巡査の案内で向かったのは工業団地跡地が見下ろせる高台。
小さな集落を抜けると、こぢんまりとした寺に着いた。
ここまで、およそ十分ほどか。
山門は閉じられて張り紙がしてあった。
警察からで、「無用の者の立ち入り禁止。御用の方は地元駐在に」と。
山門脇の潜り戸には急拵えの施錠。
寺には似付かわしくない取り付け方だ。
巡査が内ポケットから鍵を取り出した。
「駐在任せですよ」
言葉とは裏腹、嬉しそうに解錠した。
加藤を先頭に入って行く。
表から見たと同様に内側も、こぢんまりとしていた。
見るからに小さな本堂と僧房の二つの建物があるだけ。
短い参道の先に本堂があり、その右の陰に僧房がある。
池辺の視線が本堂の傍の井戸に向けられたのに気付いたのだろう。
巡査が口を開いた。
「県警のチームがこの敷地内は全て調べました」
池辺が天を仰いだ。
「そうですか。すると何も見つからなかったわけですね」
失踪の可能性が消えたわけではないから、
二人とも、「住職の遺体」とは口にはしない。
加藤は本堂の左の石碑が気になった。
自然と足が向いた。
石碑は地面に突き立てられており、高さは五メートルといったところか。
横幅はおおよそ三メートル。
刻まれた銘文が読み取れない。
彫り方が下手なのか、古代文字なのか、あるいは梵字。
「これは」
巡査が脇に並んだ。
「古代文字でも梵字でもないようです」
「調べたのですか」
「ええ、県警のチームがですがね。結論は不明だそうです」
「中国の古代文字の可能性は」
「その手の専門家にも問い合わせたそうですが、まったく・・・」
「毬谷家から来た人間は」
「心当たりはないそうです」
「変ですね、この寺の所有者も毬谷家でしょう」
「はい。ですが、建てさせた先々代からは何も聞いていないそうです」
石碑の周辺に幾つもの小さな自然石が転がっていた。
石碑は意味を持つ存在。
その周囲に無意味に転がして置くとは考えられない。
全部数えたら十六。これにどういう意味が。
「一種のストーンサークルですかね」と県警の刑事。
加藤は、「まさか」と思いながら巡査を振り返った。
巡査は頭を搔いた。
「適当に転がしてあるとばかり思っていました」
その転がしてある自然石に池辺が歩み寄った。
中で一番小さな物に手をかけた。
それでも子供の半分ほどの大きさ。
慌てて加藤が止めた。
「無闇に触るな」
「持ち上げてみるだけです」
「どうして」
「運動不足なんですよ」
そういえば今日は車と飛行機に乗っているだけで、
ろくに身体を動かしていない。
若いだけに手持ち無沙汰なのだろう。
だからといって自然石に挑戦しなくても・・・。
「あいつの脳味噌は筋肉質だからな」という評があったのを思い出した。
「汚れるぞ」
「構いません」
言うなり池辺は自然石に両手をかけて腰を落とした。
一気に力を込めた。
少し持ち上がった。
が、池辺はバランスを崩して後退り。
その拍子に自然石を放り投げた。
加藤は尻餅をついた池辺に駆け寄って手を差し伸べた。
「大丈夫か」
恥ずかしそうに池辺が立ち上がった。
「みっともないところを」
「もう三十過ぎてるんだから無理するな。腰は痛めなかったか」
「おおっ」と刑事の声。
自然石に顔を近づけていた。
池辺が放り投げたので裏側が上になっていた。
何やら彫ってある。
ポケットからハンカチを取り出して泥を拭う。
隠れていた文字が現れた。
居合わせた三人が自然石と刑事を取り囲む。
鮮明な人名。
「岸田英夫」
戒名や法名は付けられていない。
それでも刑事は、「墓石」と疑問を口にしながら、みんなを見回した。
その自然石の置かれていた場所を確かめるが、
地中に人間が埋葬されている感じはしない。
巡査が携帯を取り出した。
「小さな岩を持ち上げるのに人手がいる」と知り合いの造園家に電話を始めた。
「それじゃ俺も」と池辺。
携帯で石碑の銘文の写真を撮り、知り合いに転送した。
そして電話。
「俺々。・・・。そうそう。・・・。写真を送ったから。
・・・。詳しくは話せないよ、仕事だから」
電話を終えると池辺は加藤を振り向いた。
「独断ですが、銘文の解読をマニアに頼みました」
「どんなマニアなんだ」
「んー、ジャンルは・・・、『不思議ちゃん』ですかね」
昔に聞いたようなジャンルだ。
色んなマニアが存在する事は知っている。
しかし、『不思議ちゃん』だけは、ここ暫く聞いていなかった。
