かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

「暑い毎日」

2024年07月04日 | 大分県
雨が降らない日は、気温がぐんと上がります。

暑い。
暑すぎる。

今日、静岡県では最高気温が39.3度に到達しています。
災害級の暑さと言われています。

大分県でも宇目町で、36.4度となっています。

理科で学習しているように、1日の最高気温は13時から14時くらいに記録されることが多くなっています。

しかし、ところによっては、16時過ぎに記録するところもあります。
夜も気温が下がりにくいです。
夏が終わるまで、1日中、暑さ対策をしなければなりません。

多くの学校では、昼休みの過ごし方の対応をしています。
熱中症指数を計測して、
〇昼休み、室内で過ごす  
〇昼休み、外で遊ぶ時間を制限する・・・などです。

いつからこんな暑さになったのでしょう。
子どもたちも、そんな対応に慣れてきて、室内でいろんな遊びをしています。
 
まだ、梅雨の時期です。
真夏の到来とまではいっていません。
これからの暑さはどうなっていくのでしょう。
 
今日、中学年の水泳の指導に入りました。
水に入りたかったのですが、プールサイドからの子どもたちとの関わりでした。
 
暑い。 
プールサイドのコンクリートも熱くなっています。
そこからの照り返しがあります。
くらっとなりそうでした。
水に入りたかった。
子どもたちがうらやましい。

子どもたちは、元気いっぱい、自分の目標を達成しようと泳ぎ込んでいました。

泳いでいても熱中症があるので、水分補給の時間もあります。
気候の変化に、指導も合わせていかなければなりません。
明日は、水の中からの指導です。
子どもたちと、楽しみましょう。
 
