かったかくんのホームページ

日々感じたこと、心に残ったこと・・・つづっていきますね。よかったら、立ち寄って下さい。

安藤選手から伝えてもらったこと

2010年02月26日 | Weblog
バンクーバオリンピックも後半戦に突入をしています。今日は、フィギュア女子シングルのフリー演技がありました。



 日本から、浅田真央選手、安藤美姫選手、鈴木明子選手の3人が出場しました。それぞれにいろんな思いを持ちながら演技をしました。



 
2月の上旬、あるテレビ番組で、安藤美姫選手の特集がありました。それは、実際の映像を通しながら難病に冒されて、多臓器移植をしなければならない8歳の少年との出会い、関わりをえがいていました。病気と闘って治していくという夢にかける少年にエールを送る安藤選手。しかし、安藤選手もいろんなプレッシャーから、スランプに陥ります。逆に安藤選手も少年の姿からエールを送られます。




 この映像をバンクーバオリンピックがはじまる前に、生徒と授業で見ました。
 心を打つシーンがたくさんありました。




 多臓器移植をする病院に、臓器を提供した子どもたちの名前をリーフに書いた繋がる命の木があります。
「どういうこと?」
と少年は、お母さんに尋ねます。お母さんは、少年の体調を説明しながら、移植することで命が繋がっていくという意味を教えます。少年は、お母さんの言葉をしっかりとかみしめながら、話の一つひとつにうなずいていきます。命の大切さを感じる8歳の少年の姿に心を打ちました。




 口から食べ物を入れることができません。自分の食べたいものをお母さんに食べてもらいます。自分の口ではなくて少年がお母さんの口の中に入れます。それが食べることの楽しみだったのです。



 そんな少年と同じ視線で、安藤選手は寄り添っていきます。何人かの生徒たちは、涙を流していました。でもそんな関係も終焉を迎えます。少年は、臓器移植後、合併症をひきおこし昨年亡くなります。それも安藤選手が少年のために、ハンバーガーを買いに行ったときでした。



 「先生、安藤選手の優しさに感激した。」
 「少年のかわいさと強さを感じたよ。」
と教室を出るときに生徒たちは、語っていきました。




 そして、ショートプログラムでは、安藤選手は、モーツアルトの「レクイエム(鎮魂歌)」の曲で滑りました。SPで安藤選手がすべるのを昼休み生徒たちとテレビで観戦しました。ほぼ完璧な演技で滑り終え、空を見上げる姿に感動をしました。



 
安藤選手は、オリンピックで5位でした。しかし、安藤選手の行動と少年の生きようとする強さから、オリンピックの代表選手の誰よりも「たいせつなもの」を伝えてもらいました。


 写真は、特集を真剣に見る生徒たちです。

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全員で完成の記念写真

2010年02月25日 | Weblog
 先日、ようやく一年生の木材加工の時間で全員の作品が完成をしました。授業、昼休み・・・にかけて頑張っていきました。


 ふだん、のこやかなづちなどを使い慣れていないことと、作品づくりに個人差があるので、全員となると本当に時間がかかります。だから、授業だけでは終わりません。遅くなる生徒は、昼休み、技術教室でがんばりました。



 終わった生徒には、残り板に筆で名前を書いてあげました。また握手をすると、みんな必ず「にっこり」します。その笑顔が何かいいんですね。生徒たちもがんばって、やり終える・完成させることがうれしいのでしょう。



 昨日は、作品をもって全員でグランドで記念写真を撮りました。木のにおいと温もりもいいんですよね。
「一生懸命に作ったんだから、宝物だね。」
と話をしました。




 今は、買えば何でもあるという社会になっています。その中で、子どもたちが悪戦苦闘しながらものを作り上げるというのは、貴重な体験であると思います。



 作品づくりだけでなく、「がんばった。」とか「つくりあげた。」「できた。」というような感動を持つことは、気持ちを豊かにさせるものであると思います。でもそんな経験ができることが減ってきているように思えます。特に、思春期を過ごす生徒に、部活、学習、家庭の中でのいろんな生活経験で、たくさん味わってもらいたいです。その経験の少しずつの積み重ねが、知恵となって、また心の支えとなって、社会の中で生き抜く時がやってくると思います。




 写真は、1年生の2クラスの写真です。



 話は変わって、外に出た記念写真のついでに、みんなで遊びました。(時にはいいかな。)この日は、本当に春らしい天気で、花粉症に毎年苦しむかったかくんにとっては、つらいものがありましたが、楽しく「ひまわり」をして遊びました。



にぎやかな声がグランドに響きました。一方、「先生、すりむいた。」
また、押されてなんと泣く?生徒も。がんばれ!



