かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・綴っていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

初春の夜明け

2008年02月28日 | Weblog
 五馬中学校に赴任をしてきて、一年が過ぎようとしています。

 五馬の土地は、初めての人にとっては、複雑です。ちょっと道を間違えると、わからなくなってしまいます。赴任をしてきた当時、帰るとき暗くなっていたので、道に迷い、別荘の敷地に入ったことがあります。同じ道幅で分かれ道があるので、迷ってしまいます。ナビをつけていてもなんとなくわかりにくいところもあります。 
 しかし、月日が過ぎるごとにしっかりと道や地形を覚えました。人間かったかくんナビができあがりました。


 以前このプログで通勤途中から見える玖珠の方の風車の風景を載せました。通勤途中、または、学校の周りには、いろんな自然の美しさを見ることができます。

 今、葉が落ちて、枝だけになった木がいたるところにあります。通勤路にもあります。それが朝日に当たって、空のオレンジ、ブルーと逆光になった枝の茂みのコントラストがとてもきれいです。通勤路のものが一番きれいです。今日、それをカメラで収めようとしたけれど、道が狭いので、対向車が来て車から降りることができず、断念。しかし、学校の駐車場にも同じような木があります。それを写真に収めました。

 なんとなくいいでしょう。朝日が昇るところです。こんなきれいな風景を見ると、ほっとします。今日は、写真をとったあと、職員室に入らず、その美しさを
しばらく見ていました。

 近くには、木くずを燃やしているところがあります。その木のにおいが漂ってくるのがまた趣があります。

 日が昇り、この写真の幻想が終わる頃には、生徒たちの元気の良い登校の声が聞こえてきます。その時、五馬の地は、静から動へと時間は移り変わります。


昨年の思い出

2008年02月27日 | Weblog
「五馬の風」の中にも載せていますが、孫の一人が昨年結婚をしました。残念ながら、母は結婚式に行くことはできませんでした。しかし、孫夫妻から、声つき、写真付きのかわいく並んだ新婚さんの孫の年賀状が送られてきました。

 きっと、父が生きていれば、また母が元気でいれば、真っ先に結婚式に駆けつけたことでしょう。それが、できなく母のタンスの上に連れ合いが母が見やすいように置いています。母がどれくらい理解できているかわかりませんが、でも孫の気持ちは、伝わっています。

 また、姉からも、この3月のひな祭り用に、母と父が一緒に写っている写真が貼られた雛飾りが送られてきました。これはひなまつりの音楽付きです。先日母のところに持って行きました。孫の写真の横に飾りました。

「今、おじいちゃん、どこにいるのかね。」

とふっと母がそんなことを口にしました。まだ、母の中では、父がどこかで生きているのです。笑顔で幸せそうな二人の写真です。お内裏様とお雛様です。

 話が変わりますが、孫の結婚式が昨年の5月に行われました。姉夫婦の双方のきょうだい、いとこが横浜に集まりました。こんなことでないと、なかなか遠出ができません。横浜までは行くことはできません。楽しい旅行も兼ねることができました。

 
 その前の年は、一番上の姉の子どもの孫が結婚。釜山で式を行いました。これまたみんなで釜山まで行きました。結婚式は、ちょうど、きょうだいのこどもたちが年頃なので、たくさんあります。でもおかげをもちまして、いろんなところに旅行に行けます。かったかくんの子どもにも

「どこか遠くでしていいよ。」

なんていうことを言っていますが、どうなることか。まだまだ先になりそうです。

 横浜では、ランドマップタワー、中華街、横浜球場、山下公園、北朝鮮の撃沈した船の展示館・・・いろんな横浜の名所を、みんなでまわりました。
きょうだい、いとこがそろうのも、それぞれが生活を持っているので、そんなにありません。みんなが仲がいいのが何よりです。
夜は、夜景がきれいなレストランで食事をしました。昨年の一番の思い出です。また結婚式もいいムードでした。

 自分たちが結婚したのが、この間みたいですが、いつの間にか、子どもは、自分が結婚した年を過ぎています。時がたっていく早さをすごく最近は、感じます。
 今年は、だれが結婚するのだろう。と思いながら、この文章を書いています。

姉がブログを見て・・・
 「父探す ベッドの母に 千の風」

ある教えた生徒の電話から

2008年02月26日 | Weblog
 「先生、本をありがとうございました。」
とかつて中学校で担任をした生徒から電話がありました。その人は中学校の先生をしています。その職場の先生に頼んで、かったかくんが書いた「たいせつなもの」を送りました。先生をしているということ、そして、その人自身の小学校時代のことも載せているということで送りました。

 その人は、小学校6年生、中学校1,3年生の担任でした。中学校2年生の時は、学年担当をしていたので、クラス担任はしていませんでしたが、同じ学年でした。かったかくんが最後にクラス担任をした生徒の一人です。縁が深いです。

 その人が進路を決定するときのことを思い出します。電話でも話をしました。バレー部に所属をしていました。セッターで主将。しかし、身体能力はあるのだけれど、バレーをするには、身長が低いので、違うスポーツをしたいというのです。

 一緒になっていろいろ考えました。大分県で強いスポーツの中でも、国体にもつながっていく部を探しました。あるスポーツに興味を示し、お家の方と一緒に3人で大分市の高校に部活動の見学に行きました。監督の先生のアドバイスもあって、その監督のもとで、部活動を始めることにしました。

 しかし、いざ願書提出の直前に、職員室にやってきました。不安だということで進学を変更したいと涙を流しました。当時、サッカー部の顧問の先生(もと大分トリニティ主将)が、

「せっかくのチャンスだから、夢を追わないか。それは、みんなができるというものではないんだから。」

などという言葉もあり、受験。サッカーを通じていろんなことを経験している先生の言葉には重みがありました。合格。そして、進学をしていきました。

 いくどか試合や練習を見に行きました。3年間やり抜きました。相手がやりにくいように、右利きからサウスポーに変更もしました。大学進学、そして、昨年、

「先生、日田の中学校に臨時講師で勤めます。」

との突然の話。

 「日田は、遠いけれど、頑張ってね。」

しかし、数日後、なんとかったかくんも日田に赴任が決まりました。今は、日田の中学校に勤務しながら、大分国体に向けてトレーニングを積んでいます。勤務している学校のグランドに立って、体育を指導している姿を時々車から見かけることができます。自分のスポーツの練習も毎日頑張っているそうです。12月の全日本大会では、ベスト8に入っています。

 将来のことをその人なりに一生懸命に考えていることを聞きました。また職場などで多くの人に支えられていることも聞きました。目標をもって、努力を突き進んでいることに羨望を感じました。

「先生、中学校の頃楽しかったなあ。みんな思春期なんにまとまっちょったね。自分が先生になって、いろいろ大変なこともあるけれど、やっぱり先生を続けていきたいよ。」

 明るく元気のいい声で、話してくれました。うれしい電話でした。教えた生徒が同じ先生としての土俵にいることも幸せに感じます。



おれに任せておきなさい

2008年02月25日 | Weblog
 「先生、明日、学校をきれいにするために行くからね。」

とシルバー人材で派遣をされている方から電話が日曜日にありました。

 月に2,3回派遣をされて学校に来てくれています。学校の環境整備にプライドをもって、きれいにして下さっています。口癖は、

「絶対、他の学校に負けないからね。」

です。そのくらい一生懸命になってくれます。
 今日は、

「来月の7日は、卒業式だから、校舎と校舎の間をきれいにしておこう。子どもたちも喜ぶだろうね。」

と、プレハブ校舎、2棟の間のスペースの草をきれいに取ってくれました。

 そのスペースは、かなり広いです。3年生の教室を出たら、よくみえるところです。すでに今までに何度か取ってくれているので、草があまり生えていません。

 プレハブ校舎を建てるとき、建設会社の方たちが、この間は、「草がぼうぼうになるだろう。」「水はけが悪いので、見栄えが悪くなるんじゃないかな。」
など言っていました。しかし、環境整備をしてくれる方のおかげで、ひと夏、本当にきれいな空間でした。
 
