かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・つづっていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

高校の卒業生を送る会

2011年02月28日 | Weblog
卒業式シーズンがやってきました。今週の木曜日が中学校の卒業式です。しかし、その前に、高校の卒業式が行われます。明日が卒業式となっています。


いよいよ明日が高校の卒業式です。それぞれの胸の中には、いろんな夢や目標が立てられ、それに向けて出発をしていきます。


 今日は、ある生徒が進学した高校の部活の「3年生を送る会」に出席をしました。


生徒から、「送る会に来て下さい。」と電話がありました。高校を卒業してから、東京の大学に進学をしていきます。その前に会いたかったこともあったので、月曜日でしたが、すぐにOKの言葉を言いました。



 生徒は、3年間、全国でも強豪の部活動に所属をしていました。中学校時代とは違う部活なので、経験は少なかったのですが、将来性を見込まれて、その部に入りました。親元を離れての高校生活です。




 故障、けが・・・いろんなことに悩まされましたが、3年間、粘り強くやり通しました。



「先生、確かに1年生の時は、きつかったけれど、それを乗り越えてから、楽しくなりました。」



 生徒の学年は、3年生の時に、惜しくも全国大会には出場できませんでした。今日の送る会の中では、その悔しさが先生やいろんな選手の言葉から出てきました。3年生の全員が関東の大学に進学していきます。



「この悔しさを大学で、生かしていきたいと思います。」




と生徒は、語っていましたが、いつか晴れの姿を応援に行きたいと思います。



 お父さんやお母さんたちが来ていました。部活動に明け暮れた高校生活。でもその中で、故郷を離れて頑張る中で、走る技術とともに、親を思う気持ち、礼儀、苦しさを乗り越える精神力・・・勝つこと以上に学んだことも多いと思います。



 親が生徒へ語る言葉、生徒が3年間の思いを話す内容・・・心を打つものがたくさんありました。



「この3年間、厳しいトレーニングを積み、それをしっかりと受け止め、努力してきたことは、これから生きていく中で大きな自信や行動力につながるだろうね。」とお家の方と話をしました。


 これからもみんなに夢を与えて下さいね。卒業おめでとう。

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卒業式・・・公立高校入試

2011年02月22日 | Weblog
卒業式があと間もなくして行われます。その感動を味わってすぐに今度は、公立高校入試があります。3年生は、その大きな山を乗り越えるために最大の努力をしています



 卒業式の練習が行われています。あと1週間ほどでリハーサルも行われる予定になっています。



 いろんな思いを胸に、卒業証書を校長先生から受け取ります。



 一方では、卒業式が終わってすぐに、公立高校の受験が行われます。最近では、生徒たちの様子や姿勢をみるために、面接を行う高校が増えてきています。



 今年は中津地区でも一校が面接を取り入れました。そのために、放課後は、面接練習を行っています。いろんな先生がその対応をしています。面接を受けるという経験は、初めての生徒が多いです。



 放課後になると、職員室前の廊下は、その学校を受験する生徒が並んで、面接練習を受けるのを待っています。自分も10~15人程度練習をします。



 面接をする立場からすると、面接を繰り返していくと、その生徒がどんな性格の生徒か、どんな目的をもって進学していくのかなど、感じることができます。


 しかし、1時間以上、相手の目をしっかり見ながら続けるので、終わった後は、どっと疲れが出ます。でもそんなことを言っている場合ではありません。あまり時間がないのです。


 今日の練習で前回うまく言えなかった男子の生徒が、お風呂で練習したということで見事な答え方。「自分の考えがうまく言えるようになったね。」と握手をしようとすると、さっと手をひきました。「あらら・・・」と言うと、


