Jさんブログ~つれづれなるままに~

糸の切れたタコのように日々ふわりふわりしているJさんの、ふわりふわりな出来事を書いてみました。

今年も一年ありがとうございました

2005年12月31日 | つれづれ日記
今この日記はちょうど紅白歌合戦の最中、腰の痛い中頑張る御法川さんの司会を見ながら書いています。いろいろあった2005年もあとわずか、あと数時間で2006年が幕を開けます。
このブログをご覧のみなさん、見ていない皆さんも今年一年本当にお世話になりました。

振り返れば今年は本当に今までになく濃い一年でした。

<<2005年1月>>この月は仕事であっと言う間に過ぎていきました。横展開PJT第二弾がいろいろと懸念事項が挙げられつつもなんとか無事c/o。でも小さな障害が多発し、それにJR定期改修も迫り、テストだ運用作業だと慌しい一ヶ月間でした。私の些細なメッセージの見逃しで、うちのMGR巻き添えに会社に泊まったのもこの月。明けて日が昇る頃、なんか寒いと思ったら外は一面の雪。結局は翌日の昼くらい、気にして下さったTLが、そのメッセージに気付き問題解決。これかよとばかりにMGRとTLが高らかに笑っていた声はすごく思い出に残っています。

<<2005年2月>>無事2月定期改修も稼動し、仕事が落ち着いたのを期に、温泉旅行だスキーだと遊びまくったのがこの月でした。スキーはいろんな人と行くことができ、スノーボードという新たな遊びに本格的に取り組んだものの、あまり上達はしなかったな。温泉旅行は友達とはじめてした大人の旅、夜自分たちの部屋で食べ、飲んだ夕飯はほんとにおいしかったな。そしてその月、河津桜なんてのも見に行きました。まだ外は寒いのに、春を先取りしたように咲く花は、なんか春に向けた一筋の光のような感じで、心から温まった気がしました。

<<2005年3月>>相変わらずスキー三昧でした。このあたりは毎週のようにスキーへ出掛けていて、その度痛い痛いと仕事中言っては、当時私の面倒を見てくれていた社外さんが、その様を笑っていたのを覚えています。その社外さんが、突如ある日に会社へ来なくなったのもこの月。仲のよい同期が、私のチームから他のチームへ異動が決まったのもこの月。仕事面ではこの月の終わりで大きく環境が変わりました。

<<2005年4月>>この月からこのブログの記録がはじまりました。この月は落ち着いた月で、イベントと言えば初めてのJリーグ観戦、浜崎あゆみのライブ、劇団四季・夢から醒めた夢で号泣したのがこの月でした。仕事・プライベートが大きくガラッと変わった月で、イベントの割にその変化でなかなか疲れた月でした。

<<2005年5月>>この月の最大の行事と言えば、ゴールデンウィークに4日間かけて出掛けた四国八十八ヶ所巡り。ほんとに辛い辛い旅ではあったけど、風光明媚な沿線の景色や、風情あるお寺の数々、そしてお遍路という特殊な体験にいろいろ勉強になった部分はありました。でも以来、この旅で連れて来てしまったもののけの類にやられ、以来そのもののけとの戦いで過ぎた一年でした。
そして今まで私と亡き祖父の旅を影で支えてくれた祖母が亡くなったのもこの月でした。そのショックは未だに我が家ではくすぶっている気がします。

<<2005年6月>>この月の下旬から新人ちゃんの指導担当をすることに。そのため、いろいろと指導方針や自分の足りない部分の勉強などで頑張った月でした。最初はなかなか流れに乗れず、今聞くと外から見ると当時の私はまるで新人の指導が嫌だったと受け取られていたみたい。まぁ仲良さげに語らえる関係になるのはまだ先でいいと思っていたので、大学と違って仕事なんだと教えてやろうかと、一定の距離を保ち、ちょっとつけ離したような態度であたったことは事実ですが…。その成果はどうでるのかな!?

<<2005年7月>>いよいよ夏休み。結局ブログには起こせなかったけど、愛・地球博なんて場所に行ったのもこの月でした。万博というイベントは、新しいもん好きの人が行くもんだと思っていたけど、いざ行くと、さすが万国博覧会と言うだけあって、世界各国が自国のよさを一生懸命に伝えようと精一杯知恵をふりしぼった、そんなイベントなんだと知りました。

<<2005年8月>>旅と花火に明け暮れた月でした。本格的な花火大会に今まであまり行ったことのなかった私。今年は相手がいたのもあり、横須賀開国祭花火大会、海の公園花火大会と、浴衣着用以外事前準備がほとんどなかったのに、間近にド迫力に見れあれはかなり感動しました。
旅行は会津・鬼怒川、岡山・広島、北海道と大きな旅行に数々出掛けました。北海道は久々の家族旅行として出掛けました。いつの間にか私も妹も社会人となり、今までは父の財布がなければ現地で遊ぶこともできなかったのが、逆に私と妹がお金を出し合って旅行を企画でき、少しは親孝行ができたのかなと思っています。

<<2005年9月>>毎年この月は仕事で忙しい月。今年も多忙で体調を崩し、38.9℃の熱が出る中、8:00出勤22:00退社でもうろうとしながら迎えた26歳の誕生日。結局週末家族が企画してくれた誕生日パーティーも、体調が結局治らずあまり楽しめず。だから今年も誕生日は来ていないんだと自分で思い込んでいます。だから今は24歳と28ヶ月…。なんか難しい。

