梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

居場所と断捨離(その1)

2021年09月25日 05時16分15秒 | Weblog
何年かぶりに自宅にある書斎を使えるようにしました。自分の家を持って、33年ほど経ちます。自分の家を建てるのであれば、書斎を持つことが夢でしたので、一坪半の書斎が出来た時の嬉しさは今でも忘れません。何年かは物珍しさもあり、その小さな聖域で自分の時間を愉しんでいました。

30年前突然父が亡くなり、自分の経営手腕に不安を感じ、私の週末は会社に来ることが習慣となってしまいました。会社に来ても、なにがどうなるわけではないのですが、土日の週末も会社に居ないと落ち着かなくなりました。家内から見ると「ちょっとした病気」に映ったようです。

子供も三人できて、家に物が溢れてくると、使っていない私の書斎は絶好の仮置き場。週末も家に居ない私ですので、不便を感じることなく、遂に書斎は完全に物置き場と化してしましました。今般、私の環境の変化に伴いその書斎が蘇りました。実に25年ぶりとなるでしょうか。環境の変化とはどのようなことか、これから順を追って話をします。

今年の9月で、私は社長を退き会長となり二年が過ぎました。会長となって一年半ほどは、会社に居る時間は短縮したものの毎日出社していました。それまでの延長の社内での会議や集まりは徐々に間引きしながら、最後は参加を止めました。唯一、今年新たにスタートさせた立体加工事業の週一の打合せには、オブザーバーとして参加しています。これもいずれ出席しないつもりです。

後は会社での私の仕事は、後任となった社長の相談を受けるだけです。これも少し前から週二回としました。新規事業の打合せと社長との話し合いを兼ねて、週二日のみが私のオフィシャルの出社日となりました。前回のブログで書きました土曜日の早朝座禅会ですが、会社の近くの開催でしたので、その後会社に出ていました。しかしこの座禅会もこの度卒業しましたので、土曜日会社に行く動機がなくなりました。

会長職の行う仕事については、社長業ほど世間には教科書がありません。会長となって出社することも、状況に応じて模索してきました。「会長の役割は何か」を絞ったら相談役です。しかしながら、後継社長自身の最終到達点は自立です。会長が傍に常に居れば頼ります。会長との相談時間や頻度が多ければ、無駄な報告や相談になってしまいます。

会長となって二年、ここにきて急速に会社と距離を置くこととなりました。現在のわが社においては、私は空気のような(普段はそれを感じさせない)存在でいいのだと思えるようになりました。会社から離れれるということは、自宅に自分の居所を求めることになります。

そもそも会長の役割は、会社の場に縛れてやるものではなかったのかもしれません。会社から離れても、今後社長の相談に際しては、気力や感を鈍らせてはなりません。その為にも、もっと広い視野が求められます。日々あらたな知恵や見識を深める学習をするのであれば、場所に拘る必要はありません。

いま世の中はコロナウイルス禍が一年半も続き、多くの働く人がステイホームでリモートワークを強いられています。わが社は工場や倉庫の現場が主体なので、社員は出社せざるを得ません。しかし多くの企業の中で、職種によっては在宅ワークが定着してきました。その人たちは自宅、つまり新たな仕事の場を、快適な空間に整えているのではないでしょうか。

「一つの住まいにこだわらず、全国を転々としながら働き・暮らす。さながら現代の『遊牧民=ノマド』といえるライフスタイルが身近になってきた」。と、最近の新聞のコラムにありました。「後押しするのは仕事を持ち歩けるようにしたデジタル技術や多地域居住サービスの広がりである。コロナ禍が促すノマドの新潮流は、定住を前提とした社会制度を変革させる可能性も秘めている」。働くことが従来の家から開放され、家族と暮らしながら、好きな所へ移動する人々が紹介されていました。

私は小さなキャンピングカーを持っていますので、自然を楽しめる移動先で、仕事もできる醍醐味はよく分かります。記事のようなノマドではありせんが、私の主な居所が会社から自宅へと、環境が大きく変わりました。これが物置になっていた書斎を片付けた経緯です。PCの電源コードを常設していた会社から自宅へ持ち帰りました。生活空間が変わったのだなあと、あらためて実感しました。  ~次回に続く~
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無我(その3)