 「先生、手が汗でびっしょりなんです。」


 それでも頑張ったということで、握手をすると、その通りでした。でもそのくらい、一生懸命に努力していることがうれしく思います。



 公立推薦入試を受験したある生徒は、面接の練習に最初は、慣れなくて、「悔しい。」と言いつつ、粘り強く何度も何度もやってきます。


「もう大丈夫だから。」
と言っても、
「もう一回だけお願いします。」
という言葉。




 公立推薦入試直前では、すばらしい答え方になっていました。またその練習をしているうちに自分の目標や目的が形だけでなく、意識となって表れてきました。見事、内定をしました。今は、公立一次入試の面接をする手本になってもらっています。



 3年生の教室は、学習タイムの時間に教室を回ると、緊張感があります。


 みんな一生懸命にドリルや参考書に向かっています。私立高校専願の生徒、公立推薦の生徒は、合格、内定をもらっています。今度の公立高校の受験でみんなが決定して欲しいですね。

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春到来

2011年02月21日 | Weblog
昨日から春めいた陽気です。いろんなところに春の到来を感じさせるものがあります。長い冬がやっと終わった感じがします


「春の予感」から、「春の実感」といったところでしょうか。



 昨日から、そんな陽気となっています。今日、机の上を見ると、保健だよりが配布されていました。その中に、


「明るさを増してきた陽射しの中にいると、何となくウキウキして心が弾んできます。」



という文章がありました。本当にそのような感じです。特に今日は、窓からさしてくる暖かな柔らかい陽射しを体に浴びたくなるような気がして、仕事の合間に行ってみたりもしました。



いろんなところに春がいます。



 昨日も暖かかったので、庭の砂利の間に落ち葉がたくさんあるので、それを、送風機で一カ所に集め、取る作業をしました。でももう庭には、草が生えてきています。いぬふぐりの花は、きれいに咲いています。



 朝の通勤時間には、辺りはすっかり明るくなっています。いつもの道を通って学校に行っていると、梅の花が咲いていました。


 ちょっと行くと、この土日に切ったのでしょう。坂の上の木々がすっかり伐採されていて、青い空に向かって車を走らせているような気がしました。なんとなく気持ちのいい朝でした。



 机の前には、事務の方が、桃の花を花瓶にさしてくれていました。かわいらしいピンクのつぼみが枝にたくさんついていました。



 この季節は、なんとなくほっとするようなそんな雰囲気に包まれますね。



 でも今日、学校で仕事をしていると、ベルトをしていないことに気がつきました。しかし・・・ベルトをしていなくてもズボンが落ちなくなった自分の体にこの冬の厳しさを感じます・・・。
 ここだけは真冬です。

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アンプティサッカー

2011年02月20日 | Weblog
今日のテレビの中で「アンプティサッカー」のことを取り上げていました。
「アンプティサッカー」初めて聞く言葉でした。苦しみを乗り越え、常にチャレンジしていく姿に感動をしました



「アンプティサッカー」初めて聞く言葉です。今日の夜のスポーツニュースで紹介されていました。どんなスポーツ?



「上肢、下肢の切断障害を持った選手がプレーするサッカー」
です。



 片足の選手がピッチに。片腕の選手がゴールを守ります。2010年10月には、アルゼンチンでワールドカップが開催されています。



 片足の選手は、杖をつきながらグランドを走り回ります。すごいスピードと格闘技的な要素を持っていて迫力があります。



 日本代表の主将を務める新井さんは30代前半まで実業団の柔道選手でした。左足を失ったのは2005年3月。ひざに腫瘍ができ、付け根から切断しました。


 悪性リンパ腫。がんは内臓に転移しましたが、臍帯血移植が成功し一命を取り留めました。



 再発の可能性がほぼなくなって数年。リハビリを兼ねた水泳やアーチェリーでは満足できなくなり、「もっと激しいスポーツがしたい」という思いから、この「アンプティサッカー」に出会いました。




 映像で新井さんの息子さんと一緒にサッカーをして遊んでいる姿が印象的でした。「お父さんに負けてたまるか。」と笑顔で息子さんがボールを追いかけています。


 お父さんのキックを受け止めて痛そうに顔をゆがめていました。お父さんの病気と闘う姿、お父さんがそれを乗り越えて、サッカーでがんばっている強さを見てきているのでしょう。




