梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

死を見つめる(その3)

2020年02月29日 10時09分42秒 | Weblog
『亡くなった人と話しませんか』の本を読みました。著者の名前は「サトミ」とあり、「母子共に命が助からないかもしれないと言われるほどの大難産の末この世に生を享け、その後数奇な道を歩み現在はスピリチュアル・テラーとして活躍」これが略歴です。

テラーとは「届ける人」の意味です。相談者から依頼があると、対面して亡くなった人などから届く言葉やメッセージを伝えたりしている女性のようです。私の先入観や固定観念は捨てて読んでみました。本の主旨は、「死者は存在する、死者と話せる」でした。

死後(あの世)の世界はシンプルに言うと次に生まれ変わるまでを過ごすための場所。亡くなった人たちは、先ず成仏した人と成仏していない人と分かれる。あの世に行けるのは成仏した人だけ。成仏していない人は現世でもあの世でもないところをさまよう。その人たちは死を受け入れられず現世に未練や執着がありすぎあの世へ行くことを拒む人。

あの世は天国と地獄のようなところとに分かれる。成仏した人はそのどちらかに行く。そして天国に行った人は次に生まれ変わるための準備ができる。生まれ変われるのは 現世で徳を積んだ人また現世に学ぶべきことがある人。死んでも魂はそのまま残り今の人生を諦めずに精一杯生きないと生まれ変わってもまた同じ人生が続いてしまう。

著者の「死者とあの世」のイメージは、このようなものでした。多くの相談者のケースを交え、亡くなった人と話せることを本の中で伝えています。しかし亡くなった人と話せるチャンスは一度きり。何度も話せるとしたら残された人は過去(故人)に縛られるし、あの世にいる人も未来に向って進んでいるので、それを遮ってしまうからと説明します。
 
私はこの本の内容については否定しません。私には見えない・感じないだけかもしれません。信じている人がいることを容認しようと思います。信じる者は救われる、宗教の世界かもしれません。そのような解釈をすれば、迷いや惑いが無くなる事も私の経験則でもあります。

「宗教は壮大な喩え(たとえ)話!」とおっしゃる方がいます。「そのままではにわかに信じ難い絵空事のような表現も、それを現実の比喩として紐解いてゆくと、現実に起こりうる事象と思えることがままある」と話されます。少なくとも長年月を経て現存する世界的な宗教は、死や死後の世界について一つの明確な答を示しています。

サトミ氏の本に戻ります。死んでも魂はそのまま残り今の人生を精一杯生きないと、生まれ変わっても同じ人生が続いてしまう。そのように氏が言ったことは既に伝えましたが、「何かを変えたいと思うなら、行動すべきは“この今”なのです」と、その後に書いています。

同じことを言っている方がいます。前回のブログで紹介しました、『もしも一年後、この世にいないとしたら』を著した、精神科医の清水氏です。癌と対峙した多くの患者さんから、「死を見つめることは、どう今を生きるかである」が何よりも大切だと学んだ方です。「行動すべきはこの今」と「どう今を生きるか」。死を前にして、お二人の考えは全く一致しています。

またサトミ氏は、病気についてこのようなことを話されています。病気だけをみて治そうとするのではなく、病気はこれまでの人生と向き合う絶好のチャンスを与えてくれているのではないか。伴侶が不治の病になったとしても、あらためて家族がどうあるべきか気付かされ、濃密な時間が過ごせれば幸せだったのではないか。

清水氏は、「癌は家族が第二の患者」と表現します。誰よりも親しい家族が癌になると家族も同じ苦しみを味わうが、互いに新しい価値観を見出せるチャンスがあるとの意味です。スピリチュアルと医療(科学)の世界に生きている、別の二人がここでも共通点がありました。

宗教は信じることで真理を求めたことに対して、科学は徹底して疑い法則を求めたものです。この現代の科学の分野で、“死という永遠の終わりが遠のく”可能性が書かれている記事を最近読みました。  ~次回に続く~ 


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死を見つめる(その2)

2020年02月22日 05時28分00秒 | Weblog
長年教えを受けていた和尚様が罹った滑膜(かつまく)肉腫とは、簡単に言えば軟部組織および骨の癌であると、そのように聞いておりました。大学時代の山のクラブの同期の仲間も、数年前から癌を患っていました。共に、癌を受け入れられるかの葛藤があったのだと思います。

癌の近年の統計によりますと、生涯において癌になる確率は、男性では62%女性では47%と報告されていて、「2人に1人は癌に罹る時代になった」と言われています。夫婦ですと、自分が癌にならなかったとしても、身近な伴侶が癌を体験することになります。そう考えると、全ての人にとって他人事ではない病気と言えます。

『もしも一年後、この世にいないとしたら』のタイトルで、お医者さんが書いた本の新聞広告が目に留まりました。買い求め読んでみました。著者は、精神腫瘍学(癌と心に関する学問)を専門とする精神科医であり、清水研と言う方です。

清水氏は国立がん研究センター中央病院に2003年から勤務され、癌に罹患された方とその家族の診療を担当してきました。毎年そのような人と会うのが200人を下らないそうで、今まで3500人以上の方々の話を伺ってきたとのことです。その仕事を通し教えてもらったことが山ほどあり、本を書くに至ったそうです。

臨床経験を重ねる中で、人は悩みと向き合う力(レジリエンス)を持っていることを実感し、自分に出来るのはその力を育むことだと認識します。患者さんの生い立ちから始まりどんな人生を歩んできたか時系列に振り返ってもらい、次に癌の告知後に心がどう移り変ったか詳しく語ってもらうと、苦しみの中で新しい世界観を見つける人が多くいるとのことです。

とは言うものの突然の癌の告知は、健康で平和な毎日が喪失し死の予感を伴う。怒りや悲しみを経て、この喪失感を受け入れるには時間とプロセスが必要。どうあがいても現実は変えられない、何年か先がないとしたら人は何の為に今を生きるのか。ストイックに生きてきた人ほど今を犠牲にしている。死を意識して初めて、当たり前と思っていたことへの感謝が生まれる。このようなことに人は気付くと氏は語ります。  

じっくり考えれば、本当は皆いつ何が起きるか分からない世界を生きている。私はそのように思えてきます。長年の喫煙癖を止めさせる方法は簡単だと言う人がいます。肺癌になったら即止める、と。人は自分だけは大丈夫だとの、正常性バイアスを常に持っています。いつ何が起きるか分からない世界を生きていることを、覚知できるかです。

氏の話しに戻ります。もう一人の自分が自分を追い込んでいる。こうでなくてはならない「must」、それがありのままの自分を苦しめる。自分はこうしたい「want」、本当の自分である為にもこれを大切にしなさい。「must」が強すぎると、癌などの障害に対峙すると行き詰まり、「何の為に生きるか」が分からなくなってしまうと説きます。

癌は人に死を意識させ、人生そのものを脅かす。その死を人はどう見据えるのか。以前指導医から、患者が亡くなることは医療の敗北と教え込まれたが、患者を看取るとか患者の死とどう向き合うか教えてもらう機会は少なかった、と振り返ります。

むしろ世間は、死を忌み嫌い考えないようにする風潮があり、無意識に不老不死を求める。しかしその傾向は、死が間近になった時はあまり役に立たない。そして、「死を見つめることは、どう今を生きるかである」と結びます。医者で真剣に死に向かい合ったからこその見解です。多くの患者さんのケースを挙げて、この本は説得力がありました。

「今をどういきるか」は、「want」にヒントがありそうです。しかし現世の今が終わったらその先はどうなのか、来世はあるのかないのか、そのような問いが沸いてきます。そんな矢先、『亡くなった人と話しませんか』とのタイトルの本が、また新聞の広告に載っていました。  ~次回に続く~


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死を見つめる(その1)