2021年09月18日 06時08分46秒 | Weblog
前回の続き20年間修行を積んだ僧の結末です。「無我とはあらゆる欲望を捨て去ることではない」との見解の話しです。最近読んだ無我について書かれた本からの抜粋ですが、以下です。

 中国南宋代の禅書『五灯会元(ごとうえげん)』にある有名な公案です。昔、ある老婆がひとりの僧侶を自宅の離れに住まわせ、仏道修行の手伝いを始めました。僧侶が衣食住に困らぬようにと、老婆が何くれとなく面倒を見てやること20年。ある日、僧侶がどのような境地に至ったかを知りたくなった老婆は、給仕の若い娘に「離れの坊主に抱きついて誘惑しなさい」と指示を出しました。
 すると、言われた通りに抱きつく娘に対し、僧侶は動揺せずに答えます。「枯木寒巌に倚(よ)って、三冬暖気なし(寒い岩の上に枯木が立ったようなもので、何も感じない)」。これを聞いた老婆は、「さすがは長い修行を耐え抜いた清僧ならではの境地」とほめ称えるのかと思いきや、さにあらず。「かような生臭坊主に20年も費やしてしまった」と激怒し、その場で僧侶をたたき出したどころか、離れすら焼き捨ててしまったのです。
 この話が示唆するのは、真に無我に至った者とは、あらゆる欲望を捨て去った世捨て人めいた存在ではないという点です。

このような話のすじです。さて、皆さんはこの話をどう受け止めたでしょうか。そんな老婆が実在したのか、つくり話ではないだろうか。私もそう思わないでもありませんが、何か示唆を後世に残そうとした、800年前の禅宗の史書であることは間違いありません。老婆が下した結末は意外ではあるものの、私は何故かほっとしました。欲望を捨てなくてよいのですから。真に無我に至った人でも、決して特別な人間ではないということです。

特別でない我々にとって、無我とは無欲でもなくまた強欲でもない、普通の状態でいいとのこと。無我になったようで、また自己がぶり返す。「ああ、自己が湧いてきた」と自観法でみる。それでも、ひたすら心と体の一定の状態を保つように、修正の積み重ねをする。これは生涯にわたって修行を続けることでもある。世の移り変わりや理不尽に抵抗するのではなく、服従するのでもなく、停止と観察を繰り返せば、道に迷わず前に進むことができる。私はこのように捉えるようにしました。

ここで、このタイトルの(その1)に立ち戻ります。長くお付き合いのあった方が15年前に私塾を開設し、3年後にそこで座禅を行うことになり、毎週土曜日の早朝座禅会として定着したことをお伝えしました。その塾長が、亡くなられました。(その1)を私が書き出したのは9月1日でした。翌日の9月2日に、息子さんから訃報が入りました。実はその直前の2回の座禅会は、塾長は体の不調を訴え休んでいました。自らが休むことは滅多に無く心配していた矢先です。伏せって2週間、突然の訃報に寂寞の感を禁じえません。享年74歳でした。

塾長との出逢いは22~3年前です。それ以前全く面識がありませんでしたが、わが社を訪ねてこられました。もっと前から来たかったと話されました。話を詳しく伺うと、父は既に他界していましたが、私の父に会いたかったとのことでした。今から50年前、塾長が白ナンバーで運送の仕事をしていた時、製鉄所でわが社の社員(運転手)に接し、軍隊式で厳しく指導されている姿が印象に残っていたというのです。その訪問を契機に、徐々に親しくさせてもらうようになりました。

座禅会は今後、塾長の息子さんが継承して行くことを聞いています。しかし私は、これを機に退会する事を決めました。塾長が今回のようなことを含め継続できなくなった時、私も同様参加できなくなった時、退会させもらうことを以前から考えていました。座禅会は、塾長の会社の社員の方々も参加されていますので、息子さん(その会社の社長)の強い意志で引っ張っていかれることを願っています。

お尻の痛みを切っ掛けに、そして塾長の死に伴い、13年間続けてきた座禅を卒業することになります。私の禅(行)への取り組みは、ウォーキングへと形を変えることになりました。このテーマで書き出したのと塾長の死が重なったのは、偶然だったのではなく、必然性を感じています。
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無我(その2)

