梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

繁盛するお店

2007年05月28日 09時02分09秒 | Weblog
週末家内と一緒に、車で近間をドライブしました。広い駐車場があり、ログハウス風の大きなのパン屋さんが目に入り、パン大好きの家内にせがまれその店に入りました。案の定、店の中は明るく、お客さんがイッパイでとても繁盛していました。

先ず感心したのが、レジの店員さんが横一列にずらっと5~6名ほどいて、レジをする人と(レジは二台)、パンを包装する人と、笑顔で手際よくお客さんを待たせないように対応していることでした。

次の感動は、パン焼き工房はその売り場のすぐ後方にあるのですが、何の仕切りも無く、てきぱき働く職人さんの姿が間近に見られ、焼たてのパンの香が漂って来ているのです。恐らくこれに誘われ、お客さんは多くのパンを買ってしまうのでしょう。

最後の感激は、出来立てのコーヒーが無料サービスとなっているのです。その横のテーブルには試食のパンが置いてあり、それを持って屋外に出ると木製のベンチがあり、そこでくつろげるのです。

自宅に帰り、インターネットでそこのお店のホームページを見ました。事業領域:ちょっと贅沢ちょっとおしゃれな食文化提供業。経営理念:①お客さまを笑顔とおもてなしの心でお迎えし、常に品質を向上させ、おいしい焼きたてのパンを提供します。②一人ひとりの可能性を尊重し、共に学び共に成長し、お客さまと共に幸せになります。とありました。

先週、消化器内科の町医者に行きました。4月に行なった会社の定期健診で、要再検査の診断が出ましたので、その分野での専門の医者を尋ねました。その内視鏡の結果は、今のところ特に異常無しでした。(ホッと一安心しましたが)

受付は朝8時から、しかし診療の順番は受付順と聞いていましたので、ちょっと早かったのですが7時5分位に着きました。すると病院はもう開いていて、既に受付表には4名の名前がありました。早朝から外で掃除をしていた人は、後で分かりましたが看護婦さんでした。9時直前には、みるみる待合室は人でイッパイになってしまいました。

この様に人が集るお店や、病院には、お客様を大切にするという信念があります。それとスタッフが、活き活きと、それを自ら実践していることは感動を与えます。
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バーベキュー

2007年05月20日 10時40分10秒 | Weblog
19日の土曜日の朝は曇っていました。9時頃には、結構な雨が降って来てしまいました。今日は社員主催によるバーベキュー大会の日。皆楽しみにしているのに、全くついていません。

そうこうしている内に、幹事から携帯電話がかかって来ました。妙典駅近くの江戸川河川敷の場所を変更して、浦安の会社倉庫の軒下でしたいとのこと。準備したものもあり、折角だから、雨がしのげればと、決行するとになりました。

お昼前参加者も徐々に集り、準備をし出した頃から天気は急回復。結局25~6名が集り、楽しいバーベキュー大会となりました。

やっぱりバーベキューは、外で天気が良いのが最高です。場所は変えましたが、屋外の感じも味わえ、水場もトイレもきれいなものがあり、立派なテーブル・椅子まで持ち出し、むしろここでやって正解でした。

話す話題は、やっぱりある部分は会社のことになるのですが、不思議なことに、新鮮に受け止められます。場所を変える、雰囲気を変えてのこんな集いも、時には大切かもしれません。お酒を飲んでも、アルコールの発散の仕方も違うようです。

私は自らの性分もあり、焼き物の係りを、すすんでさせてもらいました。バーベキュー大会でのもう一つの不思議は、やりたい人がやりたいことをしながら、自然とまとまりがつく、そんな連帯感もあります。やっている人は、義務感でやっている訳でもありません。

午後4時頃かたづけも終わって、解散した直後、雷を伴う大雨が降って来ました。出鼻はくじかれましたが、結局はついていました。浦安倉庫でやって大正解でした。
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サブタイトル

2007年05月13日 10時02分21秒 | Weblog
ブログを本格的に書き始めてから、一年は過ぎました。週一回の投稿を続けながら、書く内容の傾向や話題としての範囲も、大体定着して来ました。

そこでブログのサブタイトル『会社内の出来事や鉄鋼流通業の将来を語る』を、再考したいと思いました。書いている内容と、このサブタイトルが必ずしも合っていないと、最近気になり出していました。

書き始め当初は、会社運営の具体的な悩みや、もっと鉄鋼の流通加工業の専門的問題なども取り上げて、このブログ上で皆さんの意見をもらいながら、鉄鋼流通業の将来を語ることが出来ればという気持ちもありました。またテーマによっては、私以外の社員に書いてもらっても、よいかなと考えていました。

しかしながら結果としては、皆さんが見て来てくれたような内容となっています。私としては、書きながら感触を掴みたい気持ちもありましたので、こんな内容で、むしろよしとしています。

途中から私のブログを見てくれた人で、最近全部読んでくれた人がいます。その人のコメントですが、「梶さんの人柄や悩んでいること苦労されている事が伝わり、身近に感じました」でした。

梶哲日記では、梶哲商店という会社と梶哲夫という個人の、両方の日々の出来事を書けばよいと思います。この関係は、この日記では、切っても切り離すことは出来ません。暫くはまた、私個人が、会社を通して起こる出来事や、考えたことなどを書いていきたいと思っています。

そんな訳で次回から、サブタイトルを少し変えたいと思います。先に行って、またタイトルが変わるかもしれませんが、内容にふさわしいものにして行くつもりです。またコメントですが、業界以外の方からのものも歓迎ですので、お気軽にお寄せ下さい。
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ルーツ

2007年05月06日 15時53分55秒 | Weblog
わが社㈱梶哲商店の創業者は、私の父である梶哲ですが、その父の梶次三郎は戦前梶シャーリングの社名で墨田区本所にてシャーリング業を営んでいました。戦争中は国の統制経済となり、店はたたまざるを得なくなりました。

その祖父の出身は、石川県白山の麓にある鶴来町です。この地は、江戸時代から葉煙草の栽培製造が盛んなところだったようです。明治時代に入ると鶴来が煙草の一大産地となり、祖父の実家も、多くの従業員を抱えこの商売を営んでいたとのことです。

しかしその煙草は日清・日露戦争遂行の為に国の専売制になり、この商売は出来なくなり、その権利を譲渡することでお金に買え、一族は北海道に移住しました。祖父が少年期の頃です。

遠戚である祖母と縁があり結婚したものの、親から結婚を反対されていたことや、子供を死産したこともあり、二人で東京に出て新しい生活を始めました。荷車を引いて運送業をしながら、何がこれから流行るか模索しながら、たどり着いたのが鉄屋と聞いています。

そんな私の、父方の祖先の地に、この連休中に家族を連れて旅行しました。父の生前の頃は、年賀状のやり取りをしていた鶴来の遠類もいましたが、私の代で音信も途絶えてしまいました。

鶴来は金沢市から車で約30分の所の、静かな小さな町ですが、古い商家が立ち並ぶ、とてもレトロで歴史を感じる街でした。霊峰白山の雪解け水を利用した、伝統ある醤油や清酒の醸造元が何軒もありました。

偶然街中で、梶の看板を掲げた、金物屋さんを発見しました。梶の名字は、元々この石川県には多くあったようで、因みに3月25日に発生した能登半島地震の震源地近くの、輪島市長も梶の姓です。

石川県が最後の訪問地となりましたが、その前に、飛騨高山や郡上八幡などを回っての旅でした。
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