梶哲日記

鉄鋼流通業会長の日々

ルーツ

2007年05月06日 15時53分55秒 | Weblog
わが社㈱梶哲商店の創業者は、私の父である梶哲ですが、その父の梶次三郎は戦前梶シャーリングの社名で墨田区本所にてシャーリング業を営んでいました。戦争中は国の統制経済となり、店はたたまざるを得なくなりました。

その祖父の出身は、石川県白山の麓にある鶴来町です。この地は、江戸時代から葉煙草の栽培製造が盛んなところだったようです。明治時代に入ると鶴来が煙草の一大産地となり、祖父の実家も、多くの従業員を抱えこの商売を営んでいたとのことです。

しかしその煙草は日清・日露戦争遂行の為に国の専売制になり、この商売は出来なくなり、その権利を譲渡することでお金に買え、一族は北海道に移住しました。祖父が少年期の頃です。

遠戚である祖母と縁があり結婚したものの、親から結婚を反対されていたことや、子供を死産したこともあり、二人で東京に出て新しい生活を始めました。荷車を引いて運送業をしながら、何がこれから流行るか模索しながら、たどり着いたのが鉄屋と聞いています。

そんな私の、父方の祖先の地に、この連休中に家族を連れて旅行しました。父の生前の頃は、年賀状のやり取りをしていた鶴来の遠類もいましたが、私の代で音信も途絶えてしまいました。

鶴来は金沢市から車で約30分の所の、静かな小さな町ですが、古い商家が立ち並ぶ、とてもレトロで歴史を感じる街でした。霊峰白山の雪解け水を利用した、伝統ある醤油や清酒の醸造元が何軒もありました。

偶然街中で、梶の看板を掲げた、金物屋さんを発見しました。梶の名字は、元々この石川県には多くあったようで、因みに3月25日に発生した能登半島地震の震源地近くの、輪島市長も梶の姓です。

石川県が最後の訪問地となりましたが、その前に、飛騨高山や郡上八幡などを回っての旅でした。
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