 春の陽射しの中で、楽しい時間となりました。

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初めての経験のビデオレター

2010年02月23日 | Weblog
卒業式シーズンになりました。
 卒業式で歌う歌声が聞こえてくるようになっています。



 先日、前任校の中学校の先生から電話がありました。
「卒業生を送る会で、使うので卒業生にビデオレターを送って下さい。」
という内容でした。かなり前から言われていたのですが、できあがりました。というよりビデオをとりました。




 日田市では、文化祭と卒業生を送る会は、本当に華やかに行われます。感動の時間を過ごすことでできます。文化祭は、いろんな企画の中で、保護者や地域の方が過ごします。高校の文化祭ではないかと思うような内容があります。また卒業生を送る会も、先生たちのビデオレターの公開、在校生からの贈る言葉・・・など感動の涙を流しながらの時を過ごします。





 昨年までは、ビデオレターを見る側でしたが、今度は送る側になっています。
 話をしたいことはいっぱいあるのですが、わずかな時間なので、一通りのことを話して思い出の写真も少し入れました。




 初めてビデオレターを経験します。自分で撮ることができないので、家族に録画してもらいました。
「早めにいうちょってよ。まったく。」
「はい、もうちょっと下を向かいないと。」
「言葉がつまったあ。」
と厳しい(?!)注文がつけられます。



 そして、なんとかやっと終わりました。あとからよく見たら、風呂上がりだったので、髪の毛がぼさぼさだったことに気がつきました。
 まっ、いいか。



 子どもに勤務先の近くに住んでいる先生の家に持って行ってもらいました。



 昨日は、教えた生徒の在学をしている高校にメッセージを送ったりしました。卒業式が間近になっていることをつくづく感じます。

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うれしいおめでたの報告

2010年02月22日 | Weblog
このところ結婚やおめでたの報告が次々に入ってきます。結婚については、また後日ということで、今日は、おめでたのことで綴ります


 おいとめいについについにあかちゃんの誕生。お母さんが破水してから、時間が経過していたので、周囲はちょっと心配をしていましたが、先日、出産。母子ともに健康です。うれしい知らせでした。新しい家族の誕生です。



 父や母が元気でいたならどんなに喜ぶことでしょう。おいもハードな仕事の中で、ずっとおよめさんに付き添っていました。今まで以上においもめいもそれぞれの愛情をしっかりと感じたことでしょう。またその中で、生まれた赤ちゃんもしあわせです






会いに行きたいのですが、なにせ遠方。おいがメールで写真を送ってくれました。小さな小さなかわいい赤ちゃんです。名前・・・なんと「進之介」といいます。これまた古風な名前。もうちょっと大きくなって遊びに来てくれる時を楽しみにしています



 みんながしあわせになっていくこと、しあわせに感じるものをあたえてくれることが、それが家族であっても周りに人たちであっても本当にうれしく思います。




 これから子どもを育てていく中で大変なこともたくさんあると思います。みんなにあたたかく見守られながら、子育てに頑張っていくことでしょう。

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30年を超えた友情

2010年02月21日 | Weblog
大学時代のこと。入学式を終えて学部でオリエンテーションがありました。隣りに座っていた学生が筆記用具を忘れたというので貸しました。


 それから、どこの高校出身なのかなどをお互いに聞いたりしていました。その人は、Kちゃんといいます。


 U高校出身・・・同じ県北です。さらに話を進めていくと、彼のお兄さんが、自分と同じ高校の先輩ということがわかりました。その先輩を知っていました。というのは、姉と同じ大学に進学をしています。その大学には、姉の学年では、姉とその先輩の2人しか進学をしていません。
「えっ、ほんとう。」
すごい偶然です。





 こうなると、さらに偶然が重なってきます。
「クラブは何に入る?」
「硬式野球部。」「おれも。」
なにぃ。どこまで、偶然が重なるのか。




 で、それからも続きます。他の学年は、10人を超えているのに、自分の学年だけ、野球部は4人しかいませんでした。とにかく仲のいい4人で、今でも交流があります。後になりますが、Kちゃんは、連れ合いの祖母のところに高校時代3年間下宿していたことがわかりました。