 「お父さんに負けてたまるか。」の言葉の裏には、お父さんを尊敬している気持ちが伝わってきました。親の姿を、父の背中を見ながら、しっかりと息子さんは成長しています。親子の笑顔は、とてもさわやかで素敵でした。




 障害を乗り越え、アスリートとして夢や目標をもっています。まだまだ世界の壁は厚いけれど、今ある力で、精一杯相手と闘っている姿に心を打たれました。



 2012年には、日本でワールドカップが開かれます。その時は、しっかりと応援をしたいと思います。


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吉井のひなまつり

2011年02月19日 | Weblog
 今、全国各地でひなまつりの行事が行われています。日田の豆田町には、昨年一昨年と行きました。今年は、雑誌を見ながら午後、筑後吉井のひな祭りに初めて行ってみました。

今日の午後、「筑後吉井おひなさまめぐり」へ行ってきました。吉井町は、久留米に行くときによく通るのですが、実際に立ち寄ったのは初めてでした。日田から30分弱くらいです。



 吉井町は江戸時代の宿場町として栄えたそうです。実際に歩いてみると、車窓からではわからない当時の町並みが残されており、白壁土蔵は落ち着いた雰囲気を漂わせています。



 豆田とはまた違った雰囲気の町です。春らしい天気で、のんびり歩くのには寒くもなく最高の日でした。



 ひな人形は展示場の会館もあるのですが、いろんな店先などにも飾られていて、一軒、一軒を見て回りました。林家(はやしけ)のおひなさまを見に行ったときです。



 その家のおばあちゃんとお孫さんが見に来ていた人たちに解説をしてくれていました。なんとなくほのぼのとした気持ちになりました。「右側がわたしのひな人形です。左は、おかあさんのおひなさま。いもうとは、手作りでおばあちゃんがつくってくれています。」とかわいく説明をしてくれました。
 



 古民家風な有名な食事処もたくさんあります。「土の上の花」というところで食べました。豆腐とバスタで有名だそうです。おいしかったです。特に日曜日は、混むそうです。


  


 何も知識がなくここに来ても満足しますが、ぜひ、インターネットで有名なところ、食事をするところを一度調べてくると、無駄がなく十分半日は楽しめると思います。三光の方からも知り合いの方が家族で来て楽しんでいました。雪の多い冬がなんとなく過ぎ去ったような気がします。



 春の予感を「蔵っしっく通り」、「白壁通り」を歩きながら感じました。


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ピンチがつながりのチャンス②

2011年02月17日 | Weblog
ピンチがつながりのチャンス。本当にそう思うんですよね。中学校に赴任し、あの教育実践総合センターでの一年間がいろんな影響をもたらせました




 不安ながら中学校に勤務して、もっと勉強したいと思って、実践総合センターで研修させてもらいました。そのつながりが、ちょっとだけ幅を広げさせてもらいました。



 一年間、情報教育の研修をしました。ちょうどそのときのセンター長が、大学の心理学の先生でした。一年間の研修が終わって、現場に戻ってから、先生から、
「学校心理士の資格をとってみないか。」
という話がありました。



 学校心理士とは、「学校にいる心理学の専門家」です。勉強をさせてもらいながら、ついに資格を取得しました。スクールカウンセラーにもなることができます。どちらかというとアバウトな生き方をしていただけの自分には、とても貴重な出来事でした。



 そのときから、これまでたくさんの研修にも参加させてもらい、いろんな角度から心理学の勉強をさせてもらいました。現在、大分県学校心理士会の副会長をさせてもらっています。役には立ちませんが、ほとんどの役員の方が、大学の先生たちです。心理学のオーソリティばかりです。そんな先生方と接する時間がまた勉強になります。



 体験と勘で乗り切ってきた、人に対しても傷つけることも多かった自分が、少しは、理論的な裏づけと相手の立場を考えるようになり、ちょっとだけまた違う部分での過ごし方ができます。