「わぁ、きれいになっている。」
「ここに花を植えたらいいかも知れないね。」
など通る生徒たちが口々に言っています。
「ありがとうございます。」

と、環境の方に感謝をする生徒も。生徒から、感謝されるのが一番うれしいようで、顔がほころびます。

 この方は、五馬にあるたくさんの別荘などの手入れなどもしています。

「子どもたちが好きだから、ボランティアのつもりで来ているんです。どこにも負けないきれいに学校にしたいんです。」

人の手も借りたいほどにいろんなところの整備をしています。でもそんな子どもへの思いをもって、学校へも来てくれています。

 今日は、草を取った後に、器具を使って、ならしてくれていました。

「卒業式前に体育館の周辺もきれいにしておかないとね。」

 生徒たちにきっと整備する方の愛情が伝わることでしょう。寒い中、一日ありがとうございました。


あたたかな祝賀会

2008年02月24日 | Weblog
 夜、親戚の方の3つのお祝いの会が行われました。参加をしながら、いろんなことを学びました。


3つのお祝い。

◇ 還暦のお祝い
◇ 『野球林』の本の出版祝い
◇ 春の選抜、甲子園大会の出場のお祝い


 昨日、叔母の家で、その方、そして、その方の家族と一緒に「フルスィング」の最終回を見ました。高畠先生が最後に、

「『氣力』ってなんだろう。」

と生徒に問いました。生徒は、「根性」「頑張ること」など答えていきました。高畠先生は言いました。

「わたしは、あきらめないことだと思います。9回ツーアウト、ランナーなしからでも何点差があってもあきらめないこと。」

 監督をしている高校の数年前の夏の甲子園大会予選。準決勝。相手の高校との戦いをみんなで思いだしました。9回、ツーアウト、ランナーなし。相手ののピッチャーは、プロ野球でドラフト1巡目で指名されたほどの投手。だれもが敗戦を覚悟しました。
 しかし、そこから底力、今までのトレーニング、運・・・すべてを出し尽くし、1点返し、そして、ついに4点を返し逆転勝利を得ました。スタンドは歓喜の渦でした。だれがそこから逆転を予想したでしょう。決勝は、その勢いで勝ち、甲子園大会に出場しました。その話を一緒に思い浮かべながら、みんなでこたつに入り見ました。


 指揮官、選手、応援が一体となったチーム。指導のすばらしさを感じました。その指導を今までに応援してきた、見てきた人たち、受けてきた人たちが今日、集まり祝賀会を行いました。

 生徒一人ひとりを大切に指導をしてきたことが、かつての保護者の涙から理解できましたし、家族の温かい支えを雰囲気から感じることができました。

 病気も克服しました。どれほど家族の方々が心配をしたでしょう。それこそ、『氣力』です。あきらめずに現場(グランド)復帰をめざし突き進みました。その中での甲子園出場、『野球林』の出版・・・そして何よりも命あっての還暦の祝い。

 外は雪が降るような寒さでしたが、中は、先生をお祝いする温かさが充満していました。心からおめでとうございます。今、梅の花が満開です。春の訪れです。とともに春の中で、甲子園での活躍を期待しています。

叔母の家に

2008年02月24日 | Weblog
 夕方、風呂の掃除をしている時に、高校で野球の監督をしている親戚の方が叔母の家に行こうという電話があって、一緒に行きました。

 叔母も80歳を越えていますが、元気がよく嬉しく感じます。叔母は、近所に住んでいるので、父が生前中、つながりが深かったです。幼いときから、父や母に連れられて叔母の家に遊びに行っていました。また叔母も遊びに来てくれていました。

 しかし、叔母も数年前、弟の父が亡くなりました。叔母もたよりにしてくれていました。もちろん父も叔母を大切にしてきました。

 そして2年前、叔父が亡くなりました。病気と闘う叔父のために手厚い看護をしてきました。わずか何年かの間に一緒に時代を生きてきた人たちが周りにいなくなってしまったことは、きっと人には伝えていないけれども想像を絶するような気持ちがそこにあるでしょう。自分が同じ立場になったと思ったら・・・耐えられないところです。

 母のところにお見舞いに行ってくれたときに、母の体調が悪かったのでしょう。叔母のことがはっきりと認識できなかったときがありました。

「なんとも言えない気持ちやったね。」

と叔母が言っていました。せめて母が元気がよかったらと思います。でも周りの人たちにとって、叔母が元気でいてくれることの存在感がとても嬉しい気持ちです。
叔母の子どもさん、つまりいとこたちのほとんどは、近くに住んでいます。すでにひ孫もいます。よく叔母の家に寄っています。
 一人になってしまった叔母をすごく大切にしています。みんなが叔母のことを気遣い大切にしています。

 
 叔母は、父の顔によく似ています。父が叔母に似ていたのかも知れません。叔母に会うたびにそれを感じ、父を思いだします。「生きているときには、いろいろしてもらったからね。病院にもたくちゃんたちと一緒につれていってもらったね。」その時を思いだすかのようによく話をしてくれます。

 健康で元気でいて欲しいと願いながら、昨日は、楽しい時間を過ごしました。



能面教室開催

2008年02月23日 | Weblog
 午後から、1年生を対象にした能面教室が開かれました。興味があって、最初から見させていただきました。大山町から講師が来てくださり、講義などをしていただきました。

 義理の父が謡をしています。何度か宇佐神宮の舞台での能楽を見たことがあります。しかし、学習として間近で見るのは初めてです。

 講師は、能面を作っています。作るきっかけとなったのは、宇佐神宮に行かれたとき、能面を見て、感激をしてからだそうです。鳥肌が立ったそうです。それくらい能面との出合いはインパクトの強いものがありました。20代後半からというので、40年間掘り続けています。

 能面というのは、能の舞台でしか生きられないそうです。だから、能面を作るためには、能(仕舞)を知らなければなりません。

 能を知るためには、謡を知らなければなりません。
そのために、仕舞や謡にも通じている講師です。ふだんは、学校に電気関係の仕事でよく来るのですが、また袴をはいたいつもとは違う講師の方を見ると、凜としたものがあります。


 実際に能面を持ってきてくれていました。
般若の面には、目は「悲しみ」、口は「怒り」を表しているそうです。離反したものが能面にはあります。また、「能面」とは、一般的に無表情なことを言いますが、しかし、能面ほど表情があるものはないとも言いました。確かにちょっと面の角度を変えるだけでも見ている方にとっては、表情が違ったものに見えます。日本独特の文化の多くを自分自身知らないままに過ごしてきました。

