カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

フェイクより自分の立ち位置

2017-02-28 | net & 社会

 トランプさんのおかげでまた脚光を浴びているが、世の中にはフェイク・ニュースというのがあって、実際に影響があるように思われるようになった。胡散臭い噂話の類というのは以前からあったし、いわゆる週刊誌のゴシップ記事なんてものは、大手のものであっても、そのようなものがごまんと混ざっていた。ところが近年の特徴は、いわゆるSNSで、素人が平然と嘘やデマを積極的に世の中に流したり拡散させたりすることにある。発信元にはいろいろな動機があるだろうが、面白半分や時には正義感などにかられて、嘘の情報を流す。それを見た人が同調すればいい訳で、拡散する人々の多くは、罪の意識などもないし、場合によっては最後まで事実を信じて拡散してしまう。そこには何か、事実と判断するためのプロセスや常識のようなものが、すっぽりと抜け落ちている。気分は受け身だが、きわめて凶暴なものを感じる。
 以前なら、いわゆるこれは釣りというやつだ、という指摘をする人もいた。怪しかったり嘘だったり感情をあおったりするものを拡散させることで、広告収入などを得る商売の人がいるらしい。もちろん今もいるが、これが多すぎて、いちいち指摘をしなくなる。それくらい個人で分かって当然、という気分もあるし、よっぽどの知人が間違って興奮しているのを見かねて、ちょっと横から指摘する風の人が残っている程度であろう。
 正直に言って僕も基本的に無視する。知り合いの人が残念なことになっているとは分かっていても、いつかは分かるだろう、という気分もあるかもしれない。また、妙に政治的だったり、信条のようなものが絡む風景も厄介さを感じる。本人に疑いが無いばかりか、検証する気分にないことも見て取れる場合がある。そのコミュニティが成立しているらしいこともあるし、いわゆる蚊帳の外だから、残念があるのは仕方がないと諦めてしまうのかもしれない。しかしあえて言っておくと、嘘は嘘であることに違いは無い。ウソから誠が出るのはことわざくらいで、根拠が間違ったものから出発してまともな結論に至るわけが無い。要するにいつかは失敗や破綻する。そういうのが残念だな、という気分だけかもしれない。
 しかしながら、やはり注意は必要だ。情報の中の、嘘とは言えないまでの、間違ったものというのは、もう本当に多すぎる。最初に戻るとトランプ問題。これはもう絶対にないという断言の言論は根強くあった。それもアメリカの専門家と言われる多くの人々がこぞってそのようなことを言った。これは予想を外したということで無視している人が多いかもしれないが、中には自分の信条の希望的観測を述べた嘘つきもいたのだ。
 トランプさんになったことで沖縄の基地反対者は希望をもっていいはずだが、喜んでいない風に見える。TPP反対者は勝利の雄叫びをあげていいはずだが上げていない風に見える。マスゴミの言うことなんて信じない人が、トランプのツイッターをどう見ている? 円高でも円安でも困る人は困る。そんなことはごく当たり前の極当然のことだ。さて、自分は立ち位置で何をどう自分で発言する? 結局問われているのはそんな単純なことなのだ。
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