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 〈戦前の思考〉から 7 湾岸戦争1990年の転機 

2022-12-27 21:00:27 | 日記
A.あそこから9条無視が始まった?
「湾岸戦争」は、1990年8月2日のイラクによるクウェート侵攻をきっかけとした戦争。国際連合による撤退要求と経済制裁ののち、1991年1月17日より米軍を中心とする34か国からなる多国籍軍が空爆を開始、2月24日からは地上戦も開始された。約1か月の戦闘の後イラク軍は敗走し、4月6日に和平条件を規定した国連安保理決議を受諾した。湾岸諸国から大量の原油を購入していた日本に対して、アメリカ政府は同盟国として戦費の拠出と共同行動を求めた。日本政府は軍需物資の輸送を民間の海運業者に依頼した。全日本海員組合はこれに反対したが、政労協定を締結し、2隻の「中東貢献船」を派遣した。さらに当時の外務大臣の中山太郎が、外国人の看護士・介護士・医師を日本政府の負担で近隣諸国に運ぼうとした際にも、日本航空の労働組合が近隣諸国への飛行を拒否したため、やむなくアメリカのエバーグリーン航空機をチャーターしてこれに対応した。さらに、急遽作成した「国連平和協力法案」は自民党内のハト派や、社会党などの反対によって廃案となった。なお、時の内閣は第二次海部内閣の改造内閣であった。 鶴見俊輔や自動車雑誌『NAVI』編集者鈴木正文などの文化人は、多国籍軍によるイラクへの攻撃に対して、攻撃開始前の時点から「反戦デモ」を組織して、柄谷行人、中上健次、津島佑子、田中康夫らは湾岸戦争に反対する文学者声明を発表した。(以上は主にWikipediaによる記述)。
 当時のブッシュ米大統領は、イラクのフセイン政権を存続させたことを恨み、のちに9.11後の大量破壊兵器の保有を理由にイラク侵攻を強引にすすめてフセインを倒すことになる。日本にとっては、憲法の規定から湾岸戦争に自衛隊を出さず、戦費の拠出と軍需物資の輸送だけにしたことが、のちに対米関係で引け目のトラウマ化し、小泉政権での自衛隊海外派遣(ただし、戦闘行為の行われていないPKOに限る、という言い分で)をすることになった。ここが、それまでの日本の専守防衛という安全保障上のスタンスを、「海外の戦争への参加」に変える転換点になった。
 このときの「文学者による声明」についても、柄谷氏はこの『〈戦前〉の思考』のなかでインタビューに答えている。

 「実は、ぼくは湾岸戦争がはじまる三週間ほど前にアメリカから帰国したのです。その時点では、戦争はないと思っていました。だから、戦争の勃発には驚いたのです。経済制裁で十分というのが支配的な世論でしたから。それに、アメリカの不況はすごくて、戦争どころではないという感じでした。しかし、いったん戦争がはじまると、アメリカ人が熱狂的に昂揚しているらしい。これはわずか三週間前を考えると信じがたいくらいです。しかし、こんなものは長続きしません。いずれ、アメリカの「現実」を直視しなければならないだろうから。だから、ぼくは、この討論集会で、アメリカ政府を批判するとかいったことに関心はありませんでした。そんなことはアメリカ人に任せておけばよいのです。
 僕が何かをやらずにいられないと思ったのは、この戦争において、日本が「参戦」するということが(たとえ金だけだとしても)起こったからです。戦後に反戦運動がありました。しかし、それは米ソの対立のなかにあったもので、日本人が「反戦」を唱えようと、何のコミットメントにもならないのです。しかし、湾岸戦争において、われわれははじめて「参戦」を経験している。そのことが、これまでその種の運動と無縁だった人に危機感を与えたのです。つまり、われわれははじめて「反戦運動」を体験しつつあるのです。
 署名にしても、集会にしても、非常に億劫な気分がある。ぼく自身にたぶん最もそれがあった。ところが、それではもうすまないような気持もある。これは何なのか。集会に来た人、署名した人が共有していたのは、そういう両価的な感情だったと思います。事実、参加したのは、これまでそんなことをやったことのない人がほとんどだったからです。そのこと自体、湾岸戦争が日本人にとって戦後はじめての体験であることを示しています。たぶん、これが冷戦構造が終わったということなんでしょう。しかし、われわれは、まだそれに対応する言葉を見いだしていない。