 もちろん、強制的に日本文化を学ばされるのには、抵抗があります。しかし、もっと私たちが受け継げるものはつないで行く必要があるのではないかなと感じました。

 能面の木は、木曽の檜が使われているそうです。樹齢300年のものを利用します。木の魂にお礼を言いながら彫っていきます。

 能面の歴史、能面から、仕舞、謡いなどの説明をしてくれました。実際に能面をつけたり、謡いの「高砂」を講師のあとをつけてうたったりました。

 講師は、「わたしたちの日本の伝統の文化を忘れてはならない、守っていかなければならないものがある。」と授業の最初で話した後、授業の終わりには、「続ける」「伝える」「つなげる」ということを大事にして、今、講師の方は、継承をしていっているということで授業をまとめました。

 味わいを感じさせる時間でした。



見つけた童話

2008年02月23日 | Weblog
 学校においているファイルの中から、姉が書いた童話が出てきました。紙もちょっと古びて懐かしい童話でした。ふと読み返してみました。あの頃の様子が思い浮かんできました。
 熊本の大学病院に数年入院をしている連れ合いのところに、子どもを連れて、行っている時に、バスが流していたOBSラジオから、童話が流れてきました。聞いていると、何か、自分の状況によく似ていると思っていました。連れ合いの病気のことでした。童話の作者を最後にアナウンサーの方が紹介した時に、そのの童話は姉が書いたものだとわかりました。すごい偶然でまた内容が内容だけに驚きました。

 子どもが横にいるので、涙がこぼれ落ちるのを、歯を食いしばって我慢したことを、バスから見える景色を、子どもたちの顔を・・・今でも鮮明に、覚えています。
 
時間があるときに、読んでみて下さい。上の子どもの気持ちをテーマにしたものです。


            健くんのじゅぎょうさんかん日

 健くんのおうちは、おじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、おかあさん、健くん、そしておとうとのたくちゃん・・・と六人かぞくです。

 でも、いまは、いまは・・・五人しか、おうちにいません。おかあさんはとおくのびょういんににゅういんしているんです。

「さみしいだろうけど、ほんのちょっとだけだから、たくちゃんとなかよくるすばんしていてね。」

っていって、ちかくのびょういんににゅういんしていたんだけど、それからまたとおくのびょういんにかわって“ほんのちょっと”が“ずっと”になって、もう十ヶ月になってしまいました。

 ちかくのびょういんにいるときは、ときどきおみまいにいけたけど、いまのびょういんはとおいからほんのたまにしかいけません。

 おかあさんにあえないのは、さみしいけど、おじいちゃんやおばあちゃんがなんでもしてくれるし、おとうさんはべんきょうをおしえてくれたりあそびにつれていってくれたりするし、たくちゃんはおもしろいことばかりいっているし、みんなであかるくがんばっています

 きょうは、健くんのじゅぎょうさんかん日です。健くんがちょっととくいでちょっとにがてなさんすうのおべんきょうです。そろそろおかあさんたちがやってきました。健くんは、きんちょうしてこくばんのほうをみています