 また、ちょうど、三光中学校で勤務したときに、文部科学省指定の道徳教育の指定校となりました。2年間の研究です。その時に、実践センターに道徳教育に卓越した大学の先生がいました。お願いをすると、スーパーバイザーになっていただけました。



 授業案を書くときには、何人かの学校の先生たちとセンターに行って、アドバイスをもらったりしていました。そのアドバイスが的確で、授業の流れが道徳の授業だけでなく、ほかの教科でも生かすことができました。先生たちが一丸となって、研修を深め、子どもたちの心に響く授業を展開していきました。



 自分とセンターだけの関係ではなく、学校とセンターの関係へと広げられました。




 おとといは、客員研究員の発表会で、夜は、センターOBの懇親会でした。みんなで夜がふけるまで、会話を弾ませながら楽しく過ごしました。



 「ピンチがつながりのチャンス」だと思います。ある雑誌で、2つの選択があるなら、困難が多い道を選べ・・・と書いていました。



 いつもそんなことはできないと思いますが、勇気はいりますが時にはそういう選択も大切であると感じています。乗り越えたときには、平坦な道で得るよりも、もっと大きなものをつかんでいるのではないかと体験から思います。

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ピンチがつながりのチャンス①

2011年02月16日 | Weblog
昨日、大分大学付属実践教育実践総合センターの研究発表会が行われ参加をしました。本年度の客員研究員の先生の発表が行われました



 今から、ちょうど10年前のことです。中学校に勤務して欲しいと言われました。
「自信がない。」
というのが本音でした。その理由はそれまで16年間、小学校に勤務していました。



 小学校のことなら、学習やクラスづくり・・・など自分なりの形が整っていたからです。ある年齢を超え、今までとは違う生活を、第一歩からするのには、勇気がいりました。しかし、異動は自分で決められるものではありません。発表の日、「中学校」と言われて、複雑な思いがしました。



 情報教育を教えなければなりません。つまり、パソコンなどです。当時の小学校では、パソコンを扱うことはありませんでした。教えるといっても、教える方が情報教育について知りません。まったくの初心者です。まず用語がわかりません。小学校勤務時代、通信もテストも手書き一筋でした。



 パソコンを購入し、猛勉強。学校でもよく知っている先生に何度も聞きました。まだウィンドウズ前の機種です。夜も分からなくなったときは、電話で質問。またパソコンの業者の方が来たときには、パソコン室の機能でわからないところは、まとめておいて質問攻め。



 土日に部活もあり、生活も大きく変わりました。楽しい部分もたくさんありましたが、今までにはない生徒指導の事象もあったり、人には分からないかもしれないすごいストレスも感じました。




 3年間、勤務し、担当した学年も卒業。もうちょっと勉強したいと思い、大分大学の教育実践総合センターに客員研究員として勤務させてもらいました。


 一年間、大分に通わせてもらいました。センターを拠点に大分県教育センターの講座、大分市の視聴覚センターの講座、大分大学の授業への参加・・・などでなんとか人並みには、発表会に備えて研究とともにパソコン技術を身につけることができました。



 今、考えると、こうやって、ブログなどを書いたりできるのも中学校勤務になったからです。もしそうでなかったら、まだまだパソコン文明に反発していたかもしれません。



 昨日の発表会は、10年前を思い出させました。また懐かしい先生方にもたくさんお会いしました。発表は、自分の研究とは違って、数倍レベルの高いものでしたが、当時、自分なりの目的が達成でき、充実したものになり、今に生かされていると思います。




 この一年間の経験が後に大きな変化をもたらせます。(続)写真は、付属の敷地内の桜並木です。第一日目の日に。

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地区のどんど焼き

2011年02月14日 | Weblog
区のどんど焼きが昨日行われました。
♪どんど焼きはじゅうよっか♪
なんていう歌も幼い頃ありました。14日より前になりましたが、地区のみんなで集まって開催できました。




