梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

新型コロナとドイツ(その4)

2020年04月25日 05時00分20秒 | Weblog
第一次世界大戦の末期、水兵の反乱を契機としドイツ革命が始まり、1918年ブルジョワ共和政国家が成立します。皇帝ヴィルヘルム二世はオランダに亡命、大戦の停戦協定が成立し、ドイル第二帝国(第一帝国は神聖ローマ帝国)は崩壊します。翌年ヴァイマルで開催された国民議会で憲法が制定され、ドイツはヴァイマル共和国となり、1933年のナチス政権成立まで続きます。

このヴァイマル共和国は1920年代には史上最も民主的といわれながら、政治と経済の混乱からみるみる全体主義国家に変わり14年間で滅びます。その国家を、ヒトラーは自ら第三帝国と称しました。そしてドイツは1939年ポーランド侵攻、それによって第二次世界大戦が始まり、1945年ソ連軍がベルリンに突入しヒトラーは自殺し、その後無条件降伏を受理して第三帝国も崩壊します。

「現在の世界は、二十世紀前半と似てきた。ここ数年、保護主義が広がり貿易戦争が続く。各地でポピュリズムに訴える指導者が現れ、自由や民主主義を脅かしている。突然のコロナ危機は大恐慌から戦争へと突き進んだ過去さえ思い起こさせる。独裁者ヒトラーに支配され、戦争の災禍を招いた過去がすぐ浮かぶ」。“ヴァイマルの教訓とは”のテーマで書かれた、最近の新聞のコラムです。

「ポピュリズムや民主主義が勢いづく、これは1920年代と似たヴァイマル状況ではないかと心配する。当時どこにスキがあったのか。民主制の弱みを突かれたのではないか。敗因から対策も見てくる。とにかく政治が不安定だった。棚ぼた式に出来た民主制で憲法に反対する政党も多く、20の内閣が出来ては潰れた。独裁者は民主主義の弱みにつけいり悪用して、合法的に政権を手に入れた」。コラムの主な内容でした。

“世界の無極化、危機で露呈”とは、別の記事のテーマです。「新型コロナのパンデミックを巡り、地政学的な勝者に値する国は存在しない。米国や中国でも欧州諸国でもない。従って、我々は無極化(覇権国が存在しない)世界にいる。この状況はしばらく続く可能性がある。こうした結果として生じる指導力の欠如は平時にはあまり意識しないが、危機が到来すると顕在化する」。このような事が記されています。

「この暫定的な状態は、支配的な権力が存在しないが故に不安に満ちている。そこで思い浮かぶのが、恐ろしい第二次世界大戦を招くことになった1930年代だ。パックス・ブリタニカ(大英帝国支配下で平和な時代)の終焉に近づく一方で、米国もソ連もまだ英国の地位を奪うほどの存在ではなかった時代だ。第二次世界大戦後、冷戦時代が到来するが、今回の感染危機は冷戦に近いというよりも1930年に近いとみた方がいい」。主旨はこのようなものでした。

二つの記事の共通は、今回の新型コロナ禍は、ドイツも激動の渦中にあった100年程前を思い起こさせるとのことです。その1930年代です。前年29年のニューヨーク株価の大暴落に端を発し、世界は大恐慌に巻き込まれます。永遠の繁栄が続くと思っていた米国も資本主義の幻滅を突き付けられ、各国で労働者・ファシズム・社会主義台頭の嵐も吹き荒れます。

独裁者といわれるヒトラーの評価は、今でも分かれるところです。世界恐慌が始まると、米国資本に依存していたドイツ経済は直ちに影響を受けます。600万人を超える失業者が街にあふれました。経済的困窮で絶望した大衆を、独裁者は巧みな演説と宣伝で味方につけます。雇用を生み出すことだけでなく、ドイツを強く大きくすると約束し、ナショナリズムに訴えました。そしてヒトラーは首相と大統領を兼ねた、総統という国家元首となります。

二つ目の記事にあった当時世界も無秩序になりかけた時代だからこそ、ドイツは国内に強いリーダーを求め、最後の希望をヒトラーに託したのです。その記事の一部をもう一度引用します。「この状況はしばらく続く可能性がある。こうした結果として生じる指導力の欠如は平時にはあまり意識しないが、危機が到来すると顕在化する」。ここでも、現在の新型コロナと過去のヒトラーがどこか繋がっていることを感じます。   ~次回に続く~

