風の子広場

特別な意味はありません。近くの広場です。
考えごとをするのに最適な場所です。
エッセーを中心に書いてゆくつもりです。

養生の実技

2005-01-30 12:05:29 | 健康シリーズ
五木寛之の「養生に実技」(角川新書)を読んだ。
特に、目に引いたものを列記すると、

(1)すべての健康法は気休めである。
   これが「養生の実技〕の基本になっている。

(2)ガンを含めて、すべての病気は治らない。
   まして老化に関係のあるすべての人体の故障は、
   決して完治したりすることはない。

   治らないけれど、治めることはできる。治療の治は
   治めることである

(3)生きるということはストレスの連続である。それを
   敵として立ち向かうことではなく、それに愚痴をこぼし
   ながら立ちすくむのでもない。ただ深いため息を
   つきながら、ときには涙を流してなきながら、その重圧
   を背負って生きるしかないのである。

(4)毎日天気図を見る。低気圧が接近してくる時は、体調が
   低下することを準備する。それと同時に天気図だけを
   信用しないこと。自分の体感のほうが、常に情報より
   正しい。

(5)一日に何回か大きなため息をつく。深く、たっぷりと、
   「あーあ」と声を出しながら。深いため息をつく回数が
   多いほどよい。

(6)この本の中に「私自身の体験と偏見による養生の実技100」
   が巻末に書かれている。自分でもできそうなものを、
   気軽に実践してみるのもいいことかもしれない。 

(7)不安と罪悪感をもってタバコを吸わない。気持ちよく
   一服する。
   軽いタバコを、忙しそうに吸っている人が多い。体には
   よくない。おいしくないだろうと思うが。
 
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竜馬の人脈(14) 高杉晋作

2005-01-29 18:50:10 | Weblog
高杉晋作は竜馬より3歳年下である。晋作の辞世の句

「おもしろき こともなき世を おもしろく
       すみなすものは 心なりけり」

下の句は、歌人野村望東尼が続きを詠んだと言われている。
晋作らしい辞世の句と思います。今の世にも、同じことが
言えるのではないでしょうか。

晋作と竜馬に関して司馬さんはこんなことを書いています。

高杉ははじめからしまいまで藩内が舞台であったが、竜馬は
土佐藩が舞台ではなかった。はやくから藩外に出、天下を
駆け回っている。双方の性格、機略の発想法はどこか似ている。
何よりもかんがいい点で、ふたりは双生児のように似ていた。

高杉は元来無口なタイプで、竜馬と初対面にもかかわらず、
「坂本君」と君づけでよんでいる。第三者を介して、竜馬に
関する知識が相当あったともいえる。また、天才同士何か
通じ合うものがあったのかもしれない。

初対面の時、高杉は竜馬にピストルを贈っている。竜馬の
写真は、右手を懐に入れているものが多い。多分、ピストルを
隠していたのだろう。寺田屋事件でも、ピストルをぶっ放して
いる。高杉からもらったピストルだろう。

高杉は、維新前後の混乱期にしか生きられないようなタイプの
人間であった。奇兵隊を組織し、総指揮を取って、幕府軍を
一蹴したり、薩長同盟に際しても、桂小五郎を上京させたたり
した。

