資格マニアの徒然草ブログ

目標としていた70歳で五百資格、2年前倒しで達成しました、これからはジャンルに関係なく、徒然なるままに書いていきます。

秀吉の水攻め、備中高松城

2021年04月13日 | 城郭検定資格とその活用

 いよいよ、戦国時代のハイライト、備中松山城。二度目の訪問だ、前回は出張の帰りで、飛行機時間の関係であんまり時間がない中だった。

 このお城の周囲は、湿地帯で、馬や人間が足を取られ容易に進めないため、難攻不落の城となっていた。そこで中国攻めの際、秀吉と黒田官兵衛は、堤防を築いて、湿地帯のに水を入れ、水攻めにした。その堤防の東端が史跡になっている。下の写真の土が盛土の址だ。

 堤防は、高さ7m、長さが2.7km、12日間で完成させたというが、資料館の方の説明では、実際の堤防は下流の数百m(蛙ケ鼻付近)で、その上流はもともと地盤が高かったため、補修などで済んだそうだ。戦国時代によく測量したもんだ。

 初め聞いたときは、計算合わないな、今の建設機械を使ってもこの工期じゃできないだろうに、と思っていたが、これなら頷づける。(下の図の赤いラインが堤防で、現在地当たりが新たに建設したもの)

 水攻めの最中、信長の死を知った秀吉は休戦して、中国大返しをして、天王山で光秀を破ったのは有名だが、この際に、高松城の城主清水宗治は、水上の小舟で切腹した。この城は写真のように湿地帯だ。

 そして、水準測量したんだろう、水位が表示されている。このお城、城跡はほとんど残っていないが、歴史上は大転換点になった城だ。続く、最後は岡山城です。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする