0010110 足は大地に、理想は高く、心には愛を!

安心リラックスのんびり明るくいい気分、ワクワク実行を意識して生活します。地球文明もあと5年

やさしさにつつまれたなら

2014-09-24 10:17:54 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



おはようございます。

ガンダーラと同じ70年代の歌でも、コチラは正反対、神がかっている、
と言えます。
まさに、「感じるまま」 書かれたのではないでしょうか。

なにげなく歌い続けられているウタのなかに、真実が見えます。




(WEBより転載)



小さい頃は 神様がいて
不思議に夢を かなえてくれた  

やさしい気持ちで 目覚めた朝は
大人になっても 奇蹟は起こるよ


カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目に写る全てのことは メッセージ



小さい頃は 神様がいて
毎日愛を 届けてくれた
心の奥に しまい忘れた
大切な箱 開くときは今

雨上がりの庭で くちなしの香りの
やさしさに包まれたなら きっと
目に写る全てのことは メッセージ

カーテンを開いて 静かな木漏れ陽の
やさしさに包まれたなら きっと
目に写る全てのことは メッセージ






希望でもファンタジーでもなく、ただ単純に、あなたの世界に起こること。

そして、

素粒子の振動(量子物理)、そしてシンクロニシティについてやさしく
歌ってくれています。



本当に素晴らしいです。

よい歌を、ありがとう。

今日もありがとうございます。

スターシップ、エンゲージ!

2014-09-15 21:37:28 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。

・・・UFO、宇宙船、など呼び方はいろいろですが、僕は総じて
「スターシップ」という呼び方が好きです。

約2年前に、中空に浮かぶ謎のオレンジ色の光点と、それがフッと消える
瞬間をハッキリ見ました。

それからとんと、そういう現象には出会わなくなりましたが、それは間違い
なく「スターシップ」!

ちなみにUFOを見たければ、この世界の喜びに気付き、最高にワクワク
して、最大級に感謝しているとき、そのとき「UFOが見たい!」と、
こころから思っていれば、




100%見えます!




まあ、大勢が調和に至る数年後には、こんなことこそ、ごく「アタリマエ」
の常識になるでしょう。

つまり、いま、「感謝ほぼゼロ生活」のあなたが、UFOを見ることなんて
一生ないってこと。

UFOを見られるかどうかに、研究も偶然も、意味ないんです。

甚だしく、見当違いです。
(・・・まあ、この社会のすべては見当違いの方向を向いてますが)

いま、僕もUFOを見ることはありませんが、それは僕にとっての最大の
ワクワクが、「UFOを見ること」じゃなくなっただけのことです。





思えば小さい頃から、そういう架空もの、SFものに出て来る乗り物が
大好きでした。
それらのなかでも空を飛んだり、宇宙を飛ぶもの。
なぜか大地を疾走するものよりも好きでした。
あ、でもフネ、戦艦(シップ)も好きだったなあ。

大人になっても、変わらずそういうものを見たり、模型を見たり作ったり
することに興味は尽きません。

でも、じゃあ、どうしてパイロットの方向に進まなかったのか?
というと、それはきっと、大勢の命を預かるにしては、いまの技術では
不安だったから、ということになりましょうか^^;

そう感じます。




大空を翔け、大宇宙を翔ける!




きっと、そんな、無邪気な思いがいつまでもこころの奥底にあるという
ことは、僕は未来生、もしくは過去生で、まちがいなくパイロットをやって
るということ!

「スターシップのパイロット」なんていう夢を、いいオッサンが胸の奥底
に持ってワクワクしてるなんて、この社会ではどうしようもない愚か者なの
かもしれません。

でも、この社会の常識から見て、そういうところに位置している、という
ことは同時にクスっと笑えるところでもあります。



バシャールが本のなかで、彼らが乗ってる宇宙船の仕組みや、どうやって
移動するか、ということを書いてくれていたのが非常に楽しかった。

そうか、「動く・進む」 ではなく、「移動」 するのか!



そういうのを想像している、この人生の「いま」「ここ」 もまた、楽しく
てしかたありません(笑)




宇宙(あなたのこころ)、それは最後のフロンティア・・・・!



それは判断ではなく

2014-09-14 17:58:25 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



こんばんは。

いろんな状況をかんがみても、

あなたの、心の声が 「NO」 と言っているのなら、

それは間違いなく、NOだ!