『おばあちゃんきてるかな・・・?』

健くんがそっとうしろをふりかえると、きれいなようふくをきたおばあちゃんがにこにこわらいながら、

『がんばって!』

って、声をださないでくちだけうごかしていいました。

『きょうのおばあちゃん、すごくおしゃれだな・・・』

健くんは、にこっとしてまた、まえをむきました

でも・・・

『おばあちゃんもいいけど、おかあさんもきてくれたらな・・・』

 健くんがそうおもったとき、目のおくからなみだがぽろん、じゃなくてポ・・・って、一ミリぐらいでそうになりました

『あっ、たいへん・・・』

 健くんはみんなにわからないように、あわててまばたきをしました

 シュバシュバシュバジュバ・・・

ちょうスピードで、いっぱいいっぱいいっぱいまばたきをしたので、目がぼしょぼしょピュルーンとなってしまいました。


『だれもぼくがなきそうになったのにきがつかなかったかな・・・?』

 健くんが、気になってぐるっとまわりをみまわしたとき・・・

『あっ、あれっ・・・! おかあさんだ・・・!』

 おばあちゃんのよこに、おかあさんがにこにこしながらたってこっちをみているんです。健くんと目と目があうと、おかあさんは、

『きてるよう!』

って、おばあちゃんみたいに口だけうごかしながら手をふってくれました。

『わぁい、おかあさんがきてくれたんだ!』

 健くんは、おおはりきりです

「はじめまーす!」

みんなでげんきよくあいさつをしておべんきょうをはじめました。

「このもんだいわかるひと?」

「はあい!」

健くんは、おおきなこえで手をあげました。

「げんきいいわね、はい、健くん。」

「8こです。」

「はい、よくできました。」

健くんはとくいそうににこにこしています。

「おかあさん、みてくれてかな?」

・・・

「はい、ではつぎのもんだい、これがわかるひと?」

「はあい!」

「あら、健くんだけ?ほかのひとは?」

みんな、シ~ンとしています。

「じゃあ、もういっかい健くんどうぞ!」

「六人です。」

「はいそうです、すごいわね。健くんはりきってるね。」
 
 健くんの大かつやくでじゅぎょうがおわりました。

♪キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン
キ~ン コ~ン カ~ン コ~ン♪

『おかあさんほめてくれるかな?』

・・・

健くんがにこにこしてふりかえると、

「お・か・あ・さ・ん・・・」

 おかあさんは、いません。おばあちゃんがにこにこしてたっているだけです。

「おかあさ~ん!」

 健くんはおおごえでさけびたいのをぐっとがまんしました。

『おかあさん、どこにいったんだよう!』

 かえるよういがおわって、いそいでおばあちゃんのところへいくと、

「ねえ、おかあさんはどこへいったの?」

健くんは、おこったようにおばあちゃんにききました。

 すると、おばあちゃんは、

「えっ、おかあさん?・・・おばあちゃんは、健くんばかりいっしょうけんめいみてたからきがつかなかったけど、きてくれていたか
もしれなね。」

って。健くんのかおをじっとみながらやさしくいいました。

 健くんはもうそれいじょうきかないで、こころの中で、

『おかあさんどこへいったのかな、びょういんへかえっちゃったのかな・・・?』


ってずっとおもいながら、おばあちゃんとてをつないでおうちにかえりました

 おうちにかえってランドセルをおくと、いそいでおかあさんをさがしました。ちゃのま、だいどころ、トイレ、おざしき、おうせつま、にかい・・・でも・・・いません。るすばんをしていたおじいちゃんとおとうとのたくちゃんに、

「ねえ、おかあさんかえってこなかった?」

って、そっときいてみました。おじいちゃんは、

「さあ、どうかな。おじいちゃんは、たくちゃんとおひるねをしていたからきがつかなかったなあ。」

って、わからないかおでいいました。


「ぼくとおじいちゃん、いっしょにおひるねねちてたもんね、ねっ、おじいちゃん。」

 たくちゃんもぜんぜんわからないかおをしていいました。

「きょうは、健くんとってもがんばっておべんきょうしてたのよ。おじいちゃん、
たくちゃんほめてあげて。」

って、おばあちゃんがいうと、おじいちゃんが、

「そうか、そうかよくがんばったんだなあ、健!」

ってあたまをなでてくれました。たくちゃんも、

「おにいちゃん、えらいえらい!」

って、“あたまなでなで”をしてくれました。健くんは、とってもいいきぶんです。

『でも、おかあさんどこへいっちゃったんだろう・・・?』

健くんは、ランドセルといっしょにじぶんのおへやにいくと、びんせんをだして
おかあさんにおてがみをかきはじめました。

『おかあさんへ

 きょうはわざわざきてくれてありがとう。
 ぼくは、とってもうれしかったです。
 だからいっしょうけんめいがんばっておべんきょうしました。

 おかあさん、みてたでしょう。

 でもどうしてすぐかえっちゃったの?
 だけどぼくは、おかあさんがすごくげんきそうだったから
 うれしかったです。

 このつぎのさんかん日には、もっともっとげんきになって
 きてください
 
                      健   』



 って、そんな童話が、予期もしないときにラジオから流れてきました。それもお見舞いに行っている途中に。

姉の温かい気持ちも感じました。またがんばらないと・・・という強い気持ちもおこりました。

 あのころ、子どもも夜は、夢の中で、まぼろしで一緒におかあさんのぬくもりを感じながら、寝ていたことでしょう

 つれあいもあれから月日がたち、障害をもちながらも、教壇に立っています。

家族にとっては、先が見えない長い月日でしたが、それぞれの子どもたちも、母の愛情を感じながら、20歳(はたち)を超えていきました。この童話は家族の歴史であり、宝物です。



        

                  

実践総合センターの発表会

2008年02月21日 | Weblog
先週の金曜日に、大分大学教育福祉科学部実践総合センターの発表会が午後から行われました。

 かったかくんは平成12年度の一年間客員研究員でそこで勤務をしていました。かけがえのない貴重な一年間でした。パソコンがほとんど扱えなかったけれど、いろんな体験から、授業で指導できるまでには、学習を積むことができました。また、当時の教育実践総合センターのセンター長が大分大学の心理科の先生でした。先生の指導から、学校心理士の資格を取ることができました。