2021年09月11日 06時20分37秒 | Weblog
私はウォーキングを日常にして、三年経ちました。自分で決めた歩数を目標にして、健康維持の為にも、今では欠かせない日課となっています。前回、長年行ってきた座禅で、最近あらたに感じることについて話し始めました。その内容を端的にいえば、ウォーキングでも座禅(瞑想)の状態が保てるのではないかとのことです。お尻の痛みを感じ、この頃座禅に集中できなくなってきたことに連動しています。

知り合いの方が私塾を開設して、塾長がかつて座禅の修行をしたお寺の老師を塾に招いて、座禅会が開かれていたことをお伝えしました。その老師の指導は、座禅中でも、少し体を動かしても構わないとのことでした。長く同じ姿勢で体を固定していれば、その窮屈さに気を取られ集中できない。であれば、ある程度体をほぐしてもいいとのアドバイスでした。例えば、体を左右に捻るとか、肩を回すとかです。

修行を積んだ禅僧であれば、微動だにせず正座を続け、寒さ暑さや体の痛みなども克服できているのかもしれません。しかし普通の私たちが、同じ姿勢を維持する為には、少し体の固さを開放することは必要であると解釈しました。仰臥禅(寝禅)や歩行禅もあると聞いています。座禅だけが禅ではありませんし、苦痛をときほぐす形で、体を動かす瞑想もあるのだと思うようになりました。

そこへ、ウォーキングでの最近の課題でした。毎日7,500歩以上を目標として、日に2~3回に分けて歩いていました。今年も酷暑です。昼の炎天下、長時間歩けるような状況ではありません。8月から朝一気に歩くようにしました。この時期、早朝でもすでに蒸し暑く、5~6分歩いただけで全身汗だくです。Tシャツでも不快感があり、一時間を超えるウォーキングは苦痛のなにものでもなく、時間の長さを感じてしまうようになりました。

コースの途中に神社へ登る急な階段があり、全部で70段です。それを登り切ると、呼吸が苦しくなりバテ気味になります。知らない間に、口呼吸になっていたのが原因です。そこで腹式呼吸をイメージし、2回吸って2回吐く「スース―・ハーハー」を意識することに努めると、なんとか定着しました。歩き出すのは朝の4時半からです。まだ外は暗く、目線は自ずと下へ向くことで、視覚から外の刺激も入りません。これを続けていたら不思議なことに、時間の長さを感じなくなってきていました。

何かに抗えば抗う程、その何かに支配されてしまいます。辛さや苦に抗えば、辛さや苦がますます耐えがたくなります。その辛さや不快は勿論感じはしますが、「今自分はそれを感じているな」と、もう一人の自分が客観的に見るようにして、抵抗をしないように心掛けました。この朝の行は誰かにやらされているのでなく、自分で決めたことです。それを納得した上で、呼吸だけを意識することで気を変えます。 

ウォーキングを始めて三年経ちますので足腰は強くなったと実感します。相変わらず左のお尻の筋肉だけは戻りませんが、歩くことには自信が持てました。ウォーキングが日常化していなければ、歩くことに辛さを感じていたはずです。体を動かしてはいけない座禅は、無理に退屈な状態を作っているともいえます。その座禅で目を閉じれば、雑念と妄想ばかり湧いてきます。逆に良い気持ちになり過ぎれば、瞑想と睡眠との境をさまようことにもなります。

座禅で無我になるため、呼吸の大切さはよくいわれてきていますが、ウォーキングで、そのような呼吸をあらためて体得できるとは思いませんでした。毎朝必ずしも体のコンディションが良いとは限りませんが、歩くことは自分の身体と向き合い、健康状態のチェックにもなりす。と、呼吸について今まで書いてきたことは、飽く迄も自分の体験による受け止め方です。今の自分に合っている、無我に近づく一つの方法として、続けていこうと思っています。

無我についても、悟ったことのような事を書いてしまいましたが、むしろ分からないことだらけです。一般論として、「無我は欲望を極力捨て去るべきだ」との捉え方があります。「無我とはあらゆる欲望を捨て去ることではない」との見解を、最近読んだ本から知りました。20年間修行を積んだ僧の話しですが、私にとってはちょっと意外な結末でした。自己を消すとは簡単なものではないとのことです。  ~次回に続く~
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無我(その1)

