梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

カリスマか老害か(その1)

2022年08月27日 04時38分59秒 | Weblog
後任の社長に譲って、私が会長となって三年経ちました。相談役として現在は週二日出社していて、社長との話し合いも30~40分で終わり、会社には二日間とも半日もおりません。会社に問題がないとはいえませんが、懸案や課題が共有できていて会社の方向性が見えていれば、後は社長に任せています。社長から意見を求められれば勿論応じますが、社長の考えを優先して、私の意見は一つの考えとして話し、後は社長自身の判断に委ねるようにしています。

そうはいうものの、社長が私の意見を忖度する気持ちは伝わります。それは私の経験等を尊重して、耳を傾けてくれていると解釈しています(私はです)。会社に私が長くいれば、無言の威圧となり、いなければいないで社長の判断・決断で日々事に当たってくれると思います。いずれ出社は一日(半日だけ)にしたいと考えています。私自身も、会社にいなければいないだけ、私の関心事も徐々に会社以外に向かっています。
 
そのように会社との距離感を保っている私に、妻がスマホでこんなコラムを見つけたので読んでみたらとのこと。執筆者は経済小説を書きTVのコメンテーターなどをしている江上剛氏で、タイトルは“「カリスマ」か「老害」か、日本で静かに進む経営者の高齢化”でした。名経営者といわれる人でも、社長を後任に譲れなかったり、相談役になっても実権を握り続けたり、カリスマと老害の境はどこなのか、との内容でした。妻の意図は、「あなたは、大丈夫ですか?」なのでしょう。その内容を紹介します。

世界一のモーターメーカー日本電産の永守重信氏(77歳)が、「バトンを渡すのが早すぎた」と言い、21年6月にCEOの座を譲った関潤氏(元日産副COO)を降格させ、22年4月再度CEOに返り咲いた。永守氏は、13年に呉文精氏(元カルソニックカンセイ社長)を副社長に、18年には吉本浩之氏(元タイ日産自動車元社長)を社長に就任させた。しかし、いずれも永守氏のお眼鏡にかなわなかったのか退任させられ、現在は退社している。

関氏について、永守氏は「経営手法も(自分と)似ており、決断力や人格などもCEOの後継者としてふさわしい」と絶賛していた。「ビジネスの内容も変わってきており、それぞれの分野で仕事ができる人が集まって会社を成長させていくことが大事」と述べ、拡大する車載向けビジネスを関氏が成長させてくれると期待したのだが、期間を置かず失望に変わってしまったようである。

同じくファーストリテイリングの会長兼社長の柳井正氏(73歳)もまた同じく、玉塚元一氏(元日本IBM)を社長に据えたが、わずか3年後に「安定志向が過ぎる」と解任してしまった。玉塚氏の他にも後継者と目されていた同社の元副社長澤田貴司氏とも、たもとを分かってしまった。

永守氏も柳井氏も「カリスマ」と呼ばれる経営者である。カリスマと呼ばれる経営者は、必ずジレンマに陥る。俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な「個」の力のおかげだ。他人に危なっかしくて任せられないと思っている。だから辞められず、そのため彼らはやがて必ず来る「個」の終わりを受け入れられない。そしていつしか「老害」と呼ばれるようになる。

コラムはこのような書き出しでした。永守氏と柳井氏に共通するのは、後任を評価しバトンタッチして、大いに期待をかけたにもかかわらず、短期間の内に至らない点を見つけ、マイナスの判断をして、何かと名目を付けて、返り咲きを独断で行ったことでしょう。社長以下の役員人事についても、ワンマン振りが窺われます。他役員にとってみれば、カリスマのトップには反発できず、かえって全権委任の方が楽なのかもしれません。このような動きを社内の誰が止められるのでしょうか。

日本電産もユニクロも業績は共にとても好調です。記事にもありましたが、「俺の会社がもっているのは、俺の圧倒的な『個』の力のおかげだ。他の奴なんて危なっかしくて任せられない」との意識があるのでしょう。好調の内に、早く意に添わない後継問題の膿を出しておこう、との思惑もあるのでしょう。