 どんど焼きが昨日行われました。伝統のどんど焼きの行事もかつては、いろんな地区で行われていました。


 今では、考えられないのですが、小学生のころは、地区の子供たちだけで、土日などに竹切りに行ったりしていました。一時、やめていたときもあったのですが、隣接の地区と一緒に開催することになりました。そして、その回数も30回を超えています。その頃から関わっていますので、懐かしい思い出がたくさんあります。




 郡市が合併する前は、様々な行事やイベントが行われていました。寂しいのですが、合併後は、一気になくなっていきました。現在、どんど焼きのようにこうして地区の人たちが集まるのは、この行事と夏のお祭りです。



 ふだんは、仕事などでほとんど地区の人たちと顔を合わせることはありません。このような行事がコミュニケーションの場です。


 残された今ある行事については、大切にしていきたいと地区の人たちみんなが考えていると思います。地区が希薄なものではなくつながりのある温かいものにしたいです。デジタル化になっていく世の中、でも人と人とのふれあいはしっかりと結んでいたいですね。
 


 昨日のどんど焼きに話を戻します。朝から、竹切り、かっぽ酒の用意、団子汁の用意、もちまき、どんど焼き・・・と一日ですべてを終わらせます。



 帰ったら、くたびれがどんとでます。しかし、みんなでやり終えた充実感はそこにはあります。かったかくんは、毎年、ご神木の孟宗竹とかっぽ酒の真竹を取りに行く役割をしています。



 家の竹山がより車に乗せやすい場所にあるからです。車に乗せやすいといっても斜面を少し登ります。ハアハア言いながら、竹を切り、車のところまで出していきました。昨日は、途中で、一緒に切っていた人の頭に古い竹が直撃。驚いたハプニングもありました。 



 どんど焼きの場所は、小学校下の河原で。わずかな時間でしたが、老若男女みんなで楽しむことができました。



 どんど焼きが終わって、何人かで、かつての小学校の職員室を喫茶店にしている場所で、薪ストーブを囲みながら、いろいろと話をしました。「昔は、子どもたちで火の用心と言って、夜、地区を歩いたね。」「ソフトボール大会や町民体育大会でみんなで楽しんだね。」



 今の取り組みがまた将来の思い出話にできるようになることを願っています。

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高校時代・・・下宿・・・寮②

2011年02月12日 | Weblog
下宿生活も充実をしていました。そんなある日曜日の夕方のことです。一階の食堂に下りていくと、1年生数名が集まっています。「なんだろう。」と思ったのが、生活を大きく変えさせていくのです



下宿生活も充実していました。しかし、お風呂のない下宿でした。だから、みんなで自転車に乗って、近くの金星湯という銭湯まで行っていました。それもまた楽しい日課でした。


 そんなある日曜日の夕方、一階の食堂にジュースを買いに下りていくと、1年生7~8名が集まって、おじさんに怒られています。部屋に集まってキャッチボールをしていたら、ガラスを割ったのです。まったく。



 しっかり説教されています。それを尻目にまた自分の部屋へ。1~2時間後、また食堂に行くと、まだその続きが行われています。おじさんも感情的になっていま
す。で、そこで、いらぬ正義感が湧いてきました。



「1年生も、悪いとわかっているのだから、もういいんじゃないですか。」




この言葉が、感情が燃えているおじさんをさらに熱くしました。


「おまえには、関係ない。だいたい3年生がしっかりしないから、こんなことになるんだ。」



売り言葉に、買い言葉ってこんなことをいうのでしょうか。矛先がこっちに来ました。1年生は抜きにおじさんと若かりし自分との口論になりました。



で、下宿を出されることになりました。出て行くおばさんがやってきて、後からおじさんに「言っておくから。」とはいったものの、当時の自分には、引き下がる術を持っていませんでした。



 夜のバスに乗って、耶馬溪に帰りました。家では、そのことについて、両親は何も言わずに受け入れてくれ、次の日に車で荷物を取りに行ってくれました。
「かったかさんには、あんとき迷惑をかけたね。」
とは、同じ先生になっている後輩。「ほんとにおまえだちのせいだよ。」と今では、みんなが忘れられない懐かしい思い出に。