 集会は、計九時間にわたるもので、席上、いくつもの意見がありました。この戦争の解釈を述べる人、あるいはいわゆる反戦の人もいた。しかし、最も議論されたのは、なぜ「文学者」なのか、なぜ共同の声明(署名)なのか、ということだったのです。ぼくはむしろそのことを議論する場所として、この集会を考えていたわけです。結果的に声明を出したけれども、ぼくは、別にそれを期待していませんでした。だから、報道も最後までことわっていました。意見がまとまらなかったからではないんです。まとめるつもりなんかないんだから。それじゃ、何のためにやっているのかといわれるだろうが、この討論会は、まさにそれを自問するような場だったのです。
 --それが文学批評の場だということですね。

 そうです。たとえば、集会としての決議ではなく、個々人が署名する形式をとったんですが、その文章をめぐって激論があった。そのとき、高橋源一郎が「私は、日本国家が戦争に加担することに反対します」という文句を提唱しました。「文学者」としてみれば、本当はこういう短い陳腐な表現のなかに入れられてしまうのは嫌なわけでしょう。だから、この文の後に、それぞれの意見を述べた文を付帯するという提案があった。しかし、高橋源一郎は、そんなことを断念することが署名するということなのだといった。ぼくは、それこそ「文学者」の行為なのだ、と思いました。
 なぜ「文学者」の討論集会なのか。「文学者」が社会的に偉くて影響力があるからそうするのか。もちろん、全然違います。こんなものが何の力もないことは自明です。では、なぜ「文学者」なのか。それは「文学者」しか「文学批判」ができないからです。たとえば、世の中で「詩的」と呼んでいるものがありますね。大概ロマンティックというような意味です。しかし、現代の詩人は少しも「詩的」ではない。その逆です。「文学的」というのも同じです。われわれから見れば、文学はいつも「文学的なもの」への批判としてしかありえない。
 僕には、このような集会や署名に反対する人の考え方が了解できます。ぼく自身がかつてそういうことをいっていたのだから。たとえば、十年くらい前に文学者の反核署名という運動があった。反核は「人類の義務」であるから署名せよという文書が送られてきたけど、ぼくは署名しなかった。「反核」という一般的命題に対して誰も文句はいえない。しかし、それに署名すれば、必ず米ソの二項対立の片側に行くようになっていたと思います。ぼくは、あの当時、その後に顕在化したように、あの運動の背後にソ連と西ドイツの結託を感じていた。うまり、何をしようと、必ず「二項対立」に巻き込まれる構造があったのです。その場合、この構造のどちらも拒否しそれらを無化していく立場、いわば「第三の道」をとろうとする。
 「革命」といおうと「反戦」といおうと、この二元構造のなかにいる以上、空疎であるにきまっているのです。とすれば、この構造を理論の上で解体していくほかない。吉本隆明のいう「自立」にしても、そういうものです。かつて、こうした志向は少数派であり、インパクトがありました。一見すると違うようだけれども、デリダのディコンストラクションもそういうものですね。これは形而上学的な二項対立をディコンストラクションするというもので、形式的にはプラトンまで遡ったりしますから深遠そうに見えますけど、実は、これは戦後の二項対立(冷戦構造)と完全に対応しています。アメリカにもつかず、ソ連にもつかず、そして、そのような対立そのものを無効化してしまうこと。それはまた「文学」の優位でもありました。なぜなら、「第三の道」とはいわば「想像力の革命」なのですから。
 しかし、1980年代の半ばには、それはすでに意味を無くしていたと思う。ソ連邦の崩壊はそれを決定的にしただけです。大切なのは、戦後の二元的構造(冷戦構造)が崩壊したとき、「第三の道」も崩壊せざるをえないということです。「文学」に特別の意味はもうありません。文学が、現実的に無力だとしても、そうだからこそ何かをなしうるのだというような思いこみは、もう成り立ちません。それはたんに無力である。署名を拒否することに積極的な意味を与えることにも意味がない。今や、それはあらゆる行動を嘲笑するシニシズムにしかならい。ぼくが集会や署名に踏み切ったのは、それを拒否することが何事かであるような時代が終わっていることを露出させるためです。