2021年09月04日 06時35分53秒 | Weblog
一時間ほどの座禅を、私は週一回行って12年ほど経ちます。長くお付き合いのある方が主催している座禅会に、毎週土曜日の朝参加させてもらってきました。座禅が終わると、参加者の近況や各自が普段感じたことなどを話し合っています。主催者の方が15年前に、塾長となり私塾を開設しました。後にそこに座禅をする場を設け、今日に至っています。

塾長は、長年運送会社を経営されていました。第一線を退き、社員教育に苦労された長年の経験を活かし、礼儀作法指導やトイレ掃除研修などを行うようになりました。塾開設3年後に、塾長がかつて禅寺で座禅の修行をした、そのお寺の老師をしばらく塾に招いて、座禅会が開かれていました。週一回の座禅会として定着して、塾長から声が掛かり、私は当初より参加させてもらっていました。

座禅の正式な足の組み方は、結跏趺坐(けっかふざ)となりますが、私は足が悪いので椅子に座った状態で行わせてもらいます。座禅は、深い腹式呼吸、目は半眼、瞑想中は雑念が湧かない、が理想とされます。私はただやってきて12年との感が強く、座禅の本質をまだ理解していません。しかしこの座禅で、最近あらたに感じるところがありました。これについては後述します。 

いうまでもなく座禅は、仏教における修行法の一つです。座禅の禅とは、心が動揺することのなくなった状態を求める所業です。端座しての禅は、インドでは古くから修行者の行った方法で、仏教で採用されたのは、釈迦によるとされています。中国では達磨大師以後重視され、曹洞禅や臨済禅が発達しました。日本では、道元禅師や白隠禅師が広く唱道したことが知られています。

北インドの王族に生まれ、何不自由のない生活が約束された釈尊です。その釈尊が王子の頃、遊園に赴くために外出した時人々の姿を見て、人間には生老病死の四苦があることを知りました。そのショッキングな出来事に遇い、自ら出家を願うようになりました。いうまでもなく今でも生老病死は、誰も免れがたい根源的な苦しみです。

これらの苦しみの克服が、仏道修行の目的であるともいえます。煎じ詰めれば、生きることと死ぬことへの意味付けであり、言い換えれば「どうせ死ぬのになぜ生きるのか」の答え探しです。

私は座禅をするようになって、仏教に興味を持ちました。避けがたい苦難や死への恐怖。それらを解決するのが仏教であるとは、後付けの知識です。本の知識を借りれば、この問いにこうすればよいと、実践レベルの指針を仏教はもっているといわれます。その指針とは、「行」と「方便」です。「行」とは、瞑想や座禅などで心を落ち着かせ整えること。「方便」とは、一人で籠って修行することではなく、実生活の中で立派に振る舞い、周囲の人を幸せにしていくような行いをすること。とのことです。

この「行」にしても実生活レベルで、ただひたすらすることが大事といわれます。しかし現代人は、やれば何か良い結果が得られるのかと、どうしても実利を求めます。ただやることへの抵抗感もあります。ハウツー本があまた出回っています。ハウツー本が絶えないのは、その通りしないで、三日坊主で終わってしまうからではないでしょうか。実利ばかりを求めると、継続的な努力を怠る結果になります。

「行」については、私は座禅会で継続する機会に恵まれました。実利を求めるのではなく、自分を見つめる時間を持てたことは確かです。この歳になり、苦しみの捉え方や生き死にの意味について、関係する書物を読んで少しは理解できるようになりました。

さて、実生活レベルでの座禅で、最近あらたに感じることについてです。その切っ掛けは座禅をしている時の痛さです。私は若い時左足の大腿骨を骨折し、ほぼ一年半歩行をしなかったので、左のお尻の筋肉が委縮して元に戻らなくなりました。この頃、座ったままじっとしていると尾骶骨に痛みを感じるようになり、一時間の座禅も集中できなくなりました。それが起因となり、あらたな取り組みで感じることがありました。  ~次回に続く~
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