相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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33年も前に……

2018-02-11 21:07:49 | 日記
 伝統的な「歴史的仮名遣ひ」を否定して、政府
が「現代仮名遣い」を“苦し紛れ”に決定・発表し
たのは、敗戦直後の混乱期だった昭和二十一年。
 当時の「國語審議會」が独断で決めたものか。

 彦山光三が草案をつくった「横綱審議委員会」は
その4年後に発足した。

 後委員長にもなった作家の舟橋聖一は、国語審議
会にも関係していた。但し、「現代かなづかい」に関係
したのかは寡聞にして知らない。

 拙稿「大正二年の合併相撲」の最終回にとりかかって
いる。当時発行の郷土紙4種を検証。
〔尚、『九州日之出新聞』は印刷状態が鳥渡不良気味。
特に、決り手の小文字に不鮮明な箇所があり、転載す
るのを断念…。〕

 その決り手のなかに、「うはてなげ」・「すくひなげ」
が当時正しい表記なのに、「うわて…」・「すくい…」と
書いてある新聞が存在するのである。

 尚、当方の方針としては、引用文は“原文の侭”で、
改竄したりはいたしません。
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番狂わせ なし

2018-02-11 13:29:20 | 日記
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 萬延元(1860)年冬場所の初日中入り前
取組は、小柳〔新入幕〕─武藏泻戦以外の
7番が幕内対幕下の相撲だった。

 初日中入り後
東前八〇飛 竜─桂 川(幕下)
〃前六〇武藏川─菊ヶ濱( 〃)
〃前五×明石泻─鹿嶋灘×西前七
西前三〇松ヶ枝─照ヶ嶽(幕下)
東前二〇陣 幕─待乳山( 〃)
西小結〇鷲ヶ濱─梁瀬嶽( 〃)
東小結〇鬼面山─茂り山( 〃)
西大関〇境 川─田子ノ浦(〃)

 幕内人員の少ない明治初期頃までは、大体
三日目あたりまで、幕内力士の相手は幕下上位
〔現十両〕が多かったのである。
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