<<2005年10月>>久々の休日出勤で幕を開けた月でした。10月になったら落ち着くから…と言われていたけど、結局は落ち着かず、プライベートも落ち着かず、ほんとこの月は辛かった気がします。手帳を振り返っても、あまり充実した出来事もなく、ネタに薄い月でした。でも月の真ん中に行ったどうでしょう祭、あれは今までどうでしょうのファンやっててよかったなと思えたいいイベントでした。

<<2005年11月>>ハワイへ社員旅行へ行ったのがこの月。この話しはまだブログに書けていないので、濃いイベントいっぱいあったけどまだ内緒。近く書きますね。

<<2005年12月>>仕事面で荒れた月でした。担当の新人教育から外れざるを得ない状況となり、内心すごく手放すのは嫌だったけど、チーム全体を見渡して考えるとそれが一番得策だと考えて、本当に泣く泣く手放したのがこの月。代わりに微妙な社外さんの教育係を引き受け、ここのところそれが原因で日々激怒激怒の毎日。仕事が下手なのは最初だから仕方ない。でも振った仕事もロクにいないで、会社の自分の席でインターネットオークションをしているのはどうだ。この状況はいまだ改善できていないので、これからも荒れた日々は続くんだろうな…。

長くなったけど、簡単に振り返れば本当に濃い一年でした。生まれて初めて「彼女」と言える人ができて、その人と別れたのもこの年。ほんとこの項では書ききれないくらい、いろんなことがあった一年でした。
でもそんな濃い一年が送れたのも、それに誘ってくれた人、付き合ってくれた人、支えてくれた人がいてくれたから。ほんとにそんな皆さんに感謝しつつ、皆さんに来る新しい年が充実した幸せな一年になりますように、そしてこれからも皆さん宜しくお願いします。

最後になりますが、新年も宜しくお引き立てのこと、よろしくお願いいたしますm_m

2005年 大晦日

VSEに乗っちゃった♪

2005年12月27日 | つれづれ日記
つい先日、チームの業務分担が話し合われ、チーム全体を見渡して自分の中で考えをまとめた結果、新人の指導担当を同じチームの同期に譲り、代わりに新しく入ってきた協力会社の方の指導を担当することに。その人はいわゆるエセ鉄道マニア。JRチームでのお仕事なので、PGMの製造方はプロだし、JRは趣味で知ってるから大丈夫というスタンスを決め込んでくるパターンの人。はっきり言って、うちのお仕事はJRをいくら知っててもダメなのは自分も体験しているので分かっており、これは骨の折れる仕事だぞ…と思った予想が大的中。最近の私のストレスのうち、ほとんどがこの人関連。
今朝は昨日私の指示に従わず、何度かミスったために、確認が取れないまま洗い出したJOBの結果確認のため、早めの出社。まぁほしい結果が出なければ、その協力会社さんが怒られればいいんだ…と割り切ってもよかったのですが、そこはチームのためと思いもうちょっと寝たいという欲求を押し切り行ったんです。そうしたら、結果は大量のゴミ入りのデータが出来上がってました。
もう待てません。相手の方は昨日中には出来上がるだろうと思ってたんですから。
さすがにJOBの作成方はプロだと聞いていたので、手順は説明するつもりもなかったのですが、これではいつまで経ってもラチがあかないので、答えのような図を作り、全て材料を整え説明。でも説明してあげてるのに食ってかかってくんだその人が。そんな訳で今日は今までの比べ物にならない超激怒モードです。
午後頼んだ資料も、出来上がってきたものは意味不明…。
さすがに本人の前で資料を読んだら、その場で私のどっかのスイッチが入りそうだったので、休憩室へ逃げ独りでワナワナ…。その後のミーティングでストレスMAXとなり、もう無理と思い、久々の18時台強制退社。
もう何かしないと収まらない!

考える間もありませんでした。一瞬で何をしたいかは思いつきました。
会社を出てまっすぐ駅へ。そのまま多摩線に乗り新百合ヶ丘駅へ。
新百合ヶ丘に着くと、改札を出てあるところへ向かいます。
そこは定期券・特急券センター。
ここである列車の特急券の残席を調べてもらいます。
…町田19:57発の特急ロマンスカーはこね42号の前展望の特急券です。

この列車は、新型ロマンスカーで運転の列車。私の通勤で乗る江ノ島線方面には入らない電車で、平日は新宿10:00発のスーパーはこね13号まで出番がなく、新宿~箱根湯本を2本の電車が数往復し、箱根湯本19:00発のはこね42号で入庫してしまうので、平日に乗るのはなかなか難しい電車。
せっかくならその新型ロマンスカーを、あの前展望で楽しみたい!でん相変わらず新型ロマンスカーは人気で、休日だと一般席すらなかなか取れないという始末。でも平日の夜の列車なら…、そして最後のはこね42号なら、町田→新宿までなら、頑張って仕事を上がれば乗れるだろうと前々から思ってたところだったんです。

