美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

蓬莱の山祭りせんとする蕪村の春(河東碧梧桐)

2023年01月01日 | 瓶詰の古本

  ほうらいの山まつりせん老の春 

「ほうらい」は「蓬莱」、支那の「山海経」「魯范神仙篇」「十洲記」等にある、仙人の住む、寿福の極致を理想化した渤海中にある仮想の山である。「山海経」の註には「上有仙人、宮室皆以金玉之、鳥獣皆白」とあり、「十洲記」には「上有仙家数萬、天気安和、芝草常生、無寒暑、安養萬物」とあり、「神仙篇」には「乗空向紫府、控鶴下蓬莱」とある。秦の始皇帝が、方士を蓬莱に使はしめて、不死の薬を求めたのも名高い話である。説を為す者は、其の蓬莱山は、我が日本であつて、方士徐福の墓と称するものが、現に紀州にあるともいふ。
 この芽出度い山を象どつて、三宝の上に、鏡餅を置き、海老、昆布などを添へ、正月の縁起を祝ふ飾り物を作る、それを蓬莱といふ。この句も無論、正月の飾り物の蓬莱で、蕪村の家にも、当時の習はしを欠きはしなかつたであらう。蕪村といふ人が、世間に伝へらるゝ程磊落一方の人でなく、社交にも家庭にも、むしろ細心な注意を払つてゐたことから考へて、案外家に不相応なと思はれる程、立派な蓬莱を据ゑてゐたかも知れぬ。
「老の春」は、元日のことを「御代の春」「花の春」などゝ言つた、其の転訛で、老人の春を迎へた、俳句的な簡約法による既成語である。
 句意は、別に解釈を要するまでもない。蓬莱の山祭りをして、年老いて迎へた芽出度い春を祝はうといふのである。自分を蓬莱山中に住む不老不死の仙人と見て、其の山祭りをしよう、といふやうな気持が、この句を作る素因であるらしくもあるが、そこまで深く穿鑿するのはどうか。年寄つても、幸ひにかやうに健やかである、このめでたい春にふさはしい、といふ春らしい豊かな華やかな気分から、蓬莱のお祭りをしよう、といふ半ば即興的の気分の動きとみていゝと思ふ。
「蕪村句集講義」の鳴雪説に、支那の帝王の位についた時、山岳を祀る儀式をする、それに倣つて、其の意気組みで山祭りをするといふのがあるが、帝王の封山の儀式は、其の即位を天地に告げる意味で、神聖にして且つ荘厳を極めるものらしい。蕪村がさういふ意気組みであるといふより、もつとずつと軽い気持で、めでたい心祝ひの対象として、蓬莱をかりて来た、と位に見る方が妥当であらう。
 蕪村の作に、正月の句といふのが比較的に少ない。「蕪村句集」にも僅かに三句を録するのみである。其の他「歳旦帖」「句稿草稿」等をあさつても、恐らく十余指を屈するに過ぎないであらう。正月の句には、芽出度いとか、春らしいとか、作句内容に或る限界があつて、創作の自由性が半ば束縛されてゐる。自然、言葉遣ひや、文字の扱ひが主となつて、空虚な内容を糊塗する手段的になる場合が多い。言はゞ、最も句作の困難な、佳句の得難い、苦手とも見られる。旺盛な創作慾を持つてゐた蕪村が、正月の句を試みるに余り勇敢でなかつたのも、其の為めでないかと思ふ。こゝにも、たゞ一句を掲げるにとゞめる。

(「蕪村名句評釋」 河東碧梧桐)

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