 要するに、日本は米ソ二項対立の陰に隠れていたいのに、今度の戦争で無理やり露出させられた。決断を保留したいのに決断してしまった。あるいは、決断してしまったのに、まだ保留した気持でいる。それは、文学者も同じです。まだ「文学」が第三の道として可能だと思っている連中がいる。
 ――「第三の道」といえば、「第三世界」もそうですね。

 戦後の二元構造が終わると、「第三世界」は「世界」としての意味を失った。それはもう1980年代半ばに終わっていたのですが、もともと「第三世界」とは理念上の同一性なので、それを失うと、ただの後進国になる。それまで、この「第三世界」は、米ソに支配されながら、もう一つの「世界」を作っていたわけです。彼らも、ある意味でこの対立を利用しながらやることができた。たとえば、イラクの武器を見ると、ソ連・中国や英米仏のものがいり交じっている。ソ連につくぞ、アメリカにつくぞと脅しながら軍備を拡張してきたわけです。また、かつてはマオイズム(毛沢東主義)のような連帯の論理もあった。しかし、今や第三世界は、その「同一性」を失って、完全に資本主義国のジョイント・コントロールのなかにある。ブッシュがいう「世界新秩序」とは、そういうことです。今度の湾岸戦争は、端的にそれを示しています。イラクはアラブの連帯を訴えるが、それさえ機能しない。まして、他の第三世界からの連帯は得られません。
 ぼくは1989年秋、東欧崩壊のさなかに、浅田彰らと「朝日ジャーナル」別冊特集のために座談会をしたとき、冷戦構造の解体は平和をもたらすものではなく、かえって次に中東で戦争が起こるだろうといったんです。そのとき、もう一ついったのは、南北問題において、後進国の闘争は「造反有理」のようなものになるだろうということです。なぜなら、それは勝利した西洋の「理性」に反するものだからです。当時考えていたのは、たとえば、パナマのノリエガ将軍ですね。彼はアメリカにコカインを密輸していた。ある意味では、これはアメリカの資本によって農業が崩壊させられた、ラテン・アメリカの「抵抗」なのです。しかし、どう見ても、ノリエガが正義だとはいえない。
 この意味で、イラクのフセインは、ノリエガとよく似ています。ノリエガを育てたのは、アメリカだし、イラク・イラン戦争でフセインを応援したのはアメリカです。だから、今更彼らを非難するのもおかしい。アメリカは、パナマを急襲して、ノリエガを捕まえた。あれは、まったく主権侵害で無茶苦茶な行為です。だからといって、ノリエガを擁護することも難しい。アメリカのジャーナリズムも沈黙しました。湾岸戦争はそれによく似ています。ブッシュははじめからイラクを粉砕してフセインを捕獲するつもりなのですから。  
 フセインは狂気だという人が多い。しかし、今「北」に対抗しようとすれば、非理性(狂気)のように見えざるをえないだろうと思うのです。湾岸戦争は広い意味で南北問題です。そして、今後も「南北問題」は、ああいう形で出てくると思うんです。それは単純ではないと思います。それは、たとえば、移住労働者や難民というかたちで、先進国に「南」から押し寄せるというかたちをとるかもしれない。たとえば、クウェートなどは、大半の労働力をアジア人やパレスチナ人、エジプト人といった外国人労働者で賄っている。こういう階級問題の実態が今度の戦争で露呈し、かつ隠蔽されている。今度の戦争で一番困ったのは、外国人労働者であり、その国でしょう。また、世界経済の不況や環境汚染で最もダメージを受けるのは、「南」です。「南北問題」は今後ますます深刻になると思います。しかも、「南」はたんに外にあるのではなく、先進国の内部にもあるわけです。
 「南」も黙ってはいない。しかし、彼らの抵抗は「狂気」として片づけられてしまうでしょう。先進国が西洋の「対話的理性」でやるとしたら、それ以外のものは非理性でしかないからです。それから、今度の戦争で思ったのは、西洋諸国がソ連という敵のかわりに、イスラムを敵として見いだしたということです。非西洋であるわれわれが、それに加担する理由はありません。」柄谷行人『〈戦前〉の思考』文藝春秋、1994.pp.224-231.  

