フロントでレストランのお客様の支払い対応をしていたら、妙に親しげに顔をじっと見てるお客さん
見たことがある様な、無い様な
怪訝な気持ちで見送ったが、どうもこの4人は家族の様で、おじいちゃんにも見覚えがある
そういえば新年会で訪れていたお客さんとも挨拶していたので、地元に関係深い人かな
そのお客さんが車に片足を入れた瞬間、「思い出した」
あわてて外まで追いかけて「**くんじゃない?」 そうしたら満面の笑顔で降りてきて
「思い出した? わからないようだったから黙って帰ろうと思っていたんだ」
「そういえば、お父さんのところ弱ったね」、実はお父さんは災害に遭って
「父は今ホテル住まいで、それで毎週、千葉から見に来ているんだよ」
そう言いながら「懐かしい」と言ってハグしてきた、こんなにも人なつこい男だったろうか
彼の消息を知ったのは20年くらい前で、同級会のはがき書きの時知ったのだ
彼は東大医学部を卒業して、千葉の超有名な大病院の脳神経外科医として活躍
今はグループ内の病院院長を勤めているらしい(HPによれば)
子供の頃から、地元では天才少年と言われていた彼
私とは幼稚園、小学校と同級生で小一の時には5~6人のグループを作って遊んでいたが
なぜか私もメンバーの一人だったのだ
私ともう一人を除いた以外は、みんな国立大学に進学しているので、やはり彼の好みの
メンバーだったのだろう、そんな仲間に入れてもらったのは光栄である
その遊びというのは、凡そ小学校一年生や二年生がするようなことではないのである
いわゆる「芝居」という奴で、脚本は小学校一年生の彼の頭の中にあって、セリフから動作まで
すべて彼が振り付ける、今も芝居や浄瑠璃を見るのが趣味という彼は、もう七歳で目覚めていたのだ
舞台は彼の家の妹の部屋、妹が二人いて二段ベッドで寝ていたんだけど、そこに登って飛び降りたりと
アクション要素が入ってくる、そのはずだ演題は「真田十勇士」
彼が猿飛佐助たちの師匠、戸沢白雲斎役、私は徳川家康、ほかに猿飛佐助、霧隠才蔵などもいて
延々とその芝居をやっていたのだ
彼の家は呉服店で、市内でも有数のお金持ちだった、家も大きくて長い土間が表から裏まで20軒以上続き
階段も表と裏に2カ所あって、子供が走り回るには絶好の家だった
さっき見かけたおじいさんも当時は30代で、趣味で刀剣売買をやっていたから、時々応接間で羽織の着物姿で、
口に懐紙なんぞをくわえて、長い光り物をまっすぐに立ててじっと見ていた姿も覚えている。
とにかく頭が良くて8歳頃には、相当数の本の内容が頭に入っていた、それを学校の帰りに講談風に話すので
同級生は面白がって、学校帰りに大勢で彼を取り巻いて帰ったものだ。
進学校の高校時代には先生より彼に授業を習った方がわかりやすいといって、一時間授業も行ったと聞いた
事がある、並みの教師では到底かなわない頭脳の持ち主だったのだ。
東大受験の年は例の東大紛争で入試が潰れてしまい、仕方なく京大医学部に現役で入学したという男だ
天才と秀才の違いは何なのか知らないけど、われわれ凡人と違うところは本なんか一度読めばそのまま
脳みその中に収まってしまうらしい、そしてそれを取り出すのも早い
我々だってとりあえずは脳に治まるのだけど、どこに入ったかわからなくなるから思い出せないし、入れたまま
鍵がかかってしまう事もあるし、消滅する時間も早い
だけど、今は遠くにいる彼が、たまに戻ってきてわが家で食事をしてくれたり、懐かしがってハグをするなんて
感激の極みだ
シワ一つ無い若々しい顔つきで、本当に良い生き方をしているんだなあと思える
「今も仕事はやってるの?」
「うん、続けている」
「いい仕事してるね」
「う~ん・・・・ うん、いい仕事だな」
飲みながら語ってみたいけど、彼も忙しい束の間だから無理だな
こういう人にはいつまでも活躍してもらいたいと思う