伝統的な「歴史的仮名遣ひ」を否定して、政府
が「現代仮名遣い」を“苦し紛れ”に決定・発表し
たのは、敗戦直後の混乱期だった昭和二十一年。
当時の「國語審議會」が独断で決めたものか。
彦山光三が草案をつくった「横綱審議委員会」は
その4年後に発足した。
後委員長にもなった作家の舟橋聖一は、国語審議
会にも関係していた。但し、「現代かなづかい」に関係
したのかは寡聞にして知らない。
拙稿「大正二年の合併相撲」の最終回にとりかかって
いる。当時発行の郷土紙4種を検証。
〔尚、『九州日之出新聞』は印刷状態が鳥渡不良気味。
特に、決り手の小文字に不鮮明な箇所があり、転載す
るのを断念…。〕
その決り手のなかに、「うはてなげ」・「すくひなげ」
が当時正しい表記なのに、「うわて…」・「すくい…」と
書いてある新聞が存在するのである。
尚、当方の方針としては、引用文は“原文の侭”で、
改竄したりはいたしません。
が「現代仮名遣い」を“苦し紛れ”に決定・発表し
たのは、敗戦直後の混乱期だった昭和二十一年。
当時の「國語審議會」が独断で決めたものか。
彦山光三が草案をつくった「横綱審議委員会」は
その4年後に発足した。
後委員長にもなった作家の舟橋聖一は、国語審議
会にも関係していた。但し、「現代かなづかい」に関係
したのかは寡聞にして知らない。
拙稿「大正二年の合併相撲」の最終回にとりかかって
いる。当時発行の郷土紙4種を検証。
〔尚、『九州日之出新聞』は印刷状態が鳥渡不良気味。
特に、決り手の小文字に不鮮明な箇所があり、転載す
るのを断念…。〕
その決り手のなかに、「うはてなげ」・「すくひなげ」
が当時正しい表記なのに、「うわて…」・「すくい…」と
書いてある新聞が存在するのである。
尚、当方の方針としては、引用文は“原文の侭”で、
改竄したりはいたしません。