相撲史に関心・興味のある方どうぞ

相撲史に関心・興味のある方どうぞ

…大震災→國技館炎上→都落ち

2024-05-21 21:33:50 | 日記
 大正十二年九月朔日の「関東大震災」で
旧両国國技館が炎上。翌春の本場所大相撲
は、江戸勧進相撲創始以来はじめて“都落ち”
名古屋市で「晴天10日間」〔実は、十二年
夏から「11日間」に延長されていた〕興行。

 その42名の番附登載幕内力士のうち、
初日~千穐楽を欠場したものが7名。
だが、理由は怪我とか病気とかに非ず…。
 平幕上位の司天竜が破門━名古屋開催が
気に喰わないと出場拒否で師匠から破門
されたそうな。新入幕Vの元関脇両國が
場所前引退。髙ノ山が家族と共に被災し、
自身だけ助かって直ぐ力士を廃業━その後
消息不明となっている。
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大正期、幕内全休皆無場所なし

2024-05-21 14:08:09 | 日記
※昨日の閲覧…348・訪問者…255
トータル訪問者数 1,120,635

 明治本場所大相撲では、幕内力士の
「全休」皆無が88場所中、6場所も記
録されている。但し、幕内人員の少な
い初・前期に3、多くなった後・末期
に3場所━非“均等”的な現象だった。
 ところが、大正時代は28場所間に
全休力士皆無の本場所は見当らない。
 1人のみ全休者の場所を列記すれば、
大正六年夏が横綱太刀山ひとり全休。
九年春場所が平幕下位の一湊〔最高位
前頭四枚目〕だけ全休。十二年夏は、
再入幕3場所めの小野川〔後大関豊國〕
ひとり全休。
 現代力士の欠場理由と、往時のそれは
相当内容が異質━昔は、病欠が多く、怪
我に因るものは非常に少なかった。その
要因は、矢張り100kg未満のスリムな体
型の力士が多数派だったことに加えて、
医学未発達の所為も一因と思われる。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする