本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

しずかに・ゆっくりと・しなやかに時に力強く

2017-09-08 20:33:14 | 住職の活動日記

静かに座り息を整ええてゆく

呼吸に合わせ身体を動かして

やわらかく体を整えて

時に保持するというポーズで強靭に

なんとも気持ちのいい時間

ゆるやかなポーズながらびっしりと

汗がにじんでくる。

 

先生も3人ほど変わり

今回の先生は職人さんのような

力を入れるポイントを教えてくれる

同じポーズながら汗の出方が違う

筋肉がプルプルとふるえてくる

ヨガのポーズも柔軟さだけではなく

その柔軟さを維持するためには

強靭な筋肉が必要となってくる。

 

ヨガと言いますがインド的発音では

ヨーガとなります。

インドではEとOは長母音ですから

デビ夫人も正確にはデービとなります

女神という意味です

男の神さまはデーバといいます

お釈迦さまのいとこにデーバダッタ

という人もいました。

 

ヨガということも日本では

瑜伽(ゆが)と音写されました。

真言宗でも三密瑜伽という言葉も

あります。

直訳すれば相応ということです。

息を整え心を一点に集中して

止観の行を修して

本当の真理と相応するということが

本来の意味です。

別に、サーカスまがいのポーズを

する事がヨーガではないのです。

 

雑念をはらい三昧というか定に

入っていくには

先ずは呼吸を整えそれに体を

合わせていくと

ただ座るよりかは早く入れるようです

 

今読んでいる「唯識」という経典も

正確には『瑜伽唯識』ともいいます

また、『瑜伽師地論』という経典も

あります。

唯識という人間心理の微妙な動きは

三昧に入ったデリケートな意識で

分析していかないと

わからないということでしょう。

 

『華厳経』というお経に

有名な一句があります。

「またこの念をなさく。

三界は虚妄(こもう)にして、

ただこれ心の作なり」

これが『十地経』では

「但是一心作」

という短い一句で表現されます。

全てのことは人間の心が

作りだしたものである。

ということでしょう。

 

自分が生まれる前から

阿蘇山はあり白川もあり

すべてのものはもうすべてそろって

いる所に自分は生まれてきた

自分が死んだ後も周りのすべては

永遠に続いていく、と

普通には考えるのですが、

阿蘇山も白川も自分の心が

造りだしたものである

ということです。

そして自分が死ねば

阿蘇山も白川もなくなる

というのが唯識の考え方です。

 

常識的にはそんな馬鹿な!!

と思われますが、

事実として

本蔵院を次の住職に譲った

すると、同じ本蔵院なのですが

もう、

自分がいた本蔵院ではないのです。

自分が見ていた本蔵院ではない

このことは、実感として

感じとることが出来ます

同じ本蔵院でも

100人いれば100通りの本蔵院が

あるということです。

阿蘇山といっても

見る人感じる人によって

それぞれ違った阿蘇山がある

ということになります。

 

まあ、ヨガということから

それてしまいましたが

ヨガということもスポーツという

一面だけではなく

本来は人間の心の問題を

大切に取り扱っている

ということなのです。

 

 

 

 

 

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