気配は全くなく。
するとトイレか出てきた係員のおじいさんが、改札口にいる私を見てびっくり!…「おにいちゃん乗るんかい!?」
三脚にカメラを持つ辺りから、素性を理解したそのおじいさん。せっかく来たんだから、運転室を見てくかいと、機械室兼運転室を案内してくれることに。
マスコンもブレーキも電車そっくり。加速装置は、昔の電車で見られた自動進段しないHL型のタイプ。年期の入った装置をひとつひとつ丹念に説明してくれます。

すると麓駅から乗降が終わった旨のベルが運転室へ。
するとそのおじいさん、ハンドルを握ったからさぁ大変…「俺も乗るって!!」
慌てておじいさんと一緒にホームへ向かい、ドアを開けてもらい、たった1人下りケーブルカーに乗車。いろいろ案内してくれたおじいさんに手を振り、麓駅へ。
ほんとにいろんな意味で面白い遊園地でした。

九州縦断・お風呂とグルメと名景の旅~1日目(後編)

2007年01月19日 | つれづれ旅行記
たった1時間ちょっとの滞在で、志布志の町を思う存分満喫。
乗り込んだ電車は、写真に写りこんでいる通りの単行。ただ意外や人は私以外にも、ボックスが埋まる程度の利用率。さっきから疑問なのは、この人たちは俺が町を歩いていて人の気配が全くなかったのに、どこから湧いてきたのか。
まぁそんな方々も、この電車に乗らないと、いずれかは廃線になってしまう訳で。どこから湧いてきたとかはいいので、末永く乗ってやって欲しいものです。

志布志13:49発。
志布志を出てすぐ、トンネルを出ると、志布志湾を望む高台を走ります。
薄ぐもりの空の下、これが真っ青な空の下だったら、どんなに綺麗な車窓だったか…。滅多にこれない場所なだけに残念です。
しかし驚くのは、1日上下10本ずつしかないローカル線。私の乗る列車の次は、快速電車なので、次の普通列車まで4時間も空くという運転状況なのにも関わらず、どんな小駅でも乗降がほとんどの駅であることにびっくり。
志布志から1時間ちょっと進んだ油津を過ぎる頃には、席埋まる程にまで。
この周辺を走るバスが、採算面を理由にほとんどの路線から撤退したのが昨年秋。この地域の重要な足として、活用されている証拠なのか。

志布志から2時間、巨人軍のキャンプ地として有名な青島を通過。
どうでしょう好きの方には、西日本縦断ラリーで、なまはげがヒゲのシャツを洗濯した場所として有名な鬼の洗濯岩もこの辺り。
以前11年前に訪れた時は、夏の観光シーズン真っ盛り。
多少なり観光客も散見できたのに、今は真冬のなんでもない平日。まだ巨人軍も来ていないのもあり、志布志の街同様に人の姿は全くなく…。
ただ車内はこの時既に席は埋まり多少の立ち客まで。
硬いボックスシートに座ること2時間を過ぎ、座り疲れたので、立っていた人に席を譲り運転台の後ろへ。細い線路を淡々と走る様子が、この場所からだとすごくよく分かります。
南宮崎16:16。よく晴れた時にもう一度来たい路線でした。

この駅で特急にちりん22号に乗り換え、一気に別府へ。
次の電車も延々3時間半乗るので、「この電車には車内販売はありません」との電光掲示板の表示もあり、ホームでコーヒーを買い込み、3両編成の短い電車の自由席に乗り込みます。
宮崎空港から来るこの電車、自由席はかなりの乗車率。宮崎を過ぎても暫く座席は埋まった状態。私は宮崎で乗客が多少入れ替わった瞬間に席をGetしたからよいものの、宮崎から乗り込んだなら多分座れなかったろうなという程。
ちょうどこの日は宮崎県知事選前日。多分宮崎駅で降りれば、そのまんまなんとかさんとかが頑張って演説してただろうに。そんなのも全く気にせず、車窓に延々と続く日向灘を見ながら、先の長い道中を進んでいきます。