【ドイツ連邦共和国国旗の意味・由来 】
黒、赤、黄(金)の三色は、19世紀始めナポレオン軍との戦いに参戦した学生義勇軍の軍服の色を取り入れたもので、黒いマント、赤い肩章、金ボタンに由来し、自由と統一の象徴とされている。また同時に、黒・赤・黄の3色がそれぞれ勤勉・情熱・名誉を表わすとも言われている。1919年に制定されたヴァイマル憲法によってこの三色がドイツ国家を象徴する色とされ、ドイツ連邦共和国の憲法にあたる基本法(22条)で現在の色の配列が規定された。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナとドイツ(その3)

2020年04月18日 08時22分28秒 | Weblog
このブログを書いている最中、『独、在宅・隔離進み対応早く/先行き心配 国民性が奏功』との、またドイツの記事が新聞に載りました。新型コロナの感染が広がるなかで、今もドイツの死亡率の低さが目立ち、背景にあるのは充実した医療制度だけではなく、在宅勤務をしやすい仕組みがある。とのことです。

リスクの高い高齢者は自立した生活を送るというドイツ流のライフスタイルがあり、さらに感染したとしても自宅隔離がしやすい広い家がある。これは歴史的な経緯があり、第二次大戦後、旧西独には共産圏から大勢の市民が逃げ込んだため、住宅整備が政策の柱となり、量ではなく質も重んじた。この住宅環境を整えたのがコロナ禍で役に立った。との記事でした。

ドイツ社会の特徴を表すのに「ジャーマン・アングスト(ドイツの不安)」という言葉がある。先行ばかりを心配し備えを固める気質を、冷やかしたものだ。最悪の事態を念頭に置く。そんなドイツの国民性が今のところ奏功している。そう記事は結びます。このテーマ(その1)で、ドイツの気質で引用したGerman Angstが、ここで出てきました。

また、ドイツの歴史に戻ります。前回ふれましたが、ヨーロッパの他諸国が大航海に乗り出し海外での植民地化に走った時代は、ドイツという国は存在せず神聖ローマ帝国でした。十世紀から1806年までのこの神聖ローマ帝国は名目的であって、中央集権体制ではなく、実質的には300もの領邦国家の集合体でした。

この多くの領邦国家群の中にあって、二つの勢力が後にドイツの盟主を争うことになります。一つは、オーストリアを中心に大きな領土を確保して有名無実とはいえ、神聖ローマ皇帝の地位を世襲化していたハプスブルク家が生み出す流れ。もう一つは、それに対抗するドイツの北方のプロイセン公国(支配の中心は現在のポーランド北部)でした。

両雄の対決はオーストリア継承戦争へと繋がり、介入したプロイセンは一時期苦戦しますが、両国は講和します。1789年フランスで起こった市民革命は、フランス国内のみならずヨーロッパの各国に波及します。ドイツも例外ではなく、自国への影響を恐れた君主たちは革命を潰そうと干渉し始めます。対仏列国とフランス革命政府による戦争の始まりです。

オーストリア軍はフランス軍に敗北し、また西南ドイツの領邦諸国はナポレオンの事実上統治下に入り、中立立場をとっていたプロイセン軍もフランスに宣戦布告しました。こうした戦いは、ドイツ人の国民意識をまとめ高揚させたといわれます。破竹の勢いだったナポレオン軍もロシアに攻め込んで大敗を喫します。この機に乗じて各国はフランスに抵抗し始め、連合軍の勝利。ナポレオンは退位し、ドイツの支配も終焉を迎えます。

ナポレオン戦争後ウィーン体制の下、ドイツでは35の君主国と4っの自由都市かならなるドイツ連邦が成立しますが、国民の国家形成は進みませんでした。1848年のフランス二月革命は全ヨーロッパに波及し、ドイツでも三月革命が起こりウィーン体制は崩壊します。その後国民議会により、オーストリアを含む大ドイツ主義かプロイセンを中心とした小ドイツ主義かが討議されますが、自由主義的な統一はかないませんでした。

1862年にビスマルクがプロイセンの首相に就任します。彼は鉄血政策といわれる軍備増強路線をとり、君主制による統一を推進しました。オーストリアとも対決してドイツ連邦を解体し、プロイセン王国をドイツ統一の主役とすることに成功します。ドイツ帝国の誕生、1871年のことです。ドイツ初めての建国で、日本では明治維新の頃ですので、ドイツの建国は新しいのです。これが変遷を経て今日のドイツに至ります。

