その私の知人の医者は、O(先生)と言います。会社の定期健診(バリュウム検査)で異常を指摘され、関連の病院で内視鏡で再検査をすると、担当になったT先生から食道にポリープを認めるので、大学病院で更なる精密検査を行いいずれにしてもポリープの除去手術を強くすすめられました。その段階でO氏に相談することで、T先生とは距離を置くことにしました。
O氏に事前に電話を入れて状況を話し、柴又にある病院を診療が終わった時間に訪れました。T先生からもらっていた、内視鏡の写真や簡単な病理検査報告書を手渡してから、相談を持ち掛けますが、話が噛み合いません。O氏は、私が消化器内科(特に食道のがん手術)で評判の医者を、紹介してもらいたいと受け取っていました。
そうではなく、これ以上何もしたくない旨を伝えます。O氏は、医者の紹介の依頼であっても母校の大学病院系統の中で探すのでも難しいと、回答しようと思っていたと言いました。手術を行わなければがんの名医とは言われず、言い換えれば、世間では手術をすすめない医者はがんの名医とは言われない、との意見でした。手術をしなくても治るがんもあれば、手術をしても治らないがんもあり、誰も正確な判定などできないとの私見でした。
実は最近、私の身近でがんに罹って手術をした人が出現しました。仮に私ががんだと言われ、手術をするのかを含め、自分ならどう判断するか想定していました。がんを宣告され余命を告げられたらどう受け止めるのか、そこまでも考えていました。しかし、答えは直ぐに出るものでもありません。そのような経緯から、医者が書いたがんに関する本を何冊か読んでみました。他人事ではなく正に今回私が、その問題に少なからず向き合うことになりました。
これ以上の検査や手術もしたくないとO氏に伝えたのは、事前に考えていた下地がありました。その話しをすると、医者としての立場で同意してくれました。何か自覚症状があったら別だが、O氏自身もここ10年来定期検診はしていないそうです。例えがんが判明したところで、自分も何もしないかもしれないし、再検査のわずらわしさ、手術の成否の心配、その後の放射線や抗がん治療など憂鬱だとのことでした。
「一人で決めないこと」「一回で決めないこと」「専門家の言いなりにならないこと」。読んだ本の中にあった言葉です。ホスピス医が、患者さんの家族に何らかの重大な判断をくだすときに、この3つのポントを伝えているそうです。O氏に相談して決めたことも、更なる検査や処置について直ぐに白・黒つけないで何もしないのも、今の結論だと思いました。今回がんと判明したわけではありませんが、私が40代50代であれば、手術をする決断をしていたかもしれません。
ここで、もう一つ読んだ本について話をさせてもらいます。『もしも一年後、この世にいないとしたら』とのタイトルで、国立がん研究センター中央病院の精神腫瘍科長、清水研さんの著書です。精神腫瘍学とは、がんとこころに関する学問であり、氏はその専門医で、がん研センターでがんに罹患した人とその家族の診療を行っています。
「人生100年時代といわれ、人が長生きすること自体は喜ばしいことだが、真剣に死を考えることなく、日々を粗末にしてしまう弊害もある。日々を粗末にすれば、自分で絶対にやりたいことも先延ばしにしてしまう。毎日の生活に充実感がなく、変わりたいと思っても、そんな無謀なことをしたら人生を棒にふってしまう」。何よりも清水氏自身が、やりたいことを先延ばしにしていたと回顧しています。
「しかし今の仕事を通して、相談に来られた方の役に立とうと全力を尽くす中で、教えてもらうことが山ほどあった。突然がん告知を受け、人生の期限を意識させられる現実はとても苦しいものだと実感し、残された時間をどう生きるべきか真剣に悩まれる人々の語りは力強く、毎日をなんとなく生きてきた私にとって心から畏敬の念を抱く体験だった」。その結果、自身の人生も変わったと語っています。