今も尚、「不思議ちゃん」が現存するとは。
「大丈夫なのか。
君を疑ってるわけじゃない。
『不思議ちゃん』とやらに、それだけの力量があるのかなんだが」
マイペースで天然、それが『不思議ちゃん』だと理解していた。
とても石碑の文字を読めるだけの知識、能力があるとは思えない。
池辺はニッコリ笑う。
「身元はしっかりしてます。頭も大丈夫です」
★
昨日、御徒町から上野公園方向に歩いていると、
脇の車道にチャリンコ。
チャリンコも同方向に向かっていました。
そのチャリンコがスクランブル交差点に入ると、
たちまち人垣に囲まれるではありませんか。
「誰かな」と見ると、「そのまんま東」。
「上野動物園にでも帰るのかな」と目で追うと、
公園の交番前に待機していた街宣車に上がり、演説を始めました。
と、と、その先のガード下、アメ横入り口には「Dr」がいました。
こちらは街宣車から降り、歩道で演説していました。
都知事選だったのですね。
誰かが言っていました。
「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない。
今頃、花見じゃない。
同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出て来る。
戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。
戦には敗れたが、あの時の連帯感は美しい」とか。
この桜を選挙に置き換えれば、今の状況にピッタリです。
今は選挙の時節ではありません。
現に選挙運動は超控え目。
ほとんど声が聞えません。
これで政策が訴えられますか。
政策が訴えられずに公正で公平な選挙ですか。
現職に有利すぎます。
選挙より花見です。
知っていますか。
赤い夜桜を。
薄桃色の桜の花びらが、
満月の夜になると真っ赤に染まるのを。
桜の根もとに死体を埋めると、
人の血液が樹液に混じって枝葉に行き渡り、
花びらが満月に反応して赤くなるのです。
それで、ときおり花びらから赤い雫も落ちるとか。
通の人は花びらの雫を杯に落とし、
透明の日本酒が赤く染まるのを見ながら飲むのだそうです。
★
ランキングです。
小さな集落を抜けると、こぢんまりとした寺に着いた。
ここまで、およそ十分ほどか。
山門は閉じられて張り紙がしてあった。
警察からで、「無用の者の立ち入り禁止。御用の方は地元駐在に」と。
山門脇の潜り戸には急拵えの施錠。
寺には似付かわしくない取り付け方だ。
巡査が内ポケットから鍵を取り出した。
「駐在任せですよ」
言葉とは裏腹、嬉しそうに解錠した。
加藤を先頭に入って行く。
表から見たと同様に内側も、こぢんまりとしていた。
見るからに小さな本堂と僧房の二つの建物があるだけ。
短い参道の先に本堂があり、その右の陰に僧房がある。
池辺の視線が本堂の傍の井戸に向けられたのに気付いたのだろう。
巡査が口を開いた。
「県警のチームがこの敷地内は全て調べました」
池辺が天を仰いだ。
「そうですか。すると何も見つからなかったわけですね」
失踪の可能性が消えたわけではないから、
二人とも、「住職の遺体」とは口にはしない。
加藤は本堂の左の石碑が気になった。
自然と足が向いた。
石碑は地面に突き立てられており、高さは五メートルといったところか。
横幅はおおよそ三メートル。
刻まれた銘文が読み取れない。
彫り方が下手なのか、古代文字なのか、あるいは梵字。
「これは」
巡査が脇に並んだ。
「古代文字でも梵字でもないようです」
「調べたのですか」
「ええ、県警のチームがですがね。結論は不明だそうです」
「中国の古代文字の可能性は」
「その手の専門家にも問い合わせたそうですが、まったく・・・」
「毬谷家から来た人間は」
「心当たりはないそうです」
「変ですね、この寺の所有者も毬谷家でしょう」
「はい。ですが、建てさせた先々代からは何も聞いていないそうです」
石碑の周辺に幾つもの小さな自然石が転がっていた。
石碑は意味を持つ存在。
その周囲に無意味に転がして置くとは考えられない。
全部数えたら十六。これにどういう意味が。
「一種のストーンサークルですかね」と県警の刑事。
加藤は、「まさか」と思いながら巡査を振り返った。
巡査は頭を搔いた。