残席を調べてもらったら、なんと前展望の最前列・窓際が1席余っているとのこと。当然迷う余地なく、即購入。出てきた券片には、新型ロマンスカーの証「VSE(Vault Super Expressの略。ちなみにVaultは『ドーム状の』という意味を持つ)」と書かれています。当然席番の脇には「前展望」と…♪

座席が取れたなら、電車の時間までに町田まで戻らなきゃいけません。まだ時間も1時間以上あるので、全然余裕な筈なのに、なんかワクワクしちゃってなんか気が急いて(結局町田で何もすることがなくって、VSEの中で食べるもの…なんて思ってデパ地下を散々うろついたんだけどね)。
電車を待つ間に、小田急百貨店のデパ地下で買ったポンパドゥルのミニクロワッサン100gを買い、私にはあまりに遅すぎる19:56、小田原方より緩やかなカーブをVSEが上りながら、私の待つホームへと入線してきます。目に飛び込んでくるのは、真っ白な車体に、前照灯の鮮やかなHIDのまっすぐすぎるライトの光です。
静かに電車が止まると、プラグドアが静かに開き、箱根で遊んできました!!って感じの人たちが大勢降りてきます。代わりに乗り込むのは、明らかに私を含めたサラリーマンが、混んだ急行電車を避けて乗ったような人たち。旅で疲れた人たちと入れ替わりに、仕事で疲れた人たちが乗るというイメージ。
車内は写真とはやっぱり違います。見た目狭そうだった車内は、そのドーム形状ゆえの独特の天井の広がりが、すごい奥行きとなって電車とは思えない空間となっています。室内は暖色系の色彩と、木目で構成されていて、この時期には温かみを感じるデザインです。見た目薄くて硬そうに見えたシートは、今までのシートだけは簡素だったロマンスカーのイメージを払拭する程の、実に人間工学的によく設計されたシート。一般席は窓側に5°傾くよう設計されているそうです。
そして車内を進み、私の確保した前展望席に腰掛けます。
写真で見た時に、眺めが悪そうに思っていた展望席は、逆にその見えにくそうな前面と側面の仕切りの支柱が、よい室内のアクセントとなり、逆に展望室を包むような曲面ガラスを引き立てています。そして最前列だけに用意された、大きな板にダウンライトの光があたり、近代的な中に落ち着きを醸し出しています。

室内をキョロキョロするかしないかといううちらに、私の乗るはこね42号は、久々に復活したミュージックホーンの鳴る中、静かに町田駅を発車します。
町田から登戸までは、先行に電車が詰まっているので、あまりスピードが出ません。前展望に座る私としては、いくら時間をかけてもらっても…という感じ。むしろもっと乗ってたいくらいな感じなので全然お構いなし。そんなしていると、ロマンスカーアテンダントが、飲食物の販売のためご挨拶に来ます。
このロマンスカーアテンダントの販売するコーヒーの入るガラス容器が、ひそかな人気との情報を得ていたので、早速コーヒーを注文。値段は300円、きちんとガラス容器で来るので、値段はむしろ安く感じるくらい。味もそこらのポットコーヒーとは違います。

登戸を出て、複々線区間に走るといよいよVSEの本領発揮!
一気にスピードが上がってきます。
実はカーブ、勾配の続く線形ながら、持ち前のパワーと車体傾斜制御、高位置空気バネにより、鉄道とは思えないなめらかな乗り心地がします。さっきまで私たちの行く手を阻んでいた各駅停車をすぐ様追い抜き、回送電車を2本追い抜き、もう1本前の各駅停車まで追い抜くとあっという間に車内に音楽が鳴り、新宿到着のアナウンスが流れます。途中新宿の高層ビル群を、この前展望から眺めた際は圧巻でした。

新宿20:26、30分足らず。ほんとに気分としてはあっという間でした。
写真でちょっとこバカにしていたことに反省しながら、次は昼間に車体傾斜制御が本領発揮する、本厚木以西まで乗りとおす形で、中間車に乗ってみたいなと。メンバー集めて、今回初めてロマンスカーに登場したコンパートメント席でも取って出掛けるのも面白いかな?

当然新宿に着いた時には、今日一日あった不愉快な出来事はきれいさっぱり。これで明日も頑張れそうです♪

大きな誤算…

2005年12月25日 | つれづれ日記
今年の暦は独り身には厳しすぎます…。
父はケロっとした顔で退院し、個人的には「ほら、今年はお父さんが退院できたのが何よりクリスマスプレゼントじゃない」というコメントだけは絶対させまいとするも、それに勝るイベントはいまだなく。
ただだからと言って、家でボーっとするなんて私にはできません。何かやることはないか見渡します。するとパソコンの脇に無造作に置かれ、わざと見てみぬフリを決め込んでいたあいつの存在を見つけました。
…印刷所から出来上がってきていた年賀状の山

仕方ない。いつかは書かなきゃいけないんだし…とトボトボ作業をはじめます。
まずは住所録の整理からはじめます。
あの人はここ数年送ったけど返事がないので、今年はチェックから外し、あの人は今年お世話になったから追加して…を繰り返し、できた住所録の印刷対象枚数分だけプリンターにはがきをセット。
印刷モードに切り替え、プリンターからインフォメーションメッセージが画面に「必要な枚数は××枚です」
あれ!?印刷を頼んだ枚数と同じ枚数じゃん…。
大体年賀状って、私がお世話になったのを理由に予告なしに出すように、元旦に「おっ!久々やん~」って人から突然年賀状が来ることってあるじゃない?その分が1枚もない。そんな思いながら、プリンタの排出トレイを見に行くと、郵便番号欄がずれてるのが数枚…マジで!?
そんな訳で、一応きちんと友達、交友のある人の数を勘定して発注した年賀状を追加発注せざるを得ない状況になりました。

