梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ヒトラーの忘れ物

2018年02月24日 07時03分13秒 | Weblog
表題と同名の映画を観ました。2015年デンマークとドイツとの合作で、2017年のアカデミー賞外国映画賞ノミネートされた作品です。WOWOWから録画していたものを、前日の二日酔いもあり早く寝ようと思いつつも、作品にグッと引き込まれ、一気に観ました。

第二次世界大戦でナチスが降伏した直後、デンマークの海岸にドイツ軍が埋めた地雷を撤去するため、若いドイツ兵の捕虜が投入されます。15歳から18歳の少年兵たちを、デンマーク軍の軍曹は、罵声を浴びせ暴力を持って、まるで虫けらようにこき使います。少年兵は誤爆や撤去作業の失敗で、一人また一人と命を落としていきます。こんな筋書から入り映画は進行します。

観終わった後で調べてみると、次のような史実がありました。1940年ナチスはデンマークに侵攻し、デンマークは独立国の体裁は維持するものの、その軍事配下となります。その後、ドイツ軍はアメリカ・イギリスの侵攻に備え、スカンディナヴィア半島からピレネー山脈へと延びる、太平洋の壁と呼ばれた約2600kmに及ぶ海岸線に防御線を築きます。デンマークの西海岸はこの壁の約400kmを占め、そこにドイツ軍により埋められたのが200万近い地雷です。地雷撤去を強要され、捕虜となった2000人以上のドイツ兵の内、約半数が命を落としたり手足を失ったりしたと言われています。

この映画の魅力は二つありました。一つは、常に迫ってくる緊張感です。真っ青な海に広大な白い砂浜。まだ幼さが残る少年兵が横一列で腹ばいになり、細長い棒で砂の中を斜めにつついていく。その先に埋まっているのは、一瞬で命を奪い去る凶悪な地雷です。そして両腕を吹き飛ばされ、やがて死に至る犠牲者。自暴自棄になって自ら死を選ぶ者。いやがおうにも、死と隣り合わせの少年兵の過酷な任務に吸い込まれていました。

二つ目は、デンマークの軍曹の心境が微妙に変化していく様です。ナチスに激しい憎しみを抱く軍曹でしたが、無垢な少年たちが次々と命を落とすのを見て、次第に良心の呵責にさいなまれます。祖国に戻ることを願う少年兵に、任務が終われば叶えてあげようとしますが、彼らを甘やかした軍曹に試練がのし掛かります。人間の善と悪の二面性が入り乱れながら、最期は一人の人間として戦争を冷静に眺め、一つの行動に出ます。

当時の実際の話しとして、少年兵に地雷除去を強制することは戦争犯罪に当たらなかったのか。デンマークはドイツと交戦していたわけではないので、捕虜の扱いを規定したジュネーヴ条約の適用外だったと言われています。

程なくして米ソ冷戦時代に突入すると、デンマークにいたドイツ兵は帰還を果します。そして西ドイツと共にアメリカの同盟国となったデンマークは、同じ西側陣営に属する者として、ドイツと協力関係を築くことになります。これにより、この史実がうやむやになり一旦歴史から葬られることになったようです。なるが、その先には思い

如何に母国の罪だからと言っても、ドイツの未来を担うはずの若者を犠牲にすることは、人道的に許されるものではありません。知られざる罪として、デンマーク側にも、負の歴史として残そうとする意図がこの作品にはあります。

この映画の原題は「Under sandet」で、すなわち「砂の下」という意味です。邦題の「ヒトラーの忘れもの」、この忘れものは、地雷であり少年兵ともとれます。去年アウシュヴィッツ収容所に視察研修旅行に参加した私は、この邦題に興味を持って録画した次第です。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目から鱗が!?(その2)

2018年02月17日 09時59分21秒 | Weblog
その療法院の院長は、昔空手と柔道をやっていたそうで、肩幅もあり胸板も厚く手は大きく、見るからに武道家です。無駄口をききませんが、治療に関して、また身体の本来の機能については、ひとこと一言含みのある話をされます。

施術としては整体となるのでしょうか、手技を用いて筋肉や関節を積極的に動かすことを主としています。患者さんに痛みがあっても、無理をし過ぎない範囲で、先生の力を借りながら自ら動かすことに重きを置いています。

「これからは徹底的に左足(怪我をして楽をさせてきた)を意識して使いなさい。椅子から立つ時も手を使わない、足だけを使いなさい。歩く時は下を見ない、胸を張って前を見なさい」。院長の指導です。

