グダグタ話になって終わってしまった、昨日の続きです。
「北京放送局」日本語放送開設記念ベリカードで、1980年代後半のです。
1987年の38周年カードは、金魚の写真です。
タイトル文字は、中国の書家が描いたようです。
なぜ、金魚なのかと思いましたが、フナの変異種である金魚は、中国が原産地です。写真を見た感じでは、頭の部分がコブコブしているので、「オランダシシガシラ」のようで、この品種は、江戸時代の寛政年間に琉球を経て、長崎に渡来したのだそうです。
1988年の39周年のは、菊の花を植え込んで造った巨大な龍の飾り物です。
さしづめ、日本なら菊人形といったところ。この年は辰年でしたので、それにちなんで、龍が採り上げられたのでしょう。
1989年の 40周年のは、梅と桜の花のデザインになっています。中国と日本の国をイメージしているのでしょう。
さて、日本語放送の開始日についてですが、
1949年以前の、日中戦争中に日本語での放送があったことを覚えている関係者がいて、中国共産党による最初の放送局・延安新華広播電台(New Chinese Radio、XNCR)ではなかったのか、という疑問があったようです。
1992年頃? に行われた調査によって、当時のアナウンサーであった原清志(日本名・原清子)さんが生存していることがわかり、そうだったと判明したのだそうです。
日本に留学していた中国人男性と結婚して中国に渡った原さんによる、当時の放送は週1回、ヤオトン(洞窟住居)からで、中国戦線の日本兵に戦いを止めるように呼びかけたり、捕虜収容所に収容されている日本兵向けだったといわれています。
そんなことで、CRIの放送開始日はさらに遡ることになり、1941年12月3日から、とされるようになりました。
ただ、確かに日本語という外国語を使った放送がされていたのでしょうが、それが海外向けの国際放送だと言えるのかどうか、です。外国において受信されることを目的とする放送が国際放送、と定義するなら、日本などで受信された記録があるのかが、気になるところです。
短波を使っていたという話なので、まあ、可能性はあるのかもしれませんが、戦時中、日本国民は短波ラジオを持つことを禁止されていて、外国からの放送が自由に聴けなかったそうなので、そこのところはどうなのでしょう。
「北京放送局」日本語放送開設記念ベリカードで、1980年代後半のです。
1987年の38周年カードは、金魚の写真です。
タイトル文字は、中国の書家が描いたようです。
なぜ、金魚なのかと思いましたが、フナの変異種である金魚は、中国が原産地です。写真を見た感じでは、頭の部分がコブコブしているので、「オランダシシガシラ」のようで、この品種は、江戸時代の寛政年間に琉球を経て、長崎に渡来したのだそうです。
1988年の39周年のは、菊の花を植え込んで造った巨大な龍の飾り物です。
さしづめ、日本なら菊人形といったところ。この年は辰年でしたので、それにちなんで、龍が採り上げられたのでしょう。
1989年の 40周年のは、梅と桜の花のデザインになっています。中国と日本の国をイメージしているのでしょう。
さて、日本語放送の開始日についてですが、
1949年以前の、日中戦争中に日本語での放送があったことを覚えている関係者がいて、中国共産党による最初の放送局・延安新華広播電台(New Chinese Radio、XNCR)ではなかったのか、という疑問があったようです。
1992年頃? に行われた調査によって、当時のアナウンサーであった原清志(日本名・原清子)さんが生存していることがわかり、そうだったと判明したのだそうです。
日本に留学していた中国人男性と結婚して中国に渡った原さんによる、当時の放送は週1回、ヤオトン(洞窟住居)からで、中国戦線の日本兵に戦いを止めるように呼びかけたり、捕虜収容所に収容されている日本兵向けだったといわれています。
そんなことで、CRIの放送開始日はさらに遡ることになり、1941年12月3日から、とされるようになりました。
ただ、確かに日本語という外国語を使った放送がされていたのでしょうが、それが海外向けの国際放送だと言えるのかどうか、です。外国において受信されることを目的とする放送が国際放送、と定義するなら、日本などで受信された記録があるのかが、気になるところです。
短波を使っていたという話なので、まあ、可能性はあるのかもしれませんが、戦時中、日本国民は短波ラジオを持つことを禁止されていて、外国からの放送が自由に聴けなかったそうなので、そこのところはどうなのでしょう。