ただ今日はもう25日。
これから注文して、年内に仕上げてくれるところはあるのか!?
まずはバスに乗り上大岡駅の駅ビルにあるヨドバシカメラへ。
今日は福引セールの最終日らしく、デパート中がすごい人でごった返しています。そんな私も出るときに母に渡された福引券を左手に持ってるんだけどね…。
9Fのプリントコーナーは、そこだけ寒いギャグを言ってしまった後の人の気配のように、そのコーナーだけがひっそり静まり返っています。
私:「すいません。年賀状今からお願いすると、出来上がりはいつですか?」
店員:「最短で1月6日になります」
1月6日って…。新年あけましておめでとうございますも一通り言い終わって、初詣もたぶん行き、新年初出社も終え、もちもたらふく食べ、そろそろお正月特番のテレビも終わろうって6日に、年賀状がはいできました…って言われても、それから書く気せぇへんし。

いやいや、ヨドバシカメラがプリントに関して手抜きなのは知っています。
こういう時にいいのは、街の中にある小さな写真屋さん。
そうなりゃ上大岡を捨て、ふるさと・港南台へすぐ帰ります。
ちなみに福引で当たったのはなんと!!…入浴剤1パックでした。
バス停で待ちに待たされ来たバスに乗り込んだのはたったの3人。
「次は港南台駅、港南台駅。終点でございます…」
なんかコーヒーが飲みたい気分で、バスターミナルに入る直前に左に見えるコーヒーショップの隣はカメラ屋さん。そこの入口に目をやると…
「年賀状、まだ年内仕上げできます」
おっ♪これはと値段構わず店へ。
出来上がりは早ければ28日、予定は29日だそうな。
しかしヨドバシとの出来上がりの差。しかも店の親父が気を遣ってくれて、写真にうっすら写りこんだ雲を補正までしてくれたらしい。さらに値段はヨドバシと一緒(ポイント10%はつかないので、その分高いけどね…)。

最終的な印刷所は一緒なので、柄は第1版・第2版一緒です。
ただそこに入る写真が若干綺麗になってます。
もらった人、単価からすれば、第2版は1枚200円近くしていますので、大切に1年保管して、下のクジが外れても心の中では当たりなんだぜ的気分で新年を過ごしてもらえると嬉しいです。

最高のクリスマス

2005年12月24日 | つれづれ日記
メリークリスマス!皆さんクリスマス楽しんでます!?
私は…って?至上2番目に最高なクリスマスを楽しんでるところです。

最高のクリスマスを予感させる出来事がおきたのは、2日前の22日。
その日は珍しく朝相当早くに会社へ出て仕事を頑張っていて、朝コートを脱ぎ様にいきなり仕事をはじめてしまったので、コートの中に入っていた携帯を、ズボンに移さず仕事に没頭。
昼休みも携帯を忘れたまま外でランチ。戻ってきて午後の会議も終え、なんかズボンが普段になく余裕があることに気付き、携帯がコートの中にあることが発覚。ちすると珍しく着信履歴が数件と、メールが何通か…。着信履歴にある発信元は全て自宅、しかも立て続けに何度も。メールも母から。そのメールを見ると…
「仕事中ごめん。朝お父さんが薬のアルミを飲んじゃって…(中略)。しばらく入院します~」だってさ。
なんだよ、薬のアルミを飲んじゃって…って。意味分からない。
頭の中は、アルミの鉄鋼を飲み込む父・新一の姿。
一応は確認に…と席を立って電話の掛けられる場所へ行き母の携帯へ。
「ってどうなの?」と聞くと、あまりに薬を飲んだ理由が馬鹿げてる。

(薬のアルミを飲むまで…)
1.私が出勤早いのに寝坊してしまい、朝食など食べる時間はなし
2.朝食には母の作ったオムレツが1人分(他の人はまだ朝食には早いので)
3.私は出勤、父は休暇だが、58歳にもなると朝は早く既に起きている
4.自分も卵料理を食べたい。卵はふたつとダダをこねる
5.健康上を理由に母は父に再考回答を出す
6.父不機嫌に台所へ。
7.父台所の片付けをなぜかはじめ、ゴミを捨てようと、踏み込み式(ペダルを押すとフタがビュンと開くやつ)ゴミ箱を踏み込むも、母が一時的に置いた窓拭きグッズが邪魔して、きれいにフタが開かない
8.父、完全に不愉快モード→朝食
9.食後の薬を不愉快モードで飲もうとしたところ、薬の錠剤をアルミ箔の包みから出さずに一気に飲む

