かぶれの世界(新)

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手の平返し報道の第2波の予感

2020-06-10 21:37:19 | ニュース
毎度同じような記事ですが、今回はテレビのコロナ報道に出演する専門家が一新するという予想です。確率は五分五分といったところか。

日本のコロナ対策について非難を繰り返してきた報道が、海外マスコミとWHOの日本評価の変化を受けて、日本のマスコミも手の平返しで評価を変えたと先月末に投稿した。素人の私が予想しその通り現実になったのに、なぜ日本のマスコミがさっさと現実を把握して評価できないのか訝ったものだ。その原因は新しい状況を上手く説明出来る専門家がいないためだ。

批判を繰り返すマスコミのお気に入りの医療関係者に比べ、日本の対応を海外状況を交えて客観的に説明する村中璃子氏を突如テレ朝のお昼のニュース番組で見て鮮烈な印象を受けた。この人は広範な知識があって海外の取り組み状況やWHOの考え方を把握し、豊富な経験を基に自分で考えて自分の意見を言っていると感じた。この手の民放の番組で初めて納得できる内容を言う(しかも美人)と感心した。

テレ朝を含め他局のニュース番組ではPCR検査が少ないことを執拗に報じ、結果的に国民を扇動し一時は欧米の様な医療崩壊の瀬戸際まで追い詰めた。幸運にも日本人の生活習慣と保健所等の感染経路追跡やクラスター対策の効果が効いてギリギリのところで医療崩壊を回避し緊急事態宣言が解除され、予想した通り海外から手の平返しの評価が得られた。PCR検査が増えた為ではない。

コロナ対策批判のネタにしていた海外メディアが手の平返し評価したのを目の前にして、遂に日本のテレビのニュース番組も手の平返しせざるを得なかった。日本のコロナ対策が上手く行き始めた気配を感じても自から変えられず、哀しいかな海外メディアの評価変更に助けて貰った格好だ。

だが、それはコロナ対策の批判的なコメントをしていた(多分、テレビ局の期待を受けて)専門家の立場は無くなったことを意味した。問題は簡単に意見を変えるテレビ局と違って専門家はコロコロ意見を変えられない。テレビ局は専門家の意見を流したまでと言訳できる。一方、専門家は素人コメンテーターとは違う、プライドを傷つけられ信頼を無くしテレビの出番を失う。

コロナ感染は一旦収まっても冬が来るまでに第2波が来る可能性が高いといわれている。同様にテレビ番組に出演する専門家の顔ぶれが一掃され(例外的な厚顔もあるが)、手の平返し後に相応しい第2波の専門家が出て来ると予想する。既に先月までよく見かけた専門家(或いは素人評論家)を余り見かけなくなった。逆によく見かける専門家の代表が冒頭の村中女史ではないかと思う。■
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天は引掛けの時代

2020-06-09 21:48:20 | 日記・エッセイ・コラム
実家の修理工事がまだ続いている。修理が必要な部分は総て実家の立地が異常に湿度の高いためだ。両側に溝がある上に、家の下に伏流が流れている。実家は築100年以上だが修理が必要なのは30-40年前頃に裏山の土砂崩れが直撃し、その時使った修理材が湿度に弱かったためだ。

昔建てた部分はお寺のお堂のような1m位高い床の作りで裏側が見通せるが、30-40年前に修理した部分はセメントの土台に風通し用の小さな窓が切ってある。それでは我が家の異常な湿度には不十分だった。ともあれ居間の床の合板を湿度に強い板に張替え、台所奥の物置のベニヤ天井を杉板にした。

そこまでは計画通りに進んだのだが台所物置の天井灯が錆だらけ、新しい現代的なデザインのランプに交換する予定だった。午前中に歯医者と体育館のバドミントン練習をハシゴし、帰りにニトリで気に入ったデザインの天井灯を購入した。ところが、天井のコンセントは従来型で取り付け不可だった。

夕方になり散歩を兼ねてニトリに行ったが従来コンセント型の商品がなくやむを得ず返品した。次にヤマダまで足を延ばしたが同じ。聞くと両店ともに引掛け型しか置いてないとの返事、どうも最近の天井は総て引掛け型になってしまったようだ。別の日にもう少し時間をかけて他の店を当ってみたい。■
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コロナが試す民度とIT競争力

2020-06-07 18:31:23 | ニュース
麻生副総理兼財務相の「民度」発言は理解できたが、言葉を選んで表現すべきだろうと感じた。「民度」は範囲が広過ぎる。反発を受けたくなければ「生活習慣の違い」といった言葉使いをすればよかった。私は最初から日本独自のコロナ対策の成否は日本的民主主義とか日本人が問われていると指摘した。日本は強制的な都市封鎖を実行せず広範な検査も実施しなかった。こんな国は世界中どこにもなかった。

予想通り朝日毎日系などから失言を追求する記事が続出した。だが、例によって天邪鬼な私にはマスコミの指摘には強い違和感がある。彼等は最初から海外の指摘を引用して日本のコロナ対策を非難し続けた。日本が何故欧米より上手く行っているか、データをきちんと分析して根拠を示した記事を見たことが無い。

そもそも彼等は日本のコロナ対策が上手く行っていると報じたくなかった様に感じる。そして、何時ものように麻生氏の発言を問題にした海外報道に飛びついた(海外の日本のコロナ対策を成功したと手の平返し記事には反応が薄かった)。麻生氏の発言は一国の副総理として言葉を選ぶべきだったと私も同意する。

だが、その前にお前らは日本のコロナ対策をどう評価するのか、データは山ほどある、自分の頭を使って分析し報じるべきだ。是非そう言う記事を読みたい、もしその結果として日本のコロナ対策が成功してないと主張するなら、専門家を含めてさらに議論を生かし今後の対応に生かせると期待したいのだが。

実はこれはちょっと長い前置き、これからが本論だ。

私的には狭義の民度(子供の頃から教わった生活習慣とか衛生管理と、強制されずとも政府の方針に従う国民)がコロナ対策の成功要因だったと感じる。そうだとして議論を先に進める。日本の優れた民度が、医療として重要な成功要因になったが、皮肉にもコロナ対策に巡り最新のIT技術活用が世界から遅れる要因になった。

コロナに限らず何でも「どうにかしてしまう」日本の優れた「民度」があったが、一方海外では劣った民度ではどうにもならずITの力で臨機応変に官民連携し迅速に対応し、ITの世界では日本は大きく遅れた。5日の日本経済新聞の記事「コロナが試すIT競争力 日本、際立つ出遅れ」を見て直感的に感じた。

話題のコロナ対策の一環として国民全員に10万円支給する件で、以前投稿したように各自治体がバラバラで繋がらないITシステムを抱えて対応に苦慮している。自治体は何の為にITを導入したのか理解してない。IT導入前にやっていた手仕事のプロセスを変えず、個々に切り離されたシステムを手作業で照合し処理する。市内に日本を代表するIT企業がある私の住む自治体でもオンライン申請は中止された。

海外先進国だろうと発展途上だろうと日本人の様に「どうにかできない」から、人の代わりに「どうにかする」ITシステムを導入し立場が逆転した。20年以上も前に同じような経験をした。90年代に米国企業が苦労してERPに合わせ仕事のやり方を変えてIT化して行き競争力を高めた。途上国に移管することも容易だった。

その時日本製造業は現場の強い声を尊重し、既存の作業プロセスを優先して標準ERPに改造を加え導入に遅れた。改造を加えた為に導入遅れが発生、更に標準ERPが効率化されても改造が邪魔して簡単に導入できない事態が生じた。20年以上前の話だが、自治体のメンタリティは当時の製造業と似た様な壁がある。

自治体から受注しIT導入をするIT企業も、仕事のやり方を変え住民票管理システムとかマイナンバー管理システムとかを連携しなければ効果を発揮出来ないことは分かっていたはずだ。だが、マスコミや野党が個人情報を守るため各システムの紐づけに強く反対すると、IT専門家は政治的な動きに対応しなかった。それは政治家の仕事だった訳だ。

似たような事情は何度か発生したが、今まで何とかして来た。これが30年も続けば上記記事の様に日本のIT競争力は際立って遅れた。別にコロナが原因ではなく「積年の日本人の優れた民度」が招いた事態だ。つまり混乱は麻生副総理の自慢の民度が足を引っ張った。国民の自業自得、そしてマスコミは重要な協力者だ。■
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故郷で寺巡(3)

2020-06-05 20:58:17 | 日記・エッセイ・コラム
昨日残り三つの寺を歩いてみた。先日の三つは私なりに意味づけしながら興味深く寺巡りできた。生まれ故郷ながら初めて歩く地域で新鮮に感じ、山裾の道は米国の海岸沿いのハイキングトレイルを思い出し楽しかった。最後に残されたクイズを別の日に歩いて解き明かした気分になれた。

