美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

「カラマゾフ兄弟」の『葱の話』(森田草平の訳による)

2008年07月06日 | 瓶詰の古本

  「ねえアリヨウシヤ」と、グルシエンカは嗄(かす)れたやうな笑ひ方をしながら、彼の方へ向いた。「私が今葱を捨てたと言つたのは、餘り自慢ですがね、これは只話ですよ。私は幼い時乳母やから好くこんな話を聞かされました。昔一人の百姓の女が有つた。其女は大變不好(いけ)ない女で、一生善い事は一つもせずに死んだから、地獄へ堕ちて、火の池へ投げ込まれた。ところが其女の守り神なる天使様は如何かして其女を救って遣らうと思って、何か善い事をしたことはないかと探した末、神様に向かって、此女は或時畑の葱を一本抜いて乞食の婆に遣つたと申上げた。神様はそれを聞いて、『ぢやお前が其葱を持って火の池の縁に立つて、其女に縋らせるが可い。首尾よく女を池から引上げることが出來たら、天國へ生れさせう。葱が切れたらそれ迄だ』と宣まうた。天使は火の池へ走り着いて、葱を差出しながら、『さア此葱におつかまり、私が引上げて上げるから』と言つた。徐々と氣を附けて引上げた。最う一息で引上げて仕舞はうとした時、他の亡者が遣つて來て、其葱にぶら下がりながら一緒に引上げられやうとした。其女は悪い女だから、『私の葱だ、お前のぢやないよ』と、彼等を蹴り始めた。が、斯う言ふや否や葱は千切れた。女は再び池へ堕ちて、今日迄も其中に苦しんで居る。天使も泣きながら其場を去つて仕舞つた。ねえアリヨウシヤ、私は其話を諳(そら)で記憶えて居る。私も悪い女ですからね。私は最う何もかも言つて仕舞ひます、お聞きなさい、アリヨウシヤ。私は貴方を手に入れやうと思つて、貴方を連れて來て呉れたら二十五留布の金子を上げやうと、ラキチンに約束した位ですよ。ねえラキチン、お待ち!」

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