風の子広場

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竜馬の人脈(26)いろは丸事件

2005-03-21 14:22:34 | Weblog
いろは丸事件は1867年におきた。
いろは丸は、船主は大津藩だが、海援隊が借受けていた。
海援隊は自前の予算があるわけではなく、悪く言えば、
他人のふんどしで相撲をとっている商事会社である。

念願かない自前とはいえないが、それに近い形で船を
持つことができた。竜馬自作の船歌は、

今日をはじめと乗り出す船は

けいこはじめのいろは丸

いろは丸とは単純なネーミングであることがわかる。
これを契機に、日本のあけぼのに乗り出していくように、
思われる。

いろは丸は160トン45馬力の蒸気船で、この船が紀州藩の
蒸気船明光丸と衝突事故を起こして、沈没してしまう。
明光丸は887トン150馬力で、大きさは5倍もあった。
非は明光丸にあるが、なかなか解決しなかった。

竜馬は国際法である「万国公法」を片手に紀州藩に賠償金
の支払いを求めた。示談交渉はなかなか進まなかった。
竜馬自作のこんな歌が花街で爆発的に流行した。

船を沈めたその償いは

金を取らずに国を取る

国とは、紀州五十五万五千石で、この宣伝には紀州も
閉口した。世論は明らかに紀州には味方しなかった。
ようやっと、紀州は非を認め、賠償金を払い、この事件
は、解決した。

竜馬にすれば。日本初の汽船同士の衝突事件を法的な
先例として残したいというのが情熱の目安になっていた。

次回予告 船中八策