佐土原、日向市、南延岡と主要駅を過ぎる毎に車内は空いていき、延岡を過ぎ、いよいよここから宗太郎越えに挑もうかという頃には、いつしか車内は延岡から乗り込んだ騒がしい家族連れと私だけ。
特急にちりん号は延岡を出ると、宗太郎峠を越え、佐伯まで1時間停まらないので、その家族のおしゃべりだけが延々と響く感じ。車窓はそろそろ陽もくれ、急勾配に挑みスピードが極端に遅い中、裸電球ひとつといった小駅を淡々と通過。南宮崎で買い込んだコーヒーもそろそろ残り少なくなり、若干退屈な感じ。
朝も早かったせいか、いつしかうとうととしていました。

宮崎から2時間、佐伯を過ぎると、ガラガラだった車内も若干人が増え、峠越えも終わり、電車もスピードを上げ、別府までラストスパート。
宮崎から3時間超、通勤客でにぎわう大分を過ぎると、別府で連絡する特急ソニック号がすぐ後ろから追ってるせいか、かなりの俊足ぶり。
別府着19:46。ここまで乗りとおした人は私以外に何人いるんでしょうか…。

今日の行程はここまで。今晩は別府温泉・亀の井ホテルで1泊します。
いくら乗り物好きとはいえ、ここまで乗り続けだとさすがにくたくた…。
ホテルに着いた途端、ベッドで暫くぐったり。
たださすがは日本有数の温泉町。温泉はまた格別。
風呂上がりに、ホテル内のバーでビールを頂き、ホテル内の和食処で夕食。
既に軽く酔っ払っていたせいか、なんか刺身ばかりを注文していたらしく、出てくるもの出てくるもの、刺身に、漬けのお刺身に…。そういえば注文の時に、具体的に商品名で言わず、「別府らしい料理をひとしきり持ってきて」って言ったっけ。
…だからって、こんなに刺身ばかり持ってこなくたって。

久々もどす寸前にまで飲みまくり、ふらふらと自分の部屋に戻った瞬間そのまま就寝。せっかく別府駅と日豊線を一望できるいいお部屋だったのに、1本も電車を見ず、ぐっすり寝てしまいました。

九州縦断~お風呂とグルメと名景の旅・1日目(前編)

2007年01月19日 | つれづれ旅行記
毎年恒例、親父の会社の飛行機のタダ券が、今年度もまだ未使用のままそろそろ06年度も終わろうかという頃。スキーシーズンが始まれば、スキーばかりでタダ券で旅行も…と言っていられなくなるので、シーズン前のこの時期に、ちょっぴり1人気ままな旅を計画。
行き先は九州。鹿児島から宮崎、大分、福岡と縦断し、ちょっぴり寄り道をして山口県にも顔を出そうという計画です。

前日に個人的には大規模な人事異動があり、あまりにショックでつい同じ悩みを持つ同期からの誘いを受け終電まで呑んでしまい、更に悪酔いしたのか、旅行当日早朝に目が覚めると若干二日酔い気味…。
でも旅に出てしまえばそんなのはどうにかなるもの。いつものデイバッグ1つを肩に担いで、港南台駅6:20発の羽田空港行リムジンバスに乗車。ペイブリッヂで爽やかな朝焼けを見つつ、羽田空港へ。タダ券を鹿児島行の航空券に引き換え、屋上展望室で朝の風景を写真に収めつつ、二日酔いのフラフラを覚まします。

朝食のお弁当を買い込み、いざ飛行機へ。
羽田8:05発JAL1863便、羽田空港の滑走路の混雑で所定より20分遅れで離陸。真っ青な空に向かって上昇する飛行機の車窓から、離陸して数分後、我が家を発見!いつも見慣れた景色を上空から見ていると、なんか自分が神様かなんかな気がしてきます…今頃見下ろす景色の下では、どんな生活がされているのか。
離陸後10分もすると富士山が。その後もちょうど強風吹く冬型の気候が幸いしたのか、眼下の景色がまるで地図を広げたように見え、苦手な飛行機も今日は非常に楽しく感じます。約2時間という長めのフライトも、そんな楽しさがあったせいかあっという間。
鹿児島空港10:00着。気温1℃、雲ひとつない青空。南国・鹿児島は関東より段違いに寒いです。

