予期できないことが起こった時、どう対処・対応するのか。自分自身の身に降りかかること、目の前の他者に起こること。対応や対処に時間を掛けられないこともあります。突然に何かが起こり出てくる行動は、その人の覆い隠せない素かもしれません。これからお伝えするのは、他者に起こったことですが、私自身の身の危険も感じた出来事でした。
その日は外出して、帰宅途中、電車から降りて歩いてる時でした。夕方5時半頃のことです。運動の為と思い、最寄りの駅の一つ前で降りて、線路の脇を歩いてきました。踏切に差し掛かった時です、ちょうど警報が鳴り出しましたが、私は既に反対側を歩いてましたので踏切を渡る必要はありません。車も通る踏切ですが、この場所はさほど車の行き来はありません。
遮断機が下りてくる、その線路内で見えた光景でした。男性が線路内に取り残されていました。その男性は自転車もろとも転倒して、立ち上がれない様子でした。私側の遮断機の前には、私の他一人の男性。反対側の遮断機の前には、一人の男性と一人の女性。私から見て右手方向から電車が通過する警報ですが、まだ電車が近寄ってくる気配はありません。するとその向こうの女性が遮断機を上げて、線路内に入り、その男性を支えて立ち上がらせ、自転車を踏切の外に持ち出します。
てっきりその男性は、女性の後について踏切から出てくるものだと思いました。しかし、なんとまた倒れてしまいます。今度は線路と線路の間の砂利が敷かれている間に倒れ込んでしまいます。そして、自力で立ち上がれないのです。この時点でその男性に異変を感じ、何か体に支障があるのかお酒に酔っているのか、いずれにしても不可解です。その男性はマスクをしていますのでよくは分かりませんが、おおよそ60~70歳位です。
「大丈夫ですか~」、その時私は大声で叫んでいました。しかし反応はありません。すると状況を判断したのか、私側の男性が緊急停止ボタンを押してくれました。停止ボタンが押された現場に居合わせるのは、私は初めてです。電車がどのように感知して、徐行したり停止したりするのか見当もつきません。がしかしその男性を放置できず、一刻を争う問題です。すると遮断機の反対側の男女が、果敢にも踏切内に入り、二人はその男性を引っ張り上げ抱きかかえるように、踏切から無事救出しました。
目前で繰り広げられた1分位の出来事でした。正に危機一髪でした。暫くして通過する電車が最徐行して目の前を通りました。その後、反対側から来る電車も徐行して通ります。後続車も徐行して通るのでダイヤの乱れは何分にも及んだことでしょう。普段から踏切の警報機が鳴って、電車が通過するまで長い時間に感じていましたが、いざこんなことがあるので、緊急対処を想定しているのでしょう。
結果、私は声を掛けただけで、線路内に入りその男性を助けたわけではありません。私は足が悪いので、自力で立てない人を一人で助けられる自信が無く、足がすくんだのも正直なところです。自分の身の危険を感じ、自分を守ろうとしたのです。しかし私は、その場に私の他誰も居なかったらどうしていたのでしょうか。
新聞やテレビで、水難事故で溺れかけた人を救おうと助けた人が命を失う報道があります。目の前の突然の事故に遭遇して、見るに見かねて助けようとする使命感や正義感からです。しかし浅瀬ならまだしも、溺れている人は死に物狂いで救助者にしがみつくといわれていて、水泳の技量がある人でも、特別の訓練を受けていなければ危険であるとの話も聞きます。
あの東日本大震災の大津波で、多くの人たちが犠牲となりました。その中には本来なら助かっていた人がいます。一旦は安全な場所に避難したとしても、残された身内を救おうとまた危険な場所に戻ってしまって、津波にさらわれた人です。そんな教訓から、「津波てんでんこ」という言葉が見直されされました。つまり、家族が一緒にいなくても気にせず、てんでんばらばらに高台に逃げ、先ずは自分の命を守れとの意味です。
今回の私の咄嗟の行動は、頭で考えたのでなくほぼ無意識からのものです。無意識の世界からは、「まだ死ねない生きたい」と声を発していたのでしょう。
その日は外出して、帰宅途中、電車から降りて歩いてる時でした。夕方5時半頃のことです。運動の為と思い、最寄りの駅の一つ前で降りて、線路の脇を歩いてきました。踏切に差し掛かった時です、ちょうど警報が鳴り出しましたが、私は既に反対側を歩いてましたので踏切を渡る必要はありません。車も通る踏切ですが、この場所はさほど車の行き来はありません。
遮断機が下りてくる、その線路内で見えた光景でした。男性が線路内に取り残されていました。その男性は自転車もろとも転倒して、立ち上がれない様子でした。私側の遮断機の前には、私の他一人の男性。反対側の遮断機の前には、一人の男性と一人の女性。私から見て右手方向から電車が通過する警報ですが、まだ電車が近寄ってくる気配はありません。するとその向こうの女性が遮断機を上げて、線路内に入り、その男性を支えて立ち上がらせ、自転車を踏切の外に持ち出します。
てっきりその男性は、女性の後について踏切から出てくるものだと思いました。しかし、なんとまた倒れてしまいます。今度は線路と線路の間の砂利が敷かれている間に倒れ込んでしまいます。そして、自力で立ち上がれないのです。この時点でその男性に異変を感じ、何か体に支障があるのかお酒に酔っているのか、いずれにしても不可解です。その男性はマスクをしていますのでよくは分かりませんが、おおよそ60~70歳位です。
「大丈夫ですか~」、その時私は大声で叫んでいました。しかし反応はありません。すると状況を判断したのか、私側の男性が緊急停止ボタンを押してくれました。停止ボタンが押された現場に居合わせるのは、私は初めてです。電車がどのように感知して、徐行したり停止したりするのか見当もつきません。がしかしその男性を放置できず、一刻を争う問題です。すると遮断機の反対側の男女が、果敢にも踏切内に入り、二人はその男性を引っ張り上げ抱きかかえるように、踏切から無事救出しました。
目前で繰り広げられた1分位の出来事でした。正に危機一髪でした。暫くして通過する電車が最徐行して目の前を通りました。その後、反対側から来る電車も徐行して通ります。後続車も徐行して通るのでダイヤの乱れは何分にも及んだことでしょう。普段から踏切の警報機が鳴って、電車が通過するまで長い時間に感じていましたが、いざこんなことがあるので、緊急対処を想定しているのでしょう。
結果、私は声を掛けただけで、線路内に入りその男性を助けたわけではありません。私は足が悪いので、自力で立てない人を一人で助けられる自信が無く、足がすくんだのも正直なところです。自分の身の危険を感じ、自分を守ろうとしたのです。しかし私は、その場に私の他誰も居なかったらどうしていたのでしょうか。
新聞やテレビで、水難事故で溺れかけた人を救おうと助けた人が命を失う報道があります。目の前の突然の事故に遭遇して、見るに見かねて助けようとする使命感や正義感からです。しかし浅瀬ならまだしも、溺れている人は死に物狂いで救助者にしがみつくといわれていて、水泳の技量がある人でも、特別の訓練を受けていなければ危険であるとの話も聞きます。
あの東日本大震災の大津波で、多くの人たちが犠牲となりました。その中には本来なら助かっていた人がいます。一旦は安全な場所に避難したとしても、残された身内を救おうとまた危険な場所に戻ってしまって、津波にさらわれた人です。そんな教訓から、「津波てんでんこ」という言葉が見直されされました。つまり、家族が一緒にいなくても気にせず、てんでんばらばらに高台に逃げ、先ずは自分の命を守れとの意味です。
今回の私の咄嗟の行動は、頭で考えたのでなくほぼ無意識からのものです。無意識の世界からは、「まだ死ねない生きたい」と声を発していたのでしょう。