 でも、その下宿が最初の勤務先の近くだったので、就職してから何度か遊びに行きました。おじさんもおばさんも歓待をしてくれました。今は、お亡くなりになりましたが、大切な出会いで、大切なおじさんとおばさんでありました。




 それから、下宿生活から下毛郡学生寮へと変わっていきます。



 この下毛郡学生寮については、またいつかお話をしますね。下毛郡の学生が入れた寮なのです。

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高校時代・・・下宿・・・寮

2011年02月11日 | Weblog
男子学生の下宿。勉強もしながらも山国川の土手でキャッチボールや吉富側の河原で遊んだり、天仲寺山に夜に肝試しに行ったり・・・いろんな事件に遭遇しながらもなつかしい青春時代を過ごしました



3年生になってからは、一人部屋。しかし、1、2年生は、二人部屋が割り当てられました。1年生の時の同室者は、耶馬溪の中学校3年生の時のクラスメートでした。


 その友だちは、スポーツもよくできたのですが、まあ、勉強量が半端じゃなかったです。高校に入ってからの成績の伸びもすごかった。


 こちらが、寝ても、鉛筆の音が、「さら、さら、さら・・・。」最初はその音に、ライバル心が燃えましたが、それも束の間。いつしか、その音が眠りを誘う音になりました?毎日、2時、3時はざらだったのではないでしょうか。


 彼が、いつ寝たのか覚えていません。自分より先に寝ることはなかったからですね。寝たとしても、「かったかちゃんが、寝るときにおこしてな。」


 その友だちは、浪人後、東京大学へ。耶馬溪から東京大学ですから、すごいですよね。頭がいいとかではなく、とにかくあの努力です。



 上下関係は厳しくても、みんな仲がよかったですね。勉強優先で、部活は許されていませんでした。だから、休みの日など野球やサッカーなどでみんなで楽しんでいました。



 ところが、ここまでは、順調にきた高校生活もある事件で、生活が一変します。



 いよいよ受験という3年生になってまもなく、夜、突然下宿を放出されるという出来事に巻き込まれます。


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高校時代・・・下宿

2011年02月08日 | Weblog
中学受験の様子を書きました。そして、それから高校進学へ。その当時、耶馬溪の中学校からの中津市への進学者のうちの半分くらいが寮や下宿に入っていました



 高校へと進学が決まりました。高校へは姉たちも寮生活でした。寮・・・このことについては、またこの次、話しますね。



 それで、友だちと一緒の下宿に入りました。下宿は、金谷というところにありました。その下宿に入るためになんと面接もありました。


 おじさんとおばさんが経営をしていました。伝統ある?下宿でした。というのは、現在、日本文理大学にある「キャラハン邸」という家を下宿にしていました。下の写真は、文理大学に移転してからのものです。


 当時はそんな歴史のある建物だとは思っていなかったのですが、インターネットによると、


「大分・熊本・宮崎・鹿児島. 布教の為に来日した米人宣教師、W・J・キャラハンにより中津市に建てられたアメリカ式住宅。
キャラハンの指導により日本人大工が建てたものと伝わります。 正確な建築年代は不明です。」
と表現されています。下の写真は、当時のものです。自分たち学生は、2階に住んでいました。


 朽ちてきてどのように保存するか話題になった建築物です。そして、日本文理大に移転されました。移転される前は、その建物は、下宿だったのです。


 青春時代の思い出の下宿生活です。男子ばかりの下宿。進学を目指している人たちが入っていました。だから、意外と規則や学習に対して厳しかったです。それでも目を盗んでは、高校時代を楽しみました。


 教員になっている人も多く、今でもそこで一緒に生活したということで、つきあいも深いです。



 下宿は、縦社会が強いところでした。先輩には絶対服従。



 先輩に「○○くん。」なんて言おうものなら、「先輩に【くん】とかいうのか。【さん】だろう」と厳しくしかられます。でもそんな縦の生活が今では、生かされているような気がします。




