「二十一世紀に生きる君たちへ」より、
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
さて、自然という「不変のもの」を基準において、人間
のことを考えてみたい。
人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世
でも自然こそ神々であるとした。このことは少しも
誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然を
おそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものと
して身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって
、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれ
るようになった。
やはり、自然の力は偉大であり、自然の力を利用させて
もらうという、へりくだった態度が重要ではないかと
思います。
自然に対する威張りかえっていた時代は終わっていき、
自然との共存の時代がやってくるに違いない。
昔も今も、また未来においても変わらないことがある。
そこに空気と水、それに土などという自然があって、
人間や他の動植物、さらには微生物にいたるまでが、
それに依存しつつ生きているということである。
さて、自然という「不変のもの」を基準において、人間
のことを考えてみたい。
人間は、自然によって生かされてきた。古代でも中世
でも自然こそ神々であるとした。このことは少しも
誤っていないのである。歴史の中の人々は、自然を
おそれ、その力をあがめ、自分たちの上にあるものと
して身をつつしんできた。
この態度は、近代や現代に入って少しゆらいだ。
二十世紀末の人間たちは、このことを知ることによって
、古代や中世に神をおそれたように、再び自然をおそれ
るようになった。
やはり、自然の力は偉大であり、自然の力を利用させて
もらうという、へりくだった態度が重要ではないかと
思います。
自然に対する威張りかえっていた時代は終わっていき、
自然との共存の時代がやってくるに違いない。