2020年02月15日 05時44分04秒 | Weblog
今年頂いた年賀状の整理を、ここしばらくしていました。「今年を以って、今後年賀状は失礼させてもらいます」。このような内容のものが今年は3通ありました。中には私と同年輩の方がいて、最後の年賀状をもらいます。諸事情もあるのでしょうが、長年の年賀状だけのお付き合いにしても、割り切れないものが残ります。

そのような挨拶が無いまま、年賀状が来なくなるケースもあります。私の方は何年か続けて、様子を見ながら発送リストから外しています。この歳になると新たに出す人よりも、亡くなる方も含めこのように出さない人が増えて、年賀状の数が減ってしまうのは寂しい限りです。

大学の同期で年賀状が来なくなって、こちらからも連絡を取らずにいた彼の消息が、とあることで判明しました。去年偶然にも、30年振りに再会した友人(年賀状だけは継続)がいます。その友人に誘われて、大学の付属高校の同期が定期的に集る会に、初めて参加しました。そこで彼を知っている人がいて、数年前自らの命を絶ったことのことです。その会に参加していなければ知らないままでした。

彼とは大学で同じクラス、付属高校から大学に入った仲間程度の関係で、それほど付き合いはありませんでした。しかし20数年前大学卒業25周年のイベントで急に親しくなり、交際が始まりました。奥さんとは長く別居状態で、息子と一時期暮らしていました。大手企業を退職して起業しますが、その事業も閉めてしまいました。彼の力になれなかった悔いは、払拭できません。

同じく大学の同期ですが、去年11月にこの世を去りました。大学時代の山のクラブの仲間です。その同期で、忘年会(軽登山をて一泊)を数年前から開催してきました。彼は5年前から肺癌を患っていましたが、去年初めて参加を表明しました。しかし開催直前に他界しました。

その彼は名古屋に在住していました。去年の忘年会の開催地は浜松でしたので、「近くだし、初日に行なわれ宴会だけだけど参加できる」と、幹事役の私に連絡が入りました。ところが開催二週間前のこと、彼からかすれた声で「肺炎となってしまい緊急入院するので、ごめん参加できない」との電話です。

それから一週間後、奥さんから訃報の知らせです。他の仲間からは、「電話だけど彼の肉声を聞いたのは、我々の中でも梶が最後」との話となりました。私は、「皆に再会したい」との彼からの最後のメッセージだったと思っています。

彼とは現役時代、忘れられない想い出があります。大学二年の時、彼と私は夏合宿で同じパーティーでした。十日間程の夏合宿でその学年は、四年間で一番過酷な山行となります。二年生は共同装備(テントや食料)を多く担ぎ、ザックの重さは40kg近くになります。その上ルートを見極める役割で、隊の先頭を常に歩きます。三年でリーダー資格を取る為の、養成・訓練がその合宿でした。

我々のパーティーは、その時上越国境の山々を縦走するプラン。十名を越える陣容でしたが、二年生は彼と私だけ。日替わりに先頭を歩きました。バテても擦り傷が出来ても、二人以外に交代要員はいません。それでも行程を踏破できました。それこそ同じ釜の飯を食い苦楽を共にした戦友です。卒業して互いに離れていても、その絆は消えませんでした。

そして更に、長年教えを受けていた和尚様が亡くなられました。毎月京都宇治で一泊二日の勉強会があり、私は参加して12年目となります。研修会場はその住職のお寺で行なわれていて、そのスクールの理事長でもありました。学長でもある私が師事している先生のメインの講義の他に、和尚様の講話の時間もありました。

昔比叡山で荒行をして、山を下りても厳しい修行は続け、長年の無理もあったのか、十五年来の間質性肺炎の悪化から滑膜肉腫を併発され急逝されました。令和元年の12月のこと72歳でした。和尚様が、「仏教の世界では人の生き死には日常茶飯事」と話されていたのが、とても印象的でした。

同年輩の友人や親しい方が、最近亡くなりました。遅かれ早かれ、いずれ私もその時は訪れます。仏教の言葉で“生老病死”があります。避けることが出来ない人間の苦悩です。この死について、ここで少し考えてみたいと思いました。  ~次回に続く~
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社長とは(その4) 