 現場を離れた中で、大分まで通うことは大変でしたが、それ以上に得るものが大きかったです。

 先週の客員研究員の発表は、6人が行いました。道徳、国語、特活、社会・・・と様々な発表でした。どのレポートの発表内容をみても、実践センターとして、理論研究と、いろんな学校に行かれて授業で検証をしている実践と交えて、レポートづくりをしていました。充実した内容でした。また発表の仕方もかなり練習をしているのだろうと感じました。プレゼンテーションソフトを使いながら、わかりやすく時間通りに発表をされていました。前の日は、朝の3時まで練習などを重ねたと聞きました。

 わずか一年ですが、現場を離れた中で、研修を深められたことは、きっと何かの形でこれからの指導の中で生かされることもあるでしょう。

 夜は、かつてここで研究をしたことのある同人の方たち教育研究会の総会と懇親会が持たれました。懐かしい方やお世話になってきた方とお会いできたり有意義な時間でした。


 勤務当時の専任の教官は、かったかくんが大学時代の下宿の大家さんでした。縁があって、付属中学校での教育実習では、担当教官でもありました。また野球部の顧問でもありましたので、時には実習中に野球部の指導に出させていただきました。そして、実践総合センターでの再会。またまた専任の指導教官でもありました。

 今では、春には、旦野原の先生の山に毎年たけのこができると、呼んでくれます。草一本もないほどきれいに手入れされています。


 また三光中学校の道徳の研究でスーパーバイザーをしていただいた先生にもお会いできました。いろんな思い出話にも花を咲かせました。一年に一度のこの総会ですが、楽しみにしています。




3年生とのお別れ球技大会

2008年02月20日 | Weblog
 昨日の5,6時間目に3年生のお別れ球技大会がありました。バレーボールです。各クラスでチームを作って、リーグ戦で戦っていきます。学年1クラスしかないので、全学年対抗です。五馬中学校方式のルールにのっとって実施をされます。保体委員会を中心に企画をされました。

 開会式の時に、校長先生がいなかったので、代わりに話をしました。

 2つの話でした。

①お別れ球技大会とは関係ありませんが、ある方から、「五馬中学校の生徒さんは、歩いていると声をかけてくれます。そのことに感謝をしています。」と言われました。あいさつをして感謝をされる・・・「感謝」という言葉。もちろんその方の人柄もあると思いますが、あいさつは、それくらい、人と人との関わりの中で、大切なものです。あいさつをして感謝をされる・・・そんなみんなは素晴らしいと思います。


②卒業まであと18日。学校に来る日数は、14日です。残された3年生との生活の中で、すばらしい思い出を作ってください。それが今日のお別れ球技大会でもあると思います。みんなで楽しんで、寒い体育館に熱気を漂わせて下さい。


ということでした。
 体育館が歓声に湧きました。1年生が3年生を破ったり、3年生が貫禄を見せたり・・・楽しく時間が過ぎていきました。ミニバレーボールをしている生徒もいて、鋭いサーブを打つ女子もいます。また男子の半分くらいはバスケットボール部に所属をしているので、ジャンプ力があります。すざましいスパイクをときおり放ちます。

 3年生は、すでに進学先を決めた生徒もいます。しかしほとんどの生徒がこれから受験に臨みますかったかくんが五馬中学校に来てから、3年生ともいろんな思い出ができました。あと一〇日あまりということで寂しさを感じます。ちょっとシャイなところもありますが、心優しい3年生です。

 一年生のある男子が、

「がんばれ!三年生。」

と一生懸命に大きな声を出して応援をしていました。

「しっかり応援しているね。」

と言うと、

「三年生がもうすぐ卒業だからね。」

さすがに優勝は、三年生の班でした。楽しく体を動かした午後の時間でした。



地域の会議に

2008年02月19日 | Weblog
 昨日の夜は、五馬中学校学力向上会議が開かれました。

 学力向上委員、PTA役員、先生方代表、校長、教頭・・・合わせて、14名が参加をして、五馬中学校のこの一年間の学力向上のための取り組み、そこから今後の取り組みなどを話し、方向性を見いだしていきました。

 五馬中学校では、ペンだこタイム(放課後の学習)、授業法の工夫などを行っています。また、その他にも、長期休業中の学習、家庭学習の工夫など様々な取り組みの中で、学習の力をつけようと生徒も先生方も努力をしています。

 先週は、「学びを大切にするキャンペーン」ということで、生徒自身の中から、授業中の規律なども考えています。五馬の生徒たちは、地域的にほとんどが塾に行きません。学校での学習が中心となります。それだけに学校でのウエイトが大きくなります。先生方も地域の要望に応えようと、伝統的にいろんなことにチャレンジもしています。

 ・英語検定  ・漢字検定

多くの生徒が、休み時間などにも努力をしています。
 そんな、姿を地域の方も見てくれていて、昨日は、そのがんばりを賞賛してくれています。


 学校としては、学校だけの学習に終わらず、

①家庭学習時間を増やす。

また、時間差が大きい、

②読書時間を増やす。

等にも力を入れていくことが今後の課題となっています。それをどのように克服していくのか、学校でも、アンケートをとったので、これからの改善策を考えていきます。

 昨日は、生活面で、

①あいさつが最近良くできている。
②並進して自転車に乗って、下校する生徒がいるので、危険。


という話題にもなりました。一つしかない命です。自転車については、放課後、先生たちが地域に出かけて毎日指導をしています。次第に直っています。
 なごやかに、また真剣に話し合いを進めていきました。五馬の生徒たちが、心も、体もそして、広義の意味の学習力もつけて大きく成長していって欲しいと願います。

 終わった後、PTAの役員さんと遅くまで楽しく雑談をしていました。もうすぐ任期も切れますが、どの役員さんも心配りをしてくれて、リーダーとなってすばらしい活動をしていただきました。みんながまとまっていました。役員会など楽しく過ごさせていただきました。その意味で一年が過ぎるのが寂しく感じます。感謝でいっぱいです。写真は、体育大会(健脚祭)のあと、みんなで楽しくにぎわうPTAの方々です。


ドラマのおすすめ

2008年02月17日 | Weblog
 かったかくんは、ずっと、NHK大河ドラマのファンです。

 歴史物を見るのが大好きです。見ていると、自分がその時代の中に生きているような気がします。

 「新撰組」があったときは、壬生の屯所跡まで行きました。今は静寂とした屯所あと。兵どもが駆けめぐったことを想うと、ぐっと鳥肌がたちました。芹沢鴨が襲われた時の刀の跡が柱などにありました。お茶を出して頂きながら、(もちろん有料・・・入室料に入っています)感慨にふけっていました。

 毛利元就」の時は、宮島に行きました。
 なんと、「義経」の時は、雪が降る中、鞍馬山に登りました。義経が幼少の時に訓練をしていたと言われる木の根道を見て感動をしました。写真は木の根道です。

 今年は、「篤姫」です。先週、佐々木すみ江さん演じる菊本が島津本家の養女として於一(後の篤姫)がなるときに、自害をしました。於一に対する愛情とプライド。言葉では言い表すことができませんが、激しいものがあります。


 大河ドラマだけではありません。

 土曜日午後9時からは、「フルスイング」が放映されています。実話のドラマです。「甲子園への遺言~高畠導宏の生涯」(講談社)から出版された本をドラマ化したものです。プロ野球選手、プロ野球のコーチを経験しました。中日の落合監督、メジャーの田口選手、イチロー選手、ソフトバンクフォークスの小久保選手など多くのプロ野球選手を育てました。名コーチだったのです。

 コーチ時代名前は知っていたのですが、ドラマの高林先生と同一人物とは知りませんでした。平成15年、58歳にして、福岡県の太宰府市の高校の先生になります。高校でも生徒から信頼を受け、グランドとは違う慣れない教壇に立ちます。しかし、一年後、膵臓ガンでなくなる・・・という壮絶な生き方に心打たれます。生徒に、先生たちに心優しく、強く接していきます。ぜひ、感動をします。といっても来週の土曜日(2月23日)は最終回です。高畠導宏さんと俳優高橋克実さんが同じ人物のような雰囲気を感じさせてくれます。高橋さんならではです。

 土曜日のドラマは、この「フルスイング」の前に放映されていた「海峡」も感動的でした。日本人女性と、韓国人男性との愛と生について考えさせられます。「大地の子」とはまた違いますが、日本と韓国の歴史の縮図です。でもこのドラマはすでに終わった・・・違うんです。なんと3月26日、27日、28日の3日間、夜の10時から再放送があるのです。NHKの広報員ではありませんが、ぜひ、見て下さい。おすすめです。

 戦争というものを、民族というものを、平和であるというものを、人と人とのつながりというものを心から感じさせてくれます。おそらく、「フルスイング」もいつか再放送があると思います。見逃した人は、DVDも出るでしょうが、ぜひ、再放送を期待しておいて下さい。


 次に、なんと、あさのあつこさん原作、あの人気の「バッテリー」がついにドラマ化されます。4月3日、木曜日8時から放映されます。全10回です。今、「鞍馬天狗」が放映されていますが、そのあとです。映画化もされ、きっと視聴率が高いでしょう。木曜日の8時から、10代の若者たちと親たちを感動させるドラマシリーズのプログラムにするそうです。


 そう考えると、NHKのドラマは、充実しているでしょう。時間帯によって、内容を変えながら、番組を編成しています。4月から木曜日は、子ども、大人対象のドラマを、土曜日は、時代劇が7時30分から、今までの土曜日のドラマはそのままに、大河ドラマは、日曜日に・・・テレビ通のかったかくんにとっては、楽しみです。こたつに入り、ぼんやりしながら、見ることがリラックスの時間です。


おばあさんのことが新聞に

2008年02月17日 | Weblog
2月13日(水曜日)の読売新聞朝刊に先日の雪が残る朝のおばあちゃんの好意のことが掲載されました。
 かったかくんにとっては、本当に心が洗われるようなそんな気持ちのいい朝でした。今、私たちが忘れかけている人と人とのつながりの大切さをマフラーとともに持って来てくれたようなそんな感じがしました。

 この記事は、読売新聞全国版の「気流」に掲載されました。大阪の姉や宮崎の友だちからも「見たよ。」とメールがありました。と同時に二人とも、

「文章がカットされていたところがもったいないね。」

ということでした。自分の思い、伝えたいことを決められた400字にまとめるのは、難しいです。しかし、編集者の方が、電話で相談をしてくれました。さすがプロだけに的確にアドバイスをしていただきました。
 これからも時間があるときに、いろんな思いを綴っていきたいと思います。


一通の手紙から

2008年02月14日 | Weblog
 五馬に赴任をして、一年が経とうとしています。知らない土地、初対面のすべての先生方、初めての職場、管外の赴任、単身の生活、異種の仕事・・・いろんなことが大きく変わりました。


 知らない中で、いろんな方が支えとなってくれました。それは、家族、子どもたち、職場の人たち、地域の方々、保護者の方々、今までお世話になった方々の応援。今まで過ごした中で、これほど、多くの方に感謝の気持ちを感じたことはありません。


 楽しいことも一年間にたくさんありました。またきついこともありました。しかし、かったかくんにとって、それが学習・経験であると感じています。


 そんな中で、今日、学校にかったかくん宛に一通の手紙が来ました。差出人を見ると、五馬市の方でした。いつも防犯パトロールなどで、子どもたちのことを見つめてくれています。子どもたちをいつもあたたかく、そして、プラスの方向で見てくれています。

 体育大会の健脚祭では、写真を撮ってくれ、学校に送ってくれました。五馬市小学校出身の生徒たちは、信頼をしていますし、修学旅行などでお土産を買ってくる生徒も。この方は、退職後ふるさとに戻り、ふるさとで活動をしています。とっても優しい方です。

 手紙の内容は、学校便りをいつも送ってくれることに対しての感謝の言葉でした。綺麗な字でいろいろ書いてくれていました。また生徒がよくあいさつをしてくれるという内容でした。

 便りを送ること・・・些細なことかもしれません。しかし、便りから、生徒のことを感じてくれていること、そして、送ったお礼のあたたかな言葉。その方の人柄も感じられました。その文章がとてもうれしくふっと、なにかこみ上げてくるものがありました。

 仕事があって、最後は、職員室に一人になりました。帰り際もう一度、手紙を読み返しました。涙がでてきました。それが、なぜかわかりません。手紙を送ってくれた方の心配りはもちろんです。そして五馬の地に来れたことを心から感謝をしています。

 写真は、五馬校区、出口地区のくにちの様子です。


入学式に向けて

2008年02月14日 | Weblog
 12日は、入学説明会が午後から行われました。15人の小学校6年生の子どもたち、お家の方15名が集まり、実施しました。

 昨日は、大変学校も出張の先生が多く、また公立推薦入試も重なりました。だから、

◇受付    ◇生徒点呼
◇日程説明  ◇授業参観引率
◇中学校説明会説明
◇部活動見学の引率

とほぼ一人で行ったので、終わったらぐったり。

 授業参観では、
2年生、英語の授業を見ました。2年生の生徒がALTの先生と英会話でやりとりをしているのを楽しく参観をしていました。この6年生が入学をしてくるときは、中学校の3年生となる2年生です。たのもしい授業風景を見せてくれました。

 次に、3年生の授業です。理科でした。しかし、入試が近づいていることもあって、模擬ドリルをしているところでした。静かに問題を解いている様子を見ました。ちょっと緊張感が漂ってきました。時間を少なめにして、今度は、1年生の授業参観。体育でした。体育館でバスケットボールを行っていました。1年生が試合をしている様子を見ていました。

「やってみたいなあ。」

というつぶやきも聞こえてきました。体育館は、足も冷えるし、空気も冷たかったですが、熱気にあふれていました。ブルブル・・・。

 学校説明会は、校時表、服装のきまり、登校の仕方・・・など、学校のきまりも含めながら、話をしていきました。校長先生から、


「中学校に入ってから、少しずつ、しっかり努力をして、学習の力を今以上につけて欲しい。」


という言葉もありました。
 子どもたちは、身動きもせずに、しっかりとした姿勢で聞いていました。6年生の意欲を感じました。

 部活動見学。五馬中学校には、4つの部活があります。4つの部活ごとに体験入部をしていきました。
 とにかく寒い時間でした。ふるえながらも子どもたちは、楽しく部活を経験していきました。


 卒業式、入学式と別れ、出逢いの季節がやってきます。