本蔵院 律良日記

熊本県にあるお寺“真言宗 本蔵院 律良のブログ”日々感じるままに活動のご報告や独り言などを書いた日記を公開しています。

背割堤、文学的・歴史的に散歩

2016-08-25 21:10:47 | 住職の活動日記

いつもの背割堤ながら

ちょっと違った角度から

目に飛び込んできます。

 

 

背割提の入り口近くには

句碑を刻んだ大きな石

 

 

「新月や いつをむかしの 男山」

其角の句です。

月が円形に浮き出た丸いところ

ちょっと粋な作りです。

 

 

「沓音に 静かにかざす 桜かな」

やはり芭蕉の門人で荷兮(かけい)

の句になります。

この方たちが活躍する少し前

この川の合流するところにある

男山、

そこに松花堂昭乗が松花堂の庵

を結んだこともあり、

松花堂昭乗を偲んで

詠まれたのかもしれません。

 

三つの川が合流している背割堤

案外その流れを見てませんでした

暑い日差しながら、

 

 

橋を渡って、

 

 

木津川は水不足でしょうか

水の流れは細い線状です。

 

 

宇治川はまだ水が豊かに

流れています。

そしてもう一つ橋を渡って

次の桂川までは川面までは

辿り着けないようですので

 

 

 

遠目に写真に納め

上の橋はいつも車で通る

京滋バイパス、

下から眺める姿もおもしろい

 

この川が合流して淀川となり

大阪湾にそそいでいるのです。

 

 

地図があったので、

真中が鳥羽離宮公園、

平安京の頃は桂川を上り

鳥羽離宮で荷を下ろし、

その物資を平安京に運んだのでしょう。

 

 

時代が下がり、

秀吉は伏見に最大の城下町を築き

伏見港公園とあるところが

交通の要衝となっていたのです。

そこから高瀬川を開削し

京の都まで物資を運び

午後からは汚物関係を

運んだという、

往時はとても賑わった所

そして宇治川と高瀬川を

結ぶところには今でいう運河

閘門(こうもん)が作られています。

 

さらに、

文人墨客たちは一休さんを

訪ねて、

この合流地点から木津川を上り

一休寺(報酬庵)がある

京田辺へ向かった、

車で行けばちょっと辺鄙な

ところと思いきや、

一休さん隠遁生活かと

しかしながら、

この水運を利用すると

実に便利なところに居を構えた

ということです。

 

 

暑さもあって人もまばら

でも、木漏れ日が

美しい模様を創り出しています。

 

MADAMはお花

一人のペースでちょっと速め

帰る頃には結構足に堪えます。

やはり、

いつもは緩やかとは思いつつ

自分のペースで歩いてみると

なかなか…

やはりペイスメイカーは大事だと

思い知らされました。

 

 

野に咲く一輪にも出会い

また、

 

 

風に揺れながら必死に頭を

もたげている、

よく見ると

 

 

コンクリトーのわずかなすき間から

顔を出している

ど根性の花にも出会い、

最後に元気をもらったような

素敵な出会いでした。

 

 

 

 

コメント
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