2020年02月08日 06時30分18秒 | Weblog
「NHK100分de名著」の貞観政要の解説書の中で次に心に留まったのは、『人の器は大きくならない』との項目でした。「どんな組織もリーダーの器以上のことはできない。ならば、リーダーの器を大きくすればいいと考えがちですが、話はそう簡単ではない。そもそも人の器のおおよその容量は決っていて、簡単に大きくすることは出来ない」。人間の器量や能力について、悲観的な話から入ります。

ただしここからが本題です。「器が大きくならなくても容量を増やす方法がある。それは、中身を全部捨て空っぽにすること。築き上げた自分の価値観や思い込みなど、拘っているものを消してしまう。無にしてしまえば、器が大きくならなくても、新しい考え方を吸収して、自分を律することが出来る」。新たな努力をするのはなく、これは実行可能です。器の中身を空にしたから太宗は諫言を受け入れられた、と解説しています。

この解説書を著しているのは、出口治明(はるあき)という方です。京都大学を卒業し、日本生命に入社。そこで保険業務に精通し、退職してからライフネット生命を創業。その後、立命館アジア大学が日本発の学長を公募した際、学長に就任して現在に至っています。実社会を良く知っていて実践の方で、番組の中でもとても説得力がありました。

更に『リーダーとは「機能」である』と、出口氏は説きます。「リーダーは決して偉い訳ではない。組織を運営するための機能の一つにすぎない。組織で仕事を回すために割り当てられた役割がたまたまそうであっただけ。リーダーとフォロワー、組織において単に違う機能を担っているだけという関係にある」。このようにトップの役割を喝破します。

貞観政要は、唐第二皇帝太宗と臣下が理想の皇帝像を模索した問答集です。それは吏官によって日々記録されました。ある日太宗は臣下に、内容に口出しをしないからその記録を見せてくれないかと持ちかけます。これに対し臣下は、皇帝の権限はあまりにも強大なので、そうなると太宗に吏官は忖度して、事実を記録しなくなると断わります。

出口氏は、皇帝が任せた権限を飛び越えたこと自体が問題であると指摘します。「上司といえども部下の権限は代行出来ない。また、人間は自分の得意なことについては口を出してしまう。例えば中国に赴任した経験がある人が社長になったとすると、社長になっても中国事業に口を出してしまう。すると部下は絶対に育たない」と、氏は警告します。

去年の9月に後継社長にバトンを手渡し、私は会長職に退いて新社長を通しながら、「社長とはどのような存在で何をするのか」を、四週間に亘って書いてきました。その中で、元伊藤忠商事会長の丹羽宇一郎著、“社長って何だ!”の本も引用させてもらいました。

丹羽氏は本の最後で「社長って何だ!」の問いに対し、「社長は人間です。しかも皆さんが考える以上に動物に近い人間。つまり普通の人間より自己中心的で、貪欲で、スケベで、つまり最も人間らしい、人間の本性が表れる存在なのかもしれません」と、答えています。「だからこそ、社長は動物の血を制御する倫理観や正義感を、人一倍学び続けることが大事」と、付け加えます。

わが社の新社長においても言えることは、優れた特別の人間が社長の条件ではありません。社員を誰よりも大切にして、素直で謙虚であり、耳の痛いことこそ聞けて、自分が一つの機能であることを知っている。これ等が社長に求められることだと思います。

一方私は父の会社に入って、怪我もあり約10年間運送会社の代表を務め、その後梶哲商店に戻り、父の急逝によって約30年間社長職に在籍しました。社会人の私の人生45年ほどで、最も長く関った役職は社長です。

社長職は決して私の得意な分野ではありませんが、長く居たことだけは確かです。長かった社長業を通して、新社長にいらぬ口を出してしまう危険性があります。私自身戒めなくてはなりません。私の会長職も、会社での一つの役割、そして機能です。

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社長とは(その3) 