ここからバスに乗り込み、大隈半島にある志布志という町を目指します。
1日4便しかない志布志行のバスに乗り込んだお客は私含めてたったの3人。
中型の路線車の観光タイプのバスは、中型で普通より一回り小さいバスなはずなのに、ゆったりくつろいでも有り余る程の空き具合。
鹿児島空港10:50発。志布志まで1時間40分の長いバス旅。
途中の国分駅から各駅になるらしく、空港を出て20分後、国分駅を出た途端、次の停留所を案内する放送がひたすら車内に流れ出します。途中数人乗り込んで、数人降りていったものの、終始車内はガラガラ…。これでこのバスは経営が成り立つのか!?
ダイヤ通り12:37、志布志着。着いた場所は駅前ではなく、町のどこか国道の途中。聞いたら駅はバス停から約800m先程の場所とのこと。あまりに何もなさすぎる町をぷらぷら、お昼ごはんを食べさせてくれる店を探しつつ駅を目指します。

この志布志という町は、以前は大隈半島の拠点として、電車は大隈線、志布志線、そしてこれから乗る日南線と交わる地域では主要な土地だったものの、電車は日南線を残して廃線となり、今町唯一の売りである巨大客貨船「さんふらわあ」号航路も、航路廃止を表明している程の場所。要は寂れちゃってる訳で、ここに来る道すがらもひたすらシラス台地を眺め、景色はよかったものの、人の住むというより、住んでいた気配を多く見て、荒廃した印象を強く感じた次第。

そんな町でお昼ごはんをどう調達するか。できれば地元の食べ物が食べたいものの、それどころではなく。駅は無人駅。町もほぼ無人。
なんとか見つけた国道沿いのCafe.Jrで、鹿児島にわざわざ旅行に来たのにグラタンの昼食。でも食べられただけよかったです。

しかしバス停からこの店まで、誰も人を見なかったはず(通りすがら見つけたスーパーも、フロアは大きかったものの、店員すらまばらでお客も広大なフロアにたった1人という感じ)。なのに店内に入ると、どこから湧いていたのか、地元の主婦でごった返しています。この人たちはどこから出てきたんだ!?
とりあえずごはんは食べられたものの、これから目指す日南線の電車は志布志13:49発。時間を潰すにしても…と、寂れた駅を写真に収め1日10本しかない数少ない電車の発車を待ちます。

中央線・新型車両E233系に乗りに…

2007年01月13日 | つれづれ日記
06年12月26日、中央線快速電車に新型車両E233系がデビュー。
…いろいろな宣伝ポスターを見た感想、個人的にはかなり冷めて見ていました。
今回の新型車両。一見デザインが新しそうに見えるものの、よく見てみると、デザインからメカニックまで、基本は209系からの流れを遵守しているだけ。
なので、適当に機会があれば乗りに行ってやるかという感じでした。

それから数日後の12月31日。
年賀状書きに飽き、気分転換に東京駅へ。その時は私が到着する以前に人身事故があったようで、電車のダイヤは着いた時点で正常に戻っていたものの、運用面のダイヤはめちゃめちゃ。
ホームがあまりに寒かったのもあって、15分くらい待って、感触的にダメな気がしてその日は待つのを断念。

次に訪れたのは新年1月3日。この日も買い物ついでにふらっと寄っただけだったので、気合いはそれほどでもなく。
なのでやっぱり15分程待って、来なかったので断念。

でもそんな「機会があれば…」くらいの気持ちでいたところ、どうも調べてみると、いつもは新型車両であることに、興奮した評判と、一般の利用者からのデザインの割りに居住性が…といった悪い評判を半々に聞くところ、この中央線の新型車両には、いい評判ばかり耳につく。これは乗らなきゃと思い立ちます。

そんなしているうちに、日々通勤で利用する友人や会社の先輩から、目撃情報が多数寄せられ、それを分析しているうちに、運行開始からまだ15日ばかりなのに、かなり乗りやすくなっていることが判明。
今度はきちんと運用をリサーチした上で、気合い十分乗りに行ってみることに。