しかし、椅子から立ち上がる時にテーブルや椅子に手を付いて、その力で立ち上がる習慣が、私は無意識に出てしまいます。家庭では、それを家族が見つけたら、一人ひとりに罰金(100円)を払うことにしました。会社では机の上に100円玉を置いて、警告としています。

一ヶ月前、自宅で自主トレをやり過ぎて、左足の付け根が腫れ上がりました。湿布薬を貼って幸い三日程で治りましたが、40年間の楽や得を一気に解消しようと焦りが出てしまいました。院長から、こうも言われました。「40年間積極的に動かしてこなかった左足を、梶さんはこれから40年掛けて使うことですね」。

最近私の歩き方を見て、歩き方が変わったと言ってくれる方が増えているのが、何よりの励みになります。手術で左足が約4センチ短い、その足の長さは変わらずとも、股関節が曲がってきたことや左足を意識することによって、歩き方が変わったようです。

改めて今回感じたのは、このような療法院を自らは絶対に探すことはなかったでしょうし、通院してなければ自分の足がよくなるとは夢にも思わなかったことです。自分で長年思い込んでしまったこと、そのセルフイメージが私の限界になっていました。「セルフイメージを変えればあなたは変わる」、目から鱗が落ちたのはここです。

お陰様で、足が治るとの明るい希望が持てるようになりました。“年をとるのは仕方がない、年寄りになる必要はないよね”と、知人から頂いた今年のカレンダーの表紙の言葉です。年をとるのは避けられないけれど、年のせいにして、何もかも諦めてはいけない。療法院に通ってからの心境です。

毎週施術を続け指導を受け、二ヵ月半が経過しました。そして院長から、「梶さん、左足の筋肉が付いきましたよ、足の肌の色も変わってきましたね」と、更に「次回以降、通院するのも一週間一回を間引きしていいです」と、言われました。

通院の頻度を、中途半端に私から尋ねなくてよかったと思いました。初診で「毎週通院して下さい」と言われ、「えっ、東京から大阪に毎週!?」と、内心思ってしまったのも事実です。“馬には乗ってみよ 人には添うてみよ”を、正に実感しました。これからは普段の生活で、この指導をどれくらい守れるかになります。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

目から鱗が!?

2018年02月10日 09時47分21秒 | Weblog
大阪の江坂は、新大阪から地下鉄の御堂筋線で北に(千里中央方面)向かって二つ目の駅です。去年の11月下旬から、私はここへほぼ週一回訪れることとなりました。足の治療の為にですが、年が明けてからもこの江坂にある療法院に通っています。

去年の最後のブログに、「私は40年前に大腿骨頚部を骨折し、それによって歩き方がぎこちなく、股関節が曲がらない状態で今日に至っています。しかし幸い他には持病も無く、一切薬も飲まずに生活ができていることに感謝しています。その私の足に突然転機が訪れました」と書いて、この話はまたあらためてお伝えしますとしました。

去年初めて訪れたその療法院で、私の怪我の経緯と症状を聞いていた院長は、「関節が曲がらないのは、梶さんがずっと動かしてこなかったからです!」と、衝撃的な言葉を耳にします。

40年前に手術をしてもらった担当医から、「梶さんはギプス固定して1年近く経過して骨が付かず、それから切開手術をしました。その1年の間股関節(骨盤と大腿骨頚部との関節)が癒着してしまって、骨は完全に付いたけれど、これ以上の曲がりは期待できないでしょう」と言われたことを、私はすっかり信じてしまったのです。

その結果、無意識に悪い左足を右足がカバーする生活習慣が、長年身に付いてしまったことになります。初めて耳にする「曲がらないのは、私が動かしてこなかったから」、それは果して本当なのでしょうか。

実はその疑いを消し去る、その療法院を私に紹介して下さった方の存在があります。とても尊敬できる方で、ご自身も肩の腱の断裂で通院されるようになった療法院を、ここの施術が私には必要ではないかと、勧めて下さいました。

“馬には乗ってみよ 人には添うてみよ”との、ことわざがあります。馬は乗ってみなければ善し悪しが分からない、人も付き合ってみなければ性質は分からないとの意味で、何事も経験することによって初めて分かるのだから、始める前から軽々しく判断するのはよくないとの戒めです。

院長から言われた「曲がらないのは、私が動かしてこなかったから」。目から鱗が落ちるという言葉は知っていましたが、その後、正にこれを実感することになります。

初診でそのようなやり取りがあり、院長からは今後週一回通院を勧められました。勿論その療法院は大阪にあります。一瞬のためらいもありましたが、私は素直に「分かりました」と答えていました。信頼できる方からの勧であり、もしかして間違った事を信じてしまった、自分への挑戦だとも受け止めました。

施術は、40年間動かしていない筋肉や腱を動かすのですから痛みは伴います。私の歩き方を院長は診て、「長年右足ばかりに頼り、左足が楽をしたものだから、左足は力なく外側に完全に開いてしまっている」と。実際、楽をした左足に比べ、過酷に使ってきた右足底は、肥大して1.5センチも長くなっているのがその証拠です。

そのような成り行きで、大阪の療法院に通うことになりました。幸い私は以前から月一回京都で、週末一泊二日の勉強会に参加していましたので、その前後は利用しています。
~次回に続く~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「データの世紀」を迎え

2018年02月03日 09時59分01秒 | Weblog
この一週間で、AIで情報を収集してデータ化したものを積極的に活用していく事例や、また現段階でその課題に関する、新聞記事やテレビ番組が目に留まりました。

〔事例:新聞報道〕 従業員のまばたきや心拍、無意識の動作といったデータをモバイル機器が集めて分析し、仕事への集中度合いやストレスなどを測定する技術が相次いで登場している。働き方改革が叫ばれるなか、データは自己管理や職場環境の改善などに生かし、職場の効率アップに繋げようというもの。しかし、何から何まで会社に把握されるオフィスがどこまで受入れられるか、プライバシー保護や情報漏洩防止などの対策はこれから。

〔事例:テレビ報道〕 ドライブレコーダー (ドラレコ)革命が、事故の無い社会を作る。今まで交通事故は、人の証言や鑑識が判断したものだったが、これからはドラレコの映像事実が決め手となる。ドラレコには、速度・急ブレーキ・急ハンドル・急発進・GPS情報などの走行データが蓄積される。そのデータを利用して、運送会社は運転手の安全運転を啓蒙する。ある損保会社で開発したシステムは、ドライバーの運転を点数化し、契約先企業に情報提供して、事故が減った場合は保険料を最大で30%減額する。

今や最先端のテクノロジーは、このような分野でも使われ出しました。確かに法整備はこれからでしょうが、AIによるデータ活用の勢いは留まるところを知りません。しかし法的対策以外でも、次のような課題もあることも確かなようです。

〔課題:新聞コラム〕 保険、医療・医薬、小売り、消費財など様々な分野の企業は、入手・蓄積したデータを駆使して、ほぼ全ての商品やサービスを顧客別にカスタマイズする力を持つようになった。反面、高度に個別化したサービスを受けるには、利用者の様々な権利を放棄しないといけない悩ましいリスクをはらんでいる。データ化で国民の格差も生じ、AI化は雇用などの面でも不安を招き、下層階級への安全網を保障する事態になり、国家の試練となる。~アメリカ人のコラムニスト~

〔課題:新聞コラム〕 ネット広告や電商取引はそのサービスを通じ莫大なデータを蓄積していて、趣味趣向や行動に関する個人データの活用が王道とはいえるが、その使い方の本命はヘルスケアだ。スマホやウエアラブル端末が普及し、身体データをリアルタイムで把握する機能は、たまの検診で得るようなぶつ切りのデータとは全く違う。しかしその取り扱いはIT企業任せのブラックボックスになりがちで、それらのデータは国の競争力も左右するため、覇権を巡る動きも急だ。

これらを読んでいくと、そのデータとは個人に帰属するがゆえに、提供されるサービスも、受ける側の未だ見えない世界と背中合わせであり、また国家単位で今後進めていかなければならない、大きな課題も浮かび上がってきます。

話は前回の歴史の見方・捉え方に戻ってしまいますが、明治維新を迎え、大久保利通は海外の制度や文化を性急に取り入れようとしたのに対し、西郷隆盛はそれが日本に馴染むかどうか時間の余裕を欲しがったとも言われています。その性急さや強引さが、鬼胎の時代を産み出し太平洋戦争の敗因になったと、司馬遼太郎が指摘しいる点なのかもしれません。

「データの世紀」を迎えたと言われます。しかし先述の事例ではありませんが、管理する為に数値化だけに走り、人間の働く本質やらしさを見失わず、人間の尊厳の放棄をしないことを願います。 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする