何年かぶりに自宅にある書斎を使えるようにしました。自分の家を持って、33年ほど経ちます。自分の家を建てるのであれば、書斎を持つことが夢でしたので、一坪半の書斎が出来た時の嬉しさは今でも忘れません。何年かは物珍しさもあり、その小さな聖域で自分の時間を愉しんでいました。
30年前突然父が亡くなり、自分の経営手腕に不安を感じ、私の週末は会社に来ることが習慣となってしまいました。会社に来ても、なにがどうなるわけではないのですが、土日の週末も会社に居ないと落ち着かなくなりました。家内から見ると「ちょっとした病気」に映ったようです。
子供も三人できて、家に物が溢れてくると、使っていない私の書斎は絶好の仮置き場。週末も家に居ない私ですので、不便を感じることなく、遂に書斎は完全に物置き場と化してしましました。今般、私の環境の変化に伴いその書斎が蘇りました。実に25年ぶりとなるでしょうか。環境の変化とはどのようなことか、これから順を追って話をします。
今年の9月で、私は社長を退き会長となり二年が過ぎました。会長となって一年半ほどは、会社に居る時間は短縮したものの毎日出社していました。それまでの延長の社内での会議や集まりは徐々に間引きしながら、最後は参加を止めました。唯一、今年新たにスタートさせた立体加工事業の週一の打合せには、オブザーバーとして参加しています。これもいずれ出席しないつもりです。
後は会社での私の仕事は、後任となった社長の相談を受けるだけです。これも少し前から週二回としました。新規事業の打合せと社長との話し合いを兼ねて、週二日のみが私のオフィシャルの出社日となりました。前回のブログで書きました土曜日の早朝座禅会ですが、会社の近くの開催でしたので、その後会社に出ていました。しかしこの座禅会もこの度卒業しましたので、土曜日会社に行く動機がなくなりました。
会長職の行う仕事については、社長業ほど世間には教科書がありません。会長となって出社することも、状況に応じて模索してきました。「会長の役割は何か」を絞ったら相談役です。しかしながら、後継社長自身の最終到達点は自立です。会長が傍に常に居れば頼ります。会長との相談時間や頻度が多ければ、無駄な報告や相談になってしまいます。
会長となって二年、ここにきて急速に会社と距離を置くこととなりました。現在のわが社においては、私は空気のような(普段はそれを感じさせない)存在でいいのだと思えるようになりました。会社から離れれるということは、自宅に自分の居所を求めることになります。
そもそも会長の役割は、会社の場に縛れてやるものではなかったのかもしれません。会社から離れても、今後社長の相談に際しては、気力や感を鈍らせてはなりません。その為にも、もっと広い視野が求められます。日々あらたな知恵や見識を深める学習をするのであれば、場所に拘る必要はありません。
いま世の中はコロナウイルス禍が一年半も続き、多くの働く人がステイホームでリモートワークを強いられています。わが社は工場や倉庫の現場が主体なので、社員は出社せざるを得ません。しかし多くの企業の中で、職種によっては在宅ワークが定着してきました。その人たちは自宅、つまり新たな仕事の場を、快適な空間に整えているのではないでしょうか。
「一つの住まいにこだわらず、全国を転々としながら働き・暮らす。さながら現代の『遊牧民=ノマド』といえるライフスタイルが身近になってきた」。と、最近の新聞のコラムにありました。「後押しするのは仕事を持ち歩けるようにしたデジタル技術や多地域居住サービスの広がりである。コロナ禍が促すノマドの新潮流は、定住を前提とした社会制度を変革させる可能性も秘めている」。働くことが従来の家から開放され、家族と暮らしながら、好きな所へ移動する人々が紹介されていました。
私は小さなキャンピングカーを持っていますので、自然を楽しめる移動先で、仕事もできる醍醐味はよく分かります。記事のようなノマドではありせんが、私の主な居所が会社から自宅へと、環境が大きく変わりました。これが物置になっていた書斎を片付けた経緯です。PCの電源コードを常設していた会社から自宅へ持ち帰りました。生活空間が変わったのだなあと、あらためて実感しました。 ~次回に続く~