その判断を下した時、あなたを批判する人が居ても、悲しむ人が居ても、
バカにするひとが居たとしても・・・、

あなたはそのとき、生きている上でも、最大に誇らしいことをした。

それは



「あなたのこころに従った」



生きていくうえで、これ以上、大事なことはありません。

そしてそのとき、あなたがしたことは「判断」ではなく、
「こうしたい」 という意思の尊重。

理屈じゃなく、
こころから、それを選ぶとき
どうしようもなく、こころがブレーキをかけるとき、



それらはすべて、愛に基づきます。



今日もありがとうございます。

いつまでも被害者

2014-09-11 22:30:12 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」




こんばんは。

なんかいつまでも、ひとは「被害者」なんだね。

この小さなブログで僕が言い続けている程度では、いつまでも、多くの
ひとは「被害者」だ。

ナントカ協会のエラいひとが「気を付けましょう、気を付けましょう、
いつ、何が起こるか分かりません、いつあなたが被害者になるか分かり
ませんよ!」

そしてそれを受けて「そうですね。気を付けましょう」

いやいや、

なにに?

なににどうやって気を付けるの?



普段から周囲を警戒して、オドオドビクビクして生きろと?



「この世界は、そういう恐い面もあるところ」などではなく、それはただ、
あなたの認識と、やり方が間違ってるだけ。

(ここでは「間違ってる」という概念を使います)



そんな警戒ばかり、オドオドばかりしていたら、いったいいつ感謝すんの?

この世界はすべて、あなたの思うまま、望むままに暮らせるように設定され
ているのに、そんな状態でそれに対して、いつ感謝出来んの?


それを信じること、世界を信じること、あなたの見ている世界を信じること
は、つまりあなた自身を信じるということ。

それが理解できればこそ、感謝に至ります。



大勢の人が言ってること、権威とやらをかざしている人が言っていること、
そんなものは二の次でいい。

場合によっては、本当に無視していいんだ。



そんなあれこれを「常識」とあおいでいる限り、僕もあなたも不調和なまま
だ。
なぜなら世間の常識の多くは、不調和な人が言ってる常識だから。



「感謝するだけでいいなんてワケない。それですべてが良くなるなんて
 カンタンすぎる。根拠がない。バカバカしい」



と言いたければ、いつまでも言っていればいいよ。
(↑↑↑・・僕だってたまには、こう言いたくなる!)


本当に、その理屈を知りたければ求めるはずだ。

そうやって、求めもせずにいつまでもバカにしてればいいよ。



ほんの10年も経たないうちに、量子物理学、素粒子の振動、軽さと重さ、
といったことが知識となり、この世界の価値観が引っくり返るから。


いつまでも 「お金があれば」 って思い続け、いつまでもヒマがあれば
スマホの小さな画面を見ていればいい。

そうしている限り、あなたの「幸せの概念」は、永遠にちっぽけなワクの
なかでしか存在しない。



その、ついいつも見てしまうスマホの画面に収まるほどの、せいぜいそんな
ちっぽけな幸せしか、あなたの人生には起こらない。

不安と恐れと心配にしがみつきながら(・・・いいですか?決して「取りつ
かれた」、ではないんだ!)

大きな幸せ = 大金があれば幸せ

って、いつまでも言ってるといいよ。



さあ・・・・!

今日もこのブログの内容は無視してください。信じないように!



選択はすべて、あなたの感じるままに。

今日もありがとうございます。

ガンダーラ

2014-09-10 10:50:52 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」



おはようございます。

70年代に、ガンダーラという歌がヒットしました。

ガンダーラとは・・・

現在のアフガニスタン東部から、パキスタン北西部にかけて存在した
古代王国で、紀元前6世紀~11世紀の間存続し、1~5世紀には仏教
を信奉したクシャーナ王朝のもとで、最盛期を迎えたということです。


でも歌の中では「愛の国」って歌われてますね。
天国であり魔法の国、極楽、涅槃、といったニュアンスかな。

では2014年の感覚で、歌詞を読みとって行きます。



・・・・・・・・・・・・・



(歌詞)


そこに行けば どんな夢も叶うというよ

(・・・・どこかに行かなくても、夢は叶います。というか
「いま」「ここ」で、すでに叶っているのに!)




誰もみな行きたがるが 遥かな世界

(・・・・だから、どこにも行かなくていいの!)


