北朝鮮が挑戦と脅迫を繰り返しています。人民軍創建85周年を迎え、更に北朝鮮の核・ミサイルの脅威が迫っていると、そして北朝鮮のXデー警戒などと、戦争が勃発する可能性まで叫ばれています。
今から19年前に、日本はその北朝鮮と一戦を交えたかもしれない事件が起こりました。“能登半島沖不審船事件”と言われ、日本領海を侵犯し、拉致された日本人が乗っている可能性がある北朝鮮の工作母船が、逃走する際の一連の出来事です。海上自衛隊と海上保安庁による追跡、威嚇射撃、停止した不審船に武器をもった自衛官が突入寸前で、事件は終止符を打ちます。
戦後日本の軍事・防衛にも大きなインパクトを与えた出来事です。当時の海上自衛官には、テロ対策に必須の技術である接近戦闘に精通する者は皆無で、艦内には防弾チョッキすらなかったのです。これを機に、自衛隊初の特殊部隊が創設されます。
この事件に大きく関わった人物がいます。当時の海上自衛官で、伊藤祐靖(すけやす)という人です。不審船事件の時、追跡したイージス艦「みょうこう」の航海長であり、その後自らの経験を活かし自衛隊の特別部隊の創設に関与して、部隊を育てた第一人者です。
昭和39年生まれ、日本体育大学から自衛隊へ。防衛大学校指導教官、艦船「たちかぜ」砲術長を経て「みようこう」航海長。特殊部隊創設に関わり、42歳2等海佐で退官。以後ミンダナオ島に活動拠点を移し、日本に戻ってからも各国警察・軍隊に指導を行い、日本の警備会社など顧問をし、私塾にて現役自衛官に知識・技術を伝えている方です。
その伊藤祐靖氏の講演を、知人に誘われて、2月と4月に続けて聴きました。伊藤氏の思想と行動に痛く感動しました。規律があり統一され即戦力になる自衛隊の、今までの私の概念が崩れ、戦いの本質とは何かに触れることが出来ました。
講演の中では能登半島沖不審船事件が、核心であり、大きな山場です。海上保安庁が有している警察官職務執行法が適用されない自衛官には、工作母船に乗り込む権限はないのです。一緒に追跡してきた海上保安庁の巡視艇が燃料切れで引き返した後、海上自衛隊に、首相官邸から海上警備行動(立入検査)の発令が出されたのです。
イージス艦は戦闘配置が完了します。益々速度を上げる不審船を停止させる為に、127ミリ単装速射砲による警告射撃が始まります。装填されているのは炸裂弾で、ターゲットの近くを通過するだけで炸裂します。着弾は何回か繰り返され、最後は50Mの至近距離まで迫り、不審船は停止します。
それから立入検査。高度な軍事訓練などされていない自衛官が、少年マガジン(漫画本)を胴体に巻いて死を覚悟して飛び移る寸前に、また不審船は動き出し逃走を続け北朝鮮の領海に逃げ込みます。日本は工作母船を取り逃がしたのです。
この事件を切っ掛けに海上自衛隊内に、防衛庁(当時)が初の特殊部隊を創設することが決定され、その年のうちに特別警備隊準備室が設置されます。
~次回に続きます~
今から19年前に、日本はその北朝鮮と一戦を交えたかもしれない事件が起こりました。“能登半島沖不審船事件”と言われ、日本領海を侵犯し、拉致された日本人が乗っている可能性がある北朝鮮の工作母船が、逃走する際の一連の出来事です。海上自衛隊と海上保安庁による追跡、威嚇射撃、停止した不審船に武器をもった自衛官が突入寸前で、事件は終止符を打ちます。
戦後日本の軍事・防衛にも大きなインパクトを与えた出来事です。当時の海上自衛官には、テロ対策に必須の技術である接近戦闘に精通する者は皆無で、艦内には防弾チョッキすらなかったのです。これを機に、自衛隊初の特殊部隊が創設されます。
この事件に大きく関わった人物がいます。当時の海上自衛官で、伊藤祐靖(すけやす)という人です。不審船事件の時、追跡したイージス艦「みょうこう」の航海長であり、その後自らの経験を活かし自衛隊の特別部隊の創設に関与して、部隊を育てた第一人者です。
昭和39年生まれ、日本体育大学から自衛隊へ。防衛大学校指導教官、艦船「たちかぜ」砲術長を経て「みようこう」航海長。特殊部隊創設に関わり、42歳2等海佐で退官。以後ミンダナオ島に活動拠点を移し、日本に戻ってからも各国警察・軍隊に指導を行い、日本の警備会社など顧問をし、私塾にて現役自衛官に知識・技術を伝えている方です。
その伊藤祐靖氏の講演を、知人に誘われて、2月と4月に続けて聴きました。伊藤氏の思想と行動に痛く感動しました。規律があり統一され即戦力になる自衛隊の、今までの私の概念が崩れ、戦いの本質とは何かに触れることが出来ました。
講演の中では能登半島沖不審船事件が、核心であり、大きな山場です。海上保安庁が有している警察官職務執行法が適用されない自衛官には、工作母船に乗り込む権限はないのです。一緒に追跡してきた海上保安庁の巡視艇が燃料切れで引き返した後、海上自衛隊に、首相官邸から海上警備行動(立入検査)の発令が出されたのです。
イージス艦は戦闘配置が完了します。益々速度を上げる不審船を停止させる為に、127ミリ単装速射砲による警告射撃が始まります。装填されているのは炸裂弾で、ターゲットの近くを通過するだけで炸裂します。着弾は何回か繰り返され、最後は50Mの至近距離まで迫り、不審船は停止します。
それから立入検査。高度な軍事訓練などされていない自衛官が、少年マガジン(漫画本)を胴体に巻いて死を覚悟して飛び移る寸前に、また不審船は動き出し逃走を続け北朝鮮の領海に逃げ込みます。日本は工作母船を取り逃がしたのです。
この事件を切っ掛けに海上自衛隊内に、防衛庁(当時)が初の特殊部隊を創設することが決定され、その年のうちに特別警備隊準備室が設置されます。
~次回に続きます~