午前中の用を済ませ、品川駅からJRのコンコースへ入ろうとすると、テロップで「中央線快速電車は、人身事故につきダイヤが乱れています」の表示。
こうなっては、いくら電車が動いていようと、電車の運用は以降終日めちゃめちゃになるので、こういう時に狙った電車に乗るのには、多少の覚悟がいることを、経験的に直感します。

東京駅に着き、2Fの中央線ホームへ。よく見ると、カメラを持った同業の方たちが、到着を今や遅しと待っています。
「これなら行けるか!?」と数本待てど、いくら待っても来やしない。
待った電車はこんな…↓

    時刻 列車番号 行先         結果
1本目 14:47 1403T  快速   立川    ×
2本目 14:52 1405H  青梅特快 青梅    ×
3本目 14:58 1467T  快速   高尾    ×
4本目 15:03 1563T  快速   立川    ×
5本目 15:06 1573T  快速   豊田    ×
6本目 15:10 1545T  中央特快 高尾    ×
7本目 15:13 1571T  快速   青梅    ×
8本目 15:15 5011M  特急かいじ甲府    ×
9本目 15:19 1503H  快速   高尾    ×
10本目 15:23 1517H  中央特快 高尾    ×
11本目 15:28 1517T  快速   豊田    ×
12本目 15:31 1529T  快速   高尾    ×
13本目 15:35 1541T  中央特快 高尾    ×
14本目 15:40 1525H  快速   高尾    ×
15本目 15:46 1543T  快速   豊田    ×
16本目 15:51 1519T  青梅特快 青梅    ×
17本目 15:55 1549T  快速   武蔵小金井 ○

もう次の電車がダメだったら諦めようと思った最後の電車が、狙っていたE233系でした。待つこと1時間とちょっと。なんか乗れた嬉しさと同じくらいで、「助かった…」と寒さから開放された開放感がこみ上げていました。

外観も内装も、一昨年7月にデビューした常磐線中距離電車E531系の流れを強く汲んでいて、違いは車内の化粧板が薄いグレーから、クリームがかった白色に。また山手線E231-500系と同じ液晶ディスプレーを標準装備。
外観はやや前面がE531系に比べてシャープになり、ドアが2重ガラスになり、ガラスが角型に。あとは伝送系が二重化されたため、やや車体重量が重くなったせいか、若干加速も重い印象。その他、足回りもさほど変わっていないので、全体をよく見ると、基本はE531系に似てるな…という印象。
ただ現行の201系に比べれば、サービス面でも、見た目にも斬新さは明らかで、注目度は最近デビューした新型車両の中ではピカイチ。
一番のこの電車のウリと言えば、座り心地が209系シリーズの中では格段に改善されたこと。あれだけ座り心地がよければ、多少長い時間の通勤も楽でしょう。

さて1時間待って乗った新型車両。せっかくなので存分に乗ってみることに。
まず最初は運転台の後ろに陣取り、運転手のハンドル操作から、加速性能・操作性・減速性能・モーターの特性をチェック。
やはり先に述べた通り、車体重量のせいか走りが重たい。ただ中速からの速度の伸びは、通勤型電車にしては満足な感じ。減速性能も、ブレーキ力が安定していて、全体的にバランスのいい走り。
モーターは最近主流のIGBTインバータを使っていて、初速が非常に静か。
ドアは改良型209系以来の電動式。
中でも209系シリーズで、一番変化があったのは、運転台のTIMSモニタが、ちょっとデザイン的に改良され、夜間でも目に優しい配色に変わっていました。

途中駅では、既に調べていたのか、カメラを持ち待ち構えるマニア多数。
気付くと私の立つ運転台後ろも、マニアで2重3重と人だかりになってます。

そんなしていると、脳に電波がビビッときてるけど電車が好きという方が、あり得ない割り込みをして、私の前に立ってきます。
こっちは1時間以上待って獲得したポールポジション。
そんな簡単には譲れません(ちょっと大人げないけど)。
ただ相手は電波系。日本語で素直にどいてくれるとはとても思えません。
体で強引にブロックして一旦は立ち位置を取り返すことに成功。
でもその後も、何度かそんな攻防が繰り広げられました。

新型車両のデビュー仕立ての頃は、そんな方も多く、そういうマイナス印象で、イライラして帰ることも多いんです。

武蔵小金井16:32着。折り返し東京行になってほしいとの願いは通じず、着いた途端、その電車は車庫に引き上げていってしまいました。

がっかりして折り返し上りホームへ。
期待せず入線してきたのは、なんとE233系!!
待つと1時間待っても来ないのに、期待しないでふらっといると突然来る。
運なんてものは、所詮そんなものです。

帰りは中間車で、モーターの音を聞きつつ、座りながら東京へ。
東京駅に降りると、やっぱりカメラの放列が。
このブーム。こんな感じだと、暫くは続きそうです。

2007年・初詣

2007年01月08日 | つれづれ日記
去年は行けていなかった新春・初詣。
今年はちゃんと…ということで、身近の鶴岡八幡宮へ行ってきました。
おみくじ引いたり、美味しい物を食べたり…。
数日前の会社の昼休み、突然の私が思いついたように「初詣行きたい…」とぶやき、集まってくれた会社の同期6人。
最高の天気に恵まれ、神聖な寺社に大きな笑い声を轟かせ、今年一年がいい年であるよう、お祈りしてきました。
多分これだけバカ騒ぎできるくらい楽しいんです。
今年もきっといい年になるでしょう♪

九州に行くので…

2007年01月03日 | つれづれ日記
1年に1度、親父の会社の福利厚生でもらえるJALのタダ航空券。
今年もまだ使っていなかったので、親父も今年4月下旬で定年退職するということで、ラスト2回の大チャンスとばかりに、1月19日~21日に会社をお休みして九州に行くことに。
今回は同行人もいないので、大した観光もせずに、ただ電車に乗る旅にしようかと。旅はまだ半月先なのに、もう既に乗る電車は決めています。
年末にグループ本社でウィルス騒動があったせいで、週末も出勤しながらとバタバタしていたにも関わらず、地味にタダ航空券の申請と、宿泊券の手配を済ませ、残るは移動の電車のきっぷを買うのみ。
なので駅伝も終わって暇になったので、ぷらぷら散歩がてら、駅のみどりの窓口に電車のきっぷを買いに行くことに。

必要なきっぷは以下の4枚。
①1/19乗車、宮崎→別府間のB自由席特急券
②1/20乗車、別府→小倉間の特急ソニック22号のB特急券(禁煙・窓側指定)
③1/20乗車、小倉→新山口間の新幹線自由席特急券/特定特急券
④1/19乗車、志布志→長門本山間の普通乗車券(日南線・日豊線・小倉・新幹線・新山口・宇部線・小野田線経由)

いくらかかるのか知りたかったので、実は密かに会社で、対MARSとの結合試験実施の際に、発信をしながら、どんなきっぷが出てくるのかは見ていたので、発売時の操作の注意点は何点か気付いてはいました。
その注意点に、果たして対応してくれる駅員さんは気付いてくれるのか!?

①・②…宮崎~大分・別府~小倉間で、特急にちりん号と特急ソニック号を当日中に改札口を出ないで乗り継ぐ場合、通しの特急料金で計算できるという特例があるが、今回は別府で1泊するため、この特例が適用できないという点。
しかも厄介なことに、次に乗るのが新幹線なので、合わせて乗継割引が効くことにも留意が必要。間違って、宮崎~小倉の通しの特急券が出てこないかが心配。
③…②と当日中に乗り継ぐので、②に対して乗継割引(特急料金が半額になる)が適用になる。任意乗継操作をすれば、その点の考慮は不要だが、なかなかオペレータはシステム検定が難しくなるのを嫌って、別操作で発券したがる。そこで乗継割引の適用を忘れないかが心配である。
④…駅のオペレータは乗車券を発売する際、まず口座発売をしようとするが、私の希望するルートは、口座に登録がされていないため、経路入力発売をしなければならない。九州のマイナーなローカル線から、いろんな路線を乗り継いで、着駅が更にマイナーな本州の最西端をちょこちょこ走るローカル線への乗車券。果たしてちゃんと経路入力ができるかが心配。

さてさて、駅のオペレータさんはどう売るか。興味津々に見ていると…
①・②・③はあっさり発券。ちゃんと乗継割引と、特急券の通算の特例についても、制度の通り、正しく券を出してます。しかも②については、窓側を希望したので、A席の段列要求をして、ちゃんと窓側の券を出していました。
残る④を出す際、まずは予想通り、検索画面で口座で該当がないか照会。
6つ出る口座がいずれも該当していないのを見て、駅員さんちょっぴり動揺。
まず見慣れない駅名。経由も皆目検討つかないはず。さぁどうする!?

まずは経路入力用の画面に遷移し、「アイウエオ」順の検索で、発着駅を入力。そこはクリア。その次に経由欄。
MR型端末の場合、必ず線を入力したら、次の線との接続駅を入力しなければいけません。自社で扱っているTRIPS/VENUSは、新幹線と会社線以外は、線名をずらずら入力していい入力ルールなので、その点が大きく違います。
「日南線・宮崎・日豊線・西小倉・鹿児島線・小倉・新幹線・新山口…」快調にてこてこ入力してたのに、新山口で筆が止まり、手元に時刻表が登場。「新山口・宇部線・居能・小野田線→発信」

これでは残念ながら再考回答です。
まだ操作を始めて時間も経ってないので、まだ黙って見てようかと。

時刻表を引き引き、入力を何度も消したり入れたり。
時間はどんどん経ち、私の後ろにきっぷを買う人の列が…。
とうとう裏から別の駅員さんが登場です。

買った港南台駅のみどりの窓口は、端末が今は1台しかなく、私が終わらないと次のお客さんに移れません。操作開始から15分経過。最初後ろに待つ人はいなかったのに、いつの間にか5人も並んでします。
ガラスの向こうで必死に悩む駅員さん。こちらは、後ろのおっちゃんに「お兄ちゃん、帰省かい!?」なんて会話まで。

操作開始から20分経過。1人がしびれを切らして列から外れていきました。
他の並んでいる人もイライラしているのが、手に取るように分かります。
これは仕方ありません。

「日南線の乗継駅は南宮崎じゃないですか!?」(あ~)
「長門本山駅は小野田線だけど、本線から外れた駅なので、更に乗継駅・雀田と、小野田線2を選択しなきゃダメじゃないですか!?」(ほ~)
「それでどうでしょう?」(発信)

中から券が出てくる音が。駅員さんも中でホッとしています。
「お待たせしました」と冷や汗ダラダラで、出力券の確認です。

しかしこれだけ苦労して出した4枚のチケット。
あんなに頑張って出したのに、総額13,330円。
あの努力に対しては、あまりに安い取引きです。

ほんとあの駅員さんには申し訳ないことをしました。
でも行く場所がそういう変な場所なんだから仕方ない。
出すぎた発言ばかりで、ほんと申し訳ありませんでした。

そんな旅行も残すところあと2週間。
これで事前に手配するチケットは全て準備完了。
あとは天気がよいことを四国の仏様に祈るのみです。

今年の年賀のご挨拶は年賀を過ぎてから書くものとしました

2007年01月02日 | つれづれ日記
うちの正月の過ごし方は、小さな頃から毎年一緒。
元旦1日は、父方の祖母の家に行き、いとこ一家と我が家で寿司とおせちで大パーティーをして過ごします。
そして2日は母方の祖父の家に行き、祖父・祖母に新年のご挨拶をするのですが、祖父も亡くなり、一昨年に祖母も亡くなり、最近では逆に叔父・叔母がその日に我が家に遊びに来るようになりました。

父方の一家は、比較的楽観的な思考をする一家。
何においても、どうにかなるでしょとキャハキャハはしゃぎながら、とにかく何事においても楽しく楽しく考える感じ。仕来りも非常にラフ(一応ちゃんとやることはやるけど)。実は由緒正しき家系なはずながら、あまり見ていてそういうのを感じたことはなく。でもさりげなくリッチです(我が家は違いますが…)。

母方の一家は、とにかく仕来り重視。
お年賀は近所回りのご挨拶からスタートし、お墓参りや、飾り物、風習はきっちりきっちりするのが慣わし。祖父がとにかくそういうことに厳格な人でした。

なので子供の頃は、その仕来りの緩い厳しいのギャップがあまりに理解し難く、その父方の実家→母方の実家へ行く際のトーンの違いが、なかなかコントロールできずに困ったものでした。