その国の名はガンダーラ 何処かにあるユートピア

(・・・・魔法の国の名前はなんでもいいんだけど、それは
「何処か」じゃなく「ここ」に在った!)



どうしたら行けるのだろう 教えて欲しい

(・・・・周りのすべてにありがとう、って感謝出来たら、いま、
ここが「ガンダーラ」だったんだと気付けるよ!)




ガンダーラ、ガンダーラ、愛の国 ガンダーラ


生きることの苦しみさえ 消えるというよ

(・・・・すべての現象が自作自演だったと気付けたら、苦しみ
さえも幻なんだと分かります)



旅立った人はいるが あまりにも遠い

(・・・・いや、近いよ!というか苦労して動かなくても、
「ここ」です。ガンダーラは、ここ。)



自由なそのガンダーラ 素晴らしいユートピア

(・・・・だよね!この世界は、あなたがワクワクして過ごす
ためだけに用意されたんだから!)



心の中に生きる 幻なのか

(・・・・ある意味、すべては幻と言えるけれど、それを理解した
とたん、逆にこの世界は、あなたの「真の現実」になる!ここは、
あなたの、思いのままの世界だったんだ!)



ガンダーラ、ガンダーラ、愛の国 ガンダーラ♪






・・・・・・・・・・・・・・・・・





いまも多くのひとがそうですが、70年代はもっと、この世界の真実に
気付いてるひとは、より少なかったことでしょう。

遠くの、どこかにある王国に行けば、幸せになれる、と。

でも、そんなものはこの世界にはなくって、これは死んだあとの天国の
話なんだ・・・・と。



この歌の内容を、いまもそのまま受け止めている限り、あなたは「いま」
「ここ」には居ません。

つまりあなたは、永遠にガンダーラに「居る」ことは出来ない^^;

でも、「いま」「ここ」 こそがガンダーラであって、どこか他の場所
には、ガンダーラなんてありません。

艱難辛苦を排して、到達するところが天国じゃない。

どこかのカミサマにお願いして、連れて行ってもらうところが天国
じゃない。

カンタンじゃない、ということこそ、あなたの思い込み。

あなたが気付けば、それはいま、ここに在った。というだけの、シンプル
なことなんです。



ただ・・・・

「感謝すればいいだけなんて、そんなカンタンなわけないだろう!」

って思うひとこそ、感謝無く生きてる証拠ですからね。

実は「感謝」を日常的にすることこそ、よほど時間のかかるものかも
しれません。



今日もありがとうございます。


自分を深く掘りおこす

2014-09-09 11:02:49 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんにちは。

僕の登録しているニュースレター、いつもイイコト書いてくれてる
ので、今日はちょっと転載してみます。


**************



■自分を深掘りして知ることの効用



同じ人材開発の分野で、いつも「忙しい、暇がない!」と言っている、
コンサルタントの友人がいます。

飲みながら話を聞いてみると、「別にアンタがしなくてもいいんじゃない?
(笑)」
というような仕事まで引き受けてる。

自分が得意の専門的なことにもっと集中していればいいのに。。。

どうやら契約先の会社の社長に依頼されて、専門外のことでも何でも
「私ができます」と、引き受けているらしい。

Tさんは自営なので、引き受けるかどうかは自由に選択できる立場。

お金だってそれだけ働いているだけあって、余裕がある様子。
(アウディの新車を購入していた)



つい目先の売り上げに目がくらみ(笑)、専門外のことまで
「それもできます。私にどうぞお任せを」
なんて言って、やっている人、自営業だと意外と多いんですよね。

僕は話を聞いていて、「それでいいのかなあ」と感じたんです。

なぜならば、Tさん本人がその状況を楽しいと思っていないから。

現状の働き方に、自分で納得していない感じがしたんですね。



本当にやりたい、と思って引き受けているものがどのぐらいか。

僕も自分はどうか?と振り返るいい機会になりました。

今年から母が要介護になったこともあり、以前よりも時間の使い方と、
いろんなことのバランス、大切だなあと感じるようになりました。

自分が本当に楽しいと感じない、習慣的な時間の使い方があれば、
見直そうと思っていたところだったんです。




以前は気軽にやりたいことリストがたくさんあり、それをどんどん済ませて
いけば、いろんなことがやれている感じがしました。

ところが、考えてみたら、3次元では誰にとっても何かを「やる」というのは
そもそも大変なこと。

時間、エネルギー、他人とのやり取り、お金、頭の思考・・・いろいろ使う。
自分の人生を使っているわけです。



人生を価値あるものと感じ、納得感を持って過ごしたいと思う。

それを考えると、安易になんでもかんでも、自分で決めたわけでもない時間の
使い方を、減らそうと思うようになったんです。

例えば、飲みに誘われたら。

今まではなんとなく行っていたものでも、お付き合いでの参加なら、

自分がどうしたいかを基準に決める。

わくわくしないなら、他のプランを入れる。



私たちは、本当は自分が何をしたいのか?

自分は何が好きで、どんな人と一緒にいたいのか。

どんな時間の過ごし方ができると、心が納得いくのか。

実はそういったことをあまり深く考えたり、探求していないんです。



わかっていく為には、自分がどうしたいかを深掘りして、意識し続けないと

難しいんですね。



多くの場合、やりたいと思ったことがあっても、「今はまだ」と自分に
言い訳して引き延ばしたりします。

そして、やりたいことに対してすら、やらない言い訳の名人になれます。

反面、一般的な「やるべきこと」や、「しなくてはならない」と思い込まされ
ていることは、無意識に優先しちゃいます。

ほとんどの人が、周囲の意見や、流行、常識といった誰かの考えを、自分も
わかっているかのように取り入れてしまっています。


その方が簡単なので。




でもどこかで心は、「これでいいのだろうか」と。




逆に、考えてばかりで、何も行動せず、いろんな体験がない状態であれば、
どんなことでも行動、体験した方がいい。

自分を理解する為の体験材料がなければ、自分を知ることは難しいでしょう。

自分でそれが好みかどうかなんて、体験しないことにはわからないんですから。



いろんな体験を経ながら、今も忙しく動き回っている状況である人は、
そろそろ、自分が日々、何をしたいのか、どう過ごしたいのか、じっくり自分
を見つめ、内省する時期かもしれません。

仕事について。


自分自身について。


家族の中の役割について。


パートナーや友人との付き合い方について。


時間の過ごし方について。


・・・



じっくり自分に取り組み、自分への理解が深まると、迷いも減る。

だから結果的には、人生に使っている時間が充実したものになる。

要領よくやろうとして、自分がどうしたいのかを深く見つめないまま、

効率的にやろうと外部の情報に飛びついたら、かえって遠回りになるんです。




自分が選択できるというパワーを軽んじていたと思うなら、じっくり自分を
振り返って見つめ、洗練させていってあげるのもいいかもしれません。







**************

(転載終了)



協調したいこと、普段僕も言いたいことを、勝手に太字にさせてもらい
ました^^



「喜びと宇宙の法則」ニューズレターです。

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かなりナイスなメルマガだと思います。

今日もありがとうございます。

広い視野

2014-09-07 16:27:40 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


こんにちは。

僕らは「成り行く」ことを、経験しに、「いま」「ここ」に、来ました。

そのために、僕もあなたも、目の前に起こす(「起こる」ではない)数々
の物事を、つぶさに観察するために、ここに居ます。


それはまるで、出来事のひとつひとつを、その都度顕微鏡で覗いて観察
しているようなもの。

そして、それぞれのディテールが、実物(?)と見紛うほどに、あまりに
リアルで興味深いので、僕らは顕微鏡を手放せない、というか、僕らの目に、
顕微鏡をくっつけたまま離せない(笑)



つまり、24時間常に覗きっぱなしで、例えばその部屋がどうなっている
とか、その建物はどうなのかとか、外はどうなっているのかとか、さらには
自分がいまどういう服を着ているのかとか、そういうことさえ一切無視して、
顕微鏡をのぞき続けているようなもの。

どう考えても、顕微鏡を覗きながら日常生活するなんて、不自然じゃない
ですか(笑)

でも、僕らは数千年も、そんな状態で居続けた。

何百回転生しても気付けずに、そういう人生を繰り返しました。



なので最も大事なのは、いま、あなたが、「どこに視点を置いているか」
です。

なにか、いたたまれない(と思える)事故が起こったとします。

これまでの、「顕微鏡視点」では、
「・・・ああ、世の中、いつ何が起こるか分からない。恐い、恐ろしい、
 不安だ」 となってました。

多くのひとが、これを常識とする、僕らの住む「ここ」は、実は
「無知で、異常な世界」



でも顔を上げ、少し視野を広げると、
「ああ、普段から感謝が足りなかったから、親が感謝を教えなかったから、
 思い出せなかったから、こういうことが起こったんだ。
 感謝しよう・・・」 となります。

