2014年1月16日(木)関西国際空港を21:15発のハワイアン航空HA450便でホノルルへ。そこから乗り換えでコナ・ハワイ島へ行き、21日(火)18:45頃にハワイアン航空HA449便で関空へと帰ってきました。 4泊6日のハワイの旅でした。
日本の日付では17日(金)に海抜0m地点から出発して、島内観光ルートから車を乗り換えて、途中で1時間ほど身体を慣らしてから標高4205mのマウナケア山山頂へと行くというオプショナルツアーでしたが、何かの手違いで身体を慣らす時間が20分ほどしかなく、極端に言えば、海抜0m地点から一気に4205mの地点へと車で連れて行かれました。
先に車から降りた奥方様が、瞬時にしてフリーズ常態になってしまいました。
「ああ===ああ===」 それを見て大変なことが起きていることが顔の表情で読み取れました。 「大変だ!!」と思った瞬間、手に持っていたテラファイトを広げて奥方様の手首に乗せてあげました。
・・そうすると・・
瞬時にして、「え~~っ!! 楽っ~~! 嘘みたい!!」
と、その時私の方が一気に息ができなくなり吐き気をもよおす異変を感じました。
それで・・
「ちょっと貸して~!」と私の手首にテラファイトを乗せると嘘のようにその症状が消えました。 でも又又奥方様の手がテラファイトを握りとっていました。
私 ・「テラファイトの凄さ、分かった!?」
奥方様・「分かった!! 凄い!!」
当然その後は、奥方様は車に乗るまでテラファイトを放そうとはしませんでした。
テラファイトが無ければ、急性高山病や高地脳浮腫、高地肺水腫で二人とも命が亡くなっていたことも考えられそうな状態でした。
・・
今まで奥方様は、私が作ったテラファイトのことをあまり信用していないどころか、「変に思われるから私の前ではテラファイトの話はしないでね」と、私としては腹が立つ言動を繰り返していましたが、
「今回の旅は、全く便秘になることも無く快調で旅ができて嬉しい!」と言って、やっとテラファイトの凄さを体験から知ることができたようでした。
ホテルのペットボトルの水も、全てテラファイトを通して飲み、お風呂もシャワーホースをテラファイトで挟んでお湯を張り疲れを取り、「髪がパサパサにならないどころかフンワリしているわ」と、「旅行に行ったらいつも髪がパサパサ、ゴワゴワになるのに・・」と、やっとのやっとで、「テラファイト、信じる!!」との評価を頂いた旅でした。
でも改めて危険すぎる人体実験をあえてさせられたようで、その意味を私は強烈に受け止めました。急激な気圧の変化に人の身体が慣れるまでに時間を要するのに、瞬時にしてテラファイトが身体を救ってくれたことは、大いにこの体験を生かさなければならないようです。
テラファイトは、亡くならなくてもよかった命を大いにこれから救ってくれることでしょう。
医学的見地から大いに研究されることを願う私です。
車で一気に頂上まで上がると高山病になるので、2800メートル付近にあるオニズカセンターで休憩して体調を整えます。オニズカセンターはハワイ出身で日系二世の宇宙飛行士だったオニズカ氏を記念して建てられたものです。1986年スペースシャトルのチャレンジャー号がフロリダから飛び立って、73秒後にシャトルが爆発し、7名の乗組員が犠牲になった事故がありましたが、そのときの乗組員でした。 「あなた、オニズカさんに顔似てるわね」と奥方様。 山頂で飲んだペットボトルが、ホテルに帰って見て見ると気圧の変化を教えるように、ペコンと凹んでいました。 日本列島とハワイ諸島とは大いに太古の時代、深い関係があるようです。 今回の旅は、ムー大陸の大王 ラ・ムーの神様に呼ばれたようでした。