神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

わが家から明治女性の写真が出てきた

2017年07月01日 18時35分45秒 | 日本史

大雨で退屈だったので、午後から父と母が寝室にしていた6畳間の掃除と片付けをしていた

段ボール箱が一つ押し入れに入っていたので、中を検めてみた

写真とネガがどっさりと入っていて、中国旅行(父が昔、銀行の団体旅行でいた時のもの)のパンフ

や日程表、あるいは父母の60歳頃の九州から山陰.中国のフルムーン旅行の写真や日程表

絵はがき、その他1000枚ではきかない写真の山、もう二度と使うことが無いネガは全て捨てて

写真は整理しようと袋に移していた

そんな中に、古めかしい写真が数枚紛れていた、裏書きを見たら明治38年7月と書いたものや

私の外祖母が20歳と書いてある写真もあった、外祖母(母の母)は1888年明治21年生まれ

だと思った、そうだとこの写真は明治41年の物だ

外祖母の写る写真を一枚一枚調べると武州本庄町 共滎館という版が押してある物や、信陽.諏訪.岡谷

生田写真館の銘版の写真、信陽.諏訪.岡谷 征矢とか法被に神保原製糸場と書いてあったり

手がかりは多い。 外祖母や母は昔、神保原の製糸工場で働いていたことがある、その時の写真だろう

富岡製糸場にも比較的近い、また諏訪は知らないが岡谷には今でも製糸工場があるから、そこでも

外祖母は働いていたことがあったようだ。

これらの写真は長い年月、わが家にあったのだけれど私が見たのは今日が初めてだった

母が嫁いできたときに持ってきた写真と思われる

間もなく平成も終わるらしい、明治は遠くなりにけりと言ったが、もう我々が生まれた昭和が遠くなってきた。

 

トエ(外祖母の名前)20歳  秋山はつ23歳と書いてある(友達なのだろう) 左が外祖母                     

なかなか外祖母は凜々しい顔つきだ、右は無邪気に自動車ドライバースタイル、明治は意外と進んでいる

  

これは子供も写っている、外祖母以外のどちらかの娘でしょう、真ん中が外祖母、背景は絵でしょうね

これは製糸場のイベントか何かの時の物では、なかなか粋な女衆ですね

全員がタバコを持っていますが、演出なのか不良娘なのか、外祖母かっこいい!(一番左)

私の本当の祖母は私が生まれる五年前に東京で空襲で死んでいませんから

両親が弟、妹と寝ていて、長男の私が一人で可哀想だと言って、わが家に来る度に私に添い寝をしてくれて

桃太郎のお話を毎回聞かせてくれました、おかげで幼稚園の頃には「どんぶらこ、どんぶらこ」と桃太郎の話を

話せる様になりました。

私が20歳の時、83歳で老衰で亡くなりました、自宅の畳の上での大往生でした。

 

これは誰が主役かわからない明治40~45年の集合写真です、本を持っている人も何人かいるので

そして師らしい年配の女性が一人だけ混じっているので、寄宿制の女学校でしょうか

誰の写真なのか、母は知っているだろうが92歳になって病院でほぼ毎日寝ているだけの母には

もう思い出す力は無い、人は人の記憶から消えたとき本当に人生が終わり、新たな人生が始まる

それにしても明治の女性の美しいこと、天然の美人ですね、大和撫子、気構えが違う!!!

 

 


腹立たしい豪雨

2017年07月01日 13時45分25秒 | 自然災害

この時間、北陸では激しい雨が降っている 朝は良い降りで畑は喜ぶだろうなんて呑気に

構えていたのに、北陸新幹線は全線、国道8号は新潟.富山県境、北陸高速道も

県境60km区間で交通止めに

高速インターに繋がる幹線も大渋滞だ、今も200mの移動に20分かかった

関東などでは7月上旬にも梅雨明けかなんて言ってたが、反対に北陸は7月になって

ようやく梅雨らしくなってきた

今日は我が店には新潟からの観光バス昼食の予約があった、多分ダメだろうと思って居たが

決行だった、しかしこの状況ではこの町から先には進めそうも無い

楽しい旅行も台無しだ

道路が止まり、しかも土曜日と来ているから食堂はあっという間に満席になって従業員は

てんてこ舞いしている、というより日頃の暇慣れでパニックになっている

こんな時に社員一人一人の資質を見ることが出来る、今後の運営の参考になる

 

7月は水害が多い月だ、7.11とか大災害になった事もある、小さな事だけど日頃から

下水や用水路の泥上げはしておいた方が良い