巨人・杉内俊哉投手(37)が今季限りで現役を引退することが11日、分かった。
05年に沢村賞を獲得するなど、現役2位となる通算142勝をマークし一時代を築いた左腕だが、
15年オフに手術した右股関節に加え、近年は左肩痛にも苦しめられた。
17年間の現役生活を回想し、スポニチ本紙に独占手記を寄稿。背番号18のユニホームを脱ぎ、
近日中に都内ホテルで会見を行う。

 17年間のプロ野球人生に別れを告げるときがきました。これまでの僕の野球人生に関わって
くださったすべての方々に感謝しています。
そして、どんなときでもたくさんのご声援をくださったファンの皆さま、本当にありがとうございました。
折れそうな心を、何度も支えてくれました。

 引退の理由は体です。もう、限界でした。ホークス時代に痛め、じわじわと悪化していった右の股関節に、
それをかばいながら投げていたことで左肩にも痛みが出ました。
15年途中に1軍を離れてから、約3年間、1軍のマウンドを目指してきましたが、
上がることはできませんでした。

 昨年のオフには、球団として支配下登録から外し育成選手として契約する選択肢もあったと思います。
それでも、僕の背番号18への強いこだわりを理解し、支配下登録のままで復活することを
待ち続けてくれました。周囲からの批判もあったと思います。
マウンドで恩返しすることができず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 ホークスと巨人、2チーム、2つのリーグでプレーすることができました。
両チームで日本一を達成しましたし、数多くの思い出があります。
たくさんの出会いにも恵まれました。ホークスでは王貞治監督(現ソフトバンク球団会長)
の下で一緒に戦うことができました。
巨人に移籍することを電話で報告した際に「巨人の野球を勉強してきなさい。頑張って」
と快く送り出してくださった言葉は、今でも耳に残っています。

 巨人では長嶋茂雄終身名誉監督に投球を見ていただくことができました。
移籍1年目のキャンプでブルペン投球を視察し「その背番号(18)でチームを引っ張ってくれ」
と声を掛けてくださいました。体を触られ、声を掛けてくださったときには鳥肌が立ちました。
日本球界の象徴である「ON」の下で野球をできたことは、僕の人生の誇りです。

 印象深いゲームは2つあります。ホークス時代の2010年9月25日に札幌ドームで
ダルビッシュと投げ合い、1―0で完封勝利を収めた試合。直前までふがいない投球が続いていたため、
試合後に感極まって泣いてしまいました。そして巨人時代の2012年5月30日、
交流戦の楽天戦で田中将大と投げ合い、東京ドームでノーヒットノーランを達成した試合です。
両方の試合で素晴らしい投手と投げ合い、勝つことができたので、達成感は大きかったです。

 最後になりますが、家族がいなければ、ここまで続けることはできなかったと思います。
改めて「ありがとう」と感謝の思いを伝えたいです。
子供には、もう一度、マウンドで投げる姿を見せてあげたかったですが、
次の夢、目標に向かっていく父親の姿を見せることができればいいなと思っています。
(読売巨人軍投手・杉内 俊哉)

■「十分にやりきった」