そんな中、父方の実家に新キャラが登場。
今日のトップ画像・キャバリア♂「コジロウ」(4歳)です。
この犬、祖母の家に登場したのは、丁度私が入社した頃(=約4年前)。
スーツで初任給でプレゼントを渡しに、会社帰りに世田谷の実家へ行くと、玄関入るや否や、このコジロウが小屋から猛突進。スーツを毛だらけ、顔をベロベロなめられ、一瞬でスーツごとべとべとにしてくれたのが最初の出会いでした。

そのコジロウも4歳になり、多少かしこくなってきたのか、ようやく親戚一同くらいは仲間だと認識したらしく。仲間だと認識すると、途端に吠えなくなるので、幾分彼とも過ごしやすくなります。
しかし問題が…。
彼は、暇さえあれば部屋をうろうろしながら、みんなにかまってとさがむのですが、なんか俺にだけ態度が違う。
他の人には、抱っこしてと近づくのですが、私だけは近づいても、すぐ逃げられるけどマッサージしやすい微妙な距離感をキープ。しかも両方の前脚を俺の膝に乗せて、「どうだ。そこの何。俺をマッサージしろ」と言わんばかりの態度です。
悔しいけど、仲良しになるチャンスとばかりにマッサージ。
すると気持ちよさそうにお腹を出して床にゴロゴロしだして、「お腹もマッサージしろ」とアピールしてきます。完全にナメられてます。
しかもちょっとでも私が手を揺るめたり、テレビを見ながら適当にマッサージすると、グルグルと地味な声を出して私に注意してくるという上下関係。
いつかこいつをギャフンと言わしたいと。今後の課題です。

そんなこんなで、今年も1日・2日と今まで変わらない過ごし方で、正月2日間が過ぎました。

そんな中、年越しを過ぎても書き続けた年賀状はどうなったのか…。
結局31日に書き始め、年を越しながら書けたのはたったの12枚。
翌1日はコジロウのお相手で疲れ果てて、結局その夜も書けず。
初夢に年賀状が書けず、書かなきゃ…と焦る夢を見て、それに慌てて2日朝から残りを必死に書き上げ、2日の昼前、叔父と叔母が我が家に来る直前、近くのポストにやっと投函してきました。
なので私の年賀状は、届くまでまだ数日のお時間を頂戴します。

新年のご挨拶が遅くなり申し訳ありません。
特に元旦から早々ご挨拶を頂戴した方、ほんとすいません。
そんな次第で、お屠蘇(おとそ)気分もとうに覚めた頃、いつものアレが届くと思いますが、とりあえず14日のお年玉年賀ハガキの抽選の日までは燃さずに取っておいて頂ければ幸いです。

あけましておめでとうございます

2007年01月01日 | つれづれ日記
やばいです!2007年が始まっちゃいました。
カウントダウンの瞬間は…ロマンチックに、自分の部屋のデスクでひたすら年賀状と格闘中。
結局12月初めに写真を早々撮りに行ったのに、明日やるから、明後日やるからと言ってたら、自社でウィルス騒動があって休日出勤。数日経ってようやく自分のオフィスに戻ると、今度は飲み会で毎日終電という日々。
12/30には昼間お出掛けで、戻ってから返せていなかったメールの返事を一気に返し、12/31になり慌てて年賀状作成開始。
相変わらず計画性のなさが露呈した形でスタートした2007年。
皆さんはどんな年越しでしたか!?

昨年は1年ぶり2度目四国八十八ヶ所で、88のお寺を完全巡拝をしたり、念願の海外スキーを達成したり、自分の本業の根幹である旅行について、新しい旅の形を勉強できた1年でした。
ただ旅行については、今年もほっとけばいろんなところへふらふら出掛けるんでしょうから、今年はそれ以外の新たな趣味の一面を見つけられたらなと。

ご覧の皆さんの2007年が、前の年以上に楽しい1年でありますように。
今年も当サイトをごひいきに、新年よろしくお願い致します。

2007年元旦

P.S.業務連絡…そんな訳で年賀状は暫く届かないと思います。ご挨拶遅くなり申し訳ありませんが、しばし、しばしお待ちを~(汗