風の子広場

特別な意味はありません。近くの広場です。
考えごとをするのに最適な場所です。
エッセーを中心に書いてゆくつもりです。

人間は平等につくられている

2013-06-03 21:18:16 | 五木寛之の言葉

五木寛之著「下山の思想]より、以前から気になっていた

ことが書かれていた。

 「万人に当てはまる健康のバロメーターなど本当にある

 のか。人間は呆れるほどに一様ではない。人それぞれに 

 自分のだけの数値を持っているのだ。」 

なんとなくうなずけます。もし人間が、完全に平等につくら

れていたとしたら、進化はしなかっただろう。こう考えた

ほうが無理がないと思うようになった。

 私の血糖値が上昇傾向にある。先週から血糖値の測定

を続けている。今夜からは、就寝前だけだが、インスリン

の投与もやりだした。さてこの結果はどうなるでしょうか。

地球の温暖化と寒冷化の繰り返しのような木がしている。

X63 風海

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先入観

2013-05-19 20:16:47 | 五木寛之の言葉

 「下山の思想」より、抜粋する。

「私たちは歴史について、ある偏った先入観を抱いて

いるようだ。それは時代の変化が、一朝にしておこる

ように思っている点である。」

ローマは一日にして成らず。逆も、また真である。

ローマは一日にして滅びずでもある。ある臨界点に

達しないと、変化はしないことになる。

 今の「円安」は所詮長続きしないことにならない

だろうか、「下山中」の一出来事に過ぎないと考え

られないでしょうか? X5J  風海

 

 

 

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あらゆる意見は

2013-05-17 20:06:47 | 五木寛之の言葉

外来の往復で五木寛之さんの「下山の思想」(幻冬社新書刊)

を読んでいました、その中にこんな言葉がありました。

 [あらゆる意見は仮説である。情報には必ずバイアスが

  かかっている。はっきりした真実は、明日のことはわか

  らない、この一点だけだ。」

 バイアス(bias,偏り)は英和辞書でも引いた形跡がない。

でも、高校時代には当然知っていた。たが、もう忘れている。

無意識で使っている、だいたいわかれば、細かいことは、

わからなくてもよいとしてきた。

トランジスタを動作させるために加える直流電圧をバイアス

という。これがないと動かない。CPUも、TVも。

X5H 風海

 

 

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林住期(りんじゅうき)

2011-06-09 19:34:21 | 五木寛之の言葉
五木寛之さんの「林住期」では、人生100年として

「学生期」(がくしょうき)最初の25年間の青少年時代
「家住期」(かじゅうき)次の25年間、社会人の時代
「林住期」50歳から75歳で人生のクライマックス
     自分の限界もみえ、体力の衰えも感じる
「遊行期」(ゆぎょうき)

75歳の「遊行期」は短い人もいるし、到達しない内に
死んでしまう人もいる。各25年間を24年間と考えると
24進数とつじつまがあってよい。

 一桁代の学生期 十代の家住期
 二十代の林住期 三十代の遊行期

私も二十代になって久しい。こう考えることにする。
「林住期」(二十代)こそジャンプの季節、人生の
クライマックスである。V69 真
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一体いくら

2009-10-16 21:24:56 | 五木寛之の言葉
一体いくら借金をすれば気が済むのだろうか。
国債発行しても、いずれは返済するというこ
とぐらいわかるでしょう。

五木寛之「人間の覚悟」より抜粋。

 戦後60年を振り返ってみても最悪の時代が
 、これから「来るぞ、来るぞ」ではなく、今
 「来てしまった」のです。

 生きることの大変さと儚さを胸に、この一日
 一日を感謝して生きてゆくしかない。

だんだんそんな気がしてきました。

 マニフェスト 大盤振る舞い あきれたね

       子どもの未来は 借金地獄

 ささやかでも 

     ありがたさかんじる
 
              ひととなれ

 
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林住期

2008-12-04 21:40:56 | 五木寛之の言葉
古代インドでは、「四住期」という考え方が
うまれ、そして人びとのあいだに広がった。
「四住期」は人生を4期に分けて考え、それ
ぞれの生き方を示唆している。