 現在、大分市で頑張っています。かったかくんが中学校勤務で野球部の担当になったとき、夏には、彼の勤務していた中学校と必ず練習試合をしてもらっていました。生徒たちにレベルの高さを体感してもらいたかったからです。



 試合にはなりませんでしたが、一緒に練習もさせてもらっていました。当時、彼の中学校は強く楽天ゴールデンイーグルスに所属している鉄平選手も指導をしています。どの中学生が鉄平選手だったかわかりませんでしたが、たぶん練習を一緒にしてもらっています。



お互いに何かにつけて交流をもっています。今は、家族で付き合いをさせてもらっています。そして現在に至っています。



 先日、携帯の履歴に電話がかかってきたことが残っていました。
かけなおすと、
「用事ではなかったけれども、どうしているかなと思って。」
ということでした。
 きっと何かあったんだろうなと思うけれども、それでいいのです。それ以上は聞きませんでした。





「また近いうちに4人で飲もうや。」
という約束をしました。



 知り合ってから、30年をゆうに超えています。Kちゃんをはじめ4人の仲が続いていること、関わり持てていることがちょっとした誇りです。

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あいうえおの話

2010年02月20日 | Weblog
 ずっとさがしていた雑誌の中の読み物がありました。しかし、どこにやったかわからなくなっていました。以前、パネルシアターを使いながら子どもたちに読み聞かせをしたことがあります。


 違う本を探しているときに、その雑誌が見つかったのです。おもしろいので、ちょっと文章を変えながら紹介しますね。


 たぶん本屋にもインターネットにも出ていないと思います。貴重な話のネタになると思います。何かあったら使って下さい。出典はわかりません。









 むかしむかしある国に、(あいうえ王)〈アイウエオ〉という王様と王子様がいました。



 とても平和な国でしたが、ある時、
(かきくけ侯)〈カキクケコ〉という侯爵と(さしすせ僧)〈サシスセソ〉という僧侶がぐるになって反乱をおこし、王様は〈たちつて塔〉〈タチツテト〉という塔で殺されてしまいました。





 王様の死で、かなしみの中で王子軍と反乱軍の戦争が(なにぬね野)〈ナニヌネノ〉という野原ではじまりました。




 はじめは、反乱軍の勢いがつよく、王子軍は負けそうになりました。それでは、王様にもうしわけないとがんばりました。そこで王子は、城からひみつへいきの(はひふへ砲)〈ハヒフヘホ〉とうたいほうをつかいました。あっというまに王子軍はかちすすんでいきました。




 このままではまけてしまうとおもった反乱軍はとなりの国に応援をたのもうと思い、あんごうで書いた(まみむメモ)〈マミムメモ〉を家来にもたせました。





 ところが家来は、とちゅうで王子軍につかまってしまいました。つかまった家来は、王子軍から、
「このメモはなんだ。はくじょうしろ。(やい、ゆえよ。)〈ヤイユエヨ〉」とおどされました。



「このメモは、となりの国におうえんをたのもうとしたものです。」と家来ははくじょうしました。こうして反乱軍はおうえん軍が来ることもなくまけてしまいました。







 侯爵と僧侶はお城の地下の(らりるれ牢)〈ラリルレロ〉にとじこめられました。国には平和がもどり、王子は、(わいうえ王)〈ワイウエオ〉となってみんながなかよくくらせる国をつくったとさ。



 はなしはわかりましたか?
(ん!)〈ン〉


 おしまい。
 なんとなくおもしろい話でしょう。『あ』から『ん』までしっかり使った話でした。



 

懐かしい話の雑誌が見つかってラッキーでした。

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講演会で学びました

2010年02月18日 | Weblog
 先日の土曜日の昼から、PTA研修会に参加をしました。「なかつプロジェクト」事業に係わるPTA対象研修会でした。


 いろんな事業の説明のあとに、福岡県子育てアドバイザーで「てらこやきっど」を主宰している高田悦也さんの講演がありました。高田さんの講演は、昨年、日田にいる時に一度お聞きしたことがありました。過去と現在の時代をしっかりと分析をしながら、学校・家庭・地域がどうあればいいのかを明確に示していく講演会でした。




 高田さんの講演は、語り口もそして、内容もわかりやすく本当にたくさんの大人が聞くと、もっと子育てや気持ちの持ち方が楽になるし、またこれから大人がこどもたちに対してどのように接していったらいいか参考になることが多いと思います。



