風の子広場

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竜馬の人脈(23) 伊藤俊輔(博文)

2005-03-08 22:04:26 | Weblog
伊藤俊輔(博文)は竜馬より6歳年下。
ご存知、初代総理大臣である。伊藤俊輔は百姓の出である。
紹介で吉田松陰の門をくぐった。松蔭はこんなことを言って
いる。

「俊輔周旋の才あり」と

周旋とは政治的折衝のことと言っていい。この才能が
初代総理大臣になる元になる。

長州の軍艦を長崎で買うのに、長州藩から人が出張しなけ
れならない。桂小五郎に人選を頼んだ結果が、伊藤俊輔と
井上聞多(馨)である。

この時点では、長州藩が直に軍艦を買うことはできない。
第一次長州征伐と第二次長州征伐の間にあった。
長州としては、軍備強化の時代であった。
「長州人と知られては、生命の危険がある。長崎では、
薩摩屋敷に潜伏し、薩人としてふるまいたまえ」と
竜馬は忠告している。

聞多と俊輔の弥次喜多コンビは長崎に向けて旅立つので
ある。どこへ行くにも二人づれで、途方もなく女好き
という点でもうまがあっていた。

ここでも、竜馬は根回しを忘れてはいない。
長州藩が長崎で買い付ける軍艦銃砲は薩摩藩の名義にし
てもらいたいということを西郷隆盛に頼んでいる。

この時に買った船が薩摩藩名義の長州船ユニオン号で、
桜島丸と命名され、後、乙丑丸(いっちゅう)と改名
し、第二次長州征伐で大活躍するのである。

こんな伊藤博文も、ロシア外相と会談するためにハルピン
駅に着いたとき狙撃され、69歳で暗殺されてしまう。

次回予告 第二次長州征伐