この宇宙の、絶対的要素!
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
こんにちは。
僕らは「成り行く」ことを、経験しに、「いま」「ここ」に、来ました。
そのために、僕もあなたも、目の前に起こす(「起こる」ではない)数々
の物事を、つぶさに観察するために、ここに居ます。
それはまるで、出来事のひとつひとつを、その都度顕微鏡で覗いて観察
しているようなもの。
そして、それぞれのディテールが、実物(?)と見紛うほどに、あまりに
リアルで興味深いので、僕らは顕微鏡を手放せない、というか、僕らの目に、
顕微鏡をくっつけたまま離せない(笑)
つまり、24時間常に覗きっぱなしで、例えばその部屋がどうなっている
とか、その建物はどうなのかとか、外はどうなっているのかとか、さらには
自分がいまどういう服を着ているのかとか、そういうことさえ一切無視して、
顕微鏡をのぞき続けているようなもの。
どう考えても、顕微鏡を覗きながら日常生活するなんて、不自然じゃない
ですか(笑)
でも、僕らは数千年も、そんな状態で居続けた。
何百回転生しても気付けずに、そういう人生を繰り返しました。
なので最も大事なのは、いま、あなたが、「どこに視点を置いているか」
です。
なにか、いたたまれない(と思える)事故が起こったとします。
これまでの、「顕微鏡視点」では、
「・・・ああ、世の中、いつ何が起こるか分からない。恐い、恐ろしい、
不安だ」 となってました。
多くのひとが、これを常識とする、僕らの住む「ここ」は、実は
「無知で、異常な世界」
でも顔を上げ、少し視野を広げると、
「ああ、普段から感謝が足りなかったから、親が感謝を教えなかったから、
思い出せなかったから、こういうことが起こったんだ。
感謝しよう・・・」 となります。
↑↑↑
すべてはそう感じないこともあります。でも、この部分の気付きだけでも、
人間にはすごい進歩なのです。
でも地球人類は、何千年経っても、何回転生しても、このステップを上がる
ことが難しい。
さらに視野を広げると、
「それぞれの周波数が引き寄せあって、そういう事象が、起こるべくして
起こった。それはお互い、同意していることで、ある側面からすると、
お互いの願いが叶った、と言えるんだ」
と理解できます。
そして同時に、それを「選ぶ」のも、自由だということも。
それは「知識」
もっと視野を広げると、
「そういった事象でさえ、良いとか悪いとかではないんだ。ただ、
『起こった』。意味もなければ、理由もないんだよ」
となります。
すべての事象は良い・悪いではなく、かつ、意味があるものであれば、ない
ものでもある・・・
つまり、この世界を貫く「神聖なる二分法」とは、こういった視点の違い
から考えてみると、理解しやすいのかも知れません。
もちろん、理屈よりも、まずは「感じる」ことが大事なんですけどね。
こうやって、狭い視野 ⇒ 広い視野に移るにつれ、「愛」というものの
捉え方も変わります。
ホントは、「愛そのもの」は、なにも変わってないんだけど、変わっている
ように思えます。
興味深いのは、視野が狭いほど、視野の広い「愛」が、一見冷たく感じ、
見えるということ。
でもそうじゃなくって、それはただ、あなたの視点が、顕微鏡を覗いている
ように小さく、あなたの視野が、狭いだけなのかもしれない。
あなたの身の周りの、一見冷たく感じる言動を放つひとは、本当に冷たいだけ
のひとだろうか?
ひょっとしたら、あなたが視野を広げれば、なにかが見えるかもしれません。
とまあ・・・
とにかく、この世界に起こす(起こる、ではない)、あらゆる状況をつぶさ
に観察するのは興味深いのですが、ほとんどのひとは、それに飲み込まれて、
大きな視野を持ててません。
(そのことを忘れている)
それが証拠に、すぐに 「『深刻な人生』ごっこ」 を始めます。そして、
いつまでもやめません。
ある意味では、こういう状態も、この世界を楽しんでいる・・・と言える
かもしれませんが、やはり、明らかにバランスが偏り過ぎている。
この物質世界で、「成り行く」を経験するには、顕微鏡を覗くと同時に、
そういう大きな視点も持つ、という認識が大切です。
人生を、深刻に考えないこと。全部、あなたの自作自演なんだから。
常に、バランスを取りましょう。
今日もありがとうございます。
「あなたは存在している」
「一は全、全は一」
「与えるものを受け取る」
「変化は常に起こっている」
「すべては、いま、ここに在る!」
こんにちは。
僕らは「成り行く」ことを、経験しに、「いま」「ここ」に、来ました。
そのために、僕もあなたも、目の前に起こす(「起こる」ではない)数々
の物事を、つぶさに観察するために、ここに居ます。
それはまるで、出来事のひとつひとつを、その都度顕微鏡で覗いて観察
しているようなもの。
そして、それぞれのディテールが、実物(?)と見紛うほどに、あまりに
リアルで興味深いので、僕らは顕微鏡を手放せない、というか、僕らの目に、
顕微鏡をくっつけたまま離せない(笑)
つまり、24時間常に覗きっぱなしで、例えばその部屋がどうなっている
とか、その建物はどうなのかとか、外はどうなっているのかとか、さらには
自分がいまどういう服を着ているのかとか、そういうことさえ一切無視して、
顕微鏡をのぞき続けているようなもの。
どう考えても、顕微鏡を覗きながら日常生活するなんて、不自然じゃない
ですか(笑)
でも、僕らは数千年も、そんな状態で居続けた。
何百回転生しても気付けずに、そういう人生を繰り返しました。
なので最も大事なのは、いま、あなたが、「どこに視点を置いているか」
です。
なにか、いたたまれない(と思える)事故が起こったとします。
これまでの、「顕微鏡視点」では、
「・・・ああ、世の中、いつ何が起こるか分からない。恐い、恐ろしい、
不安だ」 となってました。
多くのひとが、これを常識とする、僕らの住む「ここ」は、実は
「無知で、異常な世界」
でも顔を上げ、少し視野を広げると、
「ああ、普段から感謝が足りなかったから、親が感謝を教えなかったから、
思い出せなかったから、こういうことが起こったんだ。
感謝しよう・・・」 となります。
↑↑↑
すべてはそう感じないこともあります。でも、この部分の気付きだけでも、
人間にはすごい進歩なのです。
でも地球人類は、何千年経っても、何回転生しても、このステップを上がる
ことが難しい。
さらに視野を広げると、
「それぞれの周波数が引き寄せあって、そういう事象が、起こるべくして
起こった。それはお互い、同意していることで、ある側面からすると、
お互いの願いが叶った、と言えるんだ」
と理解できます。
そして同時に、それを「選ぶ」のも、自由だということも。
それは「知識」
もっと視野を広げると、
「そういった事象でさえ、良いとか悪いとかではないんだ。ただ、
『起こった』。意味もなければ、理由もないんだよ」
となります。
すべての事象は良い・悪いではなく、かつ、意味があるものであれば、ない
ものでもある・・・
つまり、この世界を貫く「神聖なる二分法」とは、こういった視点の違い
から考えてみると、理解しやすいのかも知れません。
もちろん、理屈よりも、まずは「感じる」ことが大事なんですけどね。
こうやって、狭い視野 ⇒ 広い視野に移るにつれ、「愛」というものの
捉え方も変わります。
ホントは、「愛そのもの」は、なにも変わってないんだけど、変わっている
ように思えます。
興味深いのは、視野が狭いほど、視野の広い「愛」が、一見冷たく感じ、
見えるということ。
でもそうじゃなくって、それはただ、あなたの視点が、顕微鏡を覗いている
ように小さく、あなたの視野が、狭いだけなのかもしれない。
あなたの身の周りの、一見冷たく感じる言動を放つひとは、本当に冷たいだけ
のひとだろうか?
ひょっとしたら、あなたが視野を広げれば、なにかが見えるかもしれません。
とまあ・・・
とにかく、この世界に起こす(起こる、ではない)、あらゆる状況をつぶさ
に観察するのは興味深いのですが、ほとんどのひとは、それに飲み込まれて、
大きな視野を持ててません。
(そのことを忘れている)
それが証拠に、すぐに 「『深刻な人生』ごっこ」 を始めます。そして、
いつまでもやめません。
ある意味では、こういう状態も、この世界を楽しんでいる・・・と言える
かもしれませんが、やはり、明らかにバランスが偏り過ぎている。
この物質世界で、「成り行く」を経験するには、顕微鏡を覗くと同時に、
そういう大きな視点も持つ、という認識が大切です。
人生を、深刻に考えないこと。全部、あなたの自作自演なんだから。
常に、バランスを取りましょう。
今日もありがとうございます。