そんな高杉も、不幸にして、肺結核を患い、維新を見ることな
く、28歳にてこの世を去った。

次回予告 寺田屋事件
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金曜日は詩人たち:お疲れ

2005-01-28 19:57:35 | Weblog
お疲れ ぎみの お母さん  寄って くるには 止めてよね

他人が 夫婦と 間違える  もっと 若けりゃ 別だけど



電車の 中で マスカラを  塗っている 女性が 増えている

他の 乗客は 知らぬ顔  どうせ 見たとて 仕方ない



みんなで 不払い 受信料  問題 山積 NHK

紅白 視聴率 悪すぎる  泥沼 朝日と NHK


偽札 カードに 振込サギ  世の中 不正が あふれてる

悪い やつほど よく目立つ  弱い ものほど 正直だ



スマトラ 沖の 大津波  被害は どんどん 増えている

人間 さまの ごうまんに  地球の 怒りは 収まらない



骨の 鑑定は 捏造だ  日朝 関係 最悪に

骨の 中身は 骨抜きだ  これが ホントの ムダ骨だ


健康法 気休めなのに あきらめず

    試してみるさ 他の方法


こんな詩 あるのか 見たことない

リズムが あってる だけじゃない

思い 浮かばぬ ごろあわせ

毎週 金曜は つらいけど







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やっと重い腰を

2005-01-25 20:30:30 | 何でもシリーズ
NHK海老沢会長が辞任 受信料拒否増で経営責任 (朝日新聞) - goo ニュース

やっと重い腰を上げたか、と言う重いですね。

引き際が 大切なんだ 人生は

     土俵際にて 粘るもわびし


     
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偽札判定

2005-01-24 21:58:41 | Weblog
さっと一筆、偽札判定ペン (朝日新聞) - goo ニュース

思わず、噴出してしまいました。
一万円札でなくとも、紙の質によって判定するので、
使えそうです。高価な判定機よりは、ペン一本で可。

今日から、五木寛之の「養生の実技」を読み始めました。
こんなことが、表紙のカバーにかかれてありました。

不安と罪悪感をもって、タバコをすわない。
 気持ちよく一服する。

喫煙家の皆さん、安心して一服しましょう。
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竜馬の人脈(13)竜馬の考え

2005-01-23 12:11:33 | Weblog
河田小竜と竜馬の対話。

「のう坂本さん、西洋と対抗する第一は、まず産業商業を
盛んにせねなならず。それには物の運搬が大事であり、
あの黒船が必要じゃ」
「よし、その黒船をなんとか都合しよう」

竜馬の海運業を起こしたいという野望は、このときに、
始まったといってよう。単なる攘夷では、外国の圧倒的な火力
に、日本の武士は負けることを知っていた。アヘン戦争の
結果がわかっていれば、安易な攘夷は、破綻してしまう。

当時の日本の国は、ひとつにまとまっておらず、群雄割拠の
時代に近い。徳川にしろ、土佐、薩摩、長州しかり、かってな
振る舞いをしていた。要は、日本人とか日本という考えが
なかった。自藩のことしか眼中になかった。

竜馬は、土佐藩を見限ることにより、初めて日本という国家的
レベルで、物事を考えられるようになったと言える。
日本の国の将来像が見えてきたようだ。
竜馬はとても土佐藩の中で、生きられる人間ではなかった。

竜馬の勉強は独特である。要点をつかむことと、全体の流れを
重視するような学習法であった。
竜馬が漢書を読むときは、文法も訓読法もなにもあったのもで
はない。無茶で我流で意味もとおらず、まるであほだらきょう
を唱えているようなものであった。

しかし、意味は理解しているようだ。枝葉末節のこだわらない
読解法である。
「わからん、わしは文字を見ちょると、頭に情景が絵のように
動きながら浮かんできおる。それを口で説明しちょるだけじゃ」
今の世の中では、全体を広範囲に見れる能力は、自分で、
興味をもって学習するほかにはないように見える。

専門分科がどんどん進めば、ますます全体を見れる能力は、
必要になるはずであるが!一つのことにこだわれば、全体は
見えてこない、こだわらないとこだわるの使い分け
は、凡人にはなかなかできない。

竜馬はかってこんなことを言っていた。
「人生は、一場の芝居だ」と。
「芝居と違う点が、大きくある。芝居の役者の場合は、舞台は
他人が作ってくれる。生の人生は、自分で、自分のがらにあう
舞台をコツコツ作って、その上で芝居をするのだ。他人が舞台
を作ってくれやせぬ」と。

坂竜飛騰の時期は来た。
坂本という竜馬が、にわかに雲を得て騰がる(あがる)ことを言う。



次回予告 高杉 晋作
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金曜日は詩人たち:地球儀で

2005-01-21 20:35:32 | Weblog
地球儀で スマトラ沖を 見てみれば
     海もつながる 心もつながる

中村さん テレビでほえる 不満でも
     ほえてしまえば 明日につながる

学校 帰りの 高校生  仲良く 手を取り コンビニへ
公園の ベンチで おしゃべりを  笑顔は かわいい 若々しい

7人 がけの シートには  一人は ケイタイの 画面を見
一人は 本を 読んでいる  残りの 人は 夢の中 

電車の 中で 赤ちゃんと  視線が 合えば ほほえんで
思わず ほほえみ 返すかな  手をふり 元気に 遊ぼうね

ひたむきに 本に向かうは 受験生
      合格目指す ただひたすらに

暗記用 赤で塗られた 参考書
    試験も近し あせりひとしお



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竜馬の人脈(番外)地震

2005-01-19 20:19:19 | Weblog
竜馬は嘉永6年(1853年)に剣術修行のため高知を出発して
いる。江戸について早々、ペリー来航と遭遇している。
翌年12月23日に安政の大変(安政東海地震)が起きている。
このとき、竜馬は、遊女と筆おろしの途中で中断している。

こんな小説は司馬さんだから書けるのかも知れない。

Mは8.4なのでかなりの大地震だったことは確かである。
翌日も「安政南海地震」が発生しており、土佐藩は壊滅的
被害を受けたとある。実家には被害はなかったようだけれど、
津波の波高は、串本では15mとある。Mも同じ8.4。

