伊藤俊輔(博文)は竜馬より6歳年下。
ご存知、初代総理大臣である。伊藤俊輔は百姓の出である。
紹介で吉田松陰の門をくぐった。松蔭はこんなことを言って
いる。
「俊輔周旋の才あり」と
周旋とは政治的折衝のことと言っていい。この才能が
初代総理大臣になる元になる。
長州の軍艦を長崎で買うのに、長州藩から人が出張しなけ
れならない。桂小五郎に人選を頼んだ結果が、伊藤俊輔と
井上聞多(馨)である。
この時点では、長州藩が直に軍艦を買うことはできない。
第一次長州征伐と第二次長州征伐の間にあった。
長州としては、軍備強化の時代であった。
「長州人と知られては、生命の危険がある。長崎では、
薩摩屋敷に潜伏し、薩人としてふるまいたまえ」と
竜馬は忠告している。
聞多と俊輔の弥次喜多コンビは長崎に向けて旅立つので
ある。どこへ行くにも二人づれで、途方もなく女好き
という点でもうまがあっていた。
ここでも、竜馬は根回しを忘れてはいない。
長州藩が長崎で買い付ける軍艦銃砲は薩摩藩の名義にし
てもらいたいということを西郷隆盛に頼んでいる。
この時に買った船が薩摩藩名義の長州船ユニオン号で、
桜島丸と命名され、後、乙丑丸(いっちゅう)と改名
し、第二次長州征伐で大活躍するのである。
こんな伊藤博文も、ロシア外相と会談するためにハルピン
駅に着いたとき狙撃され、69歳で暗殺されてしまう。
次回予告 第二次長州征伐
ご存知、初代総理大臣である。伊藤俊輔は百姓の出である。
紹介で吉田松陰の門をくぐった。松蔭はこんなことを言って
いる。
「俊輔周旋の才あり」と
周旋とは政治的折衝のことと言っていい。この才能が
初代総理大臣になる元になる。
長州の軍艦を長崎で買うのに、長州藩から人が出張しなけ
れならない。桂小五郎に人選を頼んだ結果が、伊藤俊輔と
井上聞多(馨)である。
この時点では、長州藩が直に軍艦を買うことはできない。
第一次長州征伐と第二次長州征伐の間にあった。
長州としては、軍備強化の時代であった。
「長州人と知られては、生命の危険がある。長崎では、
薩摩屋敷に潜伏し、薩人としてふるまいたまえ」と
竜馬は忠告している。
聞多と俊輔の弥次喜多コンビは長崎に向けて旅立つので
ある。どこへ行くにも二人づれで、途方もなく女好き
という点でもうまがあっていた。
ここでも、竜馬は根回しを忘れてはいない。
長州藩が長崎で買い付ける軍艦銃砲は薩摩藩の名義にし
てもらいたいということを西郷隆盛に頼んでいる。
この時に買った船が薩摩藩名義の長州船ユニオン号で、
桜島丸と命名され、後、乙丑丸(いっちゅう)と改名
し、第二次長州征伐で大活躍するのである。
こんな伊藤博文も、ロシア外相と会談するためにハルピン
駅に着いたとき狙撃され、69歳で暗殺されてしまう。
次回予告 第二次長州征伐