明日も災害級の暑さが予想されているところもあります。
過去の経験にとらわれない体調管理をしていかなければなりません。

「雨のちハレルヤ」

2024年07月02日 | 大分県
今日の朝は、山々に霧がかかっていて、とてもきれいでした。

墨絵のような霧とまではいきませんが、あの大雨が嘘のような美しい景色が広がっていました。
 
岩肌が多い、ふるさとならではの景色です。
 
どんよりとした雲がかかっていましたが、勤務に行く途中の青の洞門の競秀峰にかかる霧に風情を感じました。
1日をしっかりと過ごしました。
 
仕事が終わり、5時から用事があったので、ダイハツ球場の周辺で少し、時間をつぶしました。

先日、野球をしたときに、体力のなさを感じたので、歩いたり走ったりしました。
 
なんとその時、太陽が雲の間からでてきました。

いったん太陽が出ると、気温がぐんと上がります。
そこは、夏です。
30度を超えてきました。
朝の風景とは違います。
夏の季節の世界です。

セミの鳴き声も聞こえてきます。

1日の中で、梅雨・・・真夏への移動が行われました。
 
日射しが強いので、陰を選びながらのウォーキングです。
 
ちょっと動くと汗がにじみ出ます。
朝の梅雨の景色から、午後の夏の景色を堪能しました。

球場のところにできていた水たまりに、何人かが写真を撮っていました。

青空がくっきりとです。
青空と太陽が水たまりで、反射しています。
 
天気予報では、明日から何日間は、晴れマークが出ています。
まだ、梅雨が明けることはないと思いますが、「梅雨の晴れ間」を楽しみましょう。

明日は、水泳の授業もあります。

今から、夜のうちに、その準備もしておかなければなりません。
プールで歓声が沸くことでしょう。

ただ、「梅雨の晴れ間」は湿度も高く、今日のように、気温も上昇するので、熱中症や夏ばてなど、体調管理には、みなさん、気をつけましょうね。
 
写真は、ふるさとの霧と、青空です。





「7月になっての大雨」

2024年07月01日 | 大分県
今日から7月です。

時間が過ぎていくのは早いものです。

今日の朝、勤務の場所に行く時は、そんなに雨が降っていませんでした。
 
しかし、帰る時に、携帯電話を見ると、たくさんのメールや電話が入っていました。 
 
勤務地はあまり雨が降ることはありませんでした。
しかし、山あいのふるさとは、大雨となったようです。

帰った時は聞くところによると、エリアメールも2回なったそうです。

全国版のニュースでふるさとの大雨の様子が出たということで心配の電話もありました。
 
また学校によっては、お家の方の子どもたちの引き渡しもあったようです。
 
先週の金曜日は、「警報級の雨」ということだったので、多くの学校が事前からの対応がありました。

しかし、今回は、そんなに対応もほとんどなく、対処的なものであったところが多かったのかなと思います。
大きな災害がなかったことがなによりです。
 
今週は晴れマークが多かったのですが、今日の天気予報をみると、ほぼ毎日、くもりに変わっています。

梅雨前線の動きによって、天気が変わるので、予報も難しいものがあります。
 
幼い頃から、両親に、
「半夏の大雨がないと、梅雨が終わらないね。」
と聞かされていました。

それが7月です。
毎年、ここ最近、7月の半夏の水によって、ふるさとに災害が発生しています。

昨年もそして、あの九州北部豪雨も7月でした。
 
自然の猛威には、人は勝つことができません。
この梅雨の大雨によって、災害がないこと、人の命が守られることが願っています。
 
写真は、今日の夕方の家の周りです。

「雨を避けての練習」

2024年06月30日 | 大分県
今日、午後から豊後高田市で野球の練習が行われました。

もしかして、今日は雨?と思いましたが、監督さんが、現地のグランドコンディションなどを見に行ってくれたり、天気予報も見てくれていたり・・・みっちり、1時から4時まで練習をすることができました。

週末。
ふだんは、土曜日に練習があります。
今日は、グランドの関係で、めったにない日曜日の練習でした。

頭の中は、
「今日は、土曜日。」
感覚です。

今日、ある方に、ラインをしたときに、それは、昨日の用事でした。しっかりアウト。
お詫びのメッセージを送りました。
ぼけている・・・。
 
話を野球の話に戻してみます。
 
九州大会予選が、雨のために順延・順延となっています。
雨が多い中で、今日は、久しぶりに練習に参加をしました。

久しぶりだけに、体が重い。
筋力も落ちています。
日ごろから体を動かすことの大切さを感じます。
 
汗をしっかり流しながらの練習。熱中症対策で、実験的にアマゾンで1900円で購入した、体にフィットする、体を冷やすインナーのスーツを着て練習に臨みました。

汗が出て、そのスーツに水分を含み、風にあたると、体が冷える、冷たい。

3~5時間効果があるとか。ちょっと便利グッズです。暑さ対策でいろんなグッズが出てきます。

3時間、みんなでまとまって、いい雰囲気で白球を打ったり、追いかけたりしました。

来月の中旬は、延期になっている大会です。

しっかり調整をしながら、予選に臨みましょう。

写真はいろんな球場の画像です。


「隊長の旅立ち」

2024年06月29日 | 大分県
今日は、これまで、いろいろとお世話になってきた方の葬儀が行われました。
ふるさとの素晴らしいリーダーでした。
みんなの兄貴分の感じでした。 
 
突然の訃報でした。
 
行政の立場ではなく、ふるさとをふるさとのリーダーとしての視点から、しっかりと支えてきてくれました。

民生委員・防災士・公民館長・・・役の数を数えれば、数えきれないほどです。

それぞれの役の中で、多くの人に丁寧に温かく、ユーモアあふれ、元気いっぱいに関わりをもっていきました。

たくさんの人に慕われ、ふるさとを大切にしてくれました。

かつて、中学校に勤務していた時代、頼みごとをしたい時、
「隊長・・・。」
と言って、電話をかけると、勤務帰りに軽トラで学校に立ち寄ってくれました。

「仕事帰りだけどね。」と敬礼しながら、笑顔での来校です。

学校では、子どもたちへの講演会の講師も引き受けてくれました。

「ふるさとの子どもたちに期待するもの」というテーマでの熱い語りでした。

自衛隊を退職してふるさとに戻ってきてから、赤ちゃんから高齢者の方まで、より暮らしやすい地域にしようと活動をしていました。

「人は、集団の社会の中で生きるのですよ。」
という前提の中で、コミュニケーションの大切さなどを生徒に伝えてくれました。

先週の朝刊では、2日続けて「隊長」の活躍が出ていました。一つは、「耶馬溪にっぽん酒をつくる会 第14回田植え」の会長としての言葉、そして、津民小学校相撲大会の相撲甚句披露。