そう言う経緯で想像し期待したのに、昨日の寺巡りは失望だった。3年間通った中学校のすぐ東側にありながら、私は三つのお寺があることすら気付かなかった。そのうち二つの寺は人の気配を感じさせない、放棄された印象があった。夫々どんな位置付けだったのか知りたかったのだが。

最も東側の大恩寺は藩の寺だった。外から見た白壁の塀は雰囲気を出していた。仰々しく市の文化財と書かれた門は閉じられてた。勝手口から中に入って驚いた。3代の新谷藩主と重臣たちのお墓があったが、建物は貧弱で手入れされてなく、立派な作りのお墓も雑草に覆われていた。

初日に行った初代藩主が作った法眼寺の雰囲気とは全く違った。墓参りしている様子がなかった。私の印象では藩主の子孫は法眼寺に一本化して先祖を祀っている。一般人の私から見れば、二つ先祖のお寺があっても困る。だが、それでは重臣達の子孫はどうしているのだろうか。

大恩寺の西隣にある善安寺はよく手入れされ、沢山のお墓が裏山の上まで続いていた。檀家が沢山あるということは寺の経営の観点では極めて重要だ。お堂の横に住職の住む住居があり、庭も手入れが行き届いていた。庭師らしき姿も見かけた。禅寺というから家臣の墓なのだろうと思った。

その裏の西隣に古ボケた墓地が続く傾斜地があった。最初は気付かなかったが、二三度うろうろ周囲を歩いて掃除道具が立て掛けられた物置小屋らしき建物がお堂だった。小川の橋の袂に戻ると細長い石柱に勝永寺とあった。どう見ても無人寺でアクティブな檀家が少ない印象を受けた。

諦めて表通りに出ると、課外授業中の中学生十人余りと初老の先生を見かけた。お寺のことを聞いたが誰も何も知らない。寺の名前も寺が七つあることも知らない。実は私もそうだった。ということで故郷の寺巡は尻つぼみで終わった。何時か識者を見つけて聞いてみたくなった。■
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(悪の仮説2)コロナ弱者切り捨て政策

2020-06-04 13:58:43 | ニュース
マタマタ私の唯我独尊で勝手な思い込みの妄言です。

欧米や南米の二桁多いコロナ犠牲者数を見ていると、人類が伝染病などの世界的試練を強い者だけが生き残った歴史を思い起こさせる。何億年もの間、科学的な医療や治療法などなかった時代でも生き残って来たのが我らの先祖なのだ。誰もがその遺伝子を受け継いでいる。

今のところ治療法が確定していないコロナウィルスは、結果として強い者だけを残す選別の道具になっている気がする。以前紹介したように米国で今起こっていることが分かり易い。人種に拘わらず死亡者の多数は貧困階級と高齢者だ。黒人だからではなく彼等の多くが貧困階級に属するからだ。

実はもっと分かり易いのはボルソナロ大統領下のブラジルだ。彼はコロナ対策に見切りをつけ経済再開に踏み切った。典型的な例はテレビで紹介されたサンパウロの貧民街にコロナ感染が集中している。悲惨な状況だ。だが、経済的には重石が取れこのところ為替市場でレアル高が進行しているのだ。

悪魔の目で見るとボルソナロ大統領は貧民街を合法的に掃除して、生き残った人達が作る新しい効率的なブラジルを作ろうとしているように見えるはずだ。世界の誰もこんなロジックは許さない、ボルソナロ氏も口が裂けてもこんなことは言わないだろう。だが、やってることはそう違わない。

誰もこんなことは言わない。だが、トータルではコロナ弱者は経済的には生産性が低く、彼等の為に過度にお金や労力を注ぎ込みたくないと、多くの国のリーダーが考えたとしても不思議ではない。しかも、弱者は今生き残ることのみに集中し、一方で次世代の孫子に膨大な借金を残す。

不景気に陥り誰もが事業存続を求める時に、本来なら古い事業を安楽死させ新時代の事業の誕生を支援すべきという状況が起こる。リーダーは決断を迫られる。同様に今起こっているのは人類の命の選別を求められ、各国のリーダーは夫々の国情を鑑みて辛い決断を迫られている。逆にやってることは一見人道的でも次世代を不幸に陥れる恐れがあるのだ。

コロナ後の世界がどうなるか、どの国がコロナ後の世界の新しいやり方にフィットしているか。単純にボルソナロのやり方を非難できない、という悪魔のささやきが後から聞こえてくる。しかし、世界は間違いなく他国の内政に口を挟まないだろう。■
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