しかし永守氏の御歳は77で、柳井氏の御年は73歳です。今を見送って、いつバトンを後継に渡すのでしょうか。先々も同じことを繰り返す懸念すらあります。「彼らはやがて必ず来る『個』の終わりを受け入れられない。そしていつしか『老害』と呼ばれる」。正にその通りだと思います。大事な人選の軽率さを自らさらけ出したようにも受け止められます。

社長職の席を譲って退いた相談役でも同じ傾向があるとの、その記事を追ってみます。  ~次回に続く~
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歎異抄(その6)

2022年08月20日 04時53分11秒 | Weblog
~歎異抄の「他力」について、引き続き阿満氏の解説です~

歎異抄第五章の最後にはこうある。意訳:【念仏が自分の努力によって励む善行であるならば、その念仏を振り向けて父母をも助けることができるでしょう(しかし、本願念仏はそのような念仏ではありません)】。念仏が自分の力で励む「善」であるならば、その善を亡き人に手向けて往生を願うことが起こり得るかもしれない。しかしこの念仏は、阿弥陀仏が私たちの智慧を超えて、工夫して私たちに与えてくれている「他力」そのものである。その「他力」の念仏を、自分の力の成果として亡き両親を助けるために使うのは、おかしな話ではないか。親鸞はこういっているのです。

追善供養の他に、もう一つ気になる念仏がある。それは第十四章にある「滅罪の念仏」である。滅罪、つまり自らの罪滅ぼしの為に念仏をするという考えだが、とても私たちが信じる念仏には及ばない、と親鸞はいいます。しかし念仏に対して滅罪を期待する当時の人々の思いは、想像以上に強かった。なぜなら、鎌倉時代には武士階級があり、武士は人殺しという罪を背負っているので、その思いが切実だったのだ。同じように念仏をしていても、滅罪の思いがあれば、「自力」の念仏になってしまうのである。

以上が歎異抄にある、「善人」「悪人」と「他力」「自力」についての、阿満氏の解説のまとめです。要点は外さないように心掛けましたが、紙面の都合もあり、かなり省略した部分もあります。通していえることは、現代人もそうですが、歎異抄が書かれた当時でも、この捉え方には誤解があったようです。仏教から出た言葉ですが、一般に使われるようになって、意味が変わってしまったのです。

「人事を尽くして天命を待つ」という言葉があります。いうまでもなく、自分ができる全ての努力をしたら後はおとなしく天命に任せて事の成り行きを見守る、との意味です。しかし皮肉った言い方をすれば、人事を尽くせば天命も変えられるはずというような、少し思い上がった響きが感じられます。それよりも、「天命に任せて人事を尽くせ」のように、先ず天命に任せ能力一杯手抜きをせず事にあたりそして結果も気にしない、の方が清々しさを感じます。

歎異抄でいわれる「他力」の捉え方も、これと共通するのではないでしょうか。他力という大きな力に委ねず、結果を出すことだけを気にして自力作善をしてしまう。親鸞は自称、愚禿(ぐとく)親鸞といいました。愚禿とは「おろか」で「ようち」の意味です。二十年間の比叡山でも悟りをえられず、肉食妻帯で自らおろかと称した親鸞だからこそ、執着心をもった偽善者を見抜く眼力があったのだと思います。

私の父方の両親は、石川県白山市の出身です。北陸には浄土真宗の信者が多いとされていて、父親の両親も浄土真宗でした。そのようなこともあり、我が家のお墓は台東区浅草の東本願寺にあります。このお寺の正式名称は、浄土真宗東本願寺派本山東本願寺です。境内には、浄土真宗の中興の祖蓮如上人の立派な銅像はありますが、親鸞のものはありません。また機会があったら、東本願寺の由来も調べてみようと思います。