新聞には、
「津民小卒業生が相撲甚句で「今日は90回目の相撲大会 どうかご支援願います」と美声を響かせた・・・。」
と書かれていました。

地域を温かく盛り上げていってくれました。

今日の葬儀は、利害関係抜きにお世話になった方たちが、集まりました。
そして、すごい人の多さは、人望の厚さだったと思います。

ふるさとのかけがえのない大きな柱がなくなりました。

その力を埋めるには、あまりにも偉大すぎます。

そして早い旅立ちです。
これから「隊長」の遺志はみんなで引き継いでいかなければなりません。

葬儀の広い会場は、20分前に着いたのですが、もうすわるところもありませんでした。

たくさんの方が、「隊長」への感謝の気持ちを込めて、見送りました。
ふるさとの方々にとっては、悲しい旅立ちを感じたことでしょう。
 
遺影を見ながら、元気な声、元気な笑い声が聞こえてきそうでした。これまで支えて下さったことに
「ありがとうございました。」


「大きな災害がなかったこと」

2024年06月28日 | 大分県
昨日から、線状降水帯の恐れがあることを天気予報では伝えていました。
しかし、それが昨年、濁流に襲われたふるさとに、災害がなかったことが何よりでした。
 
それでも地区では、一人暮らしの方や高齢者の方たちの避難について、確認をしていました。

避難所に入った方もいました。
早めの避難の大切さを地区の方も痛感しています。
 
昨年、車で、高台に避難していました。
しかし、一度、トイレに戻ってから、高台に戻ろうとすると、もう、支流や用水路などが氾濫していて、戻ることができませんでした。

あっという間の増水でした。
その水が田畑を襲っていきました。
また浸水した家屋もありました。

2012年の九州北部豪雨以降、毎年のように、濁流に襲われます。気候変動の影響を受けています。 
 
梅雨が明けると、危険な暑さも待ち構えています。
自然の猛威は増すばかりです。
ある一面では、過酷なふるさとにもなっています。
 
地球に地球人で癒しを与えていかなければなりません。

「災害が発生しませんように」

2024年06月27日 | 大分県
九州北部では、「線状降水帯」の恐れがあると予想されています。

22時現在では、それほど強く雨が降っていませんが、明日の朝にかけて大雨の予報がなされています。
 
大分市に住む友だちから、
「今、どうあるかなあ。」
と電話がかかってきました。
いつも大雨の時は、気にかけてくれることがとても嬉しく感じます。
 
学校では、下毛地域は、臨時休校が決定されています。
勤務校は明日の朝6時に、休校かどうか決定されます。

今、昨年の洪水で崩壊した家の近くの国道で一方通行になっています。
やっと工事も終了間際になっています。
そんな時期の大雨の予報です。
 
氾濫がないことを願っています。

「平和の大切さ(終)~夫婦特攻隊~」

2024年06月26日 | 大分県
 週末読んだある雑誌のエッセイの中で、
「空に散った若い夫婦」
のことが描かれていました。
 
これまでいろんなことを学んでも、「満州」の戦いについてはよく知りませんでした。

このエッセイを読んで、もっと知ってみたいと思い、ネットで調べて、戦時中・戦後の満州のことが書かれている本を購入しました。

終戦直後の満州。
日ソ中立条約を破って攻め込んできたソ連軍により、日本人居留民の大虐殺が行われました。

満州駐留の日本陸軍「関東軍」は降伏命令に従い、ソ連軍との戦闘を放棄しました。

日本の戦闘機などは、ソ連に渡す約束ができていました。

その時、関東軍総司令部の降伏命令に背き、ソ連軍と戦うと決断した飛行兵たちがいたそうです。

満州南部の大虎山飛行場に駐屯していた飛行兵たちです。

ソ連軍が特攻攻撃を受けるのは初めてです。
特攻をすることによって、ソ連軍の進撃が一時的に止まれば、日本人居留民の逃避の時間を少しでも稼げると考えたからです。

飛行兵たちは、自らの命を犠牲にすることを決断したのです。
その中に、谷藤徹夫さんと朝子さん夫妻がいました。

ネットによると、
「夫から特攻の決意を告げられた朝子は、
「私も連れていってください」
と哀願しました。

ソ連兵から辱めを受け、仮に命を落とさずに済んだとしても、一生消えることのない疵を負うくらいなら、最愛の夫とともに敵軍に突撃して果てたいという新妻の切なる願いを徹夫は受け入れました。