2020年02月01日 06時37分25秒 | Weblog
唐時代(618~907年)の第二代皇帝太宗と臣下たちとの言行録が、“貞観政要”です。「貞観」とは当時の元号(627~649)であり、「政要」とは政治の要諦のことです。臣下の諌めを受け入れ、民の為の皇帝として尽くした太宗は、貞観の治と呼ばれる平和な時代を築き、名君として名を馳せました。

丹羽宇一郎著“社長って何だ!”の中に、この貞観政要が登場して、諫言の士の大切さが書かれていたことは前回お伝えしました。この本を読んでいる最中タイミング良く、「NHK100分de名著」で、1月の番組として貞観政要が採り上げられていました。早速、番組の解説書も取り寄せました。これからは、この貞観政要の話が中心となります

貞観政要は、その太宗(李世民)が、臣下(魏徴など)と理想の皇帝像を模索した問答集ともいえます。一国の皇帝まで上り詰めた人なので、普通なら李世民には、臣下とそのような耳障りな問答を行なう必要がありません。しかし、それには二つの理由がありました。

一つは、その前の時代に中国を統一していた隋の滅亡です。大運河を造るなど土木事業を盛んに行なって民衆を疲弊させたり、周辺国への遠征に失敗したりするなど、失政が続いていた為人々の反乱が起こり、隋は僅か38年で滅んでしまいました。

もう一つは、李世民が皇帝になった背景です。唐は世民の父、李淵が建国します。世民は次男ではありましたが、李淵に挙兵を勧め、自ら軍隊を率いて敵対勢力を平定し、建国間もない唐を軌道に乗せる重要な役割を果たしました。

しかしそんな世民の活躍を快く思わない人物が、兄の李健成でした。皇太子の地位も弟によって奪われかねないと危惧した健成は、四男と図って、世民の殺害を計画します。その動きを察知した世民は、先手を打って臣下らと謀り、兄と弟を殺したのです。

李世民には、恐ろしい国の滅亡を何とか回避したい、兄弟を殺して帝位を奪ったとてつもない汚名を返上したい、このような願望がありました。世民が出した答えは「優れた皇帝になること」でした。正しい政治を行い、部下の言うことを聞いて、人民の為に尽くし、贅沢をせず、業績を多く残し皆に認めてもらう。これしかない、そう考えたのです。

ここで私の解釈です。諫言とは本来、社長が部下の意見を聞くとのことです。人から意見を聞くことの大事さをいうのであれば、社外であれば幕賓的な人から、社内であれば会長からも、厳しい意見を素直に受け入れることに繋がります。

しかしそれを部下から聞き入れることに、私は意味があると思っています。部下は、トップに比べると弱い立場にあるからです。トップより会社の実態を知っているからです。トップになると、正しいことを自分の権力で歪めて取ってしまいがちです。傲慢さを排除し謙虚になることが、トップは常に求められます。

貞観政要の中身に入って行きます。解説書を読み始めて、最初にショックだったのが、『君主は寄生階級にすぎない』との項目でした。「君主の道は、必ずぜひとも人民達を哀れみ、恩恵を施さなくてはならない。もし(重税を取立て)人民を苦しめて、君主の身(の贅沢な生活)にあてるのは、ちょうど自分の足の肉を割いて自分の腹に食わすのと同じである。満腹した時には、その身が死んでしまう」。その内容の一端です。

当時の根幹となる産業は農業でした。しかし太宗は自ら畑を耕し収穫を行なっていたわけではありません。つまり、人民が生産階級だとすれば、君主(トップ)は人民に頼るしかない寄生階級なのです。人民が弱れば、寄生する自分もいずれ死ぬ。太宗はそのことを良く分かって、人民が気持ちよく働けるゆとりを奪わず、重税を課すことはしませんでした。

部下からの諫言を聞き入れることに意味があると、私が解釈したのは、このことだからです。会社を良く知っていて社員を代表して諫言してくる幹部の意見に、社長が耳を貸すことは、会社を存続する為に最も必要なのです。社長は現場で働いている社員からすれば、恐ろしいかな、寄生階級なのです。  ~次会に続く~


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