美濃屋商店〈瓶詰の古本日誌〉

呑んだくれの下郎ながら本を読めるというだけでも、古本に感謝せざるを得ない。

偽書物の話(百五十六)

2018年08月29日 | 偽書物の話

   それまでと微妙にずれた声調が、水鶏氏の抑えかねる焦慮と響応したものかは分からない。手抜かりなく推し量って桁外れに間違える無駄骨を折るだけ、益体もない誤解に溺れて沈没するのは目に見えている。何事にも言葉の裏があるとする下衆の勘ぐり、猪口才な理性の思い上がりは、粒々辛苦して思考を辿る道に降り落ちる醜怪な毒虫であり、さなきだに劣等な私の自心を甘口に爛れさせるのである。
   すぐに私は黒い本を閉じて両手で掴み取ると、前屈みに椅子から立ち上がり、二人を隔て横たわる乱脈な机の上空へ偽書物の重みと累次の別離に小刻みする腕を差し伸ばした。今度は水鶏氏も立ち上がり、不安定な体勢にめげず精一杯両腕を架け渡して黒い本を出迎えた。同時に腰を下ろすと、ただそれだけの労役なのに二人ともしばらくは椅子に腰をおさめたまま、呆然としている。なんだか黒い本の巧妙な橋渡しにまんまと乗ぜられて、大切な自心をやり取りする笑劇を御抱え写真師付きで演じたのではないか、そんな取り留めのない自虐の魔手が私を引っ括ってしまう。
   黒い本を取り戻した水鶏氏は、更に深く椅子へ沈み込んでいると見える。なぞめいた想望の念が胸の中で滴り貯留し、主人の気取らぬ間に、剛堅な椅子の座でも持ち堪えられなくなるほどに膨らんでいるようだ。

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