そして、11人の特攻兵とともに朝子は散りました。

大虎山飛行場での目撃証言によれば、朝子は白いワンピース姿で特攻機に乗り込んだといいます。

戦後、生き残った元軍幹部は、
「あれは命令による特攻ではないから、単なる自殺行為だ」
と蔑み、女性を同乗させたことも「軍紀違反」と非難しました。

特攻兵、そして、谷藤夫妻さんたちは戦犯同然の扱いを受け、戦没者に名を連ねることも許されませんでした。

そのため谷藤さんの遺族は世間体を気にして、葬式さえ挙げていませんでした。

しかし、満州で同じ部隊だった戦友たちの尽力により、終戦から22年後の昭和42年、東京・世田谷観音に神州不滅特攻隊の慰霊碑が建立されました。

その後、厚生省(当時)が戦没者と認定をしたそうです。」

ネットの映画でも見ることができました。アマゾンプライムなどで、『妻と飛んだ特攻兵』を見て下さい。

映画なので、きれいに描かれている部分も多いのですが、終戦後におきた悲劇です。

戦後80年近くが経ちますが、いろんな角度から、歴史的な戦争の惨劇を知る必要があると感じます。

「平和の大切さ②~逗子の火薬~」

2024年06月25日 | 大分県
戦争の悲劇は、ただ、戦時中だけでありません。
 
中津市出身の関東在住の知り合いの方から便りをいただきました。
この便りを読みながら、終戦を迎えても
「戦いが終わらない」
ことを痛感します。

そして、多くの尊い子どもたちの命が失われたことに胸が痛みます。

神奈川県逗子市の話です。
その便りの中に、このような内容のことが書かれていました。

「私が所属している中の小さな会「逗子の歴史を学ぶ会」主催が講演会(対談)を開催しました。

1945年10月20日。終戦となり2カ月が経過し、子ども達の中に安堵と安らぎが生まれつつある中、逗子小坪小学校にとって忘れられない大事故が発生した。

当時、子どもたちが、運動会の予行練習が終わって午後は憲兵隊たちがいない砲台の中で遊んでいました。

暗いトンネルの中はほとんど「火薬」でした。

大人がロウソクを灯して奥まで行って「ロウソク」が短くなったのでポイと捨てた!そのロウソクの火が火薬に引火して、入口近くで遊んでいた子供たちは爆風で飛ばされ15名の尊い幼い命が亡くなったという事故がありました。
 
私たちの小さな会はせめて「慰霊碑」建立に向けて小さな歩みを始めました。

そこで、逗子市内のホールで「講演会」を開催しました。行政の携わる方々、藤沢・鎌倉・逗子・横須賀の教育関係の方々などをお迎えしての意義ある講演会になりました。

戦争が終わってもなお悲劇が続く・・・平和への願いを込めて「慰霊碑建立」まで少し忙しくしています・・・(略)」

この事故は、報道管制下で報じられることがありませんでした。

公になったのは31年後の昭和51年。
外務省が公開した戦後外交機密文章で、記録が明らかになりました。

秋には、きちんとして慰霊碑が爆発現場付近に建立されるそうです。

悲惨な歴史をきちんと整理し、後世に残そうとしています。
中津出身の方が、こういった活動をしていることも誇りに感じます。

「平和の大切さ~沖縄慰霊の日~」

2024年06月24日 | 大分県
週末に、平和の大切さを感じる出来事が、続けてありました。

3つの話題です。
乱文ながらの紹介です。

6月23日(日曜日)は、「沖縄慰霊の日」でした。
今日、勤務する学校では「沖縄慰霊の日」の授業を行いました。

「沖縄慰霊の日」がこの日に制定されたのは、
「沖縄戦での日本軍の組織的な戦闘が終わったとされるためです。

この日に、当時、沖縄の防衛に当たっていた日本軍司令官の牛島満中将や、その部下が自決(自殺)しました。戦後、米国統治下にあった1961年に琉球政府が法で「慰霊の日」を休日と定めました。