 自衛隊というものをどう位置付けるか、海外へも出ていく軍隊になるのか、1990年の湾岸戦争までは、ぼくたちはそれが現実的な問題になるとは思っていなかった。しかし、その後の海外派遣の常套化、憲法無視の安全保障政策の閣議決定だけの変更、そしていまや、大幅な防衛費の拡大と敵基地攻撃能力へのシフト、という1990年には考えられなかった事態が、なしくずしに現実となっている。そして国民はそれに対してもはやデモも反対声明も出ない沈黙になるとしたら、日本は実質的に強力な軍事国家になってしまったと考えられる。情けない世界が今ある。


B.防衛費増額への警鐘  
 防衛費大幅増額をめぐる議論で、元海上自衛隊司令官香田氏へのインタビュー。制服組、昔で言えば海軍の幹部軍人の言葉は、軍事のプロとして今回の政府決定に疑問を呈する。
「身の丈を超えていると思えてなりません。反撃能力の確保に向けた12式ミサイルの改良、マッハ5以上で飛ぶ極超音速ミサイルの開発・量産、次期戦闘機の開発、サイバー部隊2万人、多数の小型人工衛星で情報を集める衛星コンステレーションなど、子どもの思いつきかと疑うほどあれもこれもとなっています。全部本当にできるのか、やっていいことなのか、の検討結果が見えず、国民への説明も不十分です。絵に描いた餅にならないか心配です」
「予算に無駄があれば、防衛力にとってもマイナスです。新しい研究を始めると、途中でやめることはなかなかできず、人も張り付きます。多くの装備品は、実はローン払いで後年度負担があり、維持費も相当にかかります。これらの選択肢を誤ると、将来本当に必要な防衛力にお金や人材を投入できないことさえなるのです」
ん~ん、昔の軍人が権力を握って軍事国家になった反省で、自衛隊は「文民統制」つまり制服組は、政治家の指示に従う原則だが、どうも今の自民党議員は戦争ごっこをやりたい子どもじみた人ばかりで、制服組幹部の方が現実を知って賢い選択を考える人がいるのかもしれない、と思ってしまう。

「インタビュー 元海上自衛隊自衛艦隊司令官 香田 洋二 さん 
 来年度から5年間の防衛費を、従来の1.5倍にあたる43兆円に増やす計画を政府が決定した。歴史的な増額を自衛隊の関係者は歓迎しているかと思いきや、海上自衛隊現場トップの自衛艦隊司令官を務めた香田洋二さんは「身の丈を超えている」と警鐘を鳴らす。防衛費の増額が持論の香田さんが、そう訴える理由を聞いた。
 ――今後5年間で整備する防衛力の内容と総額が決まりました。
 「今回の計画からは、自衛隊の現場のにおいがしません。本当に日本を守るために、現場が最も必要で有効なものを積み上げたものなのだろうか。言い方は極端ですが、43兆円という砂糖の山に群がるアリみたいになっているんじゃないでしょうか」
 ――防衛費を増やすべきではないということですか。
 「違います。私は防衛費が足りないとずっと言ってきた人間です。10年ほど予算も担当しましたが、GDP比1%という枠に抑えられ、必要な艦船や航空機をそろえると、とても弾薬まで十分には買えませんでした。老朽化する隊舎の耐震工事でさえ、目をつぶらざるを得なかった。台湾情勢、北朝鮮のミサイル発射、ロシアのウクライナ侵攻という中で、弾薬など継線能力の大幅な拡充や、他国に遅れないための装備品の開発・調達には相当のお金が必要です」
 -―では、何が問題なのですか。
 「身の丈を超えていると思えてなりません。反撃能力(敵基地攻撃能力)の確保に向けた12式ミサイル(地対艦誘導弾)の改良、マッハ5以上で飛ぶ極超音速ミサイルの開発・量産、次期戦闘機の開発、サイバー部隊2万人、多数の小型人工衛星で情報を集める衛星コンステレーションなど、子どもの思い付きかと疑うほどあれもこれもとなっています。全部本当にできるのか、やっていいことなのか、その検討結果が見えず、国民への説明も不十分です。絵に描いた餅にならないか心配です」
 「例えば、12式ミサイルは射程を200㌔から1千㌔に延ばしますが、搭載燃料を5倍にしてエンジンを含めて再設計することが不可欠で、簡単にできるとは思えません。米国製巡航ミサイルのトマホークとの使い分けはどうするのでしょう。極超音速ミサイルは米国が2兆円かけても配備計画に至らず、衛星コンステレーションは米国もやろうとしています。防衛産業の基盤が厚く、同盟国である米国との共同開発・運用を、効率と効果の面から選択肢とするべきではないでしょうか。サイバー部隊も、人員確保に悩む自衛隊で他の部隊の能力を維持したまま2万人も集められるのか疑問です。
 -―なぜ、こんなことになっているのでしょうか。
 「自衛隊の積み上げではないからだと考えます。私の経験では、新しい計画を作る場合、各自衛隊は5年程度の時間をかけます。世界中の事例を見ながら、導入する装備品や量を決め、各自衛隊の積み上げの結晶として、何兆円という規模になるのです。当時はGDP比1%の枠があり、ほとんど増えない中でもそうだったのです。ところが、今回はいきなりGDP比2%という数字があり、砂糖の山が現れたわけです。当時の私だったら、いきなりそんなに増やせと言われても、新たな事業を短期間で出せなかったんじゃないかと思う規模感です」
 -―ただ、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国も、国防費はGDP比2%以上が目標です。
 「その目標を、米国の要請でNATOがつくったのは2014年です。10年近く前からそうとうに準備している中で、ロシアのウクライナ侵攻があり、ドイツなどが明確にかじを切ったわけです。日本は急ぎすぎた上に、内容も身の丈を超えたものになっています」
 -―防衛費は多ければいいということでもないのですか。
 「予算に無駄があれば、防衛力にとってもマイナスです。新しい研究を始めると、途中でやめることはなかなかできず、人も張り付きます。多くの装備品は、実はローン払いで後年度負担があり、維持費も相当にかかります。これらの選択肢を考えると、将来本当に必要な防衛力にお金や人材を投入できないことにさえなるのです」
 -―敵基地攻撃能力については、どう考えますか。
 「方向性には同意します。日本が『盾』だけでなく、米国が担っている『矛』を補完することは抑止力に資するでしょう。周辺国はミサイル技術を高度化させており、変則軌道で飛ぶ大量のミサイルが発射された場合、今の日本の防衛網では対応しきれません」
 「ただ、奇襲攻撃の着手に対し、政府がどう存立危機事態を認定し、防衛出動をかけるのかが、明確ではありません。『矛』の役割を日米で担うわけですから、有効に機能させるためには、NATOや韓国軍・在韓米軍のように統一した指揮系統も必要です。24時間365日対応するために、新たな部隊編成も求められます。こうした運用面を国民合意のもとで事前にはっきりさせておかなければ、実効性を持たないばかりか、現場の自衛隊がしわ寄せを受けることになりかねません」
 -―防衛費増額は自民党からの要請が強かったわけですが、政治との関係はどう考えますか。
 「文民統制はきわめて重要ですが、政治は大きな方針を決め、具体的な内容は自衛隊が考えるべきです。かつて米国はベトナム戦争で、『ベスト・アンド・ブライテスト(最良で最も聡明)』と呼ばれた閣僚や大統領補佐官たちが攻撃目標まで指示し、泥沼化して敗れました。その反省を踏まえた湾岸戦争で、米国の政治はイラクのフセイン政権に勝利するという大きな方針だけを示し、勝ったのです」
 「防衛省・自衛隊が自民党に示す資料には、不都合なことが書かれていないと思うことがあります。議員が防衛相・自衛隊に情報を出させ、専門的な知識で厳しくチェックすることは必要です。ただ、内容に立ち入りすぎるのは禁物です。陸上から海上へ、大型艦を小型化へと二転三転するイージスシステムは、まさに政治的な迷走の象徴です。
 「今回、2%のかけ声が先行し、政治家があれもこれもやるべきだという声も強かったのではないでしょうか。防衛費増額は私もOBとしてありがたいと思いますが、それに悪乗りしている防衛相・自衛隊の姿が見えるのです。本当の意味での積み上げが重要で、その結果、5年後の時点ではまだ1.5%ということもあり得たと思います。もちろん、2%超になることもありますが、そこでは財政当局や政治の査定が入ります」
 -―防衛増税については賛否が割れています。財源はどう考えますか。
 「国民負担という痛みがあるからこそ、本当に必要な防衛力が積み上がります。国債という麻薬のようなものを平時に使えという主張があることは信じられません。歴史的にも、いまのウクライナやロシアもそうですが、本当の有事では政府は嫌でも大量の借金をしなければいけません。平時は、歳出改革以上の分は税金で支えていただくしかないのです。でも、だからこそ1円たりとも無駄にしてはいけないし、後ろ指をさされることがないように、国民への説明責任を果たさないといけません」
 「戦前、海軍の平時予算が日露戦争時の予算より大きくなったことに危機感を高めた加藤友三郎・海軍大将(後に首相)は『国防は軍人の専有物にあらず』と言って、まわりの反対を押し切り、1922年にワシントン海軍軍縮条約に調印しました。今年7月に地方の自衛隊幹部が、社会保障費なども必要な中で防衛費だけが特別扱いされるのは無条件では喜べない、という発言をしてたたかれましたが、国の財政や経済という広い視野から発言をした幹部がいることを、誇りに思います」
 -―防衛費増額そのものに反対する人も少なくありません。
 「賛成も、反対もある。それが正常な民主主義社会です。防衛省が世論誘導工作の研究を始めるという一部報道がありました。心理戦や情報戦への対抗手段はあっていいと思いますが、国民の意識を一定方向にもっていくようなことは絶対にやってはいけませんし、戦後生まれの自衛隊がそのようなことを企てることは断じてないはずです。自衛隊が守っているのは民主主義なのですから」
 「私は現役時代、自衛隊は悪だという世間の視線を時に感じながら過ごした世代です。20代の時、北海道沖で暗夜、私の乗る護衛艦が突然ソ連軍艦から照明弾を発射され、大砲を向けられたことがありました。命の危険を初めて感じ、自衛隊員の服務宣誓にある『事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」の意味を実感しました。命をかける自衛隊を国民に支えてもらいたいという思いはあるし、古巣に私が厳しく言うのは、多くの国民が支えたいと思う組織であってほしいからなのです』 (聞き手・西尾邦明)」朝日新聞2022年12月23日朝刊、13面オピニオン欄。
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