三日間の傾聴の講義を、初日出ただけで二日目を休んでしまったその後です。微熱や喉の違和感で、参加者に迷惑がかかると大事を取った次第です(数日を経て現在は通常の状態に戻っています)。二日目のホテルの宿泊をキャンセルして家に戻る選択肢もありましたが、ゆっくりと体を休めるために結局その日もホテルに連泊しました。
二日目は声もかすれていましたので、受講者も発言をしなくてはならない勉強会でしたので、実質的には参加は無理だったと思います。二泊したホテルの部屋は快適で、倦怠感は無く食欲はありましたので、本を読んだりBSテレビの特集を観たり、時間を持て余すことなく過ごせました。三日目のホテルのチェックアウトは昼の12時でしたので、ギリギリ滞在して午後帰宅しました。
さて、この傾聴サポート養成講座は、東京と大阪と交互で毎月行われています。私のように三日目連続で受けられなくても、月日や場所を変更して補講が可能です。次回の東京開催は3月になり、大阪は2月に行われ、なるべく早く受けた方が良いと思い大阪の12日と13日の講義を改めて申し込みました。大阪のホテルに前泊して翌日も泊まり万全を期すことにしました。
ということで大阪の講義にしても時間がありますので、協会の会長が講義で薦めていたカール・ロジャースに関連する本を取り寄せ読んでおこうと思ったのです。三日間講義を続けていたら、ロジャースに関する知識がないままで終わっていたところでした。また初日でダウンしたことは、二日三日と未消化で講義を詰め込むことなく、一旦腑に落とせたのは良かったのかしれません。
その本のタイトルは『カール・ロジャース カウンセリングの原点』、「本物の“傾聴”とは何か? カウンセリングの新たな地平を拓いた希代の実践家の実像に迫る」と、本の帯にそう書かれています。著者は諸富祥彦(もろとみよしひこ)という方で、本は角川選書から出版されています。一般教養書というよりは、どちらかといえば専門書ないし学術書に近いかもしれません。
著者の諸富氏(1963年生れ)は、心理学者で明治大学文学部教授です。専攻は、カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリングなどで、日本トランスパーソナル学会会長を務めています。氏の大学の卒論はロジャースのカウンセリングについてであり、昔ロジャースが来日し講演したのを直に聴いているようで、ロジャースの文献の翻訳も長年携わってきた方です。
その本は、ほぼロジャースの全貌を伝えていました。ロジャースを理解するための基礎知識から始まり、彼のカウンセリングにおける変化の過程、彼の生い立ちから生涯にまで及んでいます。傾聴は何のために行うのか、ロジャースから改めて学び直す点や、心理療法としてのカウセリングの捉え方などにも多くの紙面を割いています。
ロジャースの弟子の中で、余人をもって代えがたい逸材がいます。ユージン・ジェンドリンという人物で、師より24歳年下で元々哲学専攻でした。ロジャースはジェンドリンとの出逢いによって(1955年)、それまで構築した心理療法にも変革が起こります。それ故に、二人で一つのものをつくりあげた同士ともいわれています。本はそれを包括し、1950年代半ば50歳代のロジャースに特に焦点を当てています。
しかし著者は、ロジャースは今読んでも決して古くないと言います。カウンセラー、心理療法士、コーチ、キャリアコンサルタントのみならず、教師、保育士、福祉関係者、医療関係者など、人を援助する立場にある人が立ち入るべき「原点」がここにはあると強調します。そればかりか夫婦、親子、上司と部下などなど、お互いがより自分らしくあることを尊重しあえる関係を求める全ての人が立ち入るべき「原点」もまたここに示されていると、著者は言葉を重ねます。
ロジャースは1950年代半ば、理論家としても脂がのっていた50歳代を境に、アカデミックな立場を去り目指す方向を大きく転換しました。以降、個人カウセリングの場からエンカウンター・グループ(集団での対話を通して経験・考えなど共有)の活動に没頭し始めます。そして晩年、人口問題、結婚制度や教育制度の問題、人種差別やマイノリティの問題など、社会問題に本格的に関心をもつようになります。同時に、スピリチュアルな次元への目覚めを通し残された最後の課題に入ります。 ~次回に続く~