このようにドイツは統一国家の建設が遅れ、十九世紀末には軍国主義の下国内で重工業化は進んだものの、これらが植民地政策で大きく出遅れた理由となりました。そして第一次世界大戦は、隣国のオーストリアの同盟を支援する形でドイツが参戦します。その第一次大戦に敗戦し、ドイツは巨額の賠償金を課せられ植民地を奪われます。後にやってくる世界大恐慌でイギリスやフランスは植民地でしのげましたが、ドイツはヨーロッパで孤立し、ますます苦境に立たされていきます。   ~次回に続く~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナとドイツ(その2)

2020年04月11日 09時39分00秒 | Weblog
新型コロナから一旦離れ、この機会にドイツの歴史をおさらいしてみました。高校の世界史の授業で習ったはずで、ドイツ人の祖先はゲルマン民族ということは覚えていますが、ほとんど記憶のかなたにあります。
 
現在のドイツを含む地域はローマ帝国時代にはゲルマニアと呼ばれ、ローマの支配を受けていない地域(ローマ帝国は数度征服を試み失敗)で、ゲルマンやスラブなど様々な民族が定住して独自の文化を形成していました。四世紀ローマ帝国の隆盛が衰えると、アジアのフン族に押し出されるように、最初は東ゲルマンの一派が、ローマ領内(南ヨーロッパ)に侵入します。ゲルマン民族大移動の始まりです。

その後、フランク族をはじめとする西ゲルマンの諸侯も西ヨーロッパンに移動を始め、ローマ軍に徴用されながら勢力を拡大します。フン族はローマ帝国にも外圧を仕掛けますが、フランク族に助けられ、それは侵入を許したことになり、ローマ帝国(西ローマ帝国)崩壊に繋がります。フランク族は他の諸侯を併合しつつ勢力を拡大して、フランク王国が建設されます。

このフランク王国が、今のドイツ、フランス、イタリアなどの萌芽となります。その後フランク王国は、東フランク、西フランク、中フランクに分割されます。東フランク王国がドイツの原型となります。東フランクの国王はドイツ支配にとどまらず、キリスト教理念に基く普遍的な帝国を目指すこととなり、神聖ローマ帝国と呼ばれます。中世の当初までの、ドイツの歴史です。

ここから一気に端折りますが、ヨーロッパは宗教や国力の違いなどによって、領土の奪い合いも続き、第二次世界大戦まで国同士の戦争を繰り返します。これはあくまでの私見ですが、ヨーロッパの中にあってドイツが唯一無二の存在たらしめたのは、十六世紀に始まった宗教改革と、十五~十八世紀の近隣諸国の大航海時代ではないかと思います。

一つ目の宗教改革です。ドイツのマルティン・ルターがローマ・カソリック教会を批判(プロテスタント:抗議する人)したことに始まり、社会変革と結びつきキリスト教世界を二分する新旧両派の激しい宗教戦争を巻き起こしました。今までの教会の権威や不正腐敗を許さないと、ドイツはプロテスタント色が強い国となりました。

同じくドイツのマックス・ヴェーバーが二十世紀初頭、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、という本を著しました。その本は、ヨーロッパにおいてプロテスタントを信仰する国は経済発展を遂げている一方で、カソリックやギリシャ正教会などの宗教の国々は経済的に発展していないのは何故なのか、を解説したのです。

そのプロテスタントの価値観です。教会にいくら寄進したとしても関係なく、神に選ばれた者だけが天国に行けるとの考えです。そのような不安はありましたが、選ばれる者は使命:天職を与えられていると解釈して、確認しようと一所懸命働きました。ドイツ人の几帳面さ、真面目さ、勤勉さはここからきていると思われます。

二つ目の近隣諸国の大航海時代です。ヨーロッパ人は肉食で、胡椒をかけて食べる美味しさは知っていましたが、中世はアジアからこの香辛料が入ってきていて、イスラム商人などにマージンを取られ物凄く高価でした。最初は航海術に長けてきたポルトガルとスペインがそこに目を付け、直接行って商売をして大儲けをします。大航海時代の幕開きです。

次いでオランダやイギリスやフランスが海外進出に乗り出し、大金持ちになり、ヨーロッパにおいて資本主義が発展します。そしてヨーロッパ人のために大農園を造って、強制労働をさせる海外の土地は、やがて植民地と呼ばれるようになります。こうして力を持った資本家たちが市民革命を起こし、産業革命をもたらし近代に突入していきます。

一方ドイツは統一国家の建設が遅れたため、植民地政策では大きく後れ、積極的になったのは十九世紀それも後半です。しかしあの第一次世界大戦敗戦の結果、ドイツ領植民地は他国に分割され消滅します。敗戦による巨額の賠償金を背負わされ、一部の自国領土も失い、そして世界は大恐慌に突入します。その後のヒトラー政権にドイツ国民が引っ張られたのも、この二つ目の要因が大きかったのでないかと私は思います。    ~次回に続く~
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新型コロナとドイツ(その1)

2020年04月04日 09時49分25秒 | Weblog
世界各国の新型コロナによる感染者数(と死者数)が、多い順に日々新聞に発表されています。欧州においては感染者数の上位より、イタリア、スペイン、ドイツ、フランスの順となっていますが、ドイツの死者数が極端に少ないことに注目をしていました。

そのような中、3月29日付けの新聞に“ドイツ際立つ低死亡率”との記事が掲載されていました。「早期検査を徹底したことに因る」とありました。ドイツは1月の早い段階で検査を始め3月中旬で16万人を検査し、このうち約6千人が感染していて発見率は4%で、広範に検査したことが伺えるとのこと。

一方イタリアは3月27日時点で発見率が20%を超え、比率が高いのはドイツに比べ後手になり、検査数が十分ではないとの指摘です。ドイツは幅広い年代への検査を徹底した結果、感染者には症状の軽い若者層も多く含まれる。これが死亡率の低い一因になっている。また60歳以上の感染者割合はドイツが約2割だが、イタリアとスペインでは5割。

独政府が検査を徹底してきたのは理由があり、感染者を早期発見することで外出自粛を促し、重症化しやすい高齢者への接触を避けることが可能になった。また医療体制にも差がある。人工呼吸器はドイツで2万5千台あるのに対し、フランスが5千台、イタリアが3~5千台に留まっている。このような内容の記事でした。

新型コロナ感染者の死亡率(直近)は、イタリアが12.1%、スペインが9.2%、ドイツは1.3%と、やはり突出しています。因みに日本は、2.8%です。もっともドイツへの悲観論も存在し、初期の段階の感染者が多く含まれているとみられ、今後重篤な症状になる患者が増えるという予想も出ているとのことです。

今回の新型コロナにしても、初期の段階での対応力や医療体制の整備は、やはりドイツの国民性を感じます。そしてどこかドイツと日本が似ている、と思っている日本人が多いのではないでしょうか。高校と大学の時、第二外国語の授業(独語か仏語か)は、私はドイツ語を選択しました。私自身、早くからドイツに惹かれるものがありました。

ドイツと日本の相似点として先ず挙げられるのがその気質の、几帳面さ、真面目さ、勤勉さです。この気質(国民性)はどこからくるかといえば、国の風土や歴史や文化などです。一概には言えませんが、ドイツと日本の気質が似ているのであれば、これらが似通っていることになります。

更に性質的な共通点を、ネットで調べると次のものが出てきます。悲観的である、長期的スパンで物事考える、オタク気質である、組織内のヒエラルキーが重要である、等々です。新型コロナへのドイツの対策は、「悲観的である」性質に起因するものでしょうか。German Angst(ドイツ的不安)という造語が出来るほどだそうです。

ドイツといえば、第二次世界大戦では日本と同盟国の関係にありました。両国の事象面での共通点を見てみますと、その世界大戦で同じく敗戦国となりました。しかし敗戦後は共に世界に誇る経済力を発揮し、重工業が国のベースを造り、世界でもトップクラスの自動車産業が栄えました。ドイツの人口は約8千2百万人で日本より少ないですが、面積は両国ほぼ同じです。

新型コロナ被害の差が背景となって、EU(欧州連合)の中で南北の対立が鮮明になってきたと言われています。感染危機が深刻なイタリアやスペインなど、欧州諸国が救済基金や「コロナ債」と呼ぶユーロ共同債券の発行を求めるのに対し、オランダやドイツなどは財政規律重視を崩さないとのことです。コロナ債の発行は南欧の借金の肩代わりに繋がると、北部のドイツやオランダが反対しているのです。

今回のコロナ対策で、欧州をリードしようとしているのがドイツです。これまでの歴史においては、良くも悪くもドイツは際立つものがありました。これからも、欧州におけるドイツの存在感の大きさは続と思います。   ~次回に続く~

 一週間前との比較
 
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする