いろは丸事件は1867年におきた。
いろは丸は、船主は大津藩だが、海援隊が借受けていた。
海援隊は自前の予算があるわけではなく、悪く言えば、
他人のふんどしで相撲をとっている商事会社である。
念願かない自前とはいえないが、それに近い形で船を
持つことができた。竜馬自作の船歌は、
今日をはじめと乗り出す船は
けいこはじめのいろは丸
いろは丸とは単純なネーミングであることがわかる。
これを契機に、日本のあけぼのに乗り出していくように、
思われる。
いろは丸は160トン45馬力の蒸気船で、この船が紀州藩の
蒸気船明光丸と衝突事故を起こして、沈没してしまう。
明光丸は887トン150馬力で、大きさは5倍もあった。
非は明光丸にあるが、なかなか解決しなかった。
竜馬は国際法である「万国公法」を片手に紀州藩に賠償金
の支払いを求めた。示談交渉はなかなか進まなかった。
竜馬自作のこんな歌が花街で爆発的に流行した。
船を沈めたその償いは
金を取らずに国を取る
国とは、紀州五十五万五千石で、この宣伝には紀州も
閉口した。世論は明らかに紀州には味方しなかった。
ようやっと、紀州は非を認め、賠償金を払い、この事件
は、解決した。
竜馬にすれば。日本初の汽船同士の衝突事件を法的な
先例として残したいというのが情熱の目安になっていた。
次回予告 船中八策
いろは丸は、船主は大津藩だが、海援隊が借受けていた。
海援隊は自前の予算があるわけではなく、悪く言えば、
他人のふんどしで相撲をとっている商事会社である。
念願かない自前とはいえないが、それに近い形で船を
持つことができた。竜馬自作の船歌は、
今日をはじめと乗り出す船は
けいこはじめのいろは丸
いろは丸とは単純なネーミングであることがわかる。
これを契機に、日本のあけぼのに乗り出していくように、
思われる。
いろは丸は160トン45馬力の蒸気船で、この船が紀州藩の
蒸気船明光丸と衝突事故を起こして、沈没してしまう。
明光丸は887トン150馬力で、大きさは5倍もあった。
非は明光丸にあるが、なかなか解決しなかった。
竜馬は国際法である「万国公法」を片手に紀州藩に賠償金
の支払いを求めた。示談交渉はなかなか進まなかった。
竜馬自作のこんな歌が花街で爆発的に流行した。
船を沈めたその償いは
金を取らずに国を取る
国とは、紀州五十五万五千石で、この宣伝には紀州も
閉口した。世論は明らかに紀州には味方しなかった。
ようやっと、紀州は非を認め、賠償金を払い、この事件
は、解決した。
竜馬にすれば。日本初の汽船同士の衝突事件を法的な
先例として残したいというのが情熱の目安になっていた。
次回予告 船中八策