私が大変お世話になっている同級生の順子さんの、お母さんがお亡くなりになった。
順子さんは現実世界でも、バーチャルな世界でも、自らの行動理念である「天動説」に従って、日々パワフルに生きているのだが(笑)、お母さんも「肝っ玉かあさん」の京塚昌子のように、面倒見の良い人だった。
私が県議に当選した最初の年だったが、青年部主催の焼サンマパーティーで残ったサンマを順子さんのお母さんに差し上げたところ、その御礼にといって自作の川柳をいただいた。サンマの味のように奥深い川柳で、「お母さん、センスある」と感じた次第である。
古い記憶を辿っていくと、順子さんのお母さんは小学校3年生の時、当時大ブームだった記念切手収集でも世話になった。
吉井の郵便局に、朝3時から並んで「大蔵省」つきの部分を1枚買うために並んだ。それでも大蔵省は、その前から並んでいた先輩諸氏に全部買われてしまったのだが、当時吉井郵便局に勤めていた順子さんのお母さんに窓口で「ハイ、邦ちゃん」と言って1枚取って置いてくれた「大蔵省」つきの切手を売ってもらった。
とにかく、うれしくてうれしくて、本当はイケナイことなのだが、無性にうれしくて。
そんな順子さんのお母さんとサヨナラだ。
順子さんとは、お互いの太った体を見あいながら、どっちが先に死んじゃうのかなと、いつも話しているのだが、その日は日々カウントダウンだ。
「順子のお母さん」へ。私たちは残された1日、1日を大切に生きています。それではまた天国で。
昨日は県議会、陳情処理、新年会。
順子さんは現実世界でも、バーチャルな世界でも、自らの行動理念である「天動説」に従って、日々パワフルに生きているのだが(笑)、お母さんも「肝っ玉かあさん」の京塚昌子のように、面倒見の良い人だった。
私が県議に当選した最初の年だったが、青年部主催の焼サンマパーティーで残ったサンマを順子さんのお母さんに差し上げたところ、その御礼にといって自作の川柳をいただいた。サンマの味のように奥深い川柳で、「お母さん、センスある」と感じた次第である。
古い記憶を辿っていくと、順子さんのお母さんは小学校3年生の時、当時大ブームだった記念切手収集でも世話になった。
吉井の郵便局に、朝3時から並んで「大蔵省」つきの部分を1枚買うために並んだ。それでも大蔵省は、その前から並んでいた先輩諸氏に全部買われてしまったのだが、当時吉井郵便局に勤めていた順子さんのお母さんに窓口で「ハイ、邦ちゃん」と言って1枚取って置いてくれた「大蔵省」つきの切手を売ってもらった。
とにかく、うれしくてうれしくて、本当はイケナイことなのだが、無性にうれしくて。
そんな順子さんのお母さんとサヨナラだ。
順子さんとは、お互いの太った体を見あいながら、どっちが先に死んじゃうのかなと、いつも話しているのだが、その日は日々カウントダウンだ。
「順子のお母さん」へ。私たちは残された1日、1日を大切に生きています。それではまた天国で。
昨日は県議会、陳情処理、新年会。