既述の如く、昭和三十年代前半31場所
に入幕した49力士中、24.5%の12名は
全盛期の体重100kg未満の軽量級だった。
だから、平成・令和の「現代相撲」と
は比較にならぬほど面白い土俵の角逐で
あった。
でも矢張り「体力不足」が一因で彼等
に三役入りを果したものは皆無で、昭和
三十三年…、「七人の侍」と云われた、
若秩父・富樫(→柏戸)・北葉山・明歩谷
(→明武谷)・冨士錦(→富士錦)・若三杉
(→大豪)と、もう一人の玉響や郷土力士
福田山の他、上位進出もできなかった。
殊に、前ヶ潮や太刀風は在幕たった1
場所、しかも前者は2勝13敗、後者も4
勝11敗の惨敗に終っている。
更に若秩父や富樫と共に「ハイティーン
トリオ」と騒がれた豊ノ海も在幕2場所
で十両へ陥落してしまった。
その豊ノ海はじめ、太刀風・福田山・
玉響の4名は、現在も健在らしい。
に入幕した49力士中、24.5%の12名は
全盛期の体重100kg未満の軽量級だった。
だから、平成・令和の「現代相撲」と
は比較にならぬほど面白い土俵の角逐で
あった。
でも矢張り「体力不足」が一因で彼等
に三役入りを果したものは皆無で、昭和
三十三年…、「七人の侍」と云われた、
若秩父・富樫(→柏戸)・北葉山・明歩谷
(→明武谷)・冨士錦(→富士錦)・若三杉
(→大豪)と、もう一人の玉響や郷土力士
福田山の他、上位進出もできなかった。
殊に、前ヶ潮や太刀風は在幕たった1
場所、しかも前者は2勝13敗、後者も4
勝11敗の惨敗に終っている。
更に若秩父や富樫と共に「ハイティーン
トリオ」と騒がれた豊ノ海も在幕2場所
で十両へ陥落してしまった。
その豊ノ海はじめ、太刀風・福田山・
玉響の4名は、現在も健在らしい。