CRI「中国国際放送局」日本語部からいただいた6月のEベリで、その3です。
いつもの「美しい寧夏」シリーズではなく、「日中国交正常化45周年記念」になっていました。この後の6月後半分は、シリーズ物に戻るのでしょう。
北京の「カラーブラウン管工場跡地に残る友好の碑の写真」です。
かつてあった工場は、北京・松下彩色顕象管有限公司で、1987年に松下電器産業と中国企業による日中合弁会社として設立され、1989年から操業を開始しました。テレビ製造に必要なカラーブラウン管を製造してきましたが、急速に技術革新が進み、今では、ブラウン管を使ったテレビやディスプレイはなくなり、液晶、さらに有機EL仕様となってきました。
話を戻しますと、合弁会社設立の元は、1978年に日本を訪問した当時の鄧小平・国務院副総理が、松下のテレビ工場を見学したことにあります。松下幸之助相談役が対応し、2人が交わした言葉が「君主の約束」として、本を開いた形になった石碑に、日本語と中国語で書かれてあるようです。
鄧:「中国の近代化建設にお手伝いいただけますか?」 松下:「なんぼでも、お手伝いさせていただきます。」
いつもの「美しい寧夏」シリーズではなく、「日中国交正常化45周年記念」になっていました。この後の6月後半分は、シリーズ物に戻るのでしょう。
北京の「カラーブラウン管工場跡地に残る友好の碑の写真」です。
かつてあった工場は、北京・松下彩色顕象管有限公司で、1987年に松下電器産業と中国企業による日中合弁会社として設立され、1989年から操業を開始しました。テレビ製造に必要なカラーブラウン管を製造してきましたが、急速に技術革新が進み、今では、ブラウン管を使ったテレビやディスプレイはなくなり、液晶、さらに有機EL仕様となってきました。
話を戻しますと、合弁会社設立の元は、1978年に日本を訪問した当時の鄧小平・国務院副総理が、松下のテレビ工場を見学したことにあります。松下幸之助相談役が対応し、2人が交わした言葉が「君主の約束」として、本を開いた形になった石碑に、日本語と中国語で書かれてあるようです。
鄧:「中国の近代化建設にお手伝いいただけますか?」 松下:「なんぼでも、お手伝いさせていただきます。」