自然となかよしおじさんの “ごった煮記”

風を聴き 水に触れ 土を匂う

公園で見た樹木の剪定

2022-12-24 | 随想

街路樹のことを書いていたら,公園の樹木の管理のことが浮かんできました。もちろん,具体例は身近な公園で,市の観光スポットといわれています。

久しぶりに訪ねたら,カツラ並木の下を彩って来ていたツツジがばっさり伐り込まれていました。

 

今はこんなふうに剪定をする時期ではないのに。

 

わたしが抱いた印象は,景観はすっきりしたものの,これだけばっさりやったのでは来年の景観はまったくダメだろうというものです。花芽がすっかりなくなってはどうしようもありません。もしかすると,再来年にも影響が及ぶかもしれません。そして,同じするなら,公園の入口なのだから根元付近もすこしはすっきりしておいてほしいなと思いました。わたしの知る里山の方がはるかにこころが行き届いた管理がなされています。

落ちた枝や枯れたままの草などで,雑然とした感じがしますが。

 

公園には樹木がつきものです。樹木の緑と花は,人の心に潤いを与え,癒しをもらたしてくれます。その点を踏まえて,計画的に剪定するのが筋でしょう。大きくなり過ぎないうちに剪定する,計画的に樹形を整えていく,それがとてもたいせつな点です。

数年前,同じ公園のドウダンツツジがばっさり切り込まれました。石階段に沿って植えられ,見事な景観を形成していました。結果,二年間紅葉は見られず,苦情が寄せられたのは当然です。剪定直後,これで果たして新芽が出て来るのか,景観が復活するのか,心配で,管理する担当課に直接聞くと,「委託外郭団体に任せている」。責任逃れですね。わたしの知る人たちも管理責任を問うたそうですが,時すでに遅しでした。

団体の話では剪定についてノウハウを持たない高齢者に作業をお願いしているとのこと。それは働く場を提供するにはよいことなのですが,一人でも剪定法を知る人が入ればこんな結果にはならなかったでしょう。もったいない。公園づくりの理念のなさが結果を招いたといえます。

それに続いて同じことがまた起こりました。昨年度のことです。公園の主要な樹木であるコブシの枝がスカッと伐り落とされました(下写真では,残った枝がハンガー代わりになっています)。花芽がたくさん付いていたときだったので,びっくり。これでは春先,花が見られないではないかと誰もが思うでしょう。そのとおり花はなく,そして緑陰をつくる葉もなく,寂しい姿で立ったままに終わりました。

 

当団体の責任者曰く,「高齢者が高木を剪定するのは危険です。それで高さ3mで伐り落としてもらいました」。公園に樹木を植える意味を考えたこともない答え方に聞こえました。剪定作業に携わる人の雇用がまずあって,公園利用者が快適に過ごせる空間を整えるという視点が欠けています。

行政事務は担当者が次々変わっていきます。まちづくりを柱にして各部署に事業を展開する理念があって,共有される体制が整っていない限り,市民本位・利用者本位の手腕が発揮されることなど望めません。あり方を先取りするほどでなくては信頼は醸成されないでしょう。似たことがこれからも繰り返されそうです。

 


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