味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

夭壽もて貮にせざる、を問ふ。

2018-08-11 09:56:38 | ブログ
第3511号 30.08.11(土)

夭壽(ようじゅ)もて貮にせざる、を問ふ。先生曰く、学問の功夫は、一切の聲利嗜功好(せいりしこう)に於て、俱(とも)に能く脱落して殆ど盡すも、尚ほ一種の生死の念頭の毫髪(ごうはつ)掛帯(かいたい)する有れば、便ち全體に於て未だ融釋(ゆうしゃく)せざる處有り。人の生死の念頭に於けるや、本生(もとせい)身命根上より帯び来る。故に去り易からず。若し此の處に於て見破り、透し過ぐれば、此の心の全體は、方(まさ)に是れ性を盡し命に至るの學なり、と。『伝習録』488

 問う、「孟子の言う『命の長短によって心を変えない。』とは、どんなことでしょうか。」先生曰く、「学問の修行は、一切の名誉・利益・趣味などについて、これを殆ど脱却することができても、ただ幾分の生命に対する執着の念が、少しでも心に残っていると、全体の理について充分に理解し、悟ることはできないものである。人間の生命に対する執着心は、元来人の生まれ落ちた時からあるもので、容易に除き難い。もしこの生死の問題について達観し、徹底することができたなら、この心の全体は、自由無礙に活動するわけで、これこそわが性を残りなく発揮し、天命の本元に遡る根本的な学問に外ならない。

 【コメント】この解説を読んで<心の全体は、自由無礙に活動するわけで、これこそわが性を残りなく発揮し、天命の本元に遡る根本的な学問に外ならない>と知り、学問の大切さもさりながら、処世に生きる大切さを痛感しています。

 思うに九月の総裁選に臨む石破さんの<正直・公平・謙虚・丁寧>でありたいというのを聞いて、これこそが国民が期待する指導者像だと思った次第です。どんなに能力があっても清廉であり、ウソを言わない人間になりたいと思っています。

 荘内南洲会前理事長からは懇切丁寧なご芳翰をたくさん頂戴いたしましたが、それはそれは有難い御手紙でございます。荘内の先生方との交流に際して、思い上ってはならない、謙虚に謙虚にをモットーにして参りました。

 十年位前、円心会道場での『南洲翁遺訓』発表を観察してから指宿に行ったことがありました。そのホテルでのことです。私共の仲間が酔っぱらってから舞台に上り、卑猥な歌を歌ったのでした。私はその場面を見て、小野寺先生方に申し訳ないと思い、四階から身を投げたいと思ったものでした。

 人間は能力も大事な要件ですが、ウソを言わない真面目さがなければならないのです。詐欺みたいなことをした東北出身の元総理にしても、歴史がこの私を作ったと豪語している男が話題を呼んでいますが、これらは絶対駄目だと思います。
 昨日は労働組合の団体の人々が、会社の職員に苦情が多いとして仲裁を依頼する所が報道されましたが、労働運動そのものも見直さなければならないでしょう。

 安倍総理について、元総理・小泉さんが発したクレームみたいな記事を週間文春が報じているらしいですが、森 功著『悪だくみ』を読んでいただきたく存じます。私が観察してきた荘内南洲会の先生方はそれはそれは見事なご人格の方々ばかりでした。

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『代表的日本人』に描かれている西郷隆盛の部分を読むと、彼はエゴというものの全くない人間であり、他人に対する激しすぎるほどの同情をもっていたことがわかります。
 日本陸軍総司令官、閣僚中の最有力者であった彼の月給は、当時の金にして数百円でした。彼は家賃一か月三円の家に住み、薩摩がすりに白い木綿のへこ帯を締め、大きいゲタをはいていた。若い者たちと一緒にする食事と犬とが、彼の楽しみでした。彼自身の費用をまかなうには、一ケ月十五円で足りた。その残りの金を、残らず困っている友人に与えたという。

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