 おじさんとおばさんの二人によって、経営をしていました。おばさんが10人を超える食料を買いに行っていました。食材はすごい量でした。食べ盛りですから、作る方も大変です。厳しいおじさんと優しいおばさんで、バランスの取れた夫妻でした。



 キャラハン邸での生活を何人かに分けて紹介をしますね。

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中学時代の受験の頃

2011年02月07日 | Weblog
今日から、高校入試も公立高校推薦入試へと移っています。学校へは、引率した先生から、受験する生徒が受験会場に入ったという電話連絡がありました



 今、高校入試の真っ最中です。進路決定に向けて生徒たちも真剣になっています。


 ところで、少し自分の受験のことを話します。今から、何年前でしょう。当時は、耶馬溪の中学校でも1学年で200名以上いました。今は、3学年合わせても100名ちょっと。すごい激減です。確かに今は、至るところに空き家も多いです。



 今考えると、入学試験の時期、先生たちも大変だったと思います。なぜかというと、中津市内の高校を受験する生徒は学校のみんなで泊まっていたのです。現在は、たいがいは、親の送り迎えですけどね。



 150名近くの生徒が前日、バスに乗って、中津駅の近くの旅館に入りました。学校ごとに下見をします。旅館の中は、150名近くが泊まるので、ごった返しています。

 
 生徒数も多く、校区も広いし、雪などの心配もあったので、このような形をとっていたのでしょう。旅館でみんなで勉強したり、話をしたりとにぎやかな前夜を過ごしました。緊張感なし。



 試験は、旅館から、学校ごとに別れて出発です。遠い学校は、バスで送っていったと思います。



 受験が終わりまた、中津駅の北口に生徒が全員集合します。



「よおここまでがんばってきたの。努力をすることの大切さをこれからも覚えておけよ。」
と国語科の先生がバスの中で話していたことを今でも覚えています。



 受験の合格者発表は、受験校や新聞販売店の前などに張り出すこと、新聞に掲載される、ラジオで名前が出る・・・など今では個人情報保護などで考えられないのですが、いろんな方法がとられていました。


 そもそも学校ではテストがあるたびに長い模造紙に順番がはりだされます。1番から50番くらいまでの人の名前が習字で書かれています。すごい時代。



 ある意味、厳しかったけれど、今では懐かしい思い出ですね。

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ちょっとした心づかい

2011年02月06日 | Weblog
いろんな角度から人柄を知ることができるなあってそんなことを思います。自分自身が学ぶことも日々多いです



 昨日、外食をしました。どこで食べようかと迷いながら、ショッピングセンターを探していると、おいしそうなところは、夕飯時はやっぱり人も多いです。



 最初に回っているとき、ある店があり、「ここがいいなあ。」と思っていたら、「待ち時間15分」と書いていました。しばらく買い物をして、また回っていると、待ち時間の札が出ていませんでした。急いで中に入りました。店は、お客でいっぱいでした。


 家族が足が悪いので、ショッピングセンターでは、車いすを利用しました。
 


 若い男性の店員の方が対応をしてくれました。

「奥の方に入ると大変なので、入り口近くの方がいいと思います。」


と案内をしてくれました。


「車いすは、私がなおしておきます。」


その言葉や対応が、その店のマニュアルに沿ってではなく、その店員の方の人柄だと感じました。



 食事を済まして、レジで食事代を支払いました。「車いすはどこだろう。」と思い、入り口のところに行くと、さっきの店員の方が帰ろうとする姿を見つけたのでしょう。



 車いすを用意して笑顔で待っていてくれました。サービスなのかも知れませんが、その店員の方の自然にできる行為に感動しました。



 たくさんの客がいる中で、一人ひとりの客のことを考えてくれています。優しさとか思いやりっていうのは、こんなことなんだろうなあと思いました。自分には足りないものを感じさせられました。



 昼間は春の陽気でした。しかし夕闇に包まれ、風も冷たくなる中で温かい気持ちで帰路につきました。

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入試も公立高校へ

2011年02月05日 | Weblog
いよいよ高校の入学試験も私立高校から公立高校へと移っていきます。今日、土曜日も受験する生徒が登校してきて、月曜日にある公立高校推薦入試に備えていました