「適当に転がしてあるとばかり思っていました」
その転がしてある自然石に池辺が歩み寄った。
中で一番小さな物に手をかけた。
それでも子供の半分ほどの大きさ。
慌てて加藤が止めた。
「無闇に触るな」
「持ち上げてみるだけです」
「どうして」
「運動不足なんですよ」
そういえば今日は車と飛行機に乗っているだけで、
ろくに身体を動かしていない。
若いだけに手持ち無沙汰なのだろう。
だからといって自然石に挑戦しなくても・・・。
「あいつの脳味噌は筋肉質だからな」という評があったのを思い出した。
「汚れるぞ」
「構いません」
言うなり池辺は自然石に両手をかけて腰を落とした。
一気に力を込めた。
少し持ち上がった。
が、池辺はバランスを崩して後退り。
その拍子に自然石を放り投げた。
加藤は尻餅をついた池辺に駆け寄って手を差し伸べた。
「大丈夫か」
恥ずかしそうに池辺が立ち上がった。
「みっともないところを」
「もう三十過ぎてるんだから無理するな。腰は痛めなかったか」
「おおっ」と刑事の声。
自然石に顔を近づけていた。
池辺が放り投げたので裏側が上になっていた。
何やら彫ってある。
ポケットからハンカチを取り出して泥を拭う。
隠れていた文字が現れた。
居合わせた三人が自然石と刑事を取り囲む。
鮮明な人名。
「岸田英夫」
戒名や法名は付けられていない。
それでも刑事は、「墓石」と疑問を口にしながら、みんなを見回した。
その自然石の置かれていた場所を確かめるが、
地中に人間が埋葬されている感じはしない。
巡査が携帯を取り出した。
「小さな岩を持ち上げるのに人手がいる」と知り合いの造園家に電話を始めた。
「それじゃ俺も」と池辺。
携帯で石碑の銘文の写真を撮り、知り合いに転送した。
そして電話。
「俺々。・・・。そうそう。・・・。写真を送ったから。
・・・。詳しくは話せないよ、仕事だから」
電話を終えると池辺は加藤を振り向いた。
「独断ですが、銘文の解読をマニアに頼みました」
「どんなマニアなんだ」
「んー、ジャンルは・・・、『不思議ちゃん』ですかね」
昔に聞いたようなジャンルだ。
色んなマニアが存在する事は知っている。
しかし、『不思議ちゃん』だけは、ここ暫く聞いていなかった。
今も尚、「不思議ちゃん」が現存するとは。
「大丈夫なのか。
君を疑ってるわけじゃない。
『不思議ちゃん』とやらに、それだけの力量があるのかなんだが」
マイペースで天然、それが『不思議ちゃん』だと理解していた。
とても石碑の文字を読めるだけの知識、能力があるとは思えない。
池辺はニッコリ笑う。
「身元はしっかりしてます。頭も大丈夫です」
★
昨日、御徒町から上野公園方向に歩いていると、
脇の車道にチャリンコ。
チャリンコも同方向に向かっていました。
そのチャリンコがスクランブル交差点に入ると、
たちまち人垣に囲まれるではありませんか。
「誰かな」と見ると、「そのまんま東」。
「上野動物園にでも帰るのかな」と目で追うと、
公園の交番前に待機していた街宣車に上がり、演説を始めました。
と、と、その先のガード下、アメ横入り口には「Dr」がいました。
こちらは街宣車から降り、歩道で演説していました。
都知事選だったのですね。
誰かが言っていました。
「桜が咲いたからといって、一杯飲んで歓談するような状況じゃない。
今頃、花見じゃない。
同胞の痛みを分かち合うことで初めて連帯感が出て来る。
戦争の時はみんな自分を抑え、こらえた。
戦には敗れたが、あの時の連帯感は美しい」とか。
この桜を選挙に置き換えれば、今の状況にピッタリです。
今は選挙の時節ではありません。
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ほとんど声が聞えません。
これで政策が訴えられますか。
政策が訴えられずに公正で公平な選挙ですか。
現職に有利すぎます。
選挙より花見です。
知っていますか。
赤い夜桜を。
薄桃色の桜の花びらが、
満月の夜になると真っ赤に染まるのを。
桜の根もとに死体を埋めると、
人の血液が樹液に混じって枝葉に行き渡り、
花びらが満月に反応して赤くなるのです。
それで、ときおり花びらから赤い雫も落ちるとか。
通の人は花びらの雫を杯に落とし、
透明の日本酒が赤く染まるのを見ながら飲むのだそうです。
★
ランキングです。