人が「死」を恐れるのは何故か? それに対し清水氏は、三つの理由(問題点)を挙げています。それぞれに対処の仕方があり、「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づくと、氏は言明します。そして期限がある命を自分らしく生きるその手掛かりもあると、氏は説明します。 ~次回に続く~
O氏に事前に電話を入れて状況を話し、柴又にある病院を診療が終わった時間に訪れました。T先生からもらっていた、内視鏡の写真や簡単な病理検査報告書を手渡してから、相談を持ち掛けますが、話が噛み合いません。O氏は、私が消化器内科(特に食道のがん手術)で評判の医者を、紹介してもらいたいと受け取っていました。
そうではなく、これ以上何もしたくない旨を伝えます。O氏は、医者の紹介の依頼であっても母校の大学病院系統の中で探すのでも難しいと、回答しようと思っていたと言いました。手術を行わなければがんの名医とは言われず、言い換えれば、世間では手術をすすめない医者はがんの名医とは言われない、との意見でした。手術をしなくても治るがんもあれば、手術をしても治らないがんもあり、誰も正確な判定などできないとの私見でした。
実は最近、私の身近でがんに罹って手術をした人が出現しました。仮に私ががんだと言われ、手術をするのかを含め、自分ならどう判断するか想定していました。がんを宣告され余命を告げられたらどう受け止めるのか、そこまでも考えていました。しかし、答えは直ぐに出るものでもありません。そのような経緯から、医者が書いたがんに関する本を何冊か読んでみました。他人事ではなく正に今回私が、その問題に少なからず向き合うことになりました。
これ以上の検査や手術もしたくないとO氏に伝えたのは、事前に考えていた下地がありました。その話しをすると、医者としての立場で同意してくれました。何か自覚症状があったら別だが、O氏自身もここ10年来定期検診はしていないそうです。例えがんが判明したところで、自分も何もしないかもしれないし、再検査のわずらわしさ、手術の成否の心配、その後の放射線や抗がん治療など憂鬱だとのことでした。
「一人で決めないこと」「一回で決めないこと」「専門家の言いなりにならないこと」。読んだ本の中にあった言葉です。ホスピス医が、患者さんの家族に何らかの重大な判断をくだすときに、この3つのポントを伝えているそうです。O氏に相談して決めたことも、更なる検査や処置について直ぐに白・黒つけないで何もしないのも、今の結論だと思いました。今回がんと判明したわけではありませんが、私が40代50代であれば、手術をする決断をしていたかもしれません。
ここで、もう一つ読んだ本について話をさせてもらいます。『もしも一年後、この世にいないとしたら』とのタイトルで、国立がん研究センター中央病院の精神腫瘍科長、清水研さんの著書です。精神腫瘍学とは、がんとこころに関する学問であり、氏はその専門医で、がん研センターでがんに罹患した人とその家族の診療を行っています。
「人生100年時代といわれ、人が長生きすること自体は喜ばしいことだが、真剣に死を考えることなく、日々を粗末にしてしまう弊害もある。日々を粗末にすれば、自分で絶対にやりたいことも先延ばしにしてしまう。毎日の生活に充実感がなく、変わりたいと思っても、そんな無謀なことをしたら人生を棒にふってしまう」。何よりも清水氏自身が、やりたいことを先延ばしにしていたと回顧しています。
「しかし今の仕事を通して、相談に来られた方の役に立とうと全力を尽くす中で、教えてもらうことが山ほどあった。突然がん告知を受け、人生の期限を意識させられる現実はとても苦しいものだと実感し、残された時間をどう生きるべきか真剣に悩まれる人々の語りは力強く、毎日をなんとなく生きてきた私にとって心から畏敬の念を抱く体験だった」。その結果、自身の人生も変わったと語っています。
人が「死」を恐れるのは何故か? それに対し清水氏は、三つの理由(問題点)を挙げています。それぞれに対処の仕方があり、「死」を意識して初めて生きることの「光」に気づくと、氏は言明します。そして期限がある命を自分らしく生きるその手掛かりもあると、氏は説明します。 ~次回に続く~