スマホを買いました。長らくガラケーだけで頑張ってきましたが、ようやく買いました。家族同士でラインをやっているので妻からはだいぶ前から買うように催促されていましたし、またある勉強会で用語や意味などを直ぐに検索する必要性に迫られました。
妻に促されてもなかなかスマホを買わなかった理由は、一言でいえば「慣れないスマホを使うのは、ちょっと面倒くさい」でした。当然携帯電話は持っていますし、持ち運びが出来る範囲のパソコンもありましたので、不自由はさほど感じていませんでした。
スマホを買った直後の、その月一回開催される、一泊二日の勉強会で事が起こりました。しっかりと初日の朝まで持っていた携帯電話が、いくら探しても見つからなくなりました。何処かに落としていたとしても、講義室や宿舎では誰かが拾ってくれるはずです。
翌日になっても出て来ません。諦めかけて念の為、初日に履いてきたズボンのポケットを調べたら、何と有るではありませんか。初日講義が始まる前にズボンを履き替えて、携帯をその勉強用のズボンのポケットに仕舞い込んだと、私は信じてしまっていたのです。
新たに手にしたスマホに、気が獲られていたのです。意識が向かっていなかった携帯に、逆に愛想をつかされて、私は捨てられたのかもしれません。これで携帯が出て来なかったら、もう探すのも諦めようかと思っていました。
スマホを買ったばかりで、使い慣れず、その操作については苦戦していました。携帯電話を丸一日失った状態になり、携帯が無くても、スマホを使いこなそうとする腹が決まったように感じました。“捨てて得るものがあった”です。
考えてみるとスマホの便利さは大です。携帯電話の通話やメールは、スマホは包括しています。またスマホは、パソコン機能も付帯しています。外出時であれば、スマホ一つで用が足りる訳です。携帯は、今後持たなくてもよいかもしれません。
一ヶ月まえの勉強会で、前述した理由でスマホを買う決心をしました。皆の前で、「この際、環境を整える為にスマホを買います!」と宣言しました。ところがどうした訳か「この際、環境を整える為妻を替えます!」と皆は聞き間違ったようで、爆笑が起こりました。
「スマホヲカイマス」より「ツマヲカエマス」。皆さんには、私がスマホを買うことより、妻を替えることの方が身近に感じたようです。