25年ほど前(先代は既に他界)、当時の江戸川鉄栄会の会長から、サポート役で副会長を受けてくれないかとの声が掛かってお断りしたのは、それなりの理由がありました。先代が自社の商売の将来も考え、地区鉄鋼団体である当会に入会したものの、役員を引き受けて外の会に出て行くことはもともと嫌っていました。
「先ずは自分の商売に専念することが大事」「自分の頭の上のハエも追えないのに、外の団体に出て行くな、それも“長”となって」、という意味でした。それは祖父からそうで、先代もそれを守り、私にも言っていましたので、私は家訓として受け入れました。
そのような理由で会長には、副会長には“長”が付いているのでとお断りしたのです。暫く経って会長から、「梶さん、書記という役職を新たに作ったので、何とかお願いできないかなあ」と、再三話がありました。考えたあげく、長が付いていないから家訓は破らない、との解釈で書記の役をお引き受けし、その会長の下で3年間働かせてもらいました。
3年目最期の年は、当会が創立30周年行事を行うことになっていました。無事それを終えた直後、その会長は退任しました。実は会長の会社は詐欺まがい問題を起こし、一部会員にも損害を与え、退任せざるを得なくなったのです。私は、会長の見栄の為に利用された形になりました。
私に人を見る目がなかった。そう言われればそれまでですが、しばらく人間不信になり、私も退任させてもらいました。そして、一般会員が参加する行事にも殆ど参加せず、また当会から距離を置くことになります。その後に就いた会長は、結局5期10年会長をされることになります。長期在任になったのは、その会長の人徳もありましたが、次期会長の引き受け手がいなかったこともあります。
その会長が3期6年を過ぎた頃から、私に会長職を引き受けて欲しいとの依頼がありましたが、家訓の話も伝え断り続けました。その会長の時代から副会長は2名に増やしたのですが、遂に5期が終わる半年前くらいから、是非とも私に次期会長を受けてもらいたいと、正副会長3名が揃って何回か来られようになりました。
そこで懇意にしているある方に相談しました。家訓もあり、私はそのような器ではないと。するとその方は「確かに、梶さんは器ではないかもしれない」と、あっさり。しかし、「その器を造る今回チャンスではないですか。頼まれた時がチャンスですよ」とも言われ、その瞬間私の中で何かスッと腑に落ちるものがありました。
同時に、次のような考えも浮かんでいました。江戸川鉄栄会に入会したのは何か会から得るものがあったから(権利の行使)、でも入ったからには何か会の為に恩返しすることも(義務の励行)、人としての道ではないか。家訓であると断り続けることも可能でしたが、敢えて家訓も破る勇気も必要かもしれないと思うようになりました。
結局私も前会長と同じく、5期10年当会の会長職を務めさせてもらうことになりました。そして2年前に、後任がやっと現れバトンタッチをしました。地区団体の上部団体である、東京鐵鋼販売業連合会があります。9地区の会長は、在任中はこの東鉄連の常任理事となり、その中で正副会長が選ばれます。常任理事4年目に当時の正副会長に引っ張り上げてもらい、東鉄連の副会長を7年間務めさせてもらいました。
長が付く外部の団体に出て行くことになり、家訓は破ってしまいました。しかしながら会社だけでは経験できない、多くの体験をさせてもらいました。器ができたとは思いませんが、長の役職を与えて下さった皆様に感謝しています。
「先ずは自分の商売に専念することが大事」「自分の頭の上のハエも追えないのに、外の団体に出て行くな、それも“長”となって」、という意味でした。それは祖父からそうで、先代もそれを守り、私にも言っていましたので、私は家訓として受け入れました。
そのような理由で会長には、副会長には“長”が付いているのでとお断りしたのです。暫く経って会長から、「梶さん、書記という役職を新たに作ったので、何とかお願いできないかなあ」と、再三話がありました。考えたあげく、長が付いていないから家訓は破らない、との解釈で書記の役をお引き受けし、その会長の下で3年間働かせてもらいました。
3年目最期の年は、当会が創立30周年行事を行うことになっていました。無事それを終えた直後、その会長は退任しました。実は会長の会社は詐欺まがい問題を起こし、一部会員にも損害を与え、退任せざるを得なくなったのです。私は、会長の見栄の為に利用された形になりました。
私に人を見る目がなかった。そう言われればそれまでですが、しばらく人間不信になり、私も退任させてもらいました。そして、一般会員が参加する行事にも殆ど参加せず、また当会から距離を置くことになります。その後に就いた会長は、結局5期10年会長をされることになります。長期在任になったのは、その会長の人徳もありましたが、次期会長の引き受け手がいなかったこともあります。
その会長が3期6年を過ぎた頃から、私に会長職を引き受けて欲しいとの依頼がありましたが、家訓の話も伝え断り続けました。その会長の時代から副会長は2名に増やしたのですが、遂に5期が終わる半年前くらいから、是非とも私に次期会長を受けてもらいたいと、正副会長3名が揃って何回か来られようになりました。
そこで懇意にしているある方に相談しました。家訓もあり、私はそのような器ではないと。するとその方は「確かに、梶さんは器ではないかもしれない」と、あっさり。しかし、「その器を造る今回チャンスではないですか。頼まれた時がチャンスですよ」とも言われ、その瞬間私の中で何かスッと腑に落ちるものがありました。
同時に、次のような考えも浮かんでいました。江戸川鉄栄会に入会したのは何か会から得るものがあったから(権利の行使)、でも入ったからには何か会の為に恩返しすることも(義務の励行)、人としての道ではないか。家訓であると断り続けることも可能でしたが、敢えて家訓も破る勇気も必要かもしれないと思うようになりました。
結局私も前会長と同じく、5期10年当会の会長職を務めさせてもらうことになりました。そして2年前に、後任がやっと現れバトンタッチをしました。地区団体の上部団体である、東京鐵鋼販売業連合会があります。9地区の会長は、在任中はこの東鉄連の常任理事となり、その中で正副会長が選ばれます。常任理事4年目に当時の正副会長に引っ張り上げてもらい、東鉄連の副会長を7年間務めさせてもらいました。
長が付く外部の団体に出て行くことになり、家訓は破ってしまいました。しかしながら会社だけでは経験できない、多くの体験をさせてもらいました。器ができたとは思いませんが、長の役職を与えて下さった皆様に感謝しています。