梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

蔵王と山仲間(その2)

2023年03月25日 06時05分01秒 | Weblog
蔵王に行った11名の構成です。8名が大学時代のワンダーフォーゲル部で一緒でしたが、私たちの代が3名、一つ上の代が1名、三つ上の代が4名です。他3名は、私と同期2名のそれぞれの奥さん、そして私の姉でした。男女の内訳は5名と6名で、いずれも登山の経験は豊富で70歳を過ぎても、山を愛する気持ちは変わらない人達ばかりでした。

大学のクラブで一年生の我々にとって、三つ上の四年生は雲の上の人です。入部したての一年生の新人養成山行と、四学年が一緒の夏合宿登山のリーダー格となるのが四年生で、我々と親しく口を交わすこともなく、就職活動もあり、秋以降は実質部活には参加しなくなります。三つ上の先輩は厳しく絶対的な存在としてすり込まれ、卒業してもその関係は続いてしまいます。

OB・OGが集まる登山も、私は足の怪我で、卒業後約30年間は参加しませんでした。15年ほど前同期に背中を押され、軽登山をすることになり、年二回のOB・OG対象の日帰り登山にも、自然と参加するようになります。歳を取れば多少の年齢差は同世代、現役の時の上下関係も段々と薄らいでいきます。今回同行させてもらった三つ上の代の4人の方とは、そんなものが一気に払拭できたように思いました。

実は、その三つ上の代の一人の女性が私の姉と、昔共に山に登っていました。女子高校の同じワンダーフォーゲル部で、一つ違いの先輩・後輩(姉)の関係にあったのです。姉は高校を卒業して、先輩と別れ、社会人の山岳部に入ります。そのような関係で姉が今回の会に誘われたのです。その先輩と姉の再会は45年振りでした。因みに私は姉の影響で、大学のワンダーフォーゲル部に入ることになります。

このような関係にある11人が、山スキー隊とスノーシュー隊に別れ、三日間各々の行動をしました。ここで山スキーとスノーシューについて少し説明したいと思います。

山スキーとは、スキーを履いたまま自力で登り、ゲレンデが無い自然の山域で滑ることをいいます。起伏が激しい山道では、スキー板を背負いながら登ることもあります。アルペンスキースタイルとテレマークスキースタイルとの、2つのスタイルがあります。前者は、歩行・登高モード(かかとをフリーに)と滑降モード(かかとと板をしっかりと固定し)で切り替えられる山スキー専用のビンディングを用います。狭義の意味で「山スキー」を使うときは、このスタイルを指します。

山スキーを駆使すれば、ゲレンデの決められたコースを滑るだけでなく、自由に雪の山を駆け巡ることができます。スキーが好きで、山登りが好きな人なら山スキーにチャレンジしてみたくなります。しかしゲレンデを一歩外にでれば、そこは厳しい自然の雪山の世界です。山スキーとは雪山登山の一形態であるということをはっきりと認識し、スキー技術のみならず雪山登山の技術・経験も兼ね備えなければなりません。

スノーシューとは、雪の上を歩行するための道具です。登山靴やスノーブーツなどに装着して使用します。普通の靴ではふかふかの雪の上を歩こうと思うと足が沈んでうまく歩けませんのでこれを装着することにより、雪の上でも沈まず歩行できるようになります。素材はおもにプラスチックとジュラルミン。ワカンよりもサイズが大きいため、浮力が強くラッセル能力が高いというメリットがあります。別名では西洋かんじきとも呼ばれ、スキーやアイゼンなどを用いるより手軽に雪山に入って行けてる為、近年人気が出てきています。 

いずれにしても蔵王樹氷の一番の見頃の時期に、冬のシーズンでもこのような青天は珍しいと地元の人もいうくらい、絶好のタイミングで三日間山スキーとスノーシューを楽しむことができました。 ~次回に続く~

 山スキー用ビンディング

 スノーシュー
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蔵王と山仲間(その1)