スマトラ沖地震の津波にゆうに匹敵できる波高だった。
決して、他人事ではない。海中で発生した地震は、必ず、津波
を伴うと考えた方が安全であろう。理科年表には大昔からの
地震情報が載っている。推測だろうけど、感心する。

竜馬は実家が心配で、江戸遊学を切り上げて、土佐に帰る。
ここでも、地震で家を建て替え中の河田小竜とめぐりあう
ことになる。

東海沖を震源地とするの地震は「安政東海地震」
以来、起きていない。150年が経過している。

 震災の 復興十年 祈りの輪 
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竜馬の人脈(12)山内容堂

2005-01-16 20:52:37 | Weblog
山内容堂は竜馬より8歳年上である。竜馬とは、一面識もない。
先祖が山内一豊が関ヶ原の功により掛川6万石から、土佐24
万石の大名に取り立てられた。竜馬は郷士であり、長曾我部氏
の流れをくんでいるので、どこまでも郷士のままである。

決して、上士にはなれない。藩主山内容堂に口さえきける身分
ではない。土佐藩独自の身分制度である。この身分制度が、
維新の原動力を生んだこともたしかである。

山内容堂は名君ではあるが、自分の「定見」にこだわりすぎた。
時代の流れについていこうとしなかった。ついていけないの
なら、流れに身を任せればよいと思うが、それもプライドが
許さなかったのだろう。

竜馬は郷士であり、脱藩した理由は土佐藩の空気が竜馬の
自由奔放な考えにあわなかったのがその理由であろうが、
それを作ったのは山内容堂であり、吉田東洋でもあった。
遠くは、関が原の合戦にもその理由がある。

吉田東洋亡き後は、山内容堂は首魁の武市半平太さえ殺せば、
他の郷士どもはおとなしくなると思っていた。だからその理由
を捜した。以蔵の自白だけでは、罪状としては軽いが、他に
理由が見つからなかった。

業をにやした山内容堂は後藤正二郎らに「やれ」と命じた。
武市半平太は、罪状否認のまま切腹させられることになる。

半平太切腹後、竜馬にも土佐に帰るよう藩命が下る。ここで、
また、竜馬は脱藩することになる。二度目の脱藩である。
竜馬はこんなことを言っている。

「そんな藩命があるかえ。半平太ほど土佐藩のことを思った
男はいない。その半平太を投獄するような藩が、何の藩命
だ?この竜馬も投獄しようというのかえ。そうは行くまいよ」
と。

竜馬の「船中八策」は後藤象二郎に伝わり、後藤は山内容堂
に伝え、容堂は慶喜に建白している。それが、大政奉還となり
「五箇条の御誓文」となってゆく。竜馬の構想は、明治新政府
で実現してゆくことになる。

次回予告 竜馬の考え


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竜馬の人脈(11)岡田以蔵

2005-01-15 19:20:49 | Weblog
岡田以蔵は竜馬より、三歳年下である。
貧しい郷士のうちに生まれ、食うや食わずの生活で、教育も
受けられず、道場にも通えなかった。以蔵の剣は、道場で腕を
あげたと言うより、剣を振るって暗殺で腕をあげたと言うべき
であった。

竜馬の剣は「活人剣」だが、以蔵の剣は「殺人剣」であった。
こんなエピソードがある。上洛中の勝海舟の護衛を竜馬が頼ん
だことだ。ある日、勝海舟が三人の刺客に襲われた。その時、
すばやい身のこなしで、そのうちの一人を切り倒し、あとの
二人は、恐れをなして逃げていってしまったことがある。

勝海舟は直心陰流の免許皆伝の腕前だが、海舟でさえも驚く
早業であった。海舟は以蔵に暗殺を止めるように忠告すると、
「先生、それでもあの時、私がいなかったら、先生の首は
とっくに飛んでいましたよ」と以蔵が言ったので、海舟は
「これにはおれも、一言もなかったよ」と言っている。

武市半平太は、直に以蔵に暗殺を指令したかどうかは別として
数々の暗殺を重ね「人斬り以蔵」とまで呼ばれた。以蔵は
武市半平太に心酔し、半平太の指令がなくとも、以心伝心で
暗殺を実行していたかもしれない。

そんな以蔵であったが、辻強盗で捕まり、無宿人鉄蔵として、
獄門台にさらされた。人斬りに明け暮れた人生であった。
辞世の句は、印象深い。

「君がため 尽くす心は 水の泡
      消えにし後は 澄み渡る空」

ここの君は武市半平太であろう。つかまって、拷問の末に
自白をさせられ、半平太を切腹に追い込んだことを悔いて
いるのかも知れない。

次回予告 山内容堂
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