聞いてパッと思ったのは、別におなかちょっと痛くすりゃいいじゃんと思ったら、そうはいかないらしい。飲んでから胃に到達するまでに、食道にズタズタと傷をつけ胃に。胃では金属は消化されないので、そのまま未消化のまま腸へ。腸もズタズタと傷をつけ、排泄に至るまでは相当辛い道のりになるらしい。
幸い病院に運ばれた時には、まだ食道で詰まっている段階だったそうで、本人は感覚器のないところで金属がささっているだけなので、ケロッとしながら、専用の器具でささった薬を取り出し事なきを得たらしい。
ただ食道に傷がついたので、当分絶飲絶食。
でも卵が2個食べたいのを拒否されてアルミ飲んじゃう父なので、家で安静といっても聞かないだろうという判断で、暫く入院することになったんだって。

理由があまりにバカげてるので、当然その日の仕事は切り上げず最後までやり、当日スケジュールされていた、地元の友人とのドライブにも出掛け、ちゃんと深夜までお出掛けして帰りました。

翌日、収入のある人が保証人にならなきゃいけないという理由で、保証書書きに朝叩き起こされ嫌々サイン。そのまま文句のひとつもいいたかったので、父が入院している病院へ。
したら腹が立つことに、たかだかそんな理由で入院しているだけなのに、個室に入ってやんの。通常のベッドと違って、差額11,000円を出さなきゃいけないらしい。しかもその差額だけは保険対象外なんだって。
行って気が済むまで父を叱ってやりましたさ。世帯主としての自覚なさすぎです。

言い終えてすっきりして、そのまま友人が出演するクラシックコンサートを聴きに調布へ。今日の演奏はこの時期らしくベートーヴェン「交響曲第9番~合唱付き」と「マイスタージンガー」。
マイスタージンガーは若干Vnが練習不足の感が否めず残念な出来。
ただ第9は違います。休憩が終わりステージが開くと、合唱団が出てくる出てくる…。総勢100人ではとてもきかず、へたすりゃ200人くらいいるのではという大合唱団の前に、ソリスト、オーケストラが並び、満員の客席含め、コンサートホールは一気に人の熱気で充満します。
友人はCbで出演しています。以前私が指揮を振っていた当時、彼に任せておけば大丈夫というのと、どちらかというとメロディーラインから組み立てるのがやり方だったので、今まで意識していなかった反省を込めて、CbやCloの近くに座り聴いていると、さすがオーケストラのベースラインを一手に担うだけあって、その役割の大きさと大切さにはじめて気付きました。一応ブラスバンド6年、その中で指揮も4年やってたんだけどね。今更だけど、大迫力の合唱団と、Cbの旋律に酔いしれつつ、その曲ゆえクリスマス気分を通り越し、一気に年末気分。

今年はそんなクリスマスです。
まぁ今年は暦の関係もあり、スケジュールがゆるくなったので、そこで少し体を休めることができたのが、何よりのクリスマスプレゼントなのかな?

そんな中、得意の衝動買いならぬ衝動予約。
22日に友人とドライブした際、その車がレンタカーだったので、引き取り時に私も運転できるように名義を追加してくれていたので、私も少しながら運転させてもらいました。それが楽しい楽しい。
そんなのを思いながら、ネットでいろいろとレンタカーについて勉強していて見つけちゃったのが「プリウス借りちゃおうキャンペーン」。普段は下から3番目の若干高い値段層に設定されているプリウスが、年内限り5日前予約で一番安い値段層に値下げとのこと。
思わずちょうど年内唯一の暇な日、29日(会社の方針で強引に入れられてしまった休暇)に、乗ってみたかったハイブリッドカー・プリウスを借りて、ドライブに行くことにしました。
そんな思いつきで決めたので、まだどこへ行くかも、誰か誘うかも決めておらず。ただ一応初心者マークの必要としない、免許取得3年半のドライバーですが、運転は免許取ってから、後輩の住む団地の周り一周、東北道200km、先日のペーパードライバー教習、22日のちょっとだけ運転に続いて5回目。だから誘えるのはスリルを求めるか、気にしない人だけです。
9:00に港南中央の営業所で借りて、20:00に返却予定ですが、その日は夜に予定があるので、19:00には帰ってきて返却する予定です。
そんな方いらっしゃったら…。いないか、そんな人…。

市バスポエム・気分窓快 次回最終回!?

2005年12月17日 | つれづれ日記
私が大学4年生の時の夏、突如高校時代にお世話になった理科の助手の先生から呼び出しの電話。その待ち合わせの場所に行くと、1枚の企画書が…。その理科の助手の先生は、私が高校3年になる頃、地元のケーブルテレビ局へ就職。その企画書は、そのケーブルテレビで10月から放送する新番組の企画書でした。その番組の名は…
「市バスポエム・気分窓快」
その番組は、地元を走る市営バスを、車窓の景色とバスの走る町並みを織り込んだ10分番組(後に15分に拡大)。とりあえず1系統を週10分ずつ4週でまとめ、それを6系統・半年放映するとのこと。
当時スタッフはディレクターであるその先輩と、ロケの際に撮影の足としてロケ車を運転してくれるスタッフ、あとテレビカメラなんて全く触ったことも回したことのなかった私の3人。ディレクターはバスに乗ったこともないどころか、時間通りにこないわ…とバスに批判的な思考な人。ロケ車のドライバーはそういえば苗字すら知らない中、初回のロケが行われ、記念すべき第一回の放送前のVTRチェックに呼ばれ、初めてテレビ局という場所に私は足を踏み入れました。その映像は…最悪。
ディレクターのコンセプトは「市バス版・世界の車窓から」。車内から車窓を流れる市内の景色を写す筈が、一脚も使わずにただ撮っちゃったため、手ブレがひどく10分見たら、バス酔いになっちゃう程の強烈映像。当時はカメラも全く分からない素人が口出ししてはいけないと思い、当初の役割分担に従い、取材の路線から見える景色をまとめ、番組最後に流すワンポイントコーナー用のネタ探ししかしていなかったのですが、出来上がった映像のあまりのすさまじさに、次回作の資料製作からは、ロケのアングルを指定し、ロケをする人の勉強資料をまとめ、車内の車窓映像を減らし、外からの映像を増やすよう指示。そしてロケに直接私も参加させてもらいながら、番組は少しずつ軌道に乗ってきました。

回を重ねるごとに、バス酔いは慣れたのか、改善されたのかなくなっていき、それぞれの作業分担も確立し、次第に私の意見が強く反映された結果、マニア色の強い番組に仕上がっていったのですが、世の中は不思議なもので、なぜか子供からマニアまで愛される不思議な番組に。当初半年の約束が、1年、1年半…と終わり知らずに延長されていきました。
当初は放送エリアが横浜市磯子区・南区・中区限定だったので、そのエリアを走る路線をピックアップしていたのですが、さすがに毎月1系統のペースで、エリア内だけでネタを探すには無理があり、いつの間にかロケの範囲は市バスの走る市内全体に広がっていました。
そしてファンからの当初も、メイン番組を大きく上回る反応となり、いつしか取材協力をして下さった横浜市交通局のホームページに(現在も更新中:アドレス…http://www.city.yokohama.jp/me/koutuu/club/contents/stream-p.html)、番組のダイジェスト動画まで流れるようになり、放送エリアは一気に全世界へと広がっていきました。

ただその頃には、私の中でちょっとずつ番組を抜けたいという気持ちが高まっていました。最初は私の意向が、番組を動かせる程、バスの知識の中心として物を言えたところが、次第に番組の規模が大きくなり、その反比例的に会社も忙しくなり…。
ちょうどその頃入ってきたロケドライバーが自称バス好き。話していると、ちょっと主観的な思考が強く、あまり私の好きでないタイプのバス好き。今私が抜けると、私の担当していた部分がこいつに行く…と思うと、それでは番組が成立しないと思い、できる範囲の協力にレベルを落とし、引き続き知識での支援を継続することに。

そんなこんなで3年半。もう立派な長寿番組です。

しかし今年の秋くらいから、いよいよ番組打ち切りという話が本格的に出てきました。一応10月改変は突破したものの、もはや時間の問題。おそらく今調整をしている2月O.Aの新作が最終回で、3月の再放送で最後になるのではという感じのようです。

バスの本数が少なくって、かつロケ地に蚊が多くて大変だった10系統。たまたまトイレを出てきたところにロケのカメラが載ったバスが通り、トイレ前で手を拭く私が写りこんだ21系統…と、ロケに行ったそれぞれの場所に思い出が。会社員になってからは、ロケも週末にやらない限り参加していないので、最近はロケの事前取材で一人でバスに乗った思い出ばかりながらも、3年半も続いたこの生活パターンも、次回が最後と思うと、あれだけ辞めたいと思っていながらも、一抹の寂しさを覚える訳。

今日はその最後になるかもしれない次回作の企画会議。行くととうとうディレクターは来なくなり、どこでもいいから決めてとのディレクターの指示と、既に私があまり番組に力を入れなくなった隙に、自分の意向を強く主張するようになった、私の意向など聴く気もないロケドライバーとの、ある意味形だけの会議は、たったの1時間で終了。最後ということで、撮り残したいろいろな風景を思い描きながら提案した3つの路線は、たぶん最終選定の時点でボツになる…というか話しにも挙がらないんでしょう(交通局との打ち合わせに私は参加しないので…)。
こんなチームワークになってしまった今という時期が、番組の最後には丁度よいのかもしれません。番組ラッピングバスも契約期間が終了。それも交通局の延長の提案も、テレビ局の意向で中止になったと聞きます。物事最後ってあっけないな…って思いました。

次回・最終作は2月O.A。おそらく私の提案した308系統+304系統、または76系統・98系統ではなく、ドライバーが推す7系統(横浜駅→川崎駅西口)。川崎駅西口に横浜の市営バスが乗り入れる映像が最後になりそうです。
今回が最終回となると、残された仕事は、ロケの事前取材と番組のタイトルロゴ作りです。いつも顔出ししかしない反省会も、次回はフル参加しようかな。

年賀状用の写真を撮るぞ、撮ったぞ!

2005年12月10日 | つれづれ日記
毎年この時期悩むのが年賀状。
昔から手書きで書いたりする中で、自分の個性を表現するにはどうしたらよいか考えた結果、私は今までいろいろ見せてもらった豊かな景色を、自分らしいアングルで写真に収め、挨拶にしたためるのが自分らしいだろうという結論のもと、3年前から写真付年賀状にすることに。

最初の写真付は03年の年賀状から。当時私は大学4年生。ちょうど卒業研究も盛んな時期で、らしくということで、大学3年の間自分が行った近代土木遺産調査で私が調査対象としていた中区にある霞橋の写真を載せました。
しかし大学の友人などには、自分の研究を知っていただけに納得してもらえたものの、趣味の電車もバスも写らず、ただ橋がドカンと写った年賀状は、全体的にはいたく不評。せめても橋の下を行き交うバスでも入れ込めばよかったのかな?

