後任の社長に譲って、私が会長となって三年経ちました。相談役として現在は週二日出社していて、社長との話し合いも30~40分で終わり、会社には二日間とも半日もおりません。会社に問題がないとはいえませんが、懸案や課題が共有できていて会社の方向性が見えていれば、後は社長に任せています。社長から意見を求められれば勿論応じますが、社長の考えを優先して、私の意見は一つの考えとして話し、後は社長自身の判断に委ねるようにしています。
そうはいうものの、社長が私の意見を忖度する気持ちは伝わります。それは私の経験等を尊重して、耳を傾けてくれていると解釈しています(私はです)。会社に私が長くいれば、無言の威圧となり、いなければいないで社長の判断・決断で日々事に当たってくれると思います。いずれ出社は一日(半日だけ)にしたいと考えています。私自身も、会社にいなければいないだけ、私の関心事も徐々に会社以外に向かっています。
そのように会社との距離感を保っている私に、妻がスマホでこんなコラムを見つけたので読んでみたらとのこと。執筆者は経済小説を書きTVのコメンテーターなどをしている江上剛氏で、タイトルは“「カリスマ」か「老害」か、日本で静かに進む経営者の高齢化”でした。名経営者といわれる人でも、社長を後任に譲れなかったり、相談役になっても実権を握り続けたり、カリスマと老害の境はどこなのか、との内容でした。妻の意図は、「あなたは、大丈夫ですか?」なのでしょう。その内容を紹介します。
世界一のモーターメーカー日本電産の永守重信氏(77歳)が、「バトンを渡すのが早すぎた」と言い、21年6月にCEOの座を譲った関潤氏(元日産副COO)を降格させ、22年4月再度CEOに返り咲いた。永守氏は、13年に呉文精氏(元カルソニックカンセイ社長)を副社長に、18年には吉本浩之氏(元タイ日産自動車元社長)を社長に就任させた。しかし、いずれも永守氏のお眼鏡にかなわなかったのか退任させられ、現在は退社している。
関氏について、永守氏は「経営手法も(自分と)似ており、決断力や人格などもCEOの後継者としてふさわしい」と絶賛していた。「ビジネスの内容も変わってきており、それぞれの分野で仕事ができる人が集まって会社を成長させていくことが大事」と述べ、拡大する車載向けビジネスを関氏が成長させてくれると期待したのだが、期間を置かず失望に変わってしまったようである。
同じくファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正氏(73歳)もまた同じく、玉塚元一氏(元日本IBM)を社長に据えたが、わずか3年後に「安定志向が過ぎる」と解任してしまった。玉塚氏の他にも後継者と目されていた同社の元副社長澤田貴司氏とも、たもとを分かってしまった。
永守氏も柳井氏も「カリスマ」と呼ばれる経営者である。カリスマと呼ばれる経営者は、必ずジレンマに陥る。俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な「個」の力のおかげだ。他人に危なっかしくて任せられないと思っている。だから辞められず、そのため彼らはやがて必ず来る「個」の終わりを受け入れられない。そしていつしか「老害」と呼ばれるようになる。
コラムはこのような書き出しでした。永守氏と柳井氏に共通するのは、後任を評価しバトンタッチして、大いに期待をかけたにもかかわらず、短期間の内に至らない点を見つけ、マイナスの判断をして、何かと名目を付けて、返り咲きを独断で行ったことでしょう。社長以下の役員人事についても、ワンマン振りが窺われます。他役員にとってみれば、カリスマのトップには反発できず、かえって全権委任の方が楽なのかもしれません。このような動きを社内の誰が止められるのでしょうか。
日本電産もユニクロも業績は共にとても好調です。記事にもありましたが、「俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な『個』の力のおかげだ。他の奴なんて危なっかしくて任せられない」との意識があるのでしょう。好調の内に、早く意に添わない後継問題の膿を出しておこう、との思惑もあるのでしょう。
しかし永守氏の御歳は77で、柳井氏の御年は73歳です。今を見送って、いつバトンを後継に渡すのでしょうか。先々も同じことを繰り返す懸念すらあります。「彼らはやがて必ず来る『個』の終わりを受け入れられない。そしていつしか『老害』と呼ばれる」。正にその通りだと思います。大事な人選の軽率さを自らさらけ出したようにも受け止められます。
社長職の席を譲って退いた相談役でも同じ傾向があるとの、その記事を追ってみます。 ~次回に続く~
そうはいうものの、社長が私の意見を忖度する気持ちは伝わります。それは私の経験等を尊重して、耳を傾けてくれていると解釈しています(私はです)。会社に私が長くいれば、無言の威圧となり、いなければいないで社長の判断・決断で日々事に当たってくれると思います。いずれ出社は一日(半日だけ)にしたいと考えています。私自身も、会社にいなければいないだけ、私の関心事も徐々に会社以外に向かっています。
そのように会社との距離感を保っている私に、妻がスマホでこんなコラムを見つけたので読んでみたらとのこと。執筆者は経済小説を書きTVのコメンテーターなどをしている江上剛氏で、タイトルは“「カリスマ」か「老害」か、日本で静かに進む経営者の高齢化”でした。名経営者といわれる人でも、社長を後任に譲れなかったり、相談役になっても実権を握り続けたり、カリスマと老害の境はどこなのか、との内容でした。妻の意図は、「あなたは、大丈夫ですか?」なのでしょう。その内容を紹介します。
世界一のモーターメーカー日本電産の永守重信氏(77歳)が、「バトンを渡すのが早すぎた」と言い、21年6月にCEOの座を譲った関潤氏(元日産副COO)を降格させ、22年4月再度CEOに返り咲いた。永守氏は、13年に呉文精氏(元カルソニックカンセイ社長)を副社長に、18年には吉本浩之氏(元タイ日産自動車元社長)を社長に就任させた。しかし、いずれも永守氏のお眼鏡にかなわなかったのか退任させられ、現在は退社している。
関氏について、永守氏は「経営手法も(自分と)似ており、決断力や人格などもCEOの後継者としてふさわしい」と絶賛していた。「ビジネスの内容も変わってきており、それぞれの分野で仕事ができる人が集まって会社を成長させていくことが大事」と述べ、拡大する車載向けビジネスを関氏が成長させてくれると期待したのだが、期間を置かず失望に変わってしまったようである。
同じくファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正氏(73歳)もまた同じく、玉塚元一氏(元日本IBM)を社長に据えたが、わずか3年後に「安定志向が過ぎる」と解任してしまった。玉塚氏の他にも後継者と目されていた同社の元副社長澤田貴司氏とも、たもとを分かってしまった。
永守氏も柳井氏も「カリスマ」と呼ばれる経営者である。カリスマと呼ばれる経営者は、必ずジレンマに陥る。俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な「個」の力のおかげだ。他人に危なっかしくて任せられないと思っている。だから辞められず、そのため彼らはやがて必ず来る「個」の終わりを受け入れられない。そしていつしか「老害」と呼ばれるようになる。
コラムはこのような書き出しでした。永守氏と柳井氏に共通するのは、後任を評価しバトンタッチして、大いに期待をかけたにもかかわらず、短期間の内に至らない点を見つけ、マイナスの判断をして、何かと名目を付けて、返り咲きを独断で行ったことでしょう。社長以下の役員人事についても、ワンマン振りが窺われます。他役員にとってみれば、カリスマのトップには反発できず、かえって全権委任の方が楽なのかもしれません。このような動きを社内の誰が止められるのでしょうか。
日本電産もユニクロも業績は共にとても好調です。記事にもありましたが、「俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な『個』の力のおかげだ。他の奴なんて危なっかしくて任せられない」との意識があるのでしょう。好調の内に、早く意に添わない後継問題の膿を出しておこう、との思惑もあるのでしょう。
しかし永守氏の御歳は77で、柳井氏の御年は73歳です。今を見送って、いつバトンを後継に渡すのでしょうか。先々も同じことを繰り返す懸念すらあります。「彼らはやがて必ず来る『個』の終わりを受け入れられない。そしていつしか『老害』と呼ばれる」。正にその通りだと思います。大事な人選の軽率さを自らさらけ出したようにも受け止められます。
社長職の席を譲って退いた相談役でも同じ傾向があるとの、その記事を追ってみます。 ~次回に続く~