今年になって、教育に対しての講演は二回目です。一回目は、仲島正教さんでした。これも今までに聞いた中で本当に、心に響くものがありました。今年になって講演会は学ぶものが多いです。



 日本は、農業国、工業国と発展をしてきました。その中で、今自分を含めて、右肩上がりの時代に生きてきました。しかしそれが崩壊して、第3次産業を中心とした社会になろうとしています。そんな社会情勢の中で、家庭における父親、母親の役割も変化してきています。



 子どもは、家庭や地域などで20人の大人と関わりを持つことによって、教えられていくと言われているそうです。



工業国になり、核家族が進んできました。かつては、子どもたちは多くの人たちが関わりながら成長をとげてきました。時代の変遷の中で、子育ては、母親という母子密着型が増えてきました。そこで失敗をしてしまうと、子どもも学べる機会の大きなものを逸する・・・だからこれから、学校、地域・家庭と協育していく社会が必要であることを訴えられました。




データ的に地域と子どもが密着させているところの子どもたちの成長が大きくなるという傾向があると言うことです。学校、地域、学校がお互いに責め合うだけでは現在の問題は解決できない状況も話されました。今の実態になっている社会構造がそこにはあるのです。



 先日のNHK大河ドラマで龍馬のお父さんに、画家の方が「あなたは幸せだ。あなたの家庭にはあったかさがある。だから龍馬も優しさがある。」という台詞がありました。




 あたたかさに包まれた子どもたち幸せな笑顔がたくさん見ることができる社会をみんなで創っていきたいですね。

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バレンタインデーコンサート

2010年02月16日 | Weblog
イオン三光でバレンタインデーコンサートが開かれました。教えた生徒のかおりちゃんのコンサート。バレンタインデーということでLOVE LOVE的な曲をたくさん交えたコンサートでした。


友だち二人で、ピアノ、エレクトーン、電子ピアニカを使っての演奏でした。「ハニカムズ」というグループを作って演奏活動を行っています。この日は、夕方のお客さんが多い時間帯でのコンサートだったので、通りかかりの人たちが立ち止まって二人の演奏に聴き入っていました。




この日は、だんなさんのゆうちゃんもカメラを持って応援に駆けつけていました。またお母さんもかおりちゃんのファンとなって、一曲一曲に真剣に耳を傾けていました。かおりちゃんを受け持ったとき同じクラスのみほちゃんのお父さんとお母さんも聴きに来ていました。久しぶりにお会いしました。




かおりちゃんは、先生になって、3年目に受け持った生徒です。小学校5年生の時に担任をしました。




当時どのくらいかおりちゃんに助けられたでしょう。音楽の時間の時間の伴奏者は、全部かおりちゃんでした。クラスのみんなが歌いやすいように弾いてくれました。音楽の時間のかおりちゃんの席は、オルガンのところかピアノのところでした。




 クラス劇でもびっくりしました。かおりちゃんは、BGM担当でした。どんなレコードを見つけてくるのかと思っていました。




それこそサプライズです。劇の内容を見ながら、オルガンで生のBGMです。雰囲気に合わせていろんなBGMをつけていきます。小学校5年生ですばらしい劇を作り上げ、教室に1年生を招待して劇の披露をしました。感動の劇となりました。今でも忘れることでのできないできごとです。




 かおりちゃんは、音楽から離れることなく今でも多くの人たちに素敵な曲をプレゼントしています。そして、そのかたわら、子どもたちに音楽の楽しさを教えています。だんなさんのゆうちゃんは、小学校4年生の時に担任をしました。これもまた偶然です。




 これからの活躍も楽しみにしています。

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いい一年でありますように・・・どんど焼きに願いを?!

2010年02月16日 | Weblog
 日曜日は、地区のどんど焼きの一日でした。一日がかりで疲れましたが、楽しい時間を過ごすことができました。




 朝は、8時からです。竹切りスタート。しの竹を切る係。もうそう竹、真竹を切る係に分かれます。女性は、団子汁の具材を調達して用意をします。




 昔と比べてはるかに便利になりました。すべて切るのは機械化されています。しの竹は、草刈り機でブーンと切っていきます。あとは、畳のへりのひもでまとめて車へ。一方、もうそう竹はチェーンソーで切ります。かったかくんは、もうそう竹班です。


もうそう竹は、ご神木になります。またそれを支える竹に使います。切るのは良いのですが、切ってから山からおろします。すべる山道を車を置いてある道まで引っ張り出します。防寒対策をしていきましたが、だんだんと汗がにじんできました。






以前は、青の洞門で行われている観光どんどに大きさでは負けないぞって大きなどんどを作っていました。しかし、次第に地区も高齢化。そんな意欲は、ちょっと消えていきましたが、でも楽しくみんなで作業をしていきました。



 午前中は、竹切り、そして、組み立て。集めた竹をご神木の周りに固めていきます。立てては、番線などで締め付けます。次第にどんども大きく成長?!していきます。最後は、しめ縄を回して完成。ちょっとほっとする瞬間です。回を重ねるうちに要領も覚えてきました。すぐに今度は真竹を使って、かっぽ酒とカップを作ります。気合いが入りました。ここまでが午前中の仕事です。



 ふだん運動不足なのでちょっとここら辺で疲れてきます。
 でもがんばらなくちゃ。




 昼ご飯を食べてから、今度は、河原で団子汁などをこしらえます。あとは焼き鳥などで河原居酒屋のオープンです。




4時から火入れです。その前に、もみじ園で園生が作った餅投げがあります。これは、取らなくちゃ。このお餅で餅を焼きます。取らないと餅を焼くことができません。恒例行事です。餅投げがあるので、この時間になるとたくさんの人たちが集まってきています。





そして、4時。神主さんによる神事のあとに火入れとなります。あとは、リラックスタイムです。地区の人たちが交流を深めていきます。途中から用事があったので、抜けなければなりませんでしたが、疲れ&楽しい時間でした。




地区には、このようなイベントは年に二回あります。このどんど焼きと夏の祇園です。地区に定着してきています。




今年は、ご神木がうちよりに倒れたので、今年は何か良いことがあるかなあ。

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インフルエンザの流行はないけど

2010年02月13日 | Weblog
金曜日は、いろんな報告書をFAXなどで送らなければなりません。インフルエンザ関係の報告書は、2つあります。1つは、一週間で新型インフルエンザに罹患した生徒数。このところは、罹患した生徒はいません。0行進です。もう一つは、3年生の一週間でインフルエンザに罹患した数。季節性、新型を含めてです。この報告書を出すことになってから、月日がたつのですが、まだ一件もありません。




欠席黒板を見ると、いつもの年なら、季節性のインフルエンザに罹患した生徒は、どの学年にもいるのですが、今年に限っては、まだいません。これは、新型インフルエンザと何か関係があるのかなあ。




 と思いながら、報告書を作成していると、鼻がむずむず。鼻水もちょろちょろと。花粉症の症状です。まだ軽いところですが、今後どうなることやら。いやな季節です。




「花粉症にかかった。何か調子が悪いなあ。」
という先生がいました。自分だけでなかった。
「おれも花粉症だけど、今年はまだだね。」
という先生も。
いるじゃないか。





 最近は、文書やレポートを作成することが多く、学校では机にかじりつくことが多くなっています。外にはあまりでていません。花粉症がまだ絶好調?!ではないのはそのせいかもしれません。今度の日曜日は、一日中、どんど焼きの準備や本番があるので、要注意です。
 




昨年は、テレビでヨーグルトがいいとあれば、ヨーグルトを食べ続けました。テレビの特集で漢方薬の小青竜湯がいいと買い求めました。そして、究極の鼻マスク。鼻の中に詰め込みます。確かにつけておけばいいのですが。時間が経つうちに、ゆるくなってきます。人と話をしているときに、つめていた白いものが鼻の穴からにょっきりとでてきます。それとやっぱり少し違和感がありますね。



いろんな対策をほどこしたことで、花粉症の出現は少し遅れましたが、でも結局は、5月の終わりまでしっかりと苦しみました。




 今年は、鼻の周りに、塗れば、マスクがいらない・・・(本当かなあ)というCMが流れています。だまされたつもりで少し早めに塗っています。今のところは、対策はこれだけです。インフルエンザの流行はありませんが、確実に花粉が襲来してきています。




 何かいい方法がありませんか。

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バンクーバオリンピックが近づいて

2010年02月11日 | Weblog
バンクーバー冬季オリンピックが2月12日~28日に開催されます。本大会のスローガンは「Come Play With Us」です。楽しみです。テレビ付けになりそうです。しかし、深刻な雪不足で、バンクーバでは桜が咲いているそうです。雪の祭典が心配です。



 先日、テレビで安藤美姫さんのことが特集されていました。トリノのオリンピックで15位に低迷しました。激しいバッシングの中で、体調を崩し自分が立ち直るきっかけを見いだすことができませんでした。




今でもそのコンプレックスの中で、スケートを続けています。
彼女はそんな中で、一人の8歳の少年と出会います。少年は、余命宣告を受けたことで、アメリカで多臓器移植にチャレンジします。そのことを安藤選手が知り、スケートの合間を見つけ、応援を続けました。安藤選手は少年から、少年は安藤選手から優しさ、勇気をもらい前向きに進んでいきます。






多臓器移植は、成功しました。そして、ご飯を初めて口から入れることができました。感動の瞬間でした。安藤選手もアメリカまでお見舞いに行きました。その後、少年は、合併症を併発して旅立っていきました。その時の少年の姿は、安藤選手と出会った頃の愛らしさとは違って、病気と闘い尽き果てた姿でした。




悲しみを乗り越えながら、安藤選手は、バンクーバ五輪に出場決定。いちだんとたくましくなってまもなくメダルに挑戦していきます。




安藤選手、少年、少年のお母さんから、生きる意味、命を尊さを感じることができました。機会があって、DVDに編集して1年生に見せました。涙を流していた生徒もいました。
今の時代だからこそ、ゆっくりといろんな人の生き方を見たり、聞いたりする大切さを感じます。また素直に優しくなれる時間を持つことの必要性を感じます。




「先生、もう一回、ゆっくりDVDをみたいです。」
と言ってきた生徒がいました。明日、貸してあげる約束をしました。





 写真は、バンクーバを海から見た風景です。バンクーバは、アメリカ太平洋側のアメリカとの国境近くにあります。

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どんど焼き実行委員会

2010年02月08日 | Weblog
日曜日の夜、地区のどんど焼きの実行委員会が行われました。


例年と同じように、だれが、どんな用意をするのか、竹切りの場所はどこがいいのか、かっぽ酒(真竹の中に酒を入れてお燗にする)の竹は、どこの竹を切るのか・・・など具体的に話し合いを持ちました。


 夏祭りの実行委員がどんど焼きの企画を中心となって進めていきます。




 今は、このように大人が中心となって取り組みをしています。しかし、かったかくんたちが小学生時代は、違っていました。



地区の小学生がみんな鎌をもって、6年生について川岸に。そこで、竹を切っていきます。小学生が切るのですから、切ったあとの地面の竹がとんがっていて、足に突き刺さることもしばしば。友だちは、もうちょっとで鎌で指を切り落とすところでした。何度か病院の治療に一緒についていったこともあります。いろんなことがあっても一年の中で楽しみな行事でもありました。




何回かに分けて竹を切っていきました。それから竹をリヤカーに乗せて、どんど焼きの場所へ。組み立てだけは、大人の仕事でした。






時代も移り変わり、どんど焼きの竹を子どもたちが切る姿は、ほとんど見かけることがありません。しかし、地域の交流の場所であることは、今も昔も変わりません。子どもからお年寄りまでたくさんの人がどんど焼きに集まってきます。




勤務先の近くの田んぼでも、すでに至る所にどんど焼きの竹が立って、どんど焼きの日を待っています。インターネットによると、




「1月14日の夜または1月15日の朝に、刈り取り跡の残る田などに長い竹を三四本組んで立て、そこにその年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼く。その火で焼いた餅(三色団子の場合もある)を食べる、また、注連飾りなどの灰を持ち帰り自宅の周囲にまくとその年の病を除くと言われている。また、書き初めを焼いた時に炎が高く上がると字が上達すると言われている。 道祖神の祭りとされる地域が多い。」





かったかくんの地区では、「ご神木が倒れた方向の田んぼが今年は、豊作」と、地区の方たちはよく言っています。またご神木を屋根などに置いておくと、火の災いから逃れることができるとも言われています。それで、中心のご神木となる竹を持って帰っています。



かったかくんの地区のどんど焼きは、河原でするので、寒くならないことを願っています。

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かったかくん流学級経営論・学力論⑦

2010年02月08日 | Weblog
 教員に採用されたときに、日記を見ていました。クラス40人いました。一人に2冊、日記を持たせていました。一冊は、かったかくんがコメントを書くために持っておきます。