 学生期(がくしょう) 青春
 家住期(かじゅうき) 朱夏
 林住期(りんじゅうき)白秋
 遊行期(ゆぎょうき) 玄冬

家住期は50歳~75歳をいいます。もう
とっくに学、家住期は過ぎてしまった。

「金を稼ぐためでなく生きるということは、
自分が自由になると同時に、世のため、人の
ために生きるということでもある。」こんな
ことがかかれています。

ここまで、到達していません。都会の喧騒を
離れることも考えなければならない。といっ
ても今すぐという訳にもいかない。

幻冬社文庫で、最近発売されたばかりです。
読んでみてはいかがでしょう。
 
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お念仏

2006-11-21 16:57:10 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「蓮如物語」より、

蓮如は瀕死で道端で倒れている老人に言った。
「わたしは真実、阿弥陀さまのすくいを信じてい
ます。一点の迷いもありません。このわたしはの
信心は、母から、いや仏からいただいたもの。
わたしの言葉を信じてくださって結構です」

「ありがたいことだ」と老人はつぶやいた。そし
てうれしそうに蓮如の手をにぎると、
「なむあびだぶつ」と、苦しい息のなかでとなえ
そのまま動かなくなった。

「なむあびだぶつ」と唱えれば救われるというこ
とは、にわかには信じられない。

「お念仏とは自分の口でとなえるのもだとばかり
思っていたのだが、じつは目に見えぬ大きな力に
よってとなえさせられているということに気がつ
いたのである。」

「目に見えぬ大きな力」とは、五木さんは、他力
と呼んでいる「創造主」なのだろう。まだ、私に
は理解できない。
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あまりに

2006-11-12 11:20:15 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「みみずくの夜メール」より、

「あまりに非常識だと専門家に叱られるのを覚悟
で言わせていただくと、人間の体に無駄なもの、
絶対に悪いものなどないような気がするのだ。
すべての存在には、意味があり、効用がある。
歯垢や歯石だってそうだ。頭から悪玉あつかい
するのは、いかがなものか。」

人間の免疫力が低下しているといわれて久しいが
、人間の側が必要以上に清潔にしすぎているから
ではないかという医者もいる。所詮、人間がこの
世の中に単独で存在しているわけがない。

多くの動植物、微生物などと共存している。人間
の領域から微生物の領域に踏み込めば、手痛い
しいっぺ返しを受けることになる。人間は神では
ないのだから、他の生物の領域にまで手を出して
いけないということだろう。
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私たちの生は

2006-11-02 16:59:24 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「大河の一滴」より抜粋する。

私たちの生は、大河の流れの一滴にすぎない。
しかし、無数の他の一滴たちとともに大きな流れ
をなして、確実に海へとくだっていく。高い峰に
登ることだけを夢見て、必死で駆けつづけた戦後
の半世紀をふり返りながら、いま私たちはゆった
りと海へくだり、また空へ還っていく人生を思い
描くべきときにさしかかっているのではあるまい
か。

「人はみな大河の一滴」
ふたたびそこからはじめるしかないと思うのだ。

こんなことが書かれています。戦後必死の思い
で、駆け抜けてきた、団塊の世代はもうすぐ、
定年を向かえます。人口は確実に減少の一途を
たどるでしょう。

好むと好まざるとにかかわらず。時代は変わって
きています。自分なりに、生き方を模索する必要
があります。
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いろいろなもの

2006-11-01 10:48:34 | 五木寛之の言葉
五木寛之著「大河の一滴」より、

いろいろなものを受け入れて、たくさんのものを
好きになったほうが人生、楽しいのではないか。

善悪、苦楽、生死さまざまな対極するものの狭間
で振り子のように揺れながら、スイングしながら
、一時いっときの〈命〉を輝かせながら生きてい
たいと、最近はことに強く思うようになりました

五木さんは、このようなことを書いています。

もう少しいいかげんに行儀悪くなって、たおや
かな融通無碍の境地をつくることが、枯れかけた
生命力をいきいきと復活させ、不安と無気力の
ただよう時代の空気にエネルギーをあたえること
になるのではないか。

なるほどね。
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