 1月の中旬から私立高校入試が行われていました。高校入試も本格的になってきています。それにともなって少しずつ、進路が決定した生徒が出てきています。 


 そして、私立高校の推薦、一般一次入試が終わり、ついに入試も公立高校へと移っていきます。月曜日は、公立高校の推薦入試が行われます。



 推薦入試を受ける生徒たちは、土曜日にもかかわらず、学校に出てきて、最後の論文を書く練習と面接の練習を行っていきました。



 私立高校を専願とする生徒は、早めに決まりますが、公立高校をめざす生徒たちにとっても長い受験のシーズンです。今までとは違った「試練」です。


 大学試験はもっと過酷です。国公立の後期試験まで受験がもつれ込んでいくと、センター試験から、後期試験まで相当な期間があります。我が子も後期試験を受験したのですが、すでに決まった生徒は、仮卒で学校に来なくていいのです。クラスで後期試験を受ける生徒は、その時、2名でした。教室で2名で学習をしていたといいます。他の生徒は進路が決定している中で、相当なプレッシャーだったと思います。




 でもそういういった自分の努力で、進路を進めていくという経験は、大切なことだと思います。分からないところは、人に聞いたりしても、最終的にがんばっていくのは、受験する本人です。合格するために努力をしていきます。苦しんだ人は、苦しんだ人なりに喜びと自信も格別でしょう。


 昨日も生徒たちは何度も何度も文章を書いたり、先生を相手に面接の練習を行ないました。あさっては、生徒たちは、県下のいろんな高校へと向かいます。



 最近の気候は先週までとは違って春らしい陽気になっています。


 3年生の生徒たちにも早く春が来ることを祈っています。

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卒業式の取り組み

2011年02月04日 | Weblog
卒業式に向けての取り組みが本格的になってきています。卒業式実行委員会や卒業式係別集会などが開催されています。全校壁画などの原画も完成。これから原画から壁画へと作成は、移っていきます。生徒たちも思い出に残る卒業式にしようと頑張っています



 3月4日(金曜日)が大分県のほとんどの中学校の卒業式になります。3年生の生徒たちは、卒業していくということと、受験という2つの大きな節目の行事、試練があります。これから、それに向けて、しっかりと取り組んでいくことでしょう。



 こういった節目の行事を大切にしていきたいものです。ふと、自分のことを思い出そうとすると、自分が中学校や高校時代の卒業式ってどんな卒業式だったのかなあって思うと・・・今は、生徒たちがいろいろと取り組みをしながら、みんなで創りあげるといった感じの卒業式になっています。
取り組みもいろいろとあります。


◇壁画づくり
 壁画を作成しています。今は、原画を作っています。原画担当の生徒が、よく職員室で先生たちと案を練っているのを見かけます。原画から、今度は大きな紙へとパソコンを使いながら写して、全校みんなで手分けをしながら作業を進めていきます。できあがりが楽しみです。



◇卒業生呼びかけ、在校生贈る言葉
 卒業式の練習が今月の中旬過ぎから少しずつ行われます。そのために、音楽の時間を中心に歌の練習をしています。廊下を通っていると、歌声がきこえてます。なんとなく「あ~卒業式なんだなあ。」という雰囲気を漂わせます。呼びかけなども現在制作中で、生徒たちの思いが呼びかけに出てきます。




 そのほかにも、直接、卒業式とは違うのですが、今日は、3年生の先生たちが、卒業アルバムの最後のチェックを、写真店の方と行っていました。
 



 ちょうど、一ヶ月後の今日、卒業式が行われます。2月は28日までなので、一ヶ月ごとはいえ、いつもの月より、早くやってきます。「寂しさ」と「門出の喜び」が交錯する時期となります。卒業生も在校生もいい形で生活をしています。




 卒業生は、進路決定をしていく中で、残りの生活をうんと充実させて欲しいですね。

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