二日目は声もかすれていましたので、受講者も発言をしなくてはならない勉強会でしたので、実質的には参加は無理だったと思います。二泊したホテルの部屋は快適で、倦怠感は無く食欲はありましたので、本を読んだりBSテレビの特集を観たり、時間を持て余すことなく過ごせました。三日目のホテルのチェックアウトは昼の12時でしたので、ギリギリ滞在して午後帰宅しました。
さて、この傾聴サポート養成講座は、東京と大阪と交互で毎月行われています。私のように三日目連続で受けられなくても、月日や場所を変更して補講が可能です。次回の東京開催は3月になり、大阪は2月に行われ、なるべく早く受けた方が良いと思い大阪の12日と13日の講義を改めて申し込みました。大阪のホテルに前泊して翌日も泊まり万全を期すことにしました。
ということで大阪の講義にしても時間がありますので、協会の会長が講義で薦めていたカール・ロジャースに関連する本を取り寄せ読んでおこうと思ったのです。三日間講義を続けていたら、ロジャースに関する知識がないままで終わっていたところでした。また初日でダウンしたことは、二日三日と未消化で講義を詰め込むことなく、一旦腑に落とせたのは良かったのかしれません。
その本のタイトルは『カール・ロジャース カウンセリングの原点』、「本物の“傾聴”とは何か? カウンセリングの新たな地平を拓いた希代の実践家の実像に迫る」と、本の帯にそう書かれています。著者は諸富祥彦(もろとみよしひこ)という方で、本は角川選書から出版されています。一般教養書というよりは、どちらかといえば専門書ないし学術書に近いかもしれません。
著者の諸富氏(1963年生れ)は、心理学者で明治大学文学部教授です。専攻は、カウンセリング心理学、心理療法、臨床心理学、学校カウンセリングなどで、日本トランスパーソナル学会会長を務めています。氏の大学の卒論はロジャースのカウンセリングについてであり、昔ロジャースが来日し講演したのを直に聴いているようで、ロジャースの文献の翻訳も長年携わってきた方です。
その本は、ほぼロジャースの全貌を伝えていました。ロジャースを理解するための基礎知識から始まり、彼のカウンセリングにおける変化の過程、彼の生い立ちから生涯にまで及んでいます。傾聴は何のために行うのか、ロジャースから改めて学び直す点や、心理療法としてのカウセリングの捉え方などにも多くの紙面を割いています。
ロジャースの弟子の中で、余人をもって代えがたい逸材がいます。ユージン・ジェンドリンという人物で、師より24歳年下で元々哲学専攻でした。ロジャースはジェンドリンとの出逢いによって(1955年)、それまで構築した心理療法にも変革が起こります。それ故に、二人で一つのものをつくりあげた同士ともいわれています。本はそれを包括し、1950年代半ば50歳代のロジャースに特に焦点を当てています。
しかし著者は、ロジャースは今読んでも決して古くないと言います。カウンセラー、心理療法士、コーチ、キャリアコンサルタントのみならず、教師、保育士、福祉関係者、医療関係者など、人を援助する立場にある人が立ち入るべき「原点」がここにはあると強調します。そればかりか夫婦、親子、上司と部下などなど、お互いがより自分らしくあることを尊重しあえる関係を求める全ての人が立ち入るべき「原点」もまたここに示されていると、著者は言葉を重ねます。
ロジャースは1950年代半ば、理論家としても脂がのっていた50歳代を境に、アカデミックな立場を去り目指す方向を大きく転換しました。以降、個人カウセリングの場からエンカウンター・グループ(集団での対話を通して経験・考えなど共有)の活動に没頭し始めます。そして晩年、人口問題、結婚制度や教育制度の問題、人種差別やマイノリティの問題など、社会問題に本格的に関心をもつようになります。同時に、スピリチュアルな次元への目覚めを通し残された最後の課題に入ります。 ~次回に続く~