翌年04年の年賀状は、その反省をふまえ、ちょうど会社員になり休日に余裕ができたのもあり、本来のコンセプトである「自分らしいアングルで今まで見た素晴らしい景色を表現する」にこだわって、鉄道雑誌などでよく見るアングルのコピーではなく、撮りたいアングルを自分の足で探しながら、その景色を探求することに。
結果その年は、ちょうど1ヶ月後に廃線を控えた、東急東横線の横浜~桜木町の間で、誰が見ても東横線か横浜で撮ったんだと分かるようなアングルということで、桜木町~高島町の落書き壁の付近を走る東横線に、背景にランドマークタワーを入れ込んだデザインに。
しかしいざ評判を聞くと、分かりやすくランドマークタワーが写っていて、東横線もマニアックでない一般的な車両を写したのに、普段通勤で東横線を利用している筈の横浜市在住の同期から「京王線?」と言われたり、全体的にあまり場所や意図がはっきりしていないという評価。

そして今年05年の年賀状は、七里ガ浜を走る江ノ電。背景に江ノ島が入り、誰が見ても江ノ電だし、誰が見ても江ノ島という構図。あの日はロケ地を探して歩き出したところで、いつの間にか私有地に入っていたらしく、出だしに管理人らしき人からこっぴどく叱られて、すごく緊張しながらの撮影でした。結局数十枚を半日がかりで撮り、採用された写真は、不意に練習で撮った、個人的には気合いの入っていない1枚。遠く景色を望みたくって山に登ったり、海へわざと出たりしながらも、結局は駅近くでフラッと撮った1枚が採用されるとは。人生と似てますね。

さて来年は!…という訳で、来年の年賀状用の写真を今日撮影してきました。
前日天気予報を見ていて、快晴の予報。ただ難は気温が上がり温かいという点。温かくなると、空の色が薄くボケてしまい、画として空の色が発色しにくくなるんです。…となると気温が上がる前にと、気合いを入れて朝も早くに家を出発。
今年のターゲットは小田急。会社員になってから、ずっとお世話になりながら、まだ写真らしい写真を1枚も撮っていなかったので、小田急への感謝を込めて、私らしい小田急の写真を撮りに行くことに。
まず向かったのは渋沢。伊勢原手前で丹沢を雄大に眺め、再び山間いに車窓が写る風光明媚な区間。しかし車窓は豊かでいいのですが、いざ写真となると別。景色と電車が広く見通せる場所を探さなきゃいけません。でもちょっぴり予感めいた勘があり、登山と同期の通称めぐろんが実家に帰る時しか用のない小さな駅に降りたのか。
以前運転台の後ろで景色を眺めていた時、鶴巻温泉を出て車窓左前に雄大な富士山を見たのを覚えていました。そこから3駅、カーブの具合を懸案すると、もしかすると正面に富士山と電車を撮れるポイントがあるか!と思い降りてみました。
そこで撮った写真が今日のトップ画像。分かりますか?一応ヨミの通りに、正面に富士山がビシッと…ではないですね。元々気温が高くて富士山がボヤけていたのと、デジカメがなかなか富士山にピントを合わせてくれず、思ったような構図は得られたものの、なかなかいい写真が撮れない。
途中見知らぬ通りがかりのおじいさんに、小田急の歴史講義なんぞ聴いたり、温かいとはいえ12月中旬にもなろうかという時期、30分も外にいればいい具合に凍ってきます。ちょうど富士山に雲がかかってきたので、運良く撮れていることを期待して断念。…結局現像したところ、やはり富士山が分かりにくく、この構図から撮った写真はボツになりました。

渋沢のロケ地をあきらめ、再び電車に乗り、駅から見知らぬ道を車窓の景色の記憶を頼りに歩き…。やっといい写真が撮れた時は、家を出てから4時間さまよった、ちょうど昼を過ぎたくらいの時間でした。
ロケ地、アングルは年賀状が届いた時のお楽しみです。
途中マニアな皆さんなら相当テンションの上がる1枚もあったのですが、そこは趣旨からして除外し、一般的な”これぞ小田急”という電車と、景色を織り込んだ1枚をデザインしてみました。
一旦印画紙に焼き、色合いを確認し、翌日現像所へ。出来上がり来週19日だそうです。
今年も結構歩いてしんどい部分もあったけど、他の人が撮らないアングルで、自分しい構図では仕上がるだろうとちょっぴり確信する部分も。何より仕上がりが楽しみです。