2023年03月18日 06時04分49秒 | Weblog
3月14日東京ではソメイヨシノの開花宣言がありました。桜の開花によって、いよいよ春も本番を迎えます。しかしたった三週間前、みちのくの蔵王はまだ冬の最中でした。追々話をさせてもらいますが、2月26日から3月1日まで三泊四日で山形蔵王を訪れ、雪がガリガリに付いている蔵王連峰の稜線まで登って、零下4.5度を体験しました。

蔵王といえば樹氷です。樹氷は大自然が織りなす芸術とも、世界でも珍しい雪と氷の造形美とも表現されます。私はこの樹氷を今回初めて間近で見ました。一面の銀世界に現れる白い巨像は、やはり圧巻でした。その蔵王の樹氷は、1月から2月が一番の見頃といわれています。地元の人も冬のシーズンでもこのような青天は珍しい、との絶好のタイミングで三日間樹氷を楽しむことができました。

山形と宮城県をまたぐこの地域の樹氷は、蔵王連峰の特殊な気象条件と植生によって造り出されます。11~12月になると季節風によって運ばれた雪雲のなかの水の粒が、亜高山帯に生息する針葉樹のアオモリトドマツの枝や葉にぶつかり、エビのしっぽのように着氷します。成長期にはそのすき間に多くの雪片が取り込まれ固まる、という現象を繰り返し樹氷はどんどん大きく成長し、それが1~2月に最盛期を迎えます。

そんな時期、三泊したのは国定公園の蔵王坊平高原にあるペンションです。山形新幹線の「かみのやま温泉」駅から車で一時間ほど、標高約1,000mの所にあります。ペンションの近くを走る蔵王エコーライン(山岳観光道路)は、冬期自動車は通行止めですが、宮城県側に下れば仙台方面に出られます。坊平高原は、立派な体育館やグランドを有し、高地トレーニングにも適し、スキーシーズンに限らず、一年中利用者が絶えない知る人ぞ知るアスリートの聖地です。

蔵王のスキー場のメインは、坊平高原スキー場ではなく、蔵王温泉スキー場です。蔵王温泉街が麓にある、東北最大級のスノーリゾートエリアといわれ、リフトやロープウエイも多い百万人ゲレンデがある、蔵王温泉スキー場がこの地のメッカです。我々が泊まった坊平高原の北西に位置し、車で約40分の所にあります。

さて、泊まった所は“野口ペンション”といいます。その野口オーナーは78歳で、昔アルピニストでした。中学生の頃から山に親しみまた自然を愛し、社会人となり本格的に登山を始めて、地元の厳しい山岳会に入ります。そこで大怪我をして完治まで一年半を費やしますが、その後日本でも有数な山岳会に所属し、過酷な岩壁や冬期登はんや更に山スキーの技術を取得します。ヨーロッパに遠征し、マッターホルン北壁に挑むも凍傷にかかり、足指を二本切断することになります。

それでも怯むことなく、40歳半ばから100キロマラソンに挑戦します。秋田100キロマラソン12回、連続15年完走したとのことです。根からのアスリートなのです。五つ下の奥様も山仲間。二人とも山形県出身ではありませんが、そんな山や自然への憧憬から蔵王坊平にペンションを構えオープン、今年48年目を迎えました。

今回一緒にペンションに訪れたメンバーの人数は11人です。その中の一人、Oさんという人が野口オーナーと昔からの知り合いでした。Oさんは野口さんを山の師と仰ぎます。Oさんは、私と大学時代のワンダーフォーゲル部同期でした。Oさんの声掛けで仲間を誘い、野口ペンションに行くことになり、蔵王樹氷を楽しむ会となり、また山仲間と新たな関係をもつことができました。   ~次回に続く~ 

 野口ペンション

 三泊した部屋
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プラス・ワンその後(その4)

2023年03月11日 06時03分23秒 | Weblog
勉強会で招いた講師の方の名前は、並木将央さん(以下N氏)。中小企業診断士、電気工学修士、経営管理修士(MBA)などの資格をもつ、経営関係のコンサルティングをされている方でした。N氏の著書に『成熟社会のビジネスシフト』があり、後日読ませてもらうことになります。勉強会の後懇親会があり、席が近かったこともあり直に話が出来ました。