 生徒は、もう一冊に書きます。それを次の日にチェンジです。昼休みや放課後、生徒と活動をしたり遊んだりしていたので、コメントは、家で書いていました。40人のコメントですから、夜中の2時ごろになるのは、ざらでした。


 それでは大変です。コメントは書いていきましたが、今になって考えると、よく体を壊さなかったなあと思います。



 そこでかったかくん方式です。次の表の①~⑥を班ごとにローテーションさせます。この表でいくと、30人学級では、一日に15人見るだけでいいのです。15人なら、20分くらいあればコメントを書くことができます。この内容は、次で。


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三光路がにぎやかに

2010年02月07日 | Weblog
恒例となっている三光地区一周駅伝大会が、日曜日に開催をされました。この行事も回を重ねています。三光村の時代から続けられています。一般、高校生、中学生、小学生・・・と襷をつないでいきます。歴史があるので、三光地区のたくさんの方々も沿道に出て声援を送ります。



 一人で見るのも寂しく?!教えた生徒の家に行きました。おとうさんやおじいちゃんが玄関先にいて、


「まだ寝ているんよ。おこしてやって。」
こんな時間になっているのに・・・。



ベッドのそばにそっと行くと、目を覚ましました。
「おっ、先生。びっくりしたあ。」
「駅伝、見に行くぞ。」
ということで、一緒に連れて見に行きました。



それから気合を入れて中学生が走る区間の応援に行きました。沿道にはたくさんの人たちが出ていました。



 出走区間では、選手や補員の生徒がたくさんいました。緊張感というよりも、走ることを楽しむという感じで、にぎやかなムードでした。
「いいなあ。私も走りたかったなあ。」
という生徒も。




 地区と選手たちが一体となっている行事です。ゴール付近では竹馬会の人たちが鍋をこしらえて、選手や応援に来た人たちにふるまっていました。




 朝の冷え込みはすごかったです。しかしその分、昼間は春の陽気でした。気持ちのいい春の日差しを浴びながら選手たちは、走りぬきました。たくさんの卒業生も会うことができ、楽しい時間を過ごしました。

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久しぶり!グランドで野球

2010年02月06日 | Weblog
 先日、教えた生徒から電話がかかってきました。
「今から学校に行っていいですか。」
ということで、すぐに学校にやってきました。




 野球部の投手として頑張った生徒です。前にも書いたことがありますが、彼の学年は4人しかいませんでした。しかし、まとまって野球に打ち込みました。当時中津市には、現在プロ野球の横浜ベイスターズで活躍をしてる投手や福岡六大学でエースとなっていた選手がいました。そんな選手がいるチームとも互角に戦いました。




県総体予選でも、優勝候補でした。長身のサウスポーから鋭角に投げ込む球を対戦相手は、なかなか打ち崩すことができませんでした。




 初戦、強豪の中学校と対戦。相手の投手も豪腕投手です。事実上の決勝戦と言われていました。投げ合いとなりました。が相手を押さえ込み、勝利。連戦。代表決定戦です。先取点はとったものの、その後、押さえ込まれていきました。予想外の接戦。焦り気味になりました。1対0のリードで最終回を迎えました。ここでドラマです。




 一死一塁。あと2つアウトをとれば、優勝です。バッターがピッチャーゴロを打ちました。投手がダブルプレーの判断。成立すれば、ゲームセット。セカンドに投げました。セカンドとの連携がうまくとれずにボールはセンターへ。そして、今度は、好手のセンターがまさかの後逸。バッターランナーまでもが一気にホームを駆け抜け、サヨナラ負け。





 みんなが悔し涙を流しました。試合展開の中で、もっと戦略を考え抜けば・・・と思い選手に申し訳なく思いました。今でもその思いがあります。でもその試合があって、チームも変化をとげていき、いろんな試合に対応できる攻撃や機動力をそなえました。その後のチームに大きな影響を与えました。




 4人の3年生は、高校野球で頑張りぬきました。彼も2年生の時に、甲子園の舞台を踏みました。



 大学で野球をしてから、この春就職が決まりました。その報告に来てくれました。そして、次の日、後輩たちに野球を教えてくれるというので、一緒にグランドに行きました。こちらもバッティングピッチャーをしたり、久しぶりに体を動かしました。彼は、投手にピッチングの指導をしてくれました。




卒業してもこうして、野球を通して付き合えることをうれしく感じました。

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