当初は6月22日で、1965年から6月23日に改められました。実際は牛島中将の自決後も戦闘は続き、米軍が沖縄作戦の終了を宣言したのは1945年7月2日です。」
 
沖縄で悲惨な戦いが繰り広げられました。

地上戦で20万人以上の人が亡くなっています。
県民の4人に1人が命を落としています。

その時のいろんな話を聞いたり、読んだりすることがあります。
現実は、話以上に想像を絶するものがあります。
 
学年に応じた授業が展開されています。
先週の金曜日の給食は、沖縄の郷土料理でした。

  • 肉の入った炊き込みご飯・・・シシジューシー
  • マーミナーチャンプル
  • もずくのすまし汁
  • シークワーサーゼリー
などでした。校内放送でも紹介されていました。
 
そして、今日は、授業。
子どもたちなりに考えたのでしょう。
授業が終わってから、子どもがすらすらとイラスト描いて、
「先生、見て。」
とやってきました。

子どもたちなりの思いがあるのでしょう。
小学2年生なのに、すごい。

この子どもたちが戦火に巻き込まれることのない社会を・・・・戦争がない社会・世界をみんなで創っていきたいですね。

「雨の1日」

2024年06月23日 | 大分県
今日は、雨の一日となりました。
いろんな行事も中止となりました。

昨日に引き続いて、家でのんびり、スローな時間を送りました。

昨日は、日ごろからいろいろとお世話になっている、友人が遊びに来てくれました
 
会いたいなと思いながら、日が経っていた中で、ゆっくりと話をすることができました。
雨のおかげです。

「自分がしたいと思うライフスタイルを持ちたいね。」
と言いながら、今、趣味や仕事が休みの時にしていることなどの話を聞きました。

できる人の時間の使い方が上手いということを感じました。
真似をしようと思うけど、なかなかできません。
 
夕方からは、地区の夏祭りのうそ会(抽選会)の準備を実行委員の方々としました。
抽選券の販売の用意です。

来月の後半にお祭りがあるので、少しずつ、計画的に準備を進めています。

みんなで進めていきながら、つながりも深めていけたらと思います。
 
明日から、また新しい週の始まりです。
学校では、水泳の授業も入ります。

梅雨だけど、夏の活動も展開されます。
 写真は雨の中の風景です。

「今日はストロベリームーン」

2024年06月22日 | 大分県
今日から野球の大会の開催予定でしたが、雨のために、7月にずれ込んでいます。

明日も大雨注意報や警報が県下で、出ているところがあります。

「恵みの雨」になって、災害がないことを心から願っています。
 
一方では、庭や畑の草が生き生きとしています。
雨が止んだら、草刈りや草取りです。
 
そんな中、ネットの「FORBES JAPAN」で検索すると、ここ最近の宇宙サイエンスの記事が出てきます。
 
6月20日(木曜日)は、月とさそり座の一番明るい、そして赤いアンタレスが接近をしています。
 

6月21日(金曜日)の昨日は、北半球では「夏至」でした。南半球では「冬至」だったそうです。北半球では、「昼が最も長く、夜が最も短くなる」日です。
 

6月22日(土曜日)の今日は、「ストロベリームーン」の満月です。

夏至の次の日のこの月は、太陽と月は反対方向にあるので、北半球で、太陽が遅く沈む関係で、月は、今年最も遅く昇り、最も低い位置を通る満月となっています。

太陽は、夏至で一番高い軌道をとります。

月は、その反対で、一番低い軌道となるそうです。
そんな関係で、赤みがかった色に見えることもある理由となります。
 
「ストロベリームーン」は、いい伝えによると、
「ストロベリームーンを一緒に見た恋人同士は永遠の絆で結ばれる」「ストロベリームーンを一緒に見た相手と両思いになれる」
とされているそうです。
 
んな中で、昨年、中津市出身の作家が恋愛小説の「ストロベリームーン」を書き下ろしました。
 
書店のウェブで、この本のあらすじを、

「高校の入学式に、出会って3時間で学校一の美少女・桜井萌と付き合うことになった佐藤日向。
好きな人と一緒に見ると永遠に結ばれる神話がある赤い満月「ストロベリームーン」を見に行き、幸せな時間を過ごしていたのもつかの間、日向は萌に残された時間が少ないことを知る―。」
と書いています。