その場で、N氏にプラス・ワンの概要を伝えて、場合によっては色々アドバイスをもらいたい旨の話しをしました。N氏はコンサルティングの他、各地の大学や団体からの依頼による勉強会やセミナー講師の仕事が忙しく、時間は取りにくいけれど、相談の依頼があれば受けてくれるとのことでした。プラス・ワンの四人の会議に諮るべく、正式な依頼は持ち帰りました。

結果他三人は、N氏のコンサルティングを受けることに同意しました。三人もプラス・ワンの当面の業績は、自己努力によるところが多いとは理解しつつ、発展的な将来性については閉塞感を抱いていたことは確かです。そのような経緯で、去年の夏から年末までの間、お試しのズームによるミーティング(一時間)を経て、正式な一時間の外部のコンサルティングを二回受けました。

鉄鋼業界を全く知らない、N氏の理解力と分析力は群を抜いていました。またプラス・ワンに、とても興味を持ってもらいました。やり方次第だがビジネスとしての可能性を感じ、この事業にはやりようが多くあるとの感想でした。当然クリアしなければいけない課題あるものの、同業他社との陣取り合戦ではなく、ユーザーとの縁が深まれば、共存共栄を目指せる事業ではないかとの見解でした。

しかし今のプラス・ワンは、①誰に(誰を対象としてセールスするのか)、②何を(自社の何をセールスするのか)、③どの様に(どの様なサービスを提供するのか)、については③しか明確ではない。③だけではいずれネタ切れを生ずる。マーケッティングの未熟さをN氏に指摘されました。①と②は自社では中々コントロールできず、例えば展示会等を利用して見込み客を見出す方法を教わりました。

N氏の講義や本で言われているように、人口が減っていく時代つまり成熟社会においては、従来の成長社会の営業力では物は売れず、売れる仕組み(マーケッティング)を作らない限り物は売れない、との論旨にブレがありません。今は舵取りが本当に難しい時代。どれを選んでも正解が見えないが、逆にどれも正解になり得る。人口が増えている時代は判るからやる、人口が減っている時代はやるから判る。この認識を新たにしました。

N氏のアドバイスで後付けですが、検証できたことが二つあります。一つはロボットと職人との関係性です。近年同業者は、職人の高齢化や熟練工の後継が育たないことから、産業用ロボットである大型のレーザーやファイバー切断機を導入する傾向が強まっています。その結果、溶断業は薄ものの自動加工は進むものの、肉厚の特殊な形状を扱える同業が減っているように思われます。そこには最先端の機械に頼り、職人軽視の経営が垣間見えます。

プラス・ワンが踏み込んだ分野は協働ロボットです。ロボット化はするものの職人の機能を尊重し、技術力の温存・向上を目指すものです。N氏は「職人にとって一番辛いのは過去を否定されること。自分がやってきたことが要らなくなること」、そう明言します。ロボットのメリットは職人の実働時間短縮であり手間が掛かる段取りの排除で、デジタルとアナログの融合化です。そのような認識に立つことができました。

もう一つは売れる仕組みの試みです。二年前プラス・ワンとして初めて新規を取った時です。ロボ機の加工を必要とするであろうユーザーを調べ、アポも取らない「飛び込み」でした。押し売りが来たと思われ終始立ち話。会社概況を手短に説明し、立体加工の写真が入ったパンフを渡しました。後日引き合いがあり受注。無駄な営業トークは全く必要なかったのです。その会社の困りごとに焦点があたり、正に共感を得たのでした。

N氏からは、単に立体加工だけのニッチで終わらせない提案や、企業のブランディングに寄与するアドバイスをもらっています。これからも一つひとつ課題を解決しなくてはなりません。梶哲商店としては、従来からの主力ビジネスも確り運営し、プラス・ワンの更なる取り組みに挑戦し、互いの相乗効果も勘案し、バランスを図って行きたいと思っています。そのような営みを続けることが、わが社の事業継承に繋がっていくと信じています。


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プラス・ワンその後(その3)

2023年03月04日 08時25分21秒 | Weblog
去年の5月に搬入されたロボ機は思ったよりコンパクトでした。白と緑独特の色彩のアームで、この小型のロボットは工場にあって、これが機械かなと見まがう程です。わが社の従来の溶断機器は大型です。去年の8月に導入したファイバーレザー切断機(産業用ロボットの典型)からすると見劣りしますが、このロボ機もこれからの活躍を担っています。  