30年前突然父が亡くなり、自分の経営手腕に不安を感じ、私の週末は会社に来ることが習慣となってしまいました。会社に来ても、なにがどうなるわけではないのですが、土日の週末も会社に居ないと落ち着かなくなりました。家内から見ると「ちょっとした病気」に映ったようです。
子供も三人できて、家に物が溢れてくると、使っていない私の書斎は絶好の仮置き場。週末も家に居ない私ですので、不便を感じることなく、遂に書斎は完全に物置き場と化してしましました。今般、私の環境の変化に伴いその書斎が蘇りました。実に25年ぶりとなるでしょうか。環境の変化とはどのようなことか、これから順を追って話をします。
今年の9月で、私は社長を退き会長となり二年が過ぎました。会長となって一年半ほどは、会社に居る時間は短縮したものの毎日出社していました。それまでの延長の社内での会議や集まりは徐々に間引きしながら、最後は参加を止めました。唯一、今年新たにスタートさせた立体加工事業の週一の打合せには、オブザーバーとして参加しています。これもいずれ出席しないつもりです。
後は会社での私の仕事は、後任となった社長の相談を受けるだけです。これも少し前から週二回としました。新規事業の打合せと社長との話し合いを兼ねて、週二日のみが私のオフィシャルの出社日となりました。前回のブログで書きました土曜日の早朝座禅会ですが、会社の近くの開催でしたので、その後会社に出ていました。しかしこの座禅会もこの度卒業しましたので、土曜日会社に行く動機がなくなりました。
会長職の行う仕事については、社長業ほど世間には教科書がありません。会長となって出社することも、状況に応じて模索してきました。「会長の役割は何か」を絞ったら相談役です。しかしながら、後継社長自身の最終到達点は自立です。会長が傍に常に居れば頼ります。会長との相談時間や頻度が多ければ、無駄な報告や相談になってしまいます。
会長となって二年、ここにきて急速に会社と距離を置くこととなりました。現在のわが社においては、私は空気のような(普段はそれを感じさせない)存在でいいのだと思えるようになりました。会社から離れれるということは、自宅に自分の居所を求めることになります。
そもそも会長の役割は、会社の場に縛れてやるものではなかったのかもしれません。会社から離れても、今後社長の相談に際しては、気力や感を鈍らせてはなりません。その為にも、もっと広い視野が求められます。日々あらたな知恵や見識を深める学習をするのであれば、場所に拘る必要はありません。
いま世の中はコロナウイルス禍が一年半も続き、多くの働く人がステイホームでリモートワークを強いられています。わが社は工場や倉庫の現場が主体なので、社員は出社せざるを得ません。しかし多くの企業の中で、職種によっては在宅ワークが定着してきました。その人たちは自宅、つまり新たな仕事の場を、快適な空間に整えているのではないでしょうか。
「一つの住まいにこだわらず、全国を転々としながら働き・暮らす。さながら現代の『遊牧民=ノマド』といえるライフスタイルが身近になってきた」。と、最近の新聞のコラムにありました。「後押しするのは仕事を持ち歩けるようにしたデジタル技術や多地域居住サービスの広がりである。コロナ禍が促すノマドの新潮流は、定住を前提とした社会制度を変革させる可能性も秘めている」。働くことが従来の家から開放され、家族と暮らしながら、好きな所へ移動する人々が紹介されていました。
私は小さなキャンピングカーを持っていますので、自然を楽しめる移動先で、仕事もできる醍醐味はよく分かります。記事のようなノマドではありせんが、私の主な居所が会社から自宅へと、環境が大きく変わりました。これが物置になっていた書斎を片付けた経緯です。PCの電源コードを常設していた会社から自宅へ持ち帰りました。生活空間が変わったのだなあと、あらためて実感しました。 ~次回に続く~