いい景色に出会え、思いの他日光浴で気持ちよかったので、テンションも上々。帰り道、夜の約束が渋谷だったので、ロケ地から箱根登山バスと伊豆箱根鉄道大雄山線に乗り小田原へ。そこからロマンスカーを…と思い、窓口が混んでいたので、自動券売機のタッチパネルを自分で操作して出てきたチケットはラッキー♪前展望11号車12A。あのロマンスカーの、幼い頃誰もが憧れた、運転台より前に突き出た、あの展望席の前から2列目の窓側です。偶然、かつ発車間際に最高の席を引き当てました。
小田原の駅ビルで、ロマンスカーをより楽しむために、私に似合わない洋菓子を買い、満を持して展望席に着席。新宿までの72分。会社の帰り道、夜更けで何も見えない時間で乗る以外乗ったことのなかったロマンスカーの展望席。そんな時間があっと言う間で、最高だったことは言うまでもありませんでした。

p.s.12/9の日記、更新しました。ちなみに11/24-28のハワイ旅行日記は現在執筆中。もうちょっとお待ちを。

なぜか好きな土地・名古屋

2005年12月09日 | つれづれ日記
平日の昼下がり、今日は通院の日なので、フレックス勤務を大活用して、15:00に会社を出て、5月に肌荒れブームになって以来通う皮膚科に行くスケジュール。なので昼休みも終われば、あと2時間仕事をすれば、今日の仕事も終わる=今日は金曜なので一週間の仕事も終わる。…ということで2時間やったるで!!とばかりに仕事、仕事…。
そんなしていたら、斜め向かいに座る同期とふとした会話に。
「1月16日までに名古屋行く予定ある?名古屋までの新幹線回数券あるんだけどいらない?」
普通こんな会話ないよね?私は実家暮らしだし、母の実家は横浜市神奈川区、父の実家は東京都世田谷区。そんな私に「名古屋行く予定ある?」ってね。
でも私ならあり得るからおかしい。

…というのも、ここ数年、なぜか個人的に名古屋がブーム。好き嫌いはよくないので、いろいろと全国点々と旅行へ出掛けてはいるものの、圧倒的に回数・頻度共に群を抜いて高いのが名古屋。
それはなぜか。それは単に面白い乗り物がいっぱいあるから。
例えば名古屋の私鉄と言ったら、地元の人なら誰でも知ってる名鉄と近鉄。でもそんな有名な電車でも、名古屋に行くとよく見ると癖の強い名鉄電車・近鉄電車ってのが、いろんなところで走っていたりします。

例えば今は近鉄が経営を放棄して、三岐鉄道が運営している旧・近鉄北勢線(現・三岐鉄道北勢線)。この電車はここか、静岡県の大井川渓谷を走る大井川鉄道井川線か、富山県の黒部ダムを走る黒部峡谷鉄道でしか乗れないナローゲージという、線路が普通の電車の2/3の幅しかない小さな電車が走っています。
線路が2/3なら、電車の大きさも2/3。都営大江戸線のようなミニ地下鉄よりも、更に小さいミニチュアのような電車で、横に並んだシートでは、小さい電車が故に、向かい合わせて座れば友達とトランプもできるくらい小さいんです。そんな電車が名古屋から関西線に乗り約20分、桑名というところからその電車は出発します。

今は有名になったリニモも、名古屋から地下鉄で30分行った藤が丘が始発駅。また中央線で15分乗った大曽根という場所に行けば、まるでバスだけど法規上は鉄道という、ガイドウェイバスなんて乗り物もあります。また中心街を歩けば、道路の真ん中には基幹バスという、名古屋ならではの形態で入る路線バスも走っています。

そして今春に廃線になってしまいましたが、足を延ばして岐阜まで赴けば、名鉄の路面電車があり、その末端に行くと、揖斐川の豊かな川の流れに沿って、大正生まれのおじいちゃん電車が走るそんな区間もありました。そういえば、廃線が決まった直後乗りに来た時に、その電車に乗り合わせた見知らぬおばあちゃんから、なんかみかんを何個かもらったんだっけな?

その中で名古屋で何より好きな場所…名鉄名古屋駅。
ここは名鉄の電車がほとんど集まるターミナル駅。胞子上に広がった路線が、名鉄名古屋でキュッと集まり、先で散っていくような路線ゆえ、駅のホームで10分も立てば、どの路線に向かおうか悩み、すっかり心は旅気分。また路線が長くて難しい故なのか、駅員さんはひたすらマイクでしゃべっていて、ひっきりなしに来る電車の行先を見ながら、豊橋、岐阜、新鵜沼、新可児、御嵩、碧南、西尾、内海、河和、中部国際空港…見慣れない駅名に夢膨らませるのがいいんです。

最近、岐阜の路面電車や、名鉄の末端区間ががっさりと整理されてしまったので、数年前からすればたいぶ面白みとしては半減してしまったものの、まだまだ自分の中では魅力十分。
そんな場所が、新横浜から新幹線でたった1時間30分で着くってんだから、お手軽に旅に出てしまう訳なんです。

結局のところ回数券を買ったのかって?…当然即購入です。
正直言えば予定はなかったんだけどね。でも回数券を安く譲ってくれるなんて話しを聞いたら、逃す手はないじゃん!?

それからというもの、仕事は全く手につかず、結局自分の運用しているシステムで、名古屋までの残席を調べてみたり、現地で何をしようかあれこれ考えているうちにあっという間に退社の時間。病院から帰っても時刻表とスケジュール帳とを見比べにらめっこです。
まだ日程すら決まっていませんが、チケットを買った以上、チケットの有効期限の切れる1/16までに1度行ってきます。
さて今回はどこに行こうか。日にちも決まってないのに指折り楽しみです。