味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

凡そ學の道は、師を厳にするを難しと為す

2018-08-10 09:55:22 | ブログ
第3510号 30.08.10(金)

凡そ學の道は、師を厳にするを難しと為す。師厳にして然る後に道尊し。道尊くして然る後に民、學を敬するを知る。是の故に君の其の臣を臣とせざる所の者二あり、其の尸為るに當りては則ち臣とせざるなり、其の師為(した)るに當りては則ち臣とせざるなり。大学の禮、天子に詔(つ)ぐと雖も北面すること無きは、師を尊ぶ所以なり。『礼記』551

 およそ学問を修めるには、まず教師を尊厳に保つことが必要であり、これができて始めて学問を修めることが重大に認められるのであり、そうであって始めて人びとが学問を尊重すべきことを知るのである。そうしたわけであるから、君主が臣下に対し臣として扱わない相手が二種あり、先祖の祭りに尸(かたしろ)を勤める場合と、君主の教師となる場合とは、臣として扱わないのである。たとえば大学で儀式を行うときに、教師は天子に事を申し述べるにも北面しないのは、師を尊ぶという趣旨に由るのである。

 【コメント】学問を修めるためには、教師に敬意を表して学ぶことは当然であり、会社では上司・先輩の教えを忠実に聞くことが大事であります。

 近年、男女平等と先輩後輩の関係が薄れている傾向がありますが、世を秩序正しく生きるためには、上下の関係は無益ではないと思います。

 経験豊富で社会経験が豊かな人は、仕事の面でも成果が上がるのは当然です。

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『瓦礫の中の幸福論』

 純子という女

 わたしにラブレターをくれた加清純子は
 絵画に秀でていて、
 高校入学前から中央の美術展にも入選し、
 札幌でも有名な女流画家であった。

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 身を修めて聖人となった中江藤樹

 十一歳のときに藤樹は、孔子の『大学』に「天子よりもって庶人にいたるまで、一にみなもって身を修むるをもととなす」(天子から庶人にいたるまで、自分の身を修めるのが根本である)とあるのを読んで泣き、聖人になることを志した。少年の彼はまた、生れたばかりの釈尊が天と地とを指しても「天上天下唯我独尊」(この世界で尊いのは自分だけである)と言ったというのを聞いて、「彼は世の中で一番傲慢な人である。私はこういう人を好まない」と言った。そのとおりに、彼は一生仏教を好まなかった。
 王陽明(1472ー1578)の陽明学に傾倒した彼は、その立場に立った『大学解』、『中庸解』、『論語解』、『鏡草解』、『翁問答』などの著書を残した。古教で開いた学塾とこれらの著書を通じて、彼は天下を動かした。少年の日に孔子の『大学』中の「天子よりもって庶人にいたるまで、一にみなもって身を修むるをもととなす」を読み「聖人になろう」と志した少年の日の夢を、藤樹はみごとに実現したことになる。

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