導入して十カ月経ちますが、大きなトラブルもなく稼働は今日に至るまで順調です。A社のものと比べ相違点やこのロボ機自体の多少の改善点はありますが、色々な仕事を受注して、使えば使う程その切断加工のノウハウは蓄積されていきます。操作する人の工夫次第で新たな発見もあり、これが協働ロボットの真髄かもしれません。

さて、その後のA社との関係です。当初A社から、社長の高齢化と後継者(不在)の問題で、わが社に先々事業継承を見据えた申し出がありました。A社のロボ機もわが社へ売却したい旨の内容も含まれていました。しかし先述したように、ある時点から、わが社はA社の改良型を強く望むようになり、独自でロボ機を購入することを進めました。その段階では、その旨A社には伝えていませんでした。

ある期間事業継承の前提で、プラス・ワン専任の二人が頻繁にA社に訪れていましが、具体的な事業継承の時期については明確な回答がありませんでした。A社の社長の立場に立てば、出来る限り経営は続けたい想いがあったのだと思います。そのような距離感を覚えたのは、わが社のロボ機が納入される三カ月位前のことでした。意を決し、A社に新たなロボ機を導入することを話しました。すんなり賛同を得ました。

A社の販売先の移譲となれば商権の買い取り問題も浮上します。第三者が入るようなM&Aならまだしも、当事者同士の調整は簡単ではありません。わが社にとって商権の移譲は魅力がありますが、わが社のロボ機導入を機に淡い期待は捨て、結果的には、互いに一線を画すことになりました。関係性が明確になり、それはそれでよかったと思っています。現在A社とは、元の取引を継続しています。

プラス・ワンが加工するものは、主に地下構造物です。建物の基礎を打つ時と、その基礎を引き抜く時に、使用される鉄製の肉厚部材です。その部材を加工組み立てするメーカーは、一次加工品を調達して、そこの職人は手間をかけて仕上げの二次加工していました。それを二次加工まで一括請け負うわが社の仕事は、同業他社とは競合しないユーザーへの深堀であり、どちらかというのニッチの世界です。

私は一年ほど前から、ロボ機導入と前後して、プラス・ワンの毎週一回の打合せに同席しています。メンバーは専任二人と社長と私の四人です。社長と相談役(私)の二人だけの打合せと違って、四人全員がフラットの立場で意見交換できる会議にしています。経営や戦略的な観点では、社長や私の意見も活かされるかもしれません。

第三者からの見方や考え方は、会社にとって必要不可欠です。何故なら、自社内の判断や評価は視野が狭く、色々な角度で事業の展開を検証できないからです。わが社は事業を大きく転換する際に、過去第三者の貴重なアドバイスに助けられました。的確なアドバイザーは直ぐに現れませんが、常に求める心構え(他者の意見を受容する)は必要ではないかと思います。

去年の夏、ある方と勉強会で知り合いました。その方はその勉強会が招聘した講師でした。「成熟社会において従来の営業力では物は売れない、売れる仕組みを作らない限り物は売れない」との、論旨でした。一時間半の講義でしたが、一言一句が新鮮で衝撃を受けました。講義を受けながら私は同時にある事を考えていました。

「日本の人口はピークに達し、2008年頃から人口減少を主因として成長社会から成熟社会へと時代が切り替わった。成長社会は、資本の増加や技術の進歩も起こりやすく、大量生産→大量消費→大量廃棄、需要>供給の関係が成り立ち作れば売れる。成熟社会は全てこの反対。成熟社会の企業の留意点は、買いたいと思わせる仕組み(マーケッティング)が大事」「その成熟社会のマーケッティングとは、消費者の潜在的な困りごとを発見して、共感されるものを得て、売り込むのではなく顧客を呼び寄せること」。この要点が最後まで頭に残りました。

講義を受けながら同時に私が考えていたこととは、この方ならニッチの分野であるプラス・ワンをどう見るだろうとのことでした。 ~次回に続く~

 去年導入したファイバーレザー切断機
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