しかし、今年のストロベリームーンは、雨雲に覆われ見ることができないままです。
今日の雨雲は、「横恋慕」なのかも知れません。

月は昨年のストロベリームーンです。


「静かな朝」

2024年06月20日 | 大分県
午前中に「社会を明るくする運動 作文コンテスト」の打ち合わせ会がありました。

半日休みをもらって、出席をしました。
役員の方が集まって、今年度の取り組みなどの話し合いをしました。
 
少し早めに家を出て、近くの公園でウォーキング。
朝なので、日中はにぎやかな公園も鳥のさえずりが聞こえるほど静かです。
 
ゆっくりと流れる時間に身をゆだねるのも心が休まります。
 
梅雨に入り、空は雲が覆っています。
一方では、新緑だった木々の葉も、いつしか色が濃くなっています。

♪夏に咲く花 夾竹桃♪が可愛らしく咲いています。

話し合いが終わり、学校に向かいました。

子どもたちのパワーに負けないように、朝の充電をしっかり使いました。


「愛をこめて厳しさを、愛をこめて花束を」

2024年06月19日 | 大分県
県をまたいでの勤務も2か月を越えました。
勤務のシステムにもほぼ慣れてきています。

「どうして、福岡県?」
いろんな人に会った時に、その質問が多くありました。
その返事は、それぞれに返していますが、県は違えども、目の前にいるのは、かけがえのない大切な子どもたちです。

自分なりに、しっかりと関わっていっているつもりです。
それは、どこにいても同じです。
褒めたり、叱ったり、優しくも、厳しくも・・・毎日が連続ドラマです。
 
昼休みになると、
「遊ぼう。」
と子どもたちがやってきます。
 
子どもたちと手を繋ぎながら、歩道橋を渡って、グランドに行きます。

このおじさんが昼休みにグランドにいること自体、グランドで鬼ごっこやドッジボールをすることなど滑稽なことかも知れませんが、それもまた幸せです。
 
今日の午後からは、1年生の先生が、出張で、1年生に入りました。
 
図書室の本を返して、本を借りる。
そして、図書委員会の6月の活動について、図書室の先生から話を聞くという内容でした。
 
1年生は、担任の先生がいないことで、はめをはずし気味。

長時間、1年生の教室に行くのは、4月ぶりです。
図書室の先生に迷惑をかけてはいけないので、図書室に行く前は、ちょっとはめ外しを厳しめに注意。
 
静かに図書室へ。
そして、みんなで
「先生、お願いします。」
とあいさつをして席につきました。
 
本を返して、本を借りて・・・です。
 
あとはやわらかく。
本選びに困った子どもたちと一緒にあれやこれやと本をさがします。
「園長先生~~。この本でいいですか。」
真面目に言っています。
だれが、園長先生ですかあ。

しばらくすると、今度は、ちょんちょんと後ろから指をさされます。
「だれだ。」
すると、小声で、
「せんせい~~、かっこいい~~。」
うむ?なんと?今?
「せんせいとけっこんしたいんだけど・・・いいですか。」
何歳差?

「はい、はい。本を一緒に探してあげるよ。」
おばけの本を探すと、もう忘れて、一生懸命に本を読んでいます。心は、気まぐれです。
 
1時間だけでも腹いっぱいドラマを感じました。

「梅雨の中でのカローリング大会」

2024年06月18日 | 大分県
昨日から九州北部地方は、
「梅雨に入った模様」
ということです。

昨日は夕方から雨が降り始めました。
激しい雨でしたが、朝は止んで、暑い1日となりました。
 
これから本格的な雨の季節となります。
 
そんな中で、今日は児童会主催で、2年生対5年生のカローリング大会が行われました。

的の得点の枠の中に、ジェットローラーが何個入るかという競技でした。
 
手作りのジェットローラーです。
なかなかのものです。
 
今日は、2年生と5年生。

別日には、ほかの学年も楽しみます。
児童会が楽しい時間を作ってくれて、子どもたちも笑顔いっぱいです。
感謝・感謝。
 
1勝はしたものの、さすが、あとは5年生の圧勝でした。
ジェットローラーは、まっすぐに転がしたようでも、途中から曲がったりします。

5年生は、はじき出し方が違います。
力強く投げて、2年生のジェットローラーを外に出してしまいます。
 
学年を越えてのレクリエーションでした。
異学年で遊ぶことは、お互いに優しくなれます。

いつもとは違った雰囲気の中で、たっぷりと遊ぶことができました。
 
いろんな体験を重ねながら、子どもたちは成長をとげていきます。