   ↑↑↑
すべてはそう感じないこともあります。でも、この部分の気付きだけでも、
人間にはすごい進歩なのです。

でも地球人類は、何千年経っても、何回転生しても、このステップを上がる
ことが難しい。




さらに視野を広げると、
「それぞれの周波数が引き寄せあって、そういう事象が、起こるべくして
 起こった。それはお互い、同意していることで、ある側面からすると、
 お互いの願いが叶った、と言えるんだ」

と理解できます。
そして同時に、それを「選ぶ」のも、自由だということも。

それは「知識」



もっと視野を広げると、
「そういった事象でさえ、良いとか悪いとかではないんだ。ただ、
 『起こった』。意味もなければ、理由もないんだよ」 

となります。
すべての事象は良い・悪いではなく、かつ、意味があるものであれば、ない
ものでもある・・・

つまり、この世界を貫く「神聖なる二分法」とは、こういった視点の違い
から考えてみると、理解しやすいのかも知れません。


もちろん、理屈よりも、まずは「感じる」ことが大事なんですけどね。



こうやって、狭い視野 ⇒ 広い視野に移るにつれ、「愛」というものの
捉え方も変わります。

ホントは、「愛そのもの」は、なにも変わってないんだけど、変わっている
ように思えます。

興味深いのは、視野が狭いほど、視野の広い「愛」が、一見冷たく感じ、
見えるということ。

でもそうじゃなくって、それはただ、あなたの視点が、顕微鏡を覗いている
ように小さく、あなたの視野が、狭いだけなのかもしれない。



あなたの身の周りの、一見冷たく感じる言動を放つひとは、本当に冷たいだけ
のひとだろうか?

ひょっとしたら、あなたが視野を広げれば、なにかが見えるかもしれません。




とまあ・・・



とにかく、この世界に起こす(起こる、ではない)、あらゆる状況をつぶさ
に観察するのは興味深いのですが、ほとんどのひとは、それに飲み込まれて、
大きな視野を持ててません。
(そのことを忘れている)

それが証拠に、すぐに 「『深刻な人生』ごっこ」 を始めます。そして、
いつまでもやめません。

ある意味では、こういう状態も、この世界を楽しんでいる・・・と言える
かもしれませんが、やはり、明らかにバランスが偏り過ぎている。

この物質世界で、「成り行く」を経験するには、顕微鏡を覗くと同時に、
そういう大きな視点も持つ、という認識が大切です。




人生を、深刻に考えないこと。全部、あなたの自作自演なんだから。



常に、バランスを取りましょう。





今日もありがとうございます。

選択を意識する

2014-09-06 06:29:36 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

人生は選択の連続です。

人生イコール「連続する選択」と言えます。

朝起きてから寝るまで、大なり小なり、とにかく選択の嵐の中で生きています。

ひょっとしたら寝る直前、見る夢さえ選んでいるかもしれない。



その中でたまに起きる、大きいと感じる選択。

もちろん拒否すれば、それを経験することはありませんし、それもまた自由
です。

でも、あなたが求めたそのタイミングで、それに付随して、なぜその選択肢が
あなたの目の前に現れるのか?


それはただ、あなたが経験するために、目の前に現れたんです。それ以外に
「力」は働かない。

もちろん、それを経験しなくてもいい。
でもそれを選択し、経験することで、これまでのあなたにはなかった思考が、
あなたのなかに生まれる。

そのためだけに、「それ」は今、あなたの前に提示された。



それを選ぶことこそが、真の意味での「成長すること」ではないかと思います。



それを選択しなければ、あなたにその経験は起こらない。
(でも時期がずれて、再び訪れるかも)

そして、それを選択すれば、その経験は、あなたの前に現れる。

選んでも、出来るかどうか分からない、と思うこともあるかもしれない。

選んだからって、そうなることが可能かどうかは別だ!って思えることも多い
でしょう。

しかしそれこそが、この「なにごとも分離するように見える傾向にある世界」
の特徴です。

それに倣い、「ムリだから選ばない」では、当然なにも起きないでしょう。

でも、選ぼうとするからこそ、それはあなたの前に提示される。

出来る可能性が強いからこそ(本当は、なんでも100%可能なんだよ!)
それはあなたの前に呈示される。

「さあ、いまさらだけど、どうする?」

ってね。

出来るか、出来ないか、以前に最も大事なのは、まず 「選択すること」



思考は、現実となるために働きます。

強く、あるいは長く思考するからこそ、それは現実化します。

あとは、選べばいい。

選べばこそ、のちに続く行動も、自然に促されます。

決して「しなければならない」「するべきだ」じゃないものが、現れます。

だからこそ、ラク~に、受け入れましょう。



さあ!



この世界は、まさに思い通りに生きられるように用意されているのだから、
楽しもうじゃないですか。

苦労も楽も、どちらも思うがままに経験できる!と知っていて苦労するなら
まだしも、そうじゃないなら、楽しむしかありません。



この世界は、僕らそれぞれのために用意されたのだから。



今日も、抽象的な文章でスミマセン^^;



今日も朝から満たされています。

ありがとうございます。

それでもあなたは、被害者じゃない

2014-09-05 11:35:49 | 愛と感謝
この宇宙の、絶対的要素!


「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」

「すべては、いま、ここに在る!」


おはようございます。

ひとはよく、被害者を演じます。

気に入らないことや、不快なこと、ひどい目に遭った、ということを
「こんなことがあってさ~」
「いつ、何が起こるか分からないよね」 ←周囲に同意を求める
「だからみなさんも、気を付けて下さい」

・・・なんていう流れが一般的。
でも、そうとしか思えないほど、この世界のシステムは完璧。


目の前で起こることは、すべて自作自演でしかないのに、それらが
あたかも、外から自分に降りかかってくるような、

「何も悪いことをしていない自分」 に突然訪れるような、そういう
気分にさせるほど、そうとしか思えないほど、


この世界のシステムは完璧です。それは、



「与えるものを受け取る」



というシステム。

これは、この地球のみならず、宇宙の隅々まで行っても、完璧に働い
ている法則です。

あなたの放っている振動(波動、周波数、波形・・)が、より明確に
なって、あなたに返ってくる、という、これ以上ないほどに単純な
システム。


この世界に対して僕やあなたが与えているもの、その多くは
「不安と恐れ」
です。
ほぼ100%と言っていいでしょう。

ツイッターでグチをつぶやくから、通信販売で不良品が送られてくる。

ありがとう、と言うことを面倒に思うから、とてもありがとうとは
言えないような経験が続く。

それら、すべては繋がっている(というか、同一の現象)なのに、
気付けない。
この世界での、いわゆる「分離の思想」と、さらにタイムラグが、
ひとを 「被害者」 の感覚にします。

なのに口を揃えて、「人生は、いつ、何が起こるか分からないんだよ」 
などと、あたかも自分は多くの経験をした、とばかりにグラス片手に
人生を語るわけです(笑)

それが、もっとも大事な部分が抜け落ちた、どれほど狭い人生観なのか、
ということにも気づかず。

しかし、

こういうブログを書いていますと、いや、だからこそ「気付こう」、
そして、早く多くの方がこの宇宙を貫く不変のシステムに気付けます
ように・・・なんて思うのですが、最近それと同様に、

・・・そうは言っても、やはりこのようにどっぷりこの感覚(何が起こ
るか分からない、被害者になる、という)に漬かっているほうが、実は
この世界そのものを満喫出来ているのかもしれない・・・

などとも、思うようになりました。

つまりは、気付けたから良い、気付かぬまま、もがきながら一生を過ご
すことは良くない、ということではないのでしょう。

ただ、気付いたからには、この事実を世間に広めたい、大勢に分かって
欲しい、という思いにはなります。(決して、義務ではない)

だってその方が、いろんな意味で「ラク」だからね。


ただこの社会では、ラクを追及することはなまけもののやることで、
苦労して、がんばって、勝ち取る!という信念が褒め称えられます。


でももう、そんなことさえ、本当にどうでもいい。

分かっていて、この人生で苦労することを選んだ魂もあるから。

自分よりも、ひとのために生きることを選んだ魂もあるから。

(・・・でもそれもこれも、結局全ては自分を満たすためなんだけどね)



とはいえ、じゃあ、気付く前の感覚、知識の人生に戻りたいか、という
と、それはまったく思いません!(とんでもないです!)



今日も満たされてます。

今日もありがとうございます。