親鸞が生きた鎌倉時代には、浄土宗や日蓮宗や時宗など、日本独自の新しい仏教が次々と生まれました。それまでの日本の仏教(平安時代の空海の真言宗や最澄の天台宗など)は、中国から伝来した宗派のもと、厳しい戒律を守り学問を納めることが重視されたため、僧侶以外の人には縁遠いものでした。しかし、鎌倉時代に興った新仏教は違いました。出家しなくても誰でも平等に仏の加護を受けられるというもので、一般庶民の間に広まりました。

しかしその新しい仏教は、既存の国家公認の仏教とは違い、天皇の勅許を得ることを無視する形で布教されました。当時、未公認の宗を立てるのは、政治体制や教団相互のルールを無視する危険な行為とみなされ、当然のことながら仏教界からは厳しい抗議の声が上がり、支配層に属する人々に恐れを生じさせました。一方で法然の教えは、当時の日本社会の最下層の人々に強力に支持されました。よって、法然や親鸞は朝廷から弾圧を受け流罪となったのです。それでもこの革命的な流れは、確りと根付きます。

宗教は時代と共に変遷します。昔のように飢饉や疫病や戦国乱世の時代と違い、今は平和な時代です。しかし江戸時代(檀家制度導入や供養念仏の定着)を経て、以来仏教は進歩していないようにも映ります。「自分はどう生きるか」の観点で、歎異抄を開いてみる価値があるのかもしれません。

 人間の不条理を描いた飢餓の絵図
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歎異抄(その5)

2022年08月13日 06時07分19秒 | Weblog
前回、歎異抄にある善人と悪人とは、現代用いられている意味とは違うと解説しました。善を励んで助かろう念仏を称えて救われようと、自力作善で疑心を持った人間が善人である。そのような諸善や念仏も、いずれの行もおよばず煩悩の塊ではあるが、他力の信心を獲た人間が悪人である。親鸞はそういったのです。この「自力」や「他力」も現代風に解釈すると、自己努力を重ねる自力が尊く、人任せで何もしない他力は許せない、となってしまいます。歎異抄では、自力より「他力に委ねよ」なのです。

そもそも歎異抄は、どうしてこの世にうまれたのでしょか。法然から親鸞に伝えられた教えが、その時代の念仏者の間に異なって広まったと嘆いて、親鸞の弟子の唯円が書き記したものです。伝えられた教えとは違う諸説がまかり通り、多くの仲間が動揺する様子を見聞きして、異説を親鸞の教えに照らして批判し真実の教えが広まることを願い、唯円は歎異抄を著わしたのです。

その時代でも、悪人正機説を逆手にとって「悪をするほど浄土へいけて、助かる」と悪用する愚かを、歎異抄で唯円が正しています。その歎異抄には「他力」についても、多くの紙面を割いています。その解釈は、前回同様NHKの番組“こころの時代”の副読本となる阿満利麿著、『歎異抄にであう』の力を借りたいと思います。阿満氏はその中で“他力をえらぶ”と題して、解説しています。以下そのまとめです。

「他力」という言葉は、インドから渡来した仏教語を漢訳したものではなく、もともと中国にあった俗語だといわれている。日常的に使われている言葉を、中国南北朝時代(439~589年)の曇鸞(どんらん)という僧が、初めて『浄土論註』に採用した。因みに親鸞の名は、曇鸞の鸞を用いたとされる。この言葉が使われたことで、仏教には「自力の仏教」と「他力の仏教」があることが明らかになったのである。

では、親鸞のとなえた「他力」とは何か。その答えは「阿弥陀仏の本願の力」である。歎異抄第十六章にその他力の説明がある。意訳:【万事につけて、浄土へ生まれるためには、利口ぶらずただ我を忘れて阿弥陀仏のご恩の深重であることを、常に思い出すのがよいのです。そうすれば、念仏も自然に口をついて出てくるようになるでしょう。これが、阿弥陀仏のおのずからのはたらきです。私があれこれと考えたり按配したりしないことを、それを「おのずから」と申すのです。それが他力ということです】。

阿弥陀仏の自ずからのはたらきに任せ、そのはたらきが他力であると書かれている。日本では、仏教から離れ他力という言葉が一般化し、自分で努力をせず人任せにすることが「他力本願」となってしまった。「他力本願」の本来の意味が、この第十六章に明確化されている。我々も宗教意識に立ち戻り、その違和感を手がかりに他力を理解することができる。“他力をえらぶ(他力を選択する) ”ことで、日本人の心の「非他力」的な特徴が分かるようになる。

しかし日本の宗教的世界の中には、歎異抄に見られる「他力」と全く異なる「非他力」的な念仏がある。また歎異抄第五章には、その問題が提起されている。【親鸞は、父母の孝養のためとて、一辺にても念仏もうしたること、いまださふらわず】と。身内の追善供養、つまり故人の冥福を祈る供養のために、念仏をしたことは一度もないと断言している。その後に、意訳:【そのわけは、一切の人々はすべて、輪廻の世界を流転する間に、父となり母となり、兄弟姉妹となってきたのであり、どなたであっても、次に浄土に生まれて仏となったときに救うことができるからです】とある。

一般的な日本人が念仏に出遭うのは、ほとんど追善供養である。これほど供養に関心をもつのは、日本人の宗教心の大部分が「自然宗教」によって作られているから。死んだ人の霊魂は穢(けが)れていて、その穢れを取り除かないことには、死者は清浄なご先祖にはなれない。このような自然宗教の言い伝えが信じられ、そこには死者の霊をどうするかが中心で、人間存在の不条理を解決する視点が非常に弱い。 

全ての人々は輪廻の世界を流転する。その間に、あかの他人も父母兄弟姉妹の関係となってきた。従って、今の肉親だけを供養する必要はないと、親鸞はいうのだ。古代インド人が、なぜ「輪廻転生」という考え方を生み出したのかというと、この世を生きる人間の苦しみの根があまりにも深すぎるから。人間の罪の深さや不条理の複雑さは、現世だけでは解決し切れない。過去・現在・未来、いわば三世に及ぶ長いスケールで、人間の苦しみを捉えたのが「輪廻転生」の思想である。

その輪廻から抜け出す方法を追求して実現する教えが仏教なのである。仏教では、自分を含めた全ての生命は輪廻の輪の中にいて、今ここだけに限定できない広がりがある。にもかかわらず、私たちは現世の肉親だけしか見れず、あとは他人と思っている。それが私たちの限界であり悲しさでもある。現世の両親は自分を生み育ててくれた大事な人だが、私を私たらしめている一部。ご先祖に感謝の気持ちで手を合わせるのも大切だがそれだけ終わってはけないと、歎異抄第五条はこのように教えているのである。   ~次回の続く~ 

 “こころの時代” 阿満氏とNHKのディレクター

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歎異抄(その4)

2022年08月06日 05時46分16秒 | Weblog
さて、いよいよ歎異抄の本文に入ります。歎異抄の中でもっとも知られていて、尚且つ難解とされている箇所です。それは第三章の冒頭に書かれている、【善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや】です。意訳は、「善人でさえ浄土へ生まれることができるのだから、ましてや悪人はなおさら往生できる」となります。となると誰でも、「悪をするほど浄土へいけるのか」「悪をするほど助かるのだ」と、そう思ってしまいます。

この「悪人正機説」の解説は二つの本を引用したいと思います。それは、このテーマの(その1)で紹介した、NHKのEテレ番組“こころの時代/宗教・人生”のテキストブックとなる阿満利麿著『歎異抄にであう/無宗教からの扉』と、高森顕轍著『歎異抄をひらく』になります。二人とも親鸞や歎異抄の研究では第一人者のようです。解説においては私の考えは一切はさまず、しかし私の判断で二人の説を織り交ぜて、以下まとめてみます。

「悪人正機説」の誤解を正すには、親鸞の「善人」「悪人」の認識を、徹底して明らかにするしか道はない。私たちは常に、常識や法律、倫理や道徳を頭に据えて、「善人」や「悪人」を判断している。故に、もし「あなたは悪人ですか?」と聞かれれば、多くの人は「違う」と答えるだろう。一方で「あなたは善人ですか?」と聞かれれば、「善人とは言えないかもしれないが、悪人と言われるほど悪いことはしていない」と答える人がほとんどである。つまり多くの私たちは自分を「悪人」と思っていないのだ。

【煩悩にまみれ、どのような行を励むとも、到底迷いや苦しみから離れ切れない我らを不憫に思い、建てられた本願だから、弥陀の本意は悪人を救うて成仏させるため】と、歎異抄の第三章にある。人間はみな煩悩の塊、永遠に助かる縁なき「悪人」と阿弥陀仏は、知りぬかれたからこそ、〝必ず救う〟と誓われたのだ。親鸞の言われる「悪人」は、このごまかしの利かない阿弥陀仏に、「悪人」と見抜かれた全人類のことであり、いわば人間の代名詞に他ならない。つまり「悪人」とは私のことなのである。

では親鸞の「善人」とは、どんな人をいうのであろうか。〝善を励んで助かろう〟〝念仏称えて救われよう〟と務めようとする人である。励めば善ができ、念仏ぐらいは称え切れると思っている人だから「自力作善(さぜん) の善人」と親鸞はおっしゃる。〝諸善も念仏も、いずれの行もおよばぬ悪人(多くの私たち)〟と見極められて建てられた、その弥陀の本願を疑っている人だから「疑心の善人」ともいわれている。弥陀にうちまかせる心がないから、その間「善人」は弥陀の本願の対象にはならないのだ。

これを教え諭し、【それゆえ自力作善の人は、ひとえに他力をたのむ心欠けたる間、弥陀の本願にあらず】と、同じ第三章にある。だが弥陀は、そのような邪見におごり自己の悪にも気付かぬ、自惚れ心をも打ち砕き一切をうちまかさせ、浄土へ生まれさせると誓われてる。かかる自力作善のその「善人」さえも、弥陀は誘引し救いたもうから“善人なおもて往生を遂ぐ、いわんや悪人をや”と言われたのである。親鸞は自力ではなく、他力の信心を獲た「悪人」こそが、往生の正因を獲た人だと言っているのだ。

現代の私たちは、自分が「悪人」だと思えないのに、人を「悪人」だと思いがちだ。何故私たちは、自分に甘く、他人に厳しいのだろうか。その理由は、自己主張と自己正当化に明け暮れる私たちのあり方にある。その自己中心、自己拡大の要求に生きている状態が「煩悩の塊」なのだ。その私が、「仏」になりたいと思うだろうか。現実に生じる苦しみの原因を解き明かし、解決できる智慧を身につけたいと心底願うだろうか。

このような「煩悩の塊」のわれらを、阿弥陀仏は、仏たらしめようとして本願を起こしたのである。本願の対象は、つまり自己中心を免れない私たちなのだ。それを仏教は「悪人」と言うのである。多くの宗教は、「悪人」から「善人」への転換を要求する。しかし本願念仏においては、「悪人は悪人のまま」でいいのである。

大よそ、このようなまとめになります。歎異抄第二章には【いずれの行も及び難き身なれば、とても地獄は一定すみかぞし】と、あります。意訳は、「私(親鸞)は念仏以外のいかなる善行にも堪えることができない人間です。所詮、地獄の他に行き場がないのだ」です。仏になるために有効とされる修行の一切が自分にとっては無益、無効であるという、痛切な自己認識です。「煩悩の塊の悪人」と自認しているのです。この認識故に、法然の教えにしたがって、ただ念仏するしかないとの親鸞の決断だったのです。

「自力」か「他力」かの用語が出てきました。これも現代風にいえば、「自力」がよくて「他力」はよくないのでは、となります。次回、歎異抄に添ってこの解釈をしたいと思います。   ~次回